第45話
午後一番の授業はロングホームルームだった。
「この時間は球技大会の出場種目を決めるぞ。じゃあ、委員長頼む」
ゴリラみたいな担任、猿倉が窓際へと退いていく。代わりに教卓に立ったのは委員長を務める女子だ。
腰元まで流れる黒髪、理知的な眼鏡の奥に見える優しい眼差しがクラス内を見渡す。
「いけね」
どこかほっこりふんわりした委員長の姿を見て、前席の諌矢も教卓へと向かっていく。
ああ、そう言えば。
軽薄そうな見た目と裏腹に、諌矢は副委員長でもあるのだ。
「六月に球技大会かぁ」
「遠足やったばっかなのにねえ~」
竹浪さんが前席の女子とそんな事を言い合っている。
カーテン揺れる窓の先の景色。今年は雨も少なく、今日も空は鮮やかな青が広がっていた。
大人の話によると、この本州最北の地も昔より幾分か暑くなってきているらしい。
それでも、都会に比べたらまだまだ涼しい訳で、まだ暑さが本格的にやって来る梅雨前が狙い目なのか、県内の学校の多くが運動会や体育祭はこの時期に開催する。
「――種目は以上です。必ず一人一個は出てくださいね」
そんな事を考えている内に委員長の説明が終わった。あ、やばい。聞いてなかった。
俺はここで初めて、黒板に記された競技種目を確認した。
ふむふむ、サッカーにバレー、バスケ、野球。あとは卓球にテニス、バドミントンか。
チームプレイが苦手な俺にとっては、球技大会は憂鬱なイベント他ならない。
「俺バスケやるわ。部活入ってるし」
早速、活発そうな男子が名乗りを上げる。西崎や須山とよく一緒にいる強面のバスケ部員だ。
「ごめんなさい、甲野君。部活と同じ競技には出れないんだよね……」
苦笑いを浮かべた委員長がやんわり却下。そこで、どっと笑いが起きた。
「ちぇっ、マジかぁー」
普段から強気で顔も怖めなバスケ部男子は、照れ気味に笑って席に座り直す。
俺みたいな冴えない男子が却下すると絶対『ああ?』とか言い出しそうなもんだけど、相手は清楚系委員長だからね。リア充はその辺の相手による対応の変え方が臨機応変だ。
「じゃあさ。中学で経験してたとかなら大丈夫だよね? 私テニス結構上手いよ?」
今度は状況を良く理解している竹浪さんが挙手。
「俺らはサッカーにしたいんだけど、良い?」
「委員長。私バレーやってもいいですかー!?」
それを皮切りに、活発な生徒から手が上がり始める。
副委員長の諌矢が黒板に出場生徒を書き並べていく。その光景を見ながら、俺はある程度出場できそうな種目を絞る事にした。
そうだな――とりあえず、狙い目は卓球あたりか。
大体の連中はサッカーやバスケの応援に行くから、観客も少ないだろうし。何よりも、個人戦ならミスっても非難されないというのがデカいよね。
「それじゃあ、次は卓球なんですけど、出たい人は――」
委員長が卓球希望者を募った所で、俺も手を上げる。
「「「はい!」」」
えっ。
教室中で上がる無数の手。希望者のあまりの多さに俺は愕然とした。
「同じ事を考えている連中は他にもいたか……」
見た所、おとなしめの生徒達、球技大会に消極的な輩が一挙に卓球へと押し寄せた形だ。
予定枠の人数の二倍を超える数。果たして、俺はこの高倍率を突破できるだろうか。
俺はもう一度黒板を凝視する。
落選した時の為に、次点候補をチェックしておいて損はない。
まず、目に入ったのはテニス――
「うっ」
個人戦の卓球やバドミントンとは違い、何故かテニスは
仲の良い男女同士が出場する為だけに設けられたようなルール。
種目を消えた運営委員会、これ絶対リア充だろ……そんな謎の憎悪の念が沸く。
一組目は既に竹浪さんと同じ中学の男子生徒、工藤舞人でペアが決まっていた。
しかし、もう一枠分は誰も希望する者がいない。
「それじゃあ、卓球の希望者は前に集まって下さい。ジャンケンで決めるってことで!」
ごちゃごちゃになっていた脳内に、諌矢のよく通る声。
いつの間にか黒板前には卓球希望者が押し寄せていた。どうやら、勝者だけが卓球に出場登録できるらしい。
「ダメならサッカー辺りに滑り込むか」
俺は抽選に漏れた時の保険も決めておくことにする。
幸い、苦手な肉食系の男子生徒の殆どはバスケに殺到しているようで、サッカーはまだ空きがある。
それに、バスケと違ってサッカーは一チーム11人。メンバーが多い分、ミスっても隠れ蓑にしやすいだろう。
「よし、ダメならサッカー……ダメならサッカー」
「一之瀬。呪文でも詠唱してんの?」
教卓前の席に座る赤坂が両肘を顎に乗せ、ナチュラルに俺を煽ってくる。
「最初はグー!」
掛け声と共に無数の拳が繰り出され――そして、俺は落選した。
結果的に、俺は卓球だけでなくサッカーの抽選にも漏れた。
同じことを考えていた連中はいるようで、じゃんけんに負けた生徒が殺到したのだ。
多人数参加型ジャンケンに連敗するなんて相当運が無いと思う。
「あっはっは。残念だったなー」
勝負の神に見放された哀れな男。そんな俺の肩をタッチしてきたのは諌矢だった。
「良かったらなんだけどさ。野球やればいいじゃん」
そう言って後ろ手の親指で示した先。野球出場者の欄は空きだらけ。
