第39話

 真昼のコンクリートの熱を背中に感じながら、俺達は屋上に仰向けになって寝そべる。


「いい天気だねえ」

「そうだね」

 赤坂に答えると、甲高い鳴き声を震わせながら鳥が二羽、空を横切っていく。


「鳩かな?」

 力強くはためく比翼。それを目で追いながら、赤坂がぽつりと呟きを漏らす。

 それが彼女の素なのか、妙に人懐っこい。


「いや、あの鳴き声はムクドリだよ。大きさも違うし」

 そう教えてやると、今度は露骨にドン引いた顔を向けられる。


「はあ? 何でそんなに詳しいの?」

 唇に引っかかった髪が風でそよぐ。 


「昔から動物とか好きだったから。悪い?」

「ていうか、いいの? 完全に五限目サボリなんだけど」

 既に午後の授業開始を告げる本鈴も鳴り、校舎内は静けさに溢れていた。

 グラウンドで体育の授業が始まる様子もない。まるで、ここにいる俺達二人だけしか世界にいなくなってしまったような、そんな錯覚に陥る。


「何があったんだよ。中学で」

 ふと、そんな事を口にしていた。

 赤坂は俺をじっと見たまま、


「一之瀬ってさ……」

「え?」

 細い指が俺の頬に当てられるぎりぎりの所で止まっていた。

 思わずピントのはっきりしない指先に視線が向く。


「目、ミドリっぽい」

「ああ」

 言いながらも顔を逸らした。


「東北にはたまにこういう色の瞳がいるみたいだしな、その辺の影響じゃないの」

 確かに、普通の人の瞳は茶色が少し明るいくらいだけど、俺の場合は若干灰色がかっている。

 グリーンという表現ができないという訳でもない。


「初めて見た」

「そうかなあ? 目の色を誰かに指摘されたのは初めてだ」

「何よ、そのきょとんとした可愛い顔」

「可愛いって何だよ」

 赤坂は少しだけ、本当に少しだけ口許をぎゅっと吊り上げると、


「うっさい。ナツって本当しつこい」

 空を見上げながら小さく呟いた。

 風に乗って消えていくその言葉を俺は決して見逃さない。


「いきなりあだ名で呼ぶなんて、距離詰めすぎ」

「はあ?」

 じっと俺を見る赤みがかった虹彩から、ようやく俺は視線を逸らす。


「大体、俺はあだ名で呼ばれるのが嫌いなの。前に言わなかったっけ?」

 赤坂はそれを聞いて、にんまりと笑う。


「まあ、須山とか風晴君に呼ばれてた時は嫌そうな顔してたけど」

「だろ?」

 俺も自然と笑みが零れた。しばらく笑い合ったまま二人で横になる。


「ナツって呼ばれるのがそんなに嫌いなの? ナ・ツ」

「この野郎、また呼んだな」

 いちいち言い方がわざとらしすぎるんだよ。

 美祈さんや親は、俺の事を昔っからナツって呼ぶ。

 でも、俺には夏生って名前がちゃんとある訳で、何で名付けた筈の正しい名前で呼んでくれないんだとか、子供の頃はしょっちゅう思ったものだ。

 しかし、今赤坂にこの呼び名を使われるのは何故か悪い気がしなかった。


「あーあ。さっきの剣幕は何だったのかなあ」

 頭上の空と対峙するように、両手をぴったりと屋上の床につける赤坂。随分と姿勢がいい。

 白いブラウスを押し上げるように膨らんだ彼女の身体は、呼吸の度に小さく膨らみ元に戻る。


「いつも堂々としていればいいのに」

「それができれば苦労しないんだよ」

 俺も赤坂を同じように青空をぼんやりと眺めた。


「まあ、簡単に言うと? 人間関係がこじれたのよ」

 赤坂は保留にしていた俺の問いに今になって答える。


「うちの中学って他と比べたらクラスも少ないし、皆顔見知りみたいな感じなわけよ。だから、ちょっと勉強が出来たり、活発な性格だと目立つんだよね」

 翳された手が日光を遮り、彼女の横顔は暗い陰りを作っている。


「それなりに皆とは仲良くやれてもさ。一旦、誰かの下らない勘違いに巻き込まれたらもう終わり。あとは、好き勝手に嫌な事言われてさ。中三の最後はもうずっと一人だったなあ」

 辛い出来事だった割に、赤坂は自分の過去をどこか他人事のようにぼやいていた。

 その顔には後悔も未練もない。


「分かんない? 学校のグループって人が多くなればなるほど、めんどくさくなるんだよ?」

「ごめん。全然分かんない……」

 俺は中学時代に大きなグループに属していた訳じゃない。赤坂のような大集団に属するリア充の間にどんな駆け引きや苦労があるなんて想像もつかなかった。


「まあ、一之瀬は親友なんて大していなかったんだっけ。じゃあ、仕方ないか」

 思った傍から、言葉の牽制球が飛んでくる。完全にアウトのタイミング。

 あと、あだ名からまた名字呼びに戻っているのが、少しだけ寂しかった。


「う、うるさい……そんなの、お互い様だし」

 しかし、俺はそれら動揺を悟られぬように気勢を張る。

「言えてるね、それ」

 赤坂は身を起こすと膝を抱えて笑いだした。そんなにおかしいか。


「じゃあさ。皆と飯を食う時に落ち着かないってのも、そういう出来事が関係してるの?」

「あるかもね。でも、今更昔の事を気にしてもしょうがないかなって思ってる」

 そう言って、クスクス笑うけど満更でも無さそうだ。


「こんだけ、バカな男の奇行を見せつけられたら、そんな悩み吹っ飛んじゃうって」

 そうか、さっきの俺の行動は奇行なのか。今更ながら恥ずかしくなってくる。


「ま、しばらくはここで悠々自適なぼっち飯を楽しめるワケだし。何とかなるっしょ」

「そりゃどうも。ああ、足が痛いなあ」

 俺は弁慶の泣き所を揉み解しながら答える。一応、病院に行った方がいいよなあ。


「バレたら退学もんだっつーのに。ほんと、よくやるね」

「そのきっかけを作った本人に言われたくねー」

 その様子を見ていた赤坂が、呆れたように笑う。

 もう完全に、俺の知ってる赤坂だった。


「まあ、大丈夫だよ。せいぜい停学? じゃないの。ま、私はバラす気ないし」 

「そうかなあ?」

「そうだって! あんたの事は十分分かったから。その私が断言してるんだから、信じなよ」  

 気遣うようにぽんぽんと、肩を叩かれた。

 さっきまでの調子は何だったというのか。俺の事をお人好しとかいうけれど、こいつも大概だと思った。


「まあ、信じるよ」

「うん。その意気その意気」

 そう言って立ち上がる赤坂。彼女の背中は真っすぐ空に聳えていて、吹っ切れた感がある。

 結局、根本的な解決には至っていない。


「ありがとね。一之瀬」

 それなのに、赤坂は何故か面白くてたまらない。そんな顔をしていた。


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