第13話
――ひっぱりうどん。
それは究極のズボラ飯である。
大きな鍋に湯を沸かし、うどんを茹でる。
以上!
あとは鍋をテーブルの真中に運んで、各自そこからうどんを取り皿に取って食べる。好きなだけ食べてもいいし、めんつゆでも納豆でも卵でも、好きな味付けが許される。
因みにヤイバは、レトルトカレーとかもいけるクチだった。
「んー、ンまいのぉ! これが日本のヌードル、ウドゥンかや!」
「うどんね、うどん。あ、イクスさん、ネギと唐辛子もどうぞ」
「すまんの、少年。薬味はあと……これはなにかや?」
「ああ、それは山椒です」
「試してみるかのう! しかしウドゥン、美味いのう!」
イクスはどんどんうどんを食べては、その味に舌鼓を打っている。
しかし、その横ではなんともいえぬ緊張感が張り詰めていた。
チイとカホルは対面して座って、どうにも箸が止まってる。
「……つーかさあ、いいんちょ。うどんに納豆ってありなの?」
「我が家では普通ですが? 納豆にネギと練り辛子、そして醤油を少々」
「あーし、納豆苦手なんだけど……日本人、腐った豆を食べるとかさあ」
「腐ってるのではありません、発酵食品です」
はやく食べないとうどんがのびちゃうな、などと思いつつ、ヤイバは黙々とうどんをすすった。
どういう訳か、あのカホルがチイを随分と意識している。
普段は誰にでも優しく明るく「はいはーい、ギャルですよー」と適当に振る舞っているのに。そして、決してそれ以上は踏み込むこともなく、絶対踏み込ませないのに。
そんなカホルがグイグイと食いついている。
本当は是非、うどんに食いついてほしいのだが。
「いいんちょ、あのさ……ヤイバっちとは、ただの幼馴染?」
「ええ、そうですよ? あ、七味唐辛子を取ってもらえますか?」
「えっと、これかな? ……まだ辛味を足すんだ」
「激辛が好きなので。それよりロングビーチさん、今日は学校に来てなかったようですが」
「あ、カホルでいいって! 名字長いし」
「ではカホルさん。サボりはいけませんよ? めっ、です」
ほのかにカホルが、小麦色の頬を紅潮させる。
それに対して、チイはいつもの無表情で納豆うどんを食べ始めた。
カホルはカホルで、ベーシックにめんつゆをお湯で割って薬味を適当に。鰹節なんかもガンガン入れて、鍋へと箸をぎこちなく伸ばしていた。
「んー、美味しいじゃん! なにこれ、ジャパニーズ・ナベって感じ?」
「鍋料理とはまた違うけどね。まあ、日本の食文化は結構ザックリしてるとこあるから」
「そっかー、箸触れ合うも多少の縁、ってやつ? めちゃうま!」
「いや、箸と箸とは」
すぐにチイがクイッ! と眼鏡のブリッジを上げながらヤイバの言葉尻を拾った。
「箸と箸とで触れ合うことは厳禁です。日本ではマナー違反ですよ、カホルさん」
「ほへ? なんれ? ふぉれって、どうひへ」
「食べながら話さないでください。箸から箸へ、は火葬した後に遺骨を拾う時なので」
「んっぐ、はあ! あ、そうなんだ。日本文化難しいよねー」
ラテンの血が混じる日本人とのダブル、カホル・ロングビーチは日本語は流暢だ。学校でも不自由は見せたことがないが、時々トンチキなザ・欧米人的な日本文化を披露してくれる。
多分、まだ日本には忍者がいると思ってる。
自衛隊はスーパーロボットを持ってると思ってる。
それに、自分がこの国では異質な異分子、お邪魔虫だと思っているかもしれない。
「さて、都牟刈君」
「あ、委員長。僕もその、ヤイバでいいよ。ってか、昔はそう呼んでくれてたよね?」
「私たちももう、大人ですので。……ま、まあ、でも構いませんよ? そ、その、ヤイバ、君」
「うん」
恐らくチイが言いたかったことは、今朝の墜落騒ぎだ。
こうしてまったり昼食を食べているが、ゆるゆるにゆるんでいるイクスの身に、大変なことが起こったのである。
そして、この現実の世界にも危機といえば危機が訪れていた。
その話をヤイバもしようとした、その時だった。
「だったらあーし、いいんちょのことも名前でよっ、よよ、呼んで……いい? 駄目?」
「構いませんが」
「ホッ、ホント! やった、めちゃ嬉しいし! じゃあ、チイたん!」
地雷を踏んだ。
核弾頭レベルの地雷を。
しかも、そのままカホルは、何故か無性に嬉しそうで照れた用に上目遣いでチイを見詰める。一方でそのチイだが、いつもの無表情がさらに無感情へと凍っていた。
「チイたん……あ! そうなんだ、男子たちが鉄壁女とか言ってるの、これかあ。チイたん、チタン! チタンなんだ!」
「……カホルさん?」
「ん? あ、チイたんって……や、やっぱ馴れ馴れしすぎる? かな? ゴメンだし!」
「それはいいのですが……私、鉄の女などではありませんので」
ちょっと空気がひりついた。
でも、予想以上にカホルがしょんぼりしてしまったのが意外だった。