バスケやサッカーといった球技は軒並み埋まっているのに、野球だけがあからさまな不人気っぷり。
まあ、その理由は俺でも分かる。
「嫌だ。野球だと誰がエラーしたかはっきりするだろう。俺のメンタルじゃ持たない」
「大丈夫だって!」
黒板に焦点の合わない眼を向ける俺を余所に、諌矢は説得を始める。
「皆素人だぜ? どうせまともな守備なんてできないからミスってもへーきへーき。気楽にいけばいいんだよ、うん」
そうこうしている内に、他の連中は次々に第二希望のエントリーを済ませていく。
ああ、これはいけない。
「それに、夏生は野球経験者なんだろ? 大丈夫、いけるいける」
「く、覚えてやがったか」
諌矢はそう言って俺に野球を勧める。何かもう結論が準備してあって、それに繋がる道へと追い立てられている気がする。
でも、俺は奴の口車には乗るまいと黒板を睨む。
「他に空いている競技は――ええ」
そして、呆然とした。
なんと、他の競技は軒並み埋まってしまっていた。
俺の選択肢は野球かテニスダブルスだけ。なんだこれは、なんだこれは。
「あれ? 西崎さん。まだ出る種目決めてないよね?」
ふと、教卓の委員長が慎ましい声で西崎を呼ぶ。クラスの女王相手に結構気を使っているのが見て分かる。
「あー」
西崎は組んでいた足に肘を乗せながら、きろりと視線を黒板へと向けた。
皆が教卓前に集まって種目を決めていく中、話し合いに全く興味を持たずにスマホをいじっていたようだ。
本当にいい性格してるな、あのギャル。
「いいよ。あたしテニスやるわ。前出るのだるいから書いといてくんない?」
投げやりに答える西崎に、委員長はすっかり萎縮しながら頷く。
「はいはい。テニスダブルス西崎ね」
諌矢が西崎瑛璃奈の名をチョークで記す。難しい漢字のフルネームを迷いなく書ききれる辺り、優等生って感じがする。
つーかちょっと待って。これ最悪なパターンじゃないか。
「あとは男子のテニス枠が一人か。あれ?」
諌矢もそれに感づいたようで、おもむろにチョークを持った手を動かす。
「もしかして夏生。テニス出んの?」
俺は諌矢の腕を掴み、指先のチョークを奪い取ろうと背を伸ばす。
「んなわけないだろっ!」
あの女王キャラと組まされるなんて勘弁だ。それに俺はテニスなんてルールすら知らないのだ。試合になる訳が無い。
「もしかして、西崎と組みたいから野球拒否ったとか?」
「何を言ってるんだか……おい諌矢。てめえ書くんじゃない!」
やれやれと、平静を装おうとするが駄目だった。テニスダブルスの下の空白に俺の名前を書こうとする諌矢を見ていたら、一気に取り乱してしまう。
「野球やる! 野球やるからテニスに書くのマジでやめろ」
鬼気迫る俺に、周囲の連中がドン引きした視線を浴びせかけている。そんな気がした。
「馬鹿じゃないの……」
赤坂も冷めた顔でゆっくり首を振っていた。俺の考えなんて全て把握済みっぽい。
「くそ、野球やるからっ。それでいいだろ!?」
流石にその様子に諌矢も分かってくれたのか、長い腕はその隣、野球の出場者の欄に移る。
白い文字で記された俺の名。自然と深い息が吐き出される。
「よっしゃ、期待してるぜ野球経験者」
諌矢はそんな事を言って肩をぽんと叩いてくる。
「つーか夏生。相当テニス嫌なんだな」
「シングルスならともかく……ダブルスなんてな。俺が出たいって言うと思うのか?」
言い返すと、諌矢はくいと小首を傾げる。
笑って誤魔化している顔だ。
この野郎。マジでさっきのやり取りはヒヤヒヤしたぞ。
そもそも、カップルだらけのテニスコートなんて、俺にとっては処刑場にしかならないと思うんだ。
「ああ、ちなみに。テニスダブルスは俺が出るから」
安心しろ。そう言いたげに諌矢はくしゃっと笑う。
「お前、それ先に言えって」
「一応経験あるんだよなー! まあ、勝ちすぎてもアレだし、夏生が出たいなら譲るつもりだったんだよなあ!」
諌矢はそう言うけれど、テニスの欄に俺の名前を書こうとしたのはわざとだったんだろう。
「確信犯め」
別の種目を希望していた連中のジャンケン大会が始まる。
最初はグーと、音頭を取る諌矢の背中を見ながら、俺はひっそりと呟いた。
終始、そのやり取りを見ていた赤坂の呆れた視線を背中に受けながら。
「諌矢」
無事、全員の出場競技が決まりロングホームルームは終わった。
休み時間になった所で、俺は諌矢を呼び止める。
「絶対に忘れないからな」
「そうだな、忘れられない夏にしよう! 夏生だけに!」
胡散臭いイケメンスマイルで、高校野球の広告についてそうなフレーズをさらりと抜かす。
おまけに、寒いギャグまで巧妙に添えられていた気がする。
「でも、違うんだよなあ」
教室外に出ていく諌矢の背中に向かってぽつりと呟く。
「違うんだよなあ、ほんと」
西崎と組ませるとか言ってヒヤヒヤさせた事、俺は絶対に忘れない。
いつもお人好しだとか茶化される俺だけど、ちゃんと執念深さみたいなものを兼ね備えていたようだ。
それを知った瞬間だった。
さあ、この恨み。どこで晴らしてやろうかな!
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