第46話

 その日の放課後。

 早速、野球出場者で軽い練習をすることになった。


 諌矢に言われた集合場所に向かう為、グラウンドに出る。

 そこは既に多くの部活が始まっていて、トラック脇で陸上部がハードルの準備をしていた。

 走り込みをするサッカー部は掛け声を飛ばしながらグラウンドを周回し、遥か彼方のバックネットでは、本職の野球部員達が鳴らす金属バットの乾いた快音が聞こえてくる。

 どこか弛緩していて、それでいて熱っぽい。いかにも放課後らしい風景だ。

 彼らの邪魔をしないように外縁部に巡らされたネット沿いに大回りする。


 集合場所は隅にある広い草地にある物置小屋で、既に諌矢達が準備をしているのが見えた。

 傍らには、体育の授業で使う使い古しの軟式グローブやらボールやら用途不明の紐やらサポーターがとにかくごちゃまぜになって一か所に集められている。


「まさか、一之瀬。あんたみたいな消極的な男が野球をするなんてね」

 一足先についていたのか。

 ジャージ姿の赤坂はそんな皮肉を飛ばしながらグローブを物色していた。

 俺も自分のサイズに合ったグローブを探すのだが、どれもしわくちゃでとにかく固い。恐らくは野球部で使い物にならなくなった備品を何年も使い回しているんだろう。


「それにしても、皆やる気だな」

「こういう行事が好きそうな人ばっかりだしね」

 キャッチボールをし始めたのは須山鉄明。大柄で騒々しいクラスのお調子者だ。

 その様子を遠くに見る赤坂は普段俺に見せる歯に衣着せない物言い。


「なに、遅れてきた癖に浮かない顔してんだな」

 そんな俺達に気づいた諌矢が近づいてきた。


「実はこのままバックレようかと思ってたんだよね。来ただけありがたいと思ってくれ」

「相変わらずだなあ」

 練習風景を見た感じ、男子は須山と数人と女子は江崎さんと竹浪さん。それについてきた制服姿の女子が数人。


「今日は来ない人もいるのかな?」

「ああ。部活があって来れない奴も多いからな。須山もちょっとやったらサッカー部に行くって」

 とりあえず、今日は各自のポジションだけ大まかに決めて解散らしい。


「じゃあ、やるか」

 慣れないクラスメートとの練習に少し不安だったが、顔馴染みの諌矢がいて安心した。

 二人でキャッチボールを始める。赤坂も江崎さんと同じようにボールを投げ合っている。


「ああ。ちなみに俺、この後バスケに出る奴らとの練習あるから」

 数度キャッチボールを交わしたところで、諌矢がそんな事を言った。

 確か、諌矢は野球だけでなくバスケとテニスダブルスにも出るんだっけ。ロングホームルームで決めたメンバー表を思い出す。


「人気者は辛いな」

「そういうこと。須山達と同じタイミングで俺も抜けるから!」

「え?」

 ちょっと待て。穏やかじゃいられなくなる。キャッチボールのテンポが露骨に早まる。


「ほら、俺って一応副委員長じゃん? 色々他の種目の練習にも顔出さないと駄目なわけよ」

「つまり、ここから先は俺と普段話さない奴らばかり、ということになるんだな」

 キャッチボールを交わしながら、憂鬱な気分になる。



「ちょっといいかなーっ」

 しばらく練習をしていたら、一人の男子生徒が手を振って召集を掛ける。

 どうやら打ち合わせを始めるようだ。

「とりあえず、今いる人達のポジションは決めて行こうと思ってるんだけど……ああ。あまり遅くまで残れない人は遠慮しないで言ってね」

 物腰穏やか、しかしながら聞き取りやすい声。確か、白鳥(しらとり)秋良(あきら)といったっけ。

 白鳥は、並び立つと俺や赤坂よりも小柄で、見た目だけなら中学生みたいにあどけない顔つきをしている。

 何となく色素が薄い髪と肌。くっきりとした黒目がちな丸い瞳は名前通りの小さな白い鳥みたいな、そんな可愛さすら感じる。

 しかし、その立ち振る舞いは堂々としていて、初対面が多いこのメンバー相手でも物怖じしない。


「今日出てない人の分も、ポジションの要望は聞いてるんだよね。その辺と合わせて決めたいんだけどいいかな?」

 普段、白鳥は教室内では運動部に所属する男子生徒で構成されたグループに属している。

 その爽やかさと部活に属する者同士特有のバリバリの内輪感から関わる機会は殆ど無い。

 唯一会話をしたのは炊事遠足中の草野球の時くらいだ。

