あい交わる、あの日の慕情

 ミサキのキスに、俺は驚きながらも妙な冷静さを保っていた。

 古宮さんの時、俺はあの人を押し除けてそれ以上を拒むことができた。

 けれど今俺は自分とミサキの唇が重なり合っていることを、しっかりと脳みそで認識しながらも、彼女を押し除けることができない。


 頰を挟んでいたミサキの両手が後ろに伸びる。ミサキは俺の頭の後ろに両手を置いて、がっしりと首をホールドする。呆然と開いた俺の口の中で、ミサキの舌先が俺の舌先と触れ合う。それでも俺はそこから抜け出そうとはせず、視界の全てに映っている彼女の顔と目線を見ていた。

 そんな俺の目線を見てから、両手は俺の顔の後ろに置いたまま、ミサキは唇を離す。

 古宮さんに迫られた時とは違う。だって、相手はミサキだ。じゃあ他の人だったら? 茉莉綾さんは? 美咲は? 俺は今すぐに、答えを出すことができない。


「好きって言ったよね?」

「それは」


 さっきの配信でのことを言っているのか。けれど、あの配信は彼女のファンに向けてのものだ。


「俺に言ったわけじゃ──」

「違う。ユウくんに、言ったの」


 ミサキはまた俺と唇を重ねる。今度は躊躇なく、その舌を口の中に潜り込ませる。俺はまだそれに抗わない。自分の物ではない粘液が口の中で混ざり、頭の先から微弱な電気が走るような心地に支配される。


 ミサキは唇を離す。


「好きだよ、ユウくん」


 今度こそ、彼女は俺に向けてその言葉を言う。夢の中でも、配信中の言葉でもない。

 間違いなく、俺個人に向けられた言葉。


 ミサキは俺の返事を待つことなく、また唇を重ねた。俺ももう、拒む気はなくなっている。

 俺は震えながら、ミサキの首に腕を回す。ミサキが一瞬驚いた様子を見せたが、すぐに口を開けてまた互いの唇を重ねた。

 俺も今度はされるなままではなく、自分から舌を動かした。ミサキもそれに応えるように、俺の頭を自分に押さえつけるかのように両手に圧をかけた。

 頭の片隅に、一瞬だけ美咲の顔が浮かんでは消えた。


「俺も好きだった」


 ──思わず、吐露した。

 まだ男女の違いがあるというだけでドギマギしていたあの頃、ミサキの存在が俺に色々な感情をくれた。

 ミサキとクラスが一緒になったのは、高校2年生の頃だった。私立進学校の特進級に合格していた俺はしかし、高校からの部活と勉強の両立からすぐに脱落してしまい、クラスの中での成績を落としてしまった。そのせいで、特進級の継続の資格なしと判断された俺は、2年生になってから、その下の普通進学級のクラスに落ちてしまった。

 ミサキとは、そのクラスで出会った。最初は誰にでも笑い、誰とでも仲良くすることのできるタイプの明るい人間のように思った。あの頃、俺はクラスの降格にヘソを曲げて周囲に壁を作り、周りも元特進のいけすかない奴と捉えていたそんな時期だったけれど、ある日の席替えで隣の席になったミサキはそんな俺に臆することなく話しかけてきた。

 それから彼女との交流が始まり、いつしか俺は彼女に対して特別な感情を抱いていることに気づいた。


「そっか。そうだよね。良かった」


 好きだったと言う俺の言葉に対して、ミサキは俺に笑いかけた。


「やっぱり、キス初めてじゃないんだ」

「まあ……」

「ふーん、大学生だもんね。それくらいするか。生意気」


 あれは自分からしたわけじゃないから、ミサキの言う初キスとカウントするかどうかは自分の中でも議論がある。


「でも、これでもう配信聴いても、あたし以外のこと思い出すことはなーい」


 ミサキはどこか茶化すような、子供じみたような口調でそう言う。

 俺はそんなミサキの表情を見ているのがやっぱり楽しくて──。


 今度は俺の方からミサキに唇を近づけた。ミサキの唇と俺の唇が触れ合った瞬間、またゾクリとした感覚が俺を襲った。その感覚を維持したくて、俺はさっきミサキがしたみたいに、ミサキの頭の後ろに手を置いて、唇を重ね続けた。


「ばーか」


 俺が唇を離すと、ミサキは紅潮した顔でそう言う。そしてまた彼女の方から唇を重ねる。ミサキはそれから何かを考え直したかのか、顔を離して俺の肩に手を置いた。ミサキはじっと俺の顔を見つめる。肩に置いた手もすぐに離すと、彼女は自分の胸に手をあてた。


「キスは初めてじゃないとしてさ、こっちは?」


 ぷつんぷつん、とミサキは片手で自分の服のボタンを途中まで外して、最後まで外すことなく両手を伸ばして首からすぽんと服を抜いた。

 ミサキはその下にあるブラジャーを少しずらして、ガシッと反対の手で強めに俺の腕を取り、俺の手を下着の中に潜り込ませる。


「ちょっ……!?」


 睨みつけるようなミサキの顔に、俺はひやりとしたものを背筋に感じた。


「え? これもなの?」

「いや、あのな……」


 俺の手がミサキの胸に押し付けられている。その感覚しかもう頭の中にない。その感覚も俺の汗でじわりじわりと少しずつ湿ってきてわかったものではない。

 それにこいつは何か勘違いをしているが、俺は他人の胸を直に触るのは初めてだ。


「え、ユウくんってやっぱり、もう?」


 ミサキの顔がくしゃりと歪む。


「いや、まだ……」


 その顔が見ていられなくて、俺は馬鹿正直に物を言う。

 自分が手に触れているものの感触はよくわからなくても、そこから伝うミサキの心臓の鼓動はしっかりと感じられる。バイクのエンジン音のようにうるさいそれと、俺の胸元で同じように吹かしているそれと、どちらの方が強く脈動しているのか、やはり俺にはわからない。


