〝マトリの使命〟

「ちくしょー。あンの野郎、お高くとまりやがってぇ……」


 拘束された少年少女を置いたまま、エリック・マズロアは退室していった。


 室内に見張りはいない。

 おそらく警備員は廊下に配備されているのだろう。



「今ごろパーティ会場では、エルフの重鎮たちが魔法薬を吸っているんだろうか……」


 レオンは閉ざされた扉に視線を向ける。

 廊下を挟んだ先に特別パーティ会場がある。

 そこで今まさに、マズロアの主催するマジックパーティがおこなわれているだろう。


 重大な犯罪行為がすぐそばで起きていると知りながら身動きが取れないというのは、公安として、とても歯がゆい状況である。



「そうだろにゃ。そんで、魔法薬をたんまり吸ったマズロアは、またここに戻ってくる。

さらなるドーピングで強化した雷撃魔法を、あたしたちにお見舞いするためにな」



 もちろん、短時間で魔法を強化しようとすれば、相当な量の魔法薬を吸引しなければならない。

 それはどれだけ体に負荷をかけるだろう。

 急性魔力中毒を発症するかもしれない。


 おそらくマズロアはそれを承知したうえで、大量の魔法薬に手を出すつもりなのだ。

 もとより健康被害など度外視だろう。彼は死さえ恐れていない。



「だけどこれはチャンスだにゃ。敵は完全に油断してる。あのヤロウが戻ってくるまでにここから抜け出せれば、一気に形勢逆転できるよ」


「それはそうだが……。ここから抜け出すなんて、そんな簡単には……」


 きつく乱暴に結ばれた縄。

 この拘束から抜け出すなんて、まさしく一筋縄ではいかない。



「あいつが、あたしらを殺せるぐらいまで魔法を強化するつもりなら、魔法薬の一本や二本じゃあ済まないだろ。きっと、夜通しマジックをキメこむつもりだ。

……ってことは、つまり猶予は夜明けまで。それだけ時間があれば、ここから抜け出すチャンスはあるかもしれないよ。まだ諦めるには早いにゃ」


「…………。夜明けまで、か……」


「うん。それだけ時間があれば、ここから抜け出すチャンスはきっとあるよ!」


 この状況でも、シィナは決して希望を捨てていない。

 たくましいかぎりだ。

 スラム生活でつちかったのだろうか、それとも生来せいらいの性分だろうか。


 そんな前向きな少女に対して、隣で縛られる少年は、暗い面持ちで顔を伏せていた。



「…………シィナ。あいにくだが、夜明けまで猶予はない」

「え? どうして?」


「マズロアが戻ってくるまでの猶予は、夜明けまでだとしても……。だめなんだ。……俺の体が、それまで持ちそうにない」

「体が?」



 ここは資材置き部屋。

 二人が宿泊していたセミダブルルームなどよりも、よっぽど狭い。


 セミダブルルームで生活しているだけでも、よほど彼女の匂いに惑わされていたのだ。

 それが今は、あの部屋よりもずっと狭い資材置きで、肩を並べて縛られているという状況。


 レオンの嗅覚は、シィナの匂いを濃密に感じ続けていた。

 動悸がはやり、血がたぎる。


 ……レオンは今、血に宿る狂犬が目覚めてしまわないよう、息を整えるので精いっぱいだった。



「夜明けまであと数時間か。たしかに、それだけ時間があれば、ここから抜け出す糸口もどうにか見つかるかもしれない。

……だが、だめなんだ。

それよりも先に、俺のほうに限界がくる。こうして話していても、今にも狼化の能力が暴発してしまいそうなんだ……」


「狼化……」

 シィナはつぶやいたあと、ぴん、と猫耳を立てる。


「ねえレオン、狼に変身すれば、その拍子に縄なんかするっと抜けられるんじゃない? ここから抜け出せるよ。そうでしょ⁉」


「え……?」


 たしかに狼化の能力を発動すれば、縄から抜け出せる可能性がある。


 狼化を発動すれば、当然ながら体格が変化する。

 その際、縄の間を抜けたり結び目がほつれたりして、拘束を解くことができるかもしれない。


 しかし……。


「シィナ、おまえは俺の能力を分かってないな。狼に変身すれば理性を失う。たとえそれで縄を抜けられたとしても、そのときもう俺の意識は残っていない」


 それはもう、血に飢えて、暴れまわるケダモノ。

 むしろそのケダモノこそ、縄で縛って動きを封じておかなければならない存在だ。



「狼はきっと、まっさきにお前を襲うだろう……。そして部屋を飛び出して、パーティ参加者たちも襲うんだ……。

シィナみたいに、敵を殺してしまわないよう力を加減するなんてことしない。容赦なく、喰い殺してまわる。

……それでマジックパーティの現場を壊滅させられたとしても、事件解決とはいえない。マトリがおこなうべきは鎮圧であって、殺戮じゃないんだ」


 その様を想像した途端、レオンの顔色がぞっと青ざめる。



「敵味方関係なく、みんな死んでしまう。……そんなの最悪の結末だ。それだけは、避けなきゃならない。

……ああ、そうだ。戻ってきたマズロアに殺されるかどうかなんて問題じゃない。それよりも、狼化の発動を止めなきゃならないんだ。


俺にとって、今の状況の危機は〝このままだと自分は殺されてしまう〟ではなくて、〝このままだと自分が殺戮を犯してしまう〟ってことなんだよ……」



「それって、結局やるべきことは同じことじゃない? このまま縛られてたら、ヤツに殺されるか、狼に変身しちゃうか……。

だったら早いトコここから抜け出さなくちゃ。うだうだ言ってる場合じゃないよ」


