中学時代の忘れもの

第41話

 俺が屋上の扉を蹴り壊してから一週間が過ぎた。

 季節は夏の始まりを思わせる六月の上旬。

 教室内での赤坂は相変わらず猫を被っていて、表面上は気さくだけど踏み込めるような隙を見せたがらない。

 それでも俺から言わせてもらうと、大分角が取れたと思う。

 赤坂は一度は距離を取っていた親しい女子ともまた仲良くするようになったし、昼休みに俺と校外で出くわす事も無くなった。

 根本的な問題は解決していないけど、それなりに好転はしている。

 これが学園ドラマか漫画なら幸せな結末を予感させる、余韻のあるハッピーエンドってとこなんだろう。


 ――ところがどっこい。そうは上手くはいかないんだよな。


「なんだ、このザマは」

 暗い部屋。

 俺は一人、布団の中で独りごちる。

 偉そうに赤坂の変化を語っといて何だけど、俺の方はちっとも進歩していなかった。

 寧ろ、退化しているかもしれない。

 静かな朝。聞こえてくるのは階段を上ってすぐにあるトイレの換気扇の音だけだ。

 両親や妹はとっくに会社や学校に行ってしまって、家の中には誰もいない。


「平日の午前の住宅地は、こうも音の無い時間で満ち溢れているというのか……」

 窓のカーテンを恐る恐る開いた先、並び立つ住宅の隙間からは海の青が見える。

 海に近い立地を活かした、清々しい朝の景色。

 しかし、それを前にしても俺の曇った心が晴れる事は無かった。


「休み始めて三日か……」

 ドアを蹴破った足の痛みはすぐに治った。しかし、何故かお腹から来る風邪にかかってしまったのだ。

 火曜から休み続け、今日は金曜日。

 幸い熱も下がり、お腹の調子も大分回復した。

 しかし、これだけ休んでは週明けに登校しにくい空気が出来上がっている。

 まだ金曜なのに、月曜日の事を考えただけで恐ろしく気が重かった。

 青森県民は多くの日本人が日曜の夜に抱く『サザエさん症候群』とは無縁の生活をしている。

 その理由は単純明白。サザエさんの放映日は日曜日でなく、土曜の夕方なのだ。俗にいう『遅れネット』というやつ。

 俺の中では、サザエさんと言えば土曜の晩に見る物なので、余裕がある。多くの日本人が現実逃避しながらぼんやりとグーチョキパーを繰り出す予告のじゃんけんもワクワクするくらいだ。何を言っているんだ俺は。

 しかし、今の俺はサザエさんが土曜に放送しようが日曜に放送しようが関係ない。

 金曜日の今から週明けの月曜日がブルーな気分で仕方なかった。


「鬱だなあ」

 時計はもう十時。このままだと今日どころか、土日もだらけて過ごすのは目に見えている。

 なまけ癖の染みついた生活リズムを何とか矯正しなければならない。


「起きるか」

 このまま家にいても仕方がない。気分転換に外に出よう。

 母親が作り置きしていた朝食の残りをさっさと食べ、俺は家を出た。


 駅前の映画館で話題の新作を一つ見た。

 映画館から出る頃にはすっかり陽も上天に達し、陽ざしがひたすらに眩しくなっていた。

 今は昼過ぎ。しかし、駅前のアーケードは閑散としたもので、歩いているのはお年寄りばかり。

 郊外にショッピングモールが出来て、若者向けの店や全国的な飲食チェーンが出店しているが、それが一層駅前の過疎化に拍車をかけているらしい。

 大昔、この駅周辺は北海道に渡る連絡船の発着場として栄えたとか何とか。

 しかし、面影を感じる事が出来るのは、港に停泊しているメモリアルシップくらいだ。

 アーケードの下を歩いても、歩行者は遠くに人影が数える程。しかも、若者は俺だけだった。

 こうやって歩いていると、自分が異常な平常の中にいるってのを痛感させられるな。

 何気なくスマホを見ると、丁度メッセージが届く。

 学校に行っている筈の風晴諌矢からだ。


 イサヤ:今日もサボリ?

「あいつめ」

 歯に衣着せぬダイレクトアタックっぷりにビビる。そこは『身体の調子は?』とかで確認してからの本題じゃないのかよ。

 事情を説明しようと返信を試みるのだが、文章を書き出してはクリアを繰り返すばかり。

 こういう時、どう返すかいちいち気にしてしまうのが俺だ。

 もたもたしていたら急かすようなメッセージ通知が重なる。


 イサヤ:無視すんな。

 多分、俺がアプリを開いた時点で諌矢には既読通知が行ってしまっている。通知領域に表示された時刻は丁度、昼休みが始まった頃。


 イサヤ:返事しろ。オラオラオラ

 メッセージが更に届く。明らかに返答を急かしている。

 俺は『無駄無駄無駄』とだけ返す。


 イサヤ:オラオラオラオラ。

 俺:無駄無駄無駄

 時間延ばしの下らないやり取りが続いた所で、とうとう諌矢からの着信画面に変わる。


「校内での通話は禁止されてるのに――」

 でも、それだけ俺の事情を聞きたいって事なんだろう。迷った末に、受話器アイコンを指で叩いた。


『おう、夏生。ようやく出たな、腹は治ったか?』

 教室内の喧騒音の間を置いて、はっきりと諌矢の声が響いてくる。


「まあね。今日は大事をとって休んだけど、月曜は行くつもり」

『じゃあ、手短だけど要件だ。明日どっか行かない? どうせ暇だろ?』

「嫌だ」

 即答するが、諌矢がこのまま引き下がる訳がない。


『駄目だよー? 赤坂さんも来るし。お前来ないと俺がキレられるんだよ。だから、来いよ』

「は?」

 驚いた様子が伝わったんだろうか。電話口で諌矢がくつくつと笑っている。


『赤坂さんは夏生を心配してるんだよ。察してくれよ』

「何その展開。心配してるとは到底思えないんだけど……」

「いいから来いよ。通話が先生にバレたらヤバいんだよ」

 本当に焦っているのか、諌矢は早口気味にまくし立てる。


「休んでる間に変わったことはあった?」 

 俺と赤坂が付き合っているという根も葉もない噂に尾ひれがついていないだろうか。

 それが少しだけ不安だったので諌矢に尋ねてみた。


『寧ろ、教室の雰囲気は明るいもんだぜ――もしかして、夏生が休んでるからかな?』

「切るぞ」

 すっとぼけた口調で冗談を飛ばす諌矢。しかし、それを受け流す余裕など俺には無い。


『でも、赤坂さんが夏生の事を心配してたのは本当だって。生きてるのかなとかそんな話になってさ」

「安否確認かよ。じゃあ、もう切っていいよな――」

 こいつらが俺のいない所でどれだけ酷い物言いをしているのが容易に想像できる。俺は通話を終わらせようとする。


「あーちょっと待てって。生きてるなら、三人で飯でも食いにいかないかってなったんだよ』

 諌矢は小さくため息を零しながら嗤う。


「なんだって?」

『いいから明日! 来るんだぞ!? 夏生』

 早口気味に集合場所と時間を伝えると、電話は一方的に切れた。

 予想外の展開に、俺は呆然とするしか無かった。


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