囚われのマトリ

「う……」

 レオンは、ゆっくりとまぶたを開けた。


 頭が重く、視界がぼやけている。

 しばらく呆然と辺りを見回していると、やがて眼が冴えてきた。



 室内だ。かなり狭い部屋である。


 床や壁の材質になじみがあった。『マズロア・ホテル』の一室であるのはたしからしい。

 だが客室ではない。


 生活できるほどの広さはないし、ベッドやテーブルなどの家具も置かれていない。

 その代わり、段ボールが山積みにされている。

 資材置き場のような場所だろうか。



「ようやくおきたか、レオン」


「……シィナ! 大丈夫か!?」


「大丈夫だよ。ふつう、あれくらいの感電じゃあ死なない。やっぱり、しょせんは付け焼刃だったね」


 もしあれが〝本物の〟雷撃魔法であったなら、感電死は免れなかっただろう。

 魔法薬によって得られた魔法の威力は、せいぜいスタンガン程度のものだったとうかがえる。


「それに、あたしは獣人だからね。ふつうの人間よりタフなんだ。だからもう痺れも残ってない。

なんなら今すぐにでも立ち上がって、走りまわることだってできるよ」


 と言ったあと、シィナは「この縄さえなければね」と、付け足す。



 レオンは、そこでようやく自分の体が縄で縛られていることに気付く。

 座った状態で後ろ手をきつく縛られて、壁に沿って伸びるパイプと結びつけられている。


 シィナも同様だ。

 二人で並ぶようにして捕縛されていた。



「ここはどこだろう……?」

「さあね。あたしもついさっき目を覚ましたばっかだ。気づいたらここで縛られてた」

「そんなに時間は経ってないようだが……」


 壁の上部に小さな窓があった。

 この体勢では窓をのぞきこむことはできないが、空が暗いことは確認できた。


 まだ朝日が上がっていない。

 屋上での戦闘から、さほど時間は経っていないようだ。




「マズロアは、俺たちを殺すつもりだろうか?」


「そりゃまあ、あたしらを生かしておくメリットなんかないからね。

殺して、死体を隠すことだって簡単でしょ。ここはあいつの支配する街なんだし、警察だって言いなりだもん」


「じゃあ、なぜまだ生かされているんだろうか……」


「さあ? 拷問でもして、情報を引きだそうとか考えてんじゃない?」

 なんとも物騒なことを、あっけらかんとシィナは言う。



「それにしても、まったく強引な縛り方だにゃあ。胸が苦しくてしかたない」


 胸と腕をむりやり巻き付けてきつく縛っただけである。

 素人が見よう見まねでやった後ろ手縛りという感じだった。


 どこか一か所だけでもほつれれば抜け出せそうだが、いかんせん、力任せに縛られている。

 シィナに至っては尻尾を巻きこんで縛られているため、よけいに苦しいのだろう。


 なんとか逃げ出せないかと身をもがくが、そう簡単にほどけそうにはなかった。



 やがて二人が脱出をあきらめた頃、扉の向こうから、カツンカツンと足音が聞こえはじめる。

 その音はいやに威厳高いげんだかで、だれの足音かすぐにわかった。




「おや、お目覚めかね」

 気品のある笑みを浮かべながら、エリック・マズロアが入室する。



「くっそ、すました顔しやがって、この縄ほどけにゃあ!」


「あまり騒がないでもらえるかね。廊下を挟んで向こうはパーティ会場なのだ。

特別な来賓客が大勢いる。猫の鳴き声など漏れ聞こえては、せっかくのパーティが台無しだ」



「ああそうか、じゃあ思いっきり叫んでやるにゃ!

