子猫の話

「あたしは孤児で、マトリになる前はスラム暮らしだったって、話したよね」


「ああ。そこでスカウトされて、マトリになったんだよな」


 シィナは、志願ではなくスカウトでマトリになった。


 それまでスラムで暮らしていた少女。

 そこでスリや盗みをやって〝泥棒猫〟として名を轟かせていた。


 当局がそれを知って、彼女をスカウトしたのだ。

 レオンはそう聞いている。



「でもね、物心ついた頃から孤児だったわけじゃない。十歳までは、ふつうに親がいて、ふつうの街で暮らしてたのさ」


「そうだったのか……」


 レオンはてっきり、シィナはずっと小さい頃に親を亡くしたか捨てられたかで、幼いながらにスラムに行き着いたものだと思っていた。


 十歳とはいえば、たった三年前のことだ。

 彼女は三年前まで、ごくふつうの獣人の少女だったというのか。



「実はあたし、けっこう都会の出身なんだよね。リエノールっていう街。知ってる?」


「リエノール? ああ、知ってるぞ。わりと首都の近郊じゃないか。たしか、亜人系種族の住民比率はかなり低い街だったような……」


「さすが、くわしいね。レオンが言ったとおり、リエノールはニンゲンばかりが暮らしてる街だった。

そもそも獣人ってのは、たいてい人里離れた集落でこっそり暮らしてるもんなんだけど。あたしの両親は……まあちょっと浮いてたっていうか、古くからの習慣とか変えてかなきゃね、みたいな考えの人だったから。