 二つの違いはリミットだけだ。

 レオンの体が夜明けまで持たないというなら、それまでに急いで縄を抜け出せばよい。

 やるべきことは同じだとシィナは言うのだ。


 しかし、レオンは首を振る。



「……いや、違うさ」

 うつむかせていた顔を、ゆっくりと上げた。


 その表情は、とても真剣だった。

 どこか覚悟を決めたようなえた目。



「俺が今ここで死ねばいいんだ。夜明けを待たず、今ここで死ねばいい。

そうすれば……暴走して殺戮を犯してしまうという最悪の結末は、確実に回避できる」


「……は? レオン、何言って……」


「俺たちは今、手足を縛られて身動きができない。

だけど、唯一、自由に動かせる部位がある。今もこうして二人で話が出来てるじゃないか。……つまり、口だ」



 相手は、魔法薬の密売ルートの元締めだ。

 裏社会の大物だと言える。

 あくどいヤツだが、監禁や誘拐といった悪事には慣れていないらしい。


 縄の縛り方もかなり荒いし、さるぐつわもしていない。


 こういうとき、虜囚には布などを噛ませて口を封じておくべきなのだ。

 余計なことをしゃべらないように――、そしてなにより自殺防止のために。




「今ここで舌を噛み切ればいい」



 自死の手段としてよく聞くが、実際に舌を噛み切るというのはかなり困難である。

 人間の舌は思っているよりも分厚く固い。

 歯で完全に噛み切るのは容易ではないだろう。


 その点、レオンは問題なかった。

 イヌ科の血を引くため、彼の犬歯はとても鋭い。

 しかも、その歯はここ数日でさらに大きく鋭くなっていた。舌を噛み切るぐらい実に容易い。


 そうだ、鋭い歯は、このためにあったのだ。


 他人を傷付けるためではない。公安に忠義を尽くすため。

 いっそ誇らしい。

 人狼としての血が、このような形で役に立つなら。



「レオン、待てにゃ! バカなことすんなよっ‼」


 シィナが叫んだ。

 縄がみちみちと音を立てるぐらい身をよじって、少年の愚行を止めようとする。



「バカなこと? いいや、これが賢明なんだ。

公安所属のマトリが殺戮を犯すなんてことは、絶対に起こしてはならない。……何を犠牲にしてでもな」


 それが〝公安の狗〟たるマトリの使命だ。

 ――文字どおり、そのために命を使うことになろうとも、レオンにとってはむしろ望むところだった。

 彼は死さえ恐れていない。



「そして俺が先に死ねば、夜明けまでに狼化が暴発して、シィナを喰い殺すこともない。

……そうすれば、さっきの話のとおり、マズロアが戻ってくる夜明けまで猶予ができるわけだ。

お前ひとり、ここから抜け出すチャンスもあるかもしれない。俺が死ななきゃ、その希望さえないんだ」


「勝手に話すすめんにゃ! レオン、さっきから言ってることがめちゃくちゃだよ!」


「じゃあどうするんだ。もう猶予はないんだぞ」



 レオンは一見、涼しい顔をしているように見える。

 だがそれは、自死の覚悟を決めたからこそ。


 狂犬が刻々と首をもたげはじめているのを、レオンははっきりと感じているのだ。


 悟ったようなレオンの横顔を、シィナはじっと見つめて、静かに口を開く。



「……ねえ、レオン。ちょっと冷静に考えてみてよ。狼になったら暴走する、って前提でずっと話してるけどさ。……本当にそうなの?」


「どういうことだ?」


「レオンは今まで、人狼の力は制御できないって言ってきたけど。……本当に?

レオンは一度も能力を使ったことがないんでしょ。だったら、能力が制御できるかどうかなんて、そもそも分かんないはずじゃん」



 以前にも、同じことを聞かれた。

 そもそも使ったことがないものに対して、どうして制御不能だと断言できるのかと。


 シィナのその問いに対して、レオンもまた同じ回答を返す。



「わかるさ。だって、先祖がそうだったんだから。

マクスヴェイン家の記録には、先祖が能力を制御できずに、人々に危害をくわえた事例がいくつも残ってるんだ。狼化は制御不能……それは歴史を見れば、明らかなことじゃないか」


「……あたしは、そんなことないと思うんだけど。先祖が制御できなかったから、自分もそう違いないなんて、おかしくない?」


「そんなことない。同じ血を引いてるんだから、同じ性質なのは当たり前じゃないか」


「同じ種族だから、同じ血だって? そんなの変だよ。間違ってる」


「間違ってる? どこが?」


「むう……。ガンコなワンコ君だにゃあ……」



 少女の言葉は、なかなかレオンには届かなかった。

 シィナは不愉快そうに口をつぐむ。


 それから深くため息を吐いて、「……仕方ねーにゃ」とつぶやいた。



「ねえ、レオン。あたしの話を聞いてくれないか」

「なんの話だ?」


「あたしが、どうしてマトリになったのかって話」

「……え? マトリになった理由? そんなの、今の状況と何の関係があるんだ?」


「まあ聞けにゃ。猶予はないって言ったって、ちょっとばかし、おしゃべりするぐらいの時間はあるだろ」


 シィナは部屋の窓に目を向けた。

 窓から見えるのは、朝日が差す前の暗い空だけだ。



「自分のことを話すのはあんまり好きじゃないんだけどさ。でも、しゃーない。ガンコなワンコ君にだけ、特別に教えてやるにゃ」

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