おいみんなー、ここに十三歳の女のコの緊縛姿を鑑賞するド変態がいるぞーっ‼」


「……シィナ、きっと無駄だ。どれだけ叫んだって、廊下の向こうにまで聞こえやしない」


「十六歳の男のコも一緒に縛られてるよ! さてはソッチが本命かもねーっ‼」

「おいバカやめろ!」


 こんな状況なのに、わあぎゃあと騒ぐ少年と少女。

 マズロアは二人を、冷ややかな目で見下していた。



「ふん、マトリのガキども。そうして騒いでいられるのも今のうちだ」

「やっぱり拷問する気かにゃ?」


「……拷問? そんなことはしないさ。

……なぜ貴様らのような子供がアドリアへ送り込まれてきたのか、少し考えればわかる。せいぜい使い捨ての駒といったところだろう。

その程度の駒が、大した情報を持っているとも思わんよ。貴様らはさっさと処分するさ」


「あたしらを殺す気か。……でもおかしいにゃ。その気なら、とっくにヤってるはずだ。

わざわざ縛って生かしておく必要はないはずだけど? なんだよビビってんのか?」



 なぜこの状況で相手を煽れるのか、一緒に縛られているレオンは気が気でなかった。



「もちろん今すぐにでも、その生意気な口を塞いで息の根を止めてやりたいところだがね」

「じゃあ、どうしてそうしない?」


 そう言って、マズロアを鋭く見上げるシィナ。

 彼はスーツジャケットの襟を正しながら、冷静な態度で答える。



「私は、エルフの誇りを再現させるために、かねてより魔法薬を吸っていた。

つい先日のことだ、雷撃魔法をこの手で撃ち放てるようになったのは。さきほど、貴様らを撃ち殺すつもりで魔法を放ったのだが……。

残念ながら、まだ威力は充分に発揮できていないようだな」



 屋上で二人に雷撃を浴びせたとき、彼には躊躇なんてなかったし、手加減をした覚えもなかった。


 二人がまだ生きているのは、単なる威力不足。

 マズロアの雷撃魔法が発現したての未熟なものだったからだ。



「そうだぞ。おまえは付け焼刃だ。そんなチンケな雷撃で、あたしらは殺せねーよ」


「付け焼刃か、たしかにそうかもしれないな。……ならば取り急ぎ、焼き増しをせねばな」


「……どういう意味?」


「今、あちらの会場では来賓を迎えた特別パーティがおこなわれているのだ。エルフの誇りを取り戻すための神聖な儀式さ。もちろん私も参加する」


「神聖な儀式? 陰湿なマジックパーティの間違いだろ」

 シィナがいじらしく口をはさむが、マズロアは気にせず言葉をつづける。



「魔法薬によって、魔力をさらに高めよう。そして魔法の力を強化するのだ。

かつて先祖が誇った〝本物の〟雷撃魔法を手にする。

……その力を以って、貴様らを撃ち鎮めてみせようじゃないか。我らの誇りを踏みにじるマトリどもは、我らの誇る魔法でほふるべきだからな」



 彼はこれからパーティに戻り、魔法薬を摂取する。

 それによって雷撃魔法を強化させたうえで、改めて二人にそれを喰らわせようというのだ。


 魔法薬を取り締まるためにやってきたマトリたちは、魔法の力で殺す。

 ――それが彼のポリシーなのだ。



「知っているかね? 一説によれば〝雷に打たれて死ぬ確率〟は、百万分の一だと言われているそうだ。

奇しくも、現代で魔力を持って生まれてくる確率と同じだな。


……そう、貴様らマトリはそれだけの才覚に恵まれておきながら、あろうことか公安に魂を売った。そして我らの誇りを踏みにじろうとしているのだ。

なれば、天雷をって貴様らを断罪せしめるのが、この街の統治者としての私の責務であろう」



「ふんっ、うまいコト言ったつもり? そんな回りくどいことしなくたって、今ここで一思いにやりゃあいいのに。

……さてはやっぱり、いたいけな女のコの緊縛姿を鑑賞したいだけだにゃ?

もしかしたら、お前の部屋を漁ったらイケナイ写真とかいっぱい出てくるんじゃないか? この際、魔法薬取締法の違反じゃなくてソッチで検挙してやろうか!」



「……そうやって減らず口をたたけるのも、パーティが終わるまでだ。せいぜい喚きながら、夜明けを待つがいいさ」


 シィナがどれだけ野次を飛ばそうとも、マズロアはあくまで余裕の表情を崩さなかった。


「では失礼させてもらうよ。来賓を待たせているのでな」と、優雅に身をひるがえす。

 その背に向かって、シィナがさらに思いつくかぎりの罵倒をかけた。

 それはもう、隣で聞くレオンが、よくもまあそんなに汚い言葉がスラスラと出てくるものだと感心してしまうほどだった。

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