第12話

 結局、キルライン男爵は颯爽と? 逃げ去っていった。

 なんだかバタバタと、大昔のタイムでボカンなアニメの悪役風に逃げてった。

 素っ裸のイクスはそのままなんとかほうきでよろよろ飛んで帰宅。

 ヤイバはカホルと一度ホームセンターに戻ってほうきの代金を払ってきた。

 そして今、なんとか我が家でホッと一息というところである。


「いやあ、悪かったのう……うちの世界のバカが、なんということを」


 座布団の上にうつ伏せに寝たイクスが、タオルを駆けられマッサージされている。どうにも腰がよくないらしく、せっせとカホルがまたがりもんでいた。

 やはりというか、このカホルというギャル、全く動じない。


「やー、エルフさんのせいじゃないっしょ。てか、キモかったけど、あのおっさん何者?」

「ん、確かワシの世界のさる国の伯爵じゃよ」

「なんか、話通じなくない? あと、黒いエルフの子! めっちゃ可愛そうじゃん」

「……まだダークエルフが生き残っておったとはのう。あ、そこ、そこそこ、そこじゃよ!」


 ヤイバも昼食の準備をしながら、今日のできごとを思い出す。

 キルライン伯爵と呼ばれる謎の男が、イクスたちの住む異世界から強引にやってきた。禁術とされる異世界へのゲートを開く魔法は、恐らくあのブランシェが使ったのだ。

 見るも幼い、でももしかしたら年上かもしれないダークエルフの少女。

 空白多き未熟な魔導書、ブランク・スクロールと呼ばれていた。

 恐らくイクスと違い、習得している魔法が少ないのだろう。

 イクスと比べれば、誰でも未熟だ。

 彼女こそがエクストラ・スクロール……スペリオールの称号を持つ、全ての魔法を習得したハイエルフの大魔導師だからである。


「ねえ、イクスさん」

「なんじゃ、少年」

「さっき、凄い電撃の魔法を出したよね」

「うむっ! 風の上位精霊との契約は、風そのものは勿論、大気の気象をも操る。あれなるは雷魔法の最上級奥義……なんじゃが」

「盗られた、って言ってた。それって」

「わからん……あっ、お、おお? カホルや、そこ、そこをもっと強くじゃ」


 ほどよく緊張感がないながらも、ヤイバにもわかる。

 なにか、よくないことが起きつつあるのだ。

 そして、カホルに礼を言ってイクスが立ち上がる。

 被せられたタオルがするりとずり落ちて、全裸の彼女がほのかに輝き出した。


「ちょ! まっ! ヤイバっち、見るなし!」

「わわっ、ちょ、ちょっとカホル、何も見てないよ」

「当たり前だし! 見せないし! ……てか、やば。エルフさん超肌すべすべだし」


 ヤイバは、精神を集中させて何かを念ずるイクスを見た。

 カホルの指と指の間から、微かに白い裸体が光っている。

 そして、その全身に真っ赤な紋様が無数に浮かび上がった。

 顔にも、胸にも、腹にも、勿論手足にも。

 だが、一箇所だけ……左の二の腕にだけ、空白の白い肌があった。


「ワシはスペリオールの称号を持つ最後のエルフ、同胞や仲間たちよりこの200年、ありとあらゆる魔法を受け継いできての。それをこうして肌に刻んでおるのじゃ」

「……そういうふうにしかできなかったの?」

「書にしたためれば、やがて世に再び魔法が復活しようぞ。それこそ、伯爵のような連中がいるでの。故に、書も巻物も全て焼いた。この刻印は、各呪文を圧縮したサインなのじゃよ」


 そして、そっとイクスは紋章の消えた二の腕をさする。


「じゃが、迂闊じゃった……どうやらブランシェとかいう小娘、特殊な呪いを持っているらしいのう。ダークエルフは魔王側に組みした闇の勢力。そういう呪いはお手の物じゃろうて」