「そっか。じゃあ、あたしが初めてで、良いんだ」


 そんなことを言って、ミサキは自分の背中に手をやって、プツンとブラを外した。

 ミサキの背中からブラがはらりと捲られて、彼女の胸に触れる俺の手首にそれは落ちる。その間もしっかりと俺の腕はミサキに掴まれたままだ。

 俺が掴むのとは反対側のミサキの胸が顕になる。古宮さんと比べると、少しだけ白いその柔肌に、俺の目線が思わず移動する。見学店で一糸纏わぬ姿になった茉莉綾さんの体も綺麗だった。俺のアパートで美咲を撮影した時の、あいつの肌と比べるとどうだったっけ。


「また他の人のこと考えてる」

「あー」


 何も言い返せない。

 ミサキは小さく鼻息を吐いて、俺の手首に落ちたブラを掴むと、俺の頭の上に置いた。

 その様子を見て、ミサキは吹き出す。

 ──彼女の笑顔を、俺は最初優しさから来るものだと勘違いしていた。けれど違った。誰にでも笑いかけるということは、誰とも深い関係を持たないことに他ならなかった。

 彼女はクラスの誰しもに臆することなく話しかけていたわけではなかった。むしろ、その反対。

 誰からも孤立しているからこそ、誰にでも笑顔を振り撒いているだけだった。


「まぬけ」


 ミサキは頭に下着を乗せた俺の顔を見て、意地が悪そうに、そして楽しそうに笑う。誰にでも向けた爽やかさと違い、この顔が嘘ではないことを俺は知っている。


「お前な……」

「ねえ、ユウくんも脱いで?」


 ミサキはまた俺に尋ねるが、答えを待たない。俺の腕から手を離すと、シャツに手を伸ばして下からぐいっとほとんど無理矢理に、下着ごと服を脱がせた。

 ミサキは脱がせた俺の服を適当にベッドの外に投げる。

 そこにはお互いに胸を曝け出し、裸で向き合う二人がいる。

 そのことを認識した途端に俺は、体がふわふわとするような、それでいて反対にガンガンと頭を打ち付けるような心地に襲われた。当たり前のように俺は勃起しているし、ミサキの顔を見るとまたその唇に吸いつきたくて堪らなくなる。


「せめてなんか言わせろ」


 震える唇で、俺はなんとか声を出した。


「だってはっきりしないし」

「あー、もう!」


 俺はミサキの言葉から逃げるように、彼女の首に手を回す。それを受けてミサキも今度は口だけでなく体も強く押し付けてきて、俺と彼女との肌と肌が触れ合った。

 俺の頭の中にはもう何もなかった。


 ミサキの手が俺の下半身に伸びた。器用に片手でベルトを外し、そのままチャックにも手をかける。俺は降伏するようにベッドに倒れる。

 ベルトが外れ、緩くなったズボンのお尻の方にミサキは手を回して、そのままストンと床にズボンを落とした。

 俺は足首で邪魔なその布をベッドの向こうに蹴り飛ばす。俺は目を瞑る。布擦れの音が聞こえて来る。パタン、という何かが閉じた音も聞こえた。

 ミサキと俺の唇は、依然として重なりあっている。


 俺の脚と脚の間をひやりとしたものが触れて、俺は唇を離した。

 その感触が、ミサキの手に握られているウエットティッシュであることがわかる。

 ミサキは一度俺から体を話して、その濡れ紙を俺の体に当てた。そのまま脚の付け根の辺りが同じようなひやりとした感触に支配される。頭の中をガンガンと打ち付けるような心地と、下半身を冷やすその感覚で、全身が麻痺している。俺の体が自分の物ではないかのようにすら感じて、これは果たして現実なのかわからなくなっていく。そんなところで、ミサキはすっと立ち上がり、俺の顔を跨ぐようにして、そのまま腰を俺の顔に近づけた。

 舌を伸ばすと、塩辛い感覚が俺の舌先を伝って、やはりこれは現実らしいと、夢見心地の中、麻痺した体と脳でかろうじて考えた。

 そんな感覚に支配されたままでいると、俺の顔を跨いでいたはずのミサキがまた、いつの間にか俺を見つめていることに気づく。今度は唇を重ね合わせることはせず、ミサキは俺の首筋を抱く。俺もまた、彼女の背中に手を回す。


 肌と肌が触れ合う。俺の視界は呆っとしている。ただ首筋に、彼女の吐息がかかることだけが、わかる。俺もまた、息切れしているかのように、口を半開きにして、息を吐き続けている。

 二人の脚と脚が絡み合う。彼女が背中から、ベッドに倒れ、胸と胸、首と首が一体となる中で、唯一浮いていた二人の腹部も、また──。気付けば、あまりに容易く、お互いに、張り付き合った。

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