 確か、俺と同じ野球経験者だと言っていたような……そんな事を今更になって思い出す。


「秋良(あきら)の言う通り、ピッチャーだけでも早めに決めときたいよな」

「ほんじゃ、俺に任せろ!」

 白鳥とよく一緒にいる男子が発言し、それに呼応するように須山が名乗りを上げる。


「じゃあ、僕がキャッチャー役やるね」

 白鳥は用品の山からキャッチャーマスクを取り出すと、バンドを締め直して顔に装着する。


「須山くん。投げてみてよ」

 離れた場所でしゃがむ白鳥。ミットを叩き、合図をする。


「っしゃー!」

 須山は兼ねてから野球をやりたがっていた。その為か恐ろしくはりきっていてうるさい。

 謎の咆哮と共に大袈裟なモーションで振りかぶり、投球。

 しかし、ボールがミットに収まる小気味よい音はする事なく、あろうことか白鳥を越えて遥か遠くに飛んでいく。


「あるぇ?」

「ちょっと須山さー。どこ投げてんの?」

 竹浪ともう一人の女子がブーイングを垂れる。

 かなり遠くまで行ってしまったので、探すのに難儀しそうだ。

 俺もボールを取りに走った白鳥に続く。

 土まみれの軟球は、グラウンドと敷地外の田んぼを隔てるネット際に落ちていた。


「大丈夫か? あのノーコン須山。体力テストと勘違いしてるんじゃないのか」

「でも、肩はいいみたいだね。調教すれば使えるようにはなると思うよ」

 白鳥が苦笑いしながら投げるボールを受け取り、俺は一足先に皆の場所へと戻る。

 白鳥、何か怖い事言っていた気もするけど……

 しかし、戻った先では変わった光景が繰り広げられていた。


「私が投げてみる」

 何と、赤坂が投手役に名乗りを上げているではないか。

 白鳥の腹黒発言は俺の大脳新皮質から瞬時で消し飛んだ。


「どうかしたの? 一之瀬」

 疑問が顔に出ていたのだろうか。俺を見た赤坂は怪訝な顔。


「いや……」

 目立たないようにクラス内で立ち振る舞っていた赤坂。自ら投手に立候補するなんて、レアなケースだ。

 でも、それを皆がいる場で言った所で赤坂の恨みを買うだけだ。俺は黙って話を聞く。


「せっかくなら、勝つための編成をするべきだって思うワケよ。須山君だとフォアボールでコールド負けするレベルだし」

 聞いてもいないのに説明を始めたぞ。勝つ為に仕方なく自分がやるとか言いつつも、やる気満々のようだ。


「赤坂ちゃん運動神経結構いいもんね。投げるの私も見たいかも」

「じゃあ、赤坂さん。投げてくれるかな?」

 竹浪さんや江崎さんといった女子達も赤坂を支持している。

 戻ってきた白鳥がキャッチャーマスクを被り、距離を取ってしゃがみ込んだ。

 ミットを構える白鳥の動作は落ち着いていて板についていた。もしかしたら、キャッチャー経験者なのかもしれない。


「いいよ。全力で投げても大丈夫だからねー!」

「うん。とりあえず、思いきりやってみる」

 足元を運動靴の先端でつつきながら、赤坂が投球フォームに入る。

 そして、よく整ったオーバースローで投じた一球は、誰が見ても明らかに速かった。

 スパァンと乾いた音が弾け、ボールが収まったミットから砂煙が盛大に舞う。


「すご……すごいよ、環季ちゃん!」

 女子達が田舎の町でテレビ収録にきた芸能人を見たような勢いで興奮している。

 でも、大抵は青森みたいな田舎にロケが来ても、ここでは見れないテレビ局だったりする。

 そう言う時は遅れネットで放送されたり、そもそも放送自体がされない場合も多いんだよな。


「いやー良かった。ミットにズドンッて来た」

 白鳥が嬉しそうな顔でこちらに戻ってきた。

 しかし、学校備品の古びたミットだと、あの球は流石に痛いのだろう。

 笑顔で走ってくる白鳥だけど、グローブを嵌めていた手を擦っている。


「ピッチャーは赤坂さんで決まりだな」

 諌矢がスマホを取り出し、メモらしきものを打ち込み始めた。後で出ていない連中にも共有するつもりらしい。

 気が利くな。流石はイケメン、俺には無かった発想だ。


「キャッチャーは白鳥がやるのか?」

「ううん。僕は守備が忙しいショートかセカンドに入るつもり」

 俺が尋ねると、白鳥はマスクを外した首を振った。


「それに、球技大会は盗塁禁止みたいだし、キャッチャーは簡単なポジションだと思うよ」

「ボールを捕れる人なら誰でも大丈夫って事か」