それを気遣ったのか、チイも湯気で曇った眼鏡を外してはにかむ。
多分微笑んだんだと思う、あの引きつったような口元は。
「気にしてませんよ、カホルさん。委員長でもチイたんでも、好きに呼んでください」
「う、うん……ゴメン。えっと、チイ、さん」
「ふふ、なんだかカホルさんが改まってそう呼んでくれると、くすぐったいですね。チイたんでいいです。私も前から、少し貴女のことが気になっていました」
しゅぼん! とカホルが耳まで真っ赤になった。
だが、レンズを拭いた眼鏡をかけ直すと、チイはいつものクラス委員長の顔に戻る。
「クラスにあまり上手く馴染めてないのでは、と」
「え、あ、お、おおう……いや、あーしも友達多いよ? みんな仲良しだし」
「この間みたいなことがあったりしましたし、少し心配です。それと、都牟刈君……ヤイバ君も」
イクスの器にめんつゆを足してやってたヤイバは、思わず「僕?」と呟く。
進級してからずっと学校にいってなかったので、もはや自分が不登校児だという自覚すら忘れているヤイバだった。
思わずニシシと嗤って「それな!」とカホルが箸を向けてくる。
「カホルさん、人に箸を向けてはいけません。……そろそろ教えてもらえませんか? 私、とても心配です。つーか、吐け。吐いちゃってください、ヤイバ君」
思わずチラリと、ヤイバはカホルの表情を伺った。
だが、カホルは何故かチイの横顔に見とれるように箸を止めている。
イクスだけがずっとうどんをすすり続けていた。
「……ちょっと、まだ話せない。っていうか、話したくない? のかな?」
「なんで疑問形なんですか。まあ、いいです。明日もまた来ますし、明後日も、そのあとも」
少なくとも、ここでは語る訳にはいかなかった。
それに、今は自分の不登校問題よりも大きな懸案事項がある。
逃げるような思いで、ヤイバは話題を切り替えた。
「で、今朝の事故なんだけど……あれ、実はイクスさんの世界から来た人なんだ」
「妙な空を飛ぶジブリ的な船はネットで見ましたが」
「そう、それ。ちょっとね、いかにもまずい感じの人が」
「なるほど、エルフさんの敵、悪者ですね」
「や、そんなに単純な話じゃないけど……悪意がないのが尚もたちが悪い、って感じでさ」
このさいだからとヤイバは、イクスに許可を求める。
山椒の香味にハマったのか、イクスはあっさり許してうどんに夢中だった。
それでヤイバは、改めてチイとカホルに説明する。
20年前、ヤイバの両親はイクスによって異世界に召喚され、勇者として魔王と戦った。その後に戻ってきて結婚、生まれたのがヤイバである。
少年少女の神隠し事件、半年以上経っての突然の帰還は当時ニュースにもなった。
そして、こちらでの20年は、イクスの世界では200年。
エルフたち亜人は滅び、向こうでも人類は産業革命を契機に科学物質文明へと突っ走り始めたのだった。
「ふむ、事情はわかりました。そのキルライン伯爵と名乗る人物……ようするに環境テロリストではないでしょうか。環境破壊反対を叫びながら、美術館の絵画にペンキを投げつけるような」
「まあ、そんな感じ。でも、思想はともかくやり方、手段が気に食わないんだ、僕は」
「そうなんだよー、チイたん! 小さなダークエルフ? の女の子を利用してるの。エルフさん、その子に魔法を吸い取られちゃうんよ」
ブランシェ、その意味は白。
文字通り白紙のブランク・スクロール、それがあの少女の名だ。
そして、その黒い肌にイクスの魔法は次々と奪われていくだろう。
その結果、どうなるのか……意外な現実をイクスが突然語りだした。
「ふう、堪能……ウドゥン、素晴らしいのう。さて、ワシはそろそろ征かねばならぬ。ツルギとミラの子、ヤイバよ。その友、チイとカホルよ。達者でな」
「ちょ、ちょっとイクスさん?」
「少年、伯爵を放置しておいては、こちらの世界にも害が及ぶ。それに、ワシの故郷たる世界もまた同じ。かつて、世界のためにと人類に反旗を翻した者がおっての。その再来じゃよ」
イクスは椅子から降りて少しよろけたが、ホームセンターで買った杖を手に歩き出した。
「その者は、星の泉を守ると言って挙兵した。魔王と名乗ってな。ワシたちはそれを命がけで止めたのじゃ。……伯爵を第二の魔王にしてはいかんのじゃ」
そう言って彼女は、縁側へと歩いてゆく。
その足取りは頼りないが、歩調に覚悟が見て取れた。
でも、ヤイバは慌てて引き止める。
「イクスさん」
「止めるな、少年。ミラにもよろしくのう」
「いや、その……まず、服をなんとかしましょうか。その格好でうろつくと捕まりますよ、ほぼ確実に」
そう、まだイクスは体にバスタオルを巻いただけの艶姿なのだった。
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