「呪い、って?」

「まず、魔法の効きが酷く悪い。本来なら、ワシの稲妻で伯爵は消し炭じゃったよ。それが、レジストされた……あのブランシェとやらに、強い対魔力の能力があるのじゃ」

「盾にしてたね、確かに」

「なんと卑劣な……じゃが、この呪いの恐るべき点は他にある」


 しばし黙考を挟んで、ふう、とイクスは溜息を零す。

 フッ、と全身の蠢く紋様が薄れて消えた。それはまるで、白い肌を這い回る蟲のようだ。呪いというならば、彼女を覆う無数の呪文がそうではないのだろうか。

 最後のエルフとして、魔法の後始末を背負わされたのが彼女なのだ。


「ブランシェは恐らく、魔法耐性が高く……耐えきった魔法を相手から奪う力がありそうじゃ」

「じゃあ」

「うむ、さっきの攻撃魔法を盗られたようじゃな。ワシはもう、使えなくなっておる」


 刻印が一つ消えた、その意味がようやくわかった。

 同時に、あのキルライン伯爵の陰謀もあらわになる。

 彼はブランシェを利用して、イクスの持つ全ての魔法を写し取ろうというのだ。

 故に、今後もあの男はヤイバたちの前に現れるだろう。

 そして、この現実世界での跳梁を許せば、混乱は避けられない。

 ただ、イクスが魔法を使う都度、それは一つ一つ奪われてゆく。

 やれやれとイクスはタオルを拾って、とりあえずそれを全身に巻き付けた。


「あやつは必ず、元の世界へ追い返さねばならん。ブランシェは……捕らえても一緒にとはいかぬじゃろうな」

「イクス、まさか」

「少年、ワシはスペリオールなどと呼ばれておっても賢者ではない。最後のエルフの責任において、魔法をあの世界に残してはならんのじゃよ」


 その時だった。

 ヤイバから手を離したカホルが、感極まってイクスに抱きついた。


「そんなことっ、あーしがさせないし! っていうかエルフさん、本音はそうじゃないっしょ」

「な、なんじゃ、これこれ娘、放さぬか」

「あーしにはわかる……色は違ってもエルフはエルフ、これってさ、あれっしょ。エルフさんは最後の一人、独りぼっちじゃなかったって話!」

「そ、それは」


 僅かにイクスが言い淀んだ。

 ヤイバにとっては、その戸惑いの表情こそが彼女の本心だと思う。

 見た目通りの年齢じゃないとしても、ダークエルフの少女を殺すことはイクスには難しいだろう。そういう人なんだと、この短期間でヤイバは見抜けてしまった。

 この人は基本的に善人で、そういう以前にお人好しなんだと。

 自ら最後の一人になっても魔法を守る、その責任感の裏に潜む素顔。

 かつてヤイバの両親とともに旅した大魔導師には、人と同じ心があるのだ。


「とにかく、対策を考えよう。イクスさん、僕も協力するよ」

「僕たち、じゃんね? あーしも勿論、力を貸す! ああいうキモいの、許せないし!」


 イクスはそっと、瞼をゴシゴシと手の甲で拭った。

 そして、小さく「そうじゃな」と呟く。

 僅かに湿った鼻声が、次の瞬間にはキリリと引き締まった。


「キルライン伯爵を元の世界へ追い返し、ブランシェを保護する。少年、力を貸してもらえるじゃろうか。そこな娘、ええと、カホル? お主にも是非頼みたい」

「勿論さ」

「断る理由なんてないし!」


 それが酷く困難であることは、重々承知だ。

 相手がブランシェを酷使してくる限り、最強のイクスも魔法を封じられたも同然だ。相手は魔法の回収が目的で、それは全てイクスが全身に保管しているのである。

 さてどうしたものかと、ヤイバは考える。

 同時に、昼はうどんでも茹でようと思っていたので、鍋の湯の沸騰に気付いた。

 だが、縁側の向こうから声がして、とりあえずコンロの火を消す。


「都牟刈君、これは……なにかあったのですか? それと、ロングビーチさん。今日は出席していなかったようですが、どうしてこちらに?」


 振り向くと、庭にチイの姿があった。

 瞬間、カホルがビクリ! と身を震わせる。

 逆にイクスは、見知った顔の来訪にニコリと頬を緩めた。

 彼女なりに、これ以上少年少女を騒動に巻き込みたくないという配慮だろう。なにごともなかったように、知己を迎えるような笑顔で出迎える。


「おうおう、チイ、じゃったな。よう来たのう」

「あ、えっと、イクスさん、でしたよね」

「そうよ、最強魔導師イクスロールこと、イクスばあさんじゃよ」

「おばあさんだなんて、そんな。それより――」


 その時だった。

 ふいに悪戯な春風が吹き抜ける。

 縁側をよいしょと降りたイクスの、その唯一身につけたタオルがめくれて脱げた。

 そこには、スッポンポンのロリババアが堂々と立っているのだった。

 瞬間、チイの眼鏡が光を反射して彼女の表情を奪う。


「……都牟刈君。これはどういうことでしょうか」

「え? あ、いや、その」

「今すぐ、説明してください。私は平常心を失おうとしています」


 チイの委員長モードが発動した。

 詰問の声は静かで、口元には微笑さえ浮かんでいる。

 しかし、それが逆に怖かった。

 眼鏡で目の色が見えないし、この笑顔は文字通り錆知らずの鉄壁だ。

 思わずカホルがフォローの言葉をねじこむ。


「そっ、そういういいんちょこそ、どうしてここに? つか、学校は?」

「先の謎の墜落事件で、臨時休校になったんです」

「あ、そういう……って、なんでヤイバっちの家に!」

「幼馴染ですよ? わたしたち。それに、学校のプリントやノートを」


 カホルが態度を硬化させた。

 それがヤイバには勿論、イクスにも見えない疑問符を頭上に浮かべさせる。


「……いいんちょ、さ……ヤイバっちのなんなの? まさか」

「ですから、幼馴染です。それに、クラス委員長として不登校のクラスメイトに対してはごく普通の対応かと」


 妙な緊張感で、ヤイバはイクスと顔を見合わせ肩を竦める。

 とりあえず、イクスにはまた適当になにかを着てもらうことになるのだった。

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