 とりあえず、残りのポジションは適性を見ながらゆっくり決めていくのだろう。

 まあ、その辺は諌矢や白鳥に任せておけば安泰だ。

 そもそも、俺はこのメンバーの下の名前もろくに知らないレベルなので命令に従うほかない。うーんこの指示待ち人間。


「そういえば、一之瀬君も野球経験者だよね? ピッチャーとかできない?」

「えっ?」

 思いもしない一言。俺より少しだけ小柄な白鳥がこちらを見上げていた。


「本番は一日に何試合もやるからさ。赤坂さん以外のピッチャーもいないと駄目だと思うんだ」

「いいんじゃないの」

 と、そこに差し込まれる一言。

 赤坂は俺を見て、不敵に笑う。


「前に言ってたじゃない。一之瀬ってピッチャーやってたんでしょ?」

「いや、別に……」

「ああ! 言ってたな、それ!」

 須山が真っ先に飛びついた。


「いいじゃん! 投げてみろって、一之瀬!」

 声があまりにもデカいので、一躍クラスメートの視線にさらされる俺。


「え、本当? 一之瀬君ってピッチャーだったの?」

 白鳥も水を得た魚みたいに顔を明るくさせていた。

 すっかり話が大きくなってしまった。俺は赤坂に反論の眼差しを向けるが、わざとらしく視線を外して無視された。

 助け船を出すどころか、俺をピッチャーに担ぎ上げる気満々だ。


「でも、ずっと昔だし……俺控えだったし」

 俺は興奮気味の白鳥や須山にそう言い聞かせる。

 野球において、ピッチャーは一番重要なポジションだ。最悪、俺のせいで試合そのものが負けてしまう可能性だってある。

 そうなった時の気まずさを考えたら、やっぱり気が引ける。


「ボールだってそんなに速くないと思うよ?」

 だから、何とかこの場を切り抜けないか画策する。


「確かに、打たれたら結構気まずいよね」

 あはは、と白鳥が苦笑い。


「だろ? 俺じゃ無理だって」

 俺がヘボピッチャーだと白鳥達が納得すれば、このまま有耶無耶になるかもしれない。

 会話の流れ的にもこのまま収束しそうな雰囲気なので内心ほっとする俺。


「いや、球技大会なら別に相手だって素人でしょ」

 しかし、赤坂がそれを許さない。


「ねえ、何で火に油注ぐの?」

「白鳥君。見た感じ、このメンバーの中じゃ、経験者の一之瀬が一番ピッチャーに向いてると思わない?」

 無視かよ。赤坂は皆に人懐っこく笑顔を投げかけながら呼びかける。


「そうだね」

 明るい口調の赤坂に、白鳥はうんうんと、二つ返事でそれを快諾する。


「体力が不安でも、五回制だから大丈夫だと思うよ。一之瀬君が経験者で、それもピッチャーやってたなら投げて欲しいな」

「いや、でもブランクとかあるし。野球経験者なら分かるよね?」

「投げて欲しいな」

 同じ経験者同士、長いブランクがどれくらい腕を鈍らせるか白取も分かっている筈。しかし、最後の希望はあっけなくスルーされた。

 怖すぎるくらいの満面の笑みが俺を見上げている。

 どうしよう。白鳥が俺の話を聞いてくれなくなった。


「いいじゃん。一之瀬、投げてみなよ」

 やりとりを見ていた竹浪さんも便乗し始める。それを皮切りに、他のクラスメートも一之瀬ちょっと投げて見ろって雰囲気になってきた。

 普段から皆の注目に慣れていない俺。しかし、これではもう退けないのは明らかだ。


「分かったよ。でも期待しないでよ?」

 とりあえずは実際に投げるのを皆に見てもらう以外、道は無さそうだ。


「仕方ない。でも、本当しょぼいからな。俺の球」

 このままだと埒が明かない。 予防線を張った上で、渋々応じる俺。

 キャッチャー役はもちろん、腹黒ショタキャラの白鳥だ。


「好きなタイミングでいいよー」

 猛禽みたいに声を張り、白鳥はマスクを被る。

 皆が俺の一挙手一投足に注目していた。

 でも、教室内30人強の衆目に比べて、ここにいるのは俺を除けば数人ぽっちだ。

 気持ちを落ち着ける為、深呼吸一つ。


「仕方ない。今の全力でやってみるか」

 こうやってキャッチャーマスク姿の捕手役と向かい合うと、マウンドに立っていた小さな頃に戻ったような気持ちになる。


「いいよー! いつでも来て!」

 パンパンと乾いた音を響かせながら、白鳥がミットを構える。俺はその小さなミットの中に狙いを定めた。