二人で集落を出て、都会に引っ越してきたんだ。で、そこであたしを産んだの」



 種族の慣習に囚われない親だったと聞いて、レオンは納得した。

 彼女が猫耳や尻尾にピアスを差すのは、そもそもそういう親のもとで育ったからか。



「獣人家族が、ニンゲンの街で暮らすなんて、いろいろ苦労があったんじゃないのか?」


「ううん、べつにふつうだよ。獣人だからってひどい扱いを受けたりとか、ハブられたりとか、そういう悲劇的なことはとくになかった。

むしろ人気者だったよ。猫耳や尻尾がカワイイってね」


「そうか。それはなによりだ」


「――でも、もっとちがうことで悲劇はあったけどね」



「…………」

 レオンは反応に困った。


 リエノールでふつうの暮らしをしていたシィナは、十歳の頃を境に孤児になってしまったのだ。

 そこには、なにかしらの悲劇があっただろうことは明白。


 その悲劇が何なのか……レオンは予想がついていた。

 だからこそ、なんと言えばよいかわからなかった。



「交通事故だったよ」



 ――両親の死。

 レオンがすでに予想しているだろうと踏まえて、シィナは端的に、その原因を述べた。



「まあ、ありふれた悲劇だと言えるかもね。

交通事故なんて、世の中、毎日どこかで起こってることだもん。世の中から見たら、ちっぽけなコトだろにゃ」



 もちろん、世の中で普遍的に起こっていることだからといって、割り切れるものではないだろう。

 彼女の人生にとっては重大極まりない悲劇。


 それでもシィナは、悲しみを感じさせない淡々とした口調で話しつづける。



「その日、お父さんとお母さんは二人でお買い物に行って、あたしはお家で留守番してたんだ。

ずっと二人の帰りをまってたんだけど、ドアを開けたのは、ケーサツの人だったよ」



 事故に遭って、すぐに死んだわけではない。

 重症だが息はあったという。

 処置が間に合えば助かる。

 しかし、どうしても手をほどこせない事情があった。



「二人とも、いっぱい血を流したからね。輸血しなきゃ助からない。

でも、リエノールはニンゲンの街だ。獣人に輸血するための血なんてない。だから医者もどうしようもなかったんだ。


もちろん、あたしは言ったよ。〝自分の血をつかってくれ〟って。

あたしが干乾ひからびるまで血をとっていいから、二人に輸血してくれって、そう叫んださ。……でも、無理だった」


「輸血が無理? ……なぜ?」



「あたしは、生まれつき魔力を持ってたからね。あたしの血には魔力がいっぱい宿ってる。

魔力を持たないお父さんやお母さんにこの血を入れたら、魔力中毒を起こしてどのみち死んじゃう。

だから、輸血することができなかったんだ。……結局、二人はそのまま死んじゃった」



 現代で魔力を生まれ持つのは、百万分の一の逸材だと言われる。

 その才覚がゆえに両親を亡くすなんて、なんと皮肉なことだろうか。


 あまりの悲痛さに、レオンはかける言葉を失った。


 それを察してか、シィナは、とくに言葉をかけてもらわなくても大丈夫だぞと言わんばかりに、間を空けず話をつづける。




「両親が死んじゃったあと、あたしは行き場をなくしたんだよね。引き取ってくれるような親戚なんていなかったから。

なんだかんだあって、気がつけばスラムに行き着いてたよ」



 十歳の少女が、頼る当てもなく路頭に迷うなんて、どれほどの不安があっただろうか。

 それでも、シィナはやはり悲しげに語らうことはしない。



「そんで、スリとか盗みをやって生きてくことになったワケ。

……幸いと言っちゃあなんだけど、あたしには、獣人の能力があったからね。盗みをするのは簡単だったよ。盗みがバレても、余裕で逃げ切れたし。

そのうち慣れてくればバレずに盗めるようになったにゃ。スリでも万引きでも、完璧にこなしてみせたよ。えへへ」


「……自慢げに言うようなことじゃないぞ」



「ごめん、そうだね。どんな事情があっても、犯罪は悪いことだ。

……でも正直言って、そのときは罪悪感なんてなかったにゃ。スラムには犯罪なんてありふれてたから」


「……そうか。シィナは犯罪にまみれた過酷な環境の中で、一人、生きていたんだな。

そこへ当局のスカウトが舞い込んだ。公職に就けて寮に入れるなんて、当時は願ってもない話だな。スカウトを受けるのは当然だ」



 レオンは納得したように頷くが、

 シィナが「いや、そうじゃないよ」と首を振る。



「そりゃあ好待遇だと思ったよ。でも、条件が良いからスカウトを受けたわけじゃないんだ。

ぶっちゃけ、あたしは、スラムの生活自体はキライじゃなかった。不便は多いけど、不自由さはないからね。むしろ性には合ってたにゃあ」


「じゃあ、どうしてスカウトを受けたんだ?」



「……マジックジャンキーどもを、ぶっ潰したかったからだよ」

 ワントーン、声調を下げてシィナは言う。




「スラムには犯罪がありふれてた、って言ったでしょ。……その中には、当然、魔法薬の売買や使用も入ってたよ」


「……。まあ正直、想像には難くない。犯罪の温床地となっているスラム街なら、違法薬物が蔓延はびこっていたと聞いても、とくに驚かないな」



「ぶっちゃけ悪ノリの延長みたいな感じで吸ってるやつが大半だったけどにゃ。

……でも、中には本気で能力の発現を目指してるのも、いたね。今のあたしたちがマトリとして相手にしてるような、マジックジャンキーどもだよ」



 それはつまり、

 ダンスホールでマジックパーティをやっていたエルフグループや、

 列車で遭遇したオーク、

 ――そして今、パーティ会場にいるエルフの権力者たちのことだ。


 健康被害もいとわず、危険な薬に手を出して、魔法能力の発現を求める者たち。

 スラムにもそんな連中がいたようだ。



「あたしは、スラムにいた頃から、そういう連中のことが許せなかったんだ」

「犯罪をおこなう者を許せないのは当然のこと思うが……」



 レオンがそう言ったところで、

 シィナが、「いやいや、そうじゃないよ!」と、さきほどよりも大きく首を振る。



「犯罪者だから許せなかったわけじゃないよ。スラムには犯罪があふれてたんだぞ、そんなのいちいち目くじら立ててられないでしょ。

犯罪かどうかが問題じゃない。あたしはそのとき、やつらの言動が許せなかったの。


……やつらは、どいつもこいつも口をそろえてこう言うんだ。

〝魔法能力は種族の誇りだ〟って。先祖の血を継ぐ自分たちは、その力を取り戻さなくちゃいけないんだ、って」


「……そうだな。魔法薬の使用者は、たいてい、そういうことを言う」



「あたしはね、種族の血なんてものに執拗しつようにこだわるやつが、許せないんだ。

〝その血を継いでるから、自分も先祖と同じようになるべきだ〟なんてことを抜かすやつには反吐が出るね。


――同じ血だって? ふん、なにを〝血迷った〟ことを言ってんにゃ。

自分の血は、自分だけのものだろ。種族の血だとか言って、ひとくくりにするのはおかしいね。

ましてや、ずっと遠い先祖の血なんて、今を生きる自分たちとはまったく違うのにさ!」



 まくしたてるような剣幕で、シィナは言う。


 シィナが他人に皮肉を言うのは、よくある。

 だがこれは皮肉というより、腹の底から沸き立つ本気の怒りのようだ。

 初めて垣間見かいまみる相棒の本気の怒りに、レオンは圧倒される。



 ――そして、一呼吸おいてからつづけられた少女の言葉に、

 レオンはハッと胸をえぐられた。




「だって、……親と子供でさえ、輸血ができないことだってあるのに」



 シィナの両親は、輸血ができなくて命を落としたのだ。


 ほんとうなら助かったはずの命だった。

 シィナはそのとき、自分の血をつかってくれと医者に頼んだのだ。


 自分が干乾びるまで血をとっていいから、二人に輸血してくれと、切実に叫んだ。

 しかし残念ながら、魔力を持つシィナの血は両親の体には適合しなかった。



 親子でさえ、血がちがう――。

 そのせいで、シィナはあえなく親を亡くしたのだ。



 それなのにマジックジャンキーたちは、自分の血を〝種族の血〟とひとくくりにして、魔法薬に手を出している。

 自らの命の危険も顧みず、危険な薬を吸いつづけるのだ。


 血によって悲劇を見たシィナには、それが許せない。



「スラムのなかで、マジックジャンキーの戯言を何度も聞いてきた。そのたびに、あたしはハラワタ煮えくりかえるような思いになってたんだ。

そんな折にマトリのスカウトを受けたワケ。

もちろん喜んで引き受けたよ。種族の血なんてモノにこだわって、命を粗末にするバカな連中をぶっ倒してやるためにね」



 それが、シィナがスカウトを受けた理由。

 マトリになった理由だ。

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