 まだ指先が覚えていたのか、ストレートの握りは、自然にグローブの中で作られていた。


「――ッ!」

 腕を水平に薙ぎ、サイドスローで力いっぱいボールを放る。


「うん、いい感じ」

 小気味よい音でミットに収まった軟式ボールを白鳥が返す。

 周囲の女子が『何か変な投げ方ー』とか言っていて恥ずかしい。

 サイドスローは小学校時代、顧問に勧められた投球フォームだ。実際、コントロールもタイミングも俺の中では一番取りやすい。

 赤坂に視線を向けたら、今度は満面の笑みで返された。あれ、期待されてるみたいだ?


「一之瀬君。コントロール全然いいよ」

 二球、三球と投球練習を続ける。その度に白鳥がこっちの気分を良くするような事を言ってくれる。

 投手のメンタルを支え、試合で十二分の力を引き出す――絶対捕手経験者だと思う。

 ボールを受け取り横目で見ると、須山も諌矢も赤坂も腕を組み、ベガ立ちで観察していた。何あの三人組。


「一之瀬君」

 白鳥からボールが返ってくる。俺はそれを慌ててキャッチする。


「球技大会なら十分通用すると思うよ。コントロールもいいし」

「そうかな? じゃあさ」

 褒めちぎって伸ばすタイプの白鳥。すっかり気を良くした俺は、グローブの中でボールの握りを変える。

 記憶を探りながら、軟球の縫い目型の段差に人差し指と、親指をあてがい――


「とっておき、いいか?」

「えっ」

 そう言って白鳥へと投げ込んだのはカーブ。指先から抜けた遅めの球が弧を描き、


「ああっ!」

 明後日の方向に飛んでいったのを白鳥が振り返った。

 これまで静かだったギャラリーが俺の暴投ぷりに沸く。


「何やってんの、一之瀬」

 赤坂も苦虫を潰したように俺を見ていて、気まずいったら無い。

 やっぱり、慣れない事はするもんじゃないな。




 練習も一段落した。諌矢も須山もそれぞれの用事に向かい、もうグラウンドにはいない。

 脇に置いていたペットボトル飲料を飲みながら、白鳥と隣り合って草地に座る。

 この小柄な野球少年は意外と気さくで、俺でも気兼ねなく会話できる。


「結局、赤坂がエースかなあ。あいつが一番球速いし」

「でも、一之瀬君もピンチの時は投げてもらうかもね」

 地味に白鳥はプレッシャーを掛けてくる。

 嫌だなあ、ミスったら絶対責任から逃れられない。


 ちなみに、何故経験者の俺が控えなのかというと、スタミナが馬鹿みたいに無かったからだ。

 野球から離れ、すっかり体力も落ちたのだろうか。最初の数球を境に、あっというまにコントロールが須山並みに定まらなくなった。

 そこで白鳥が下した俺のポジションは捕手。一応、控え投手の登録はするけど、あくまでも赤坂のボールを受けるのが球技大会での俺の役目との事だ。

 野球経験者だから捕る技術は他の人よりはマシだろうという白鳥の判断だった。内野に配置されない辺り、結構雑な扱いされてるみたいでちょっと凹む。


「あとは練習だね。未経験の江崎さんや斎藤君達が本番までどれくらい慣れるか……」

 そんな事をかわしながら、一休みして練習に戻る。

 陽も落ちかけ、解散になりそうな頃合いだった。


「一之瀬、ちょっといい?」

 声を掛けてきたのは俺を二番手ピッチャーに推薦した赤坂だった。


「もっかい、ボール捕ってくんない?」

「何だよ。まだ投げ足りないのかよ」

 言われるまま、俺は赤坂と相対してキャッチボールを交わす。


「とりあえず、私メインで行くみたいだから、一之瀬はキャッチャーにまず専念すべきね」

「じゃあ、何で俺を推薦なんかしたんだよ」

 俺がむっとしながら問いかけると、赤坂はふふんと小さく笑う。


「こういう時くらい目立って空気じゃないのを見せつけなさいっていう、私なりの忖度よ」

「忖度じゃねえ。脅迫じゃないか」

 言い返した所で、赤坂が投球位置につく。


「じゃあ、一之瀬。やるからにはちゃんと取ってよ?」

 赤坂はそう言って振りかぶると、全く球威の衰えないストレートを放ってきた。

 ビシィッと漫画みたいな甲高い効果音をさせてミットにボールが収まる。痛いったらない。


「こんな練習が何日も続くのか……」

 俺は手のひらを擦りつつ、暮れ始めた藍色の空を仰いだ。


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