目覚めて、あの日の後悔①

 高校卒業前に、彼女と連絡を取ることができなくなった。俺は何度も彼女に電話をかけ、メッセージを送ったけれど、そのどれにも返事はなかった。


 そんなある日、彼女はクラスで見せるのと同じ笑顔を浮かべて俺の前に現れた。

 俺の目を見て、「あたし、逃げてきたの」と語る彼女にかけてやる言葉は、当時の俺には存在しなかった。


 どこか遠くへ行きたいと言うミサキに着いていった俺たちは、電車に乗った先にある寂れたラブホテルに泊まった。受付をしていたのはくたびれたおじさんで、俺たちの年齢の確認すらしなかったから何の問題もなく、彼女が義父の財布から抜いてきたという金で、部屋を借りた。

 家には「友達の家に泊まる」と嘘をつき、その友達にも口裏を合わせてもらったけれど、多分その友達の家にいなかったことは、親にはバレていたように思う。


「明日学校どうしようね」と高揚する彼女に付き合って、ラブホにある古いビデオ再生機でAVを飛ばし飛ばしに観て「あたしたちもする?」なんて言うミサキに対して俺は「そういうのは冗談で言わない方が良い」と返すと、それ以上ミサキは何も言わなかった。

 その時のミサキがどんな顔をしていたのか、俺の記憶には残っていない。というか、わざと顔を背けていたのだと思う。


 結局、ラブホで何もせずに一夜を過ごしてから「帰ろう」と言う俺にミサキは無言で頷き、俺たちはそれぞれの家に帰った。


 ──ミサキの義父が首を吊って死んでいたことをその時の俺は知りもしなかった。


 翌日、俺はせっかく会えたミサキと、また連絡が取れなくなった。電話やメッセージが届かないどころか、電話番号すら変更したようだった。


 その理由が、義父の死にショックを受けたミサキが遠くに引っ越したせいであること。それだけでなく、これまでの友人知人との関係もできるだけ絶った方が良いと結論づけた、彼女の親族の考えがあったからだということ。そうしたことを、俺は後から直接、彼女の叔母を名乗る人物から聞いた。


 瑛梨とは親しいようでしたから、と言ってミサキの叔母は律儀にも、彼女に何があったかを教えてくれた。


 それが彼女のためになるのなら、と俺は忸怩たる想いを感じながらも、頷いた。彼女には休息が必要だった。その隣にいるべきはきっと、俺なんかではない──。


 あの頃はそう諦めて遠くへ離れたはずのミサキが、今は目の前どころか。俺は今、ミサキの中にいる。

 ミサキと俺の体が重なりあい、脳みそを直に握られているかのような劇的な刺激があった。

 バクバクと自身の動悸が激しい。けれども彼女の鼓動もまた肌を通して伝わって来るせいで、それがどちらのものだか俺には判別がつかない。そのまま、ぎゅうと彼女の背中を抱きしめていると、彼女が「重いよ」と一言口にしたので慌てて俺は体を持ち上げた。


「好きだよ」


 彼女はまた俺に言う。

 艶やかに笑う彼女のことを、これ以上なく魅力的に想う。


「俺は──」


 彼女にかける言葉を探そうとする俺の唇に、彼女は人差し指を立てた。

 俺は思わず目を見開く。


 彼女はそんな俺を見て笑いかける。

 そして彼女は俺に向けて手を伸ばし「引っ張って」と言うので、俺は彼女の腕を掴んだ。そのまま彼女は上体を起こして、俺の胸を触る。

 刺激につぐ刺激に、俺は今与えられたものがどこからくるものなのかもわからなくなる。俺も彼女の胸に手を伸ばそうかと震えていたら、彼女が反対側の手で俺の腕を掴み、俺の手のひらを胸に押し付けた。

 俺はそのままゆっくりと手のひらを動かす。この感覚は間違いなく夢ではない。彼女の鼓動をしっかりと指先に感じる。


 そうしていると、彼女は俺の肩に覆い被さって俺の耳に吐息をかけた。


「いいよ、いつでも」


 彼女が耳元で囁く。彼女のその言葉に、俺は性懲りもなくドキリとする。俺は愛おしさを感じて、そのまま強く強く、ミサキを抱きしめる。

 本当は今考えなくちゃいけないことが山ほどあるような気がする。そんな思いがまだ少しだけ残っている。

 そんなことを考えているうちにまた彼女は耳を舐め、胸に触れる。

 動きを止めた俺の手に重ね合わせるように俺の手に彼女は手を重ねて、その手を動かした。彼女が手を離してもまだ胸を撫でる俺に対して「よくできました」と彼女は囁く。


 快楽につぐ快楽が、俺の頭の中を鈍らせる。今は彼女のことしか頭にない。他のことを考える余裕など、一ミリだって俺の脳みその中には存在しなかった。俺はひたすらに彼女を欲した。


 ──あはあ、と嬉しそうに彼女は笑った。


 それから──。天井を仰いで横になる俺の脚と脚の間にミサキは座っている。

 俺の霧散した快感をまた集めるかのように「お疲れ様」とミサキは言うと、ちゅっと音を立てて俺の腹部に口をつけた。


 その後、俺はずっと夢見心地であったように思う。

 そのままゆっくり立ちあがろうとする俺の背中をミサキは抱きしめ、引き留めた。しばらくそうしているうちにトイレに行きたくなったことを彼女に伝えてようやくミサキは俺を解放した。

 そこで自分が裸であることを改めて思い出して服を探していたら「そのままで良いよ」とミサキが俺の背中を押してトイレまで連れて行った。

 尿をすっかり体外に排出し、トイレの外に出た俺を洗面台で待っていたミサキは、彼女もまた裸のまま「ん」と、コップを俺に差し出した。

 コップの中はうがい薬入りの水道水で、先に口に水を含んでいたのだろうミサキが、ぐちゅぐちゅとうがいをして口から排水口に水を吐いたので、俺もコップの中の水を含み、ぶくぶくとうがいをして水を吐き出した。

 ミサキは俺からコップをゆっくり取ると、また口に含んで今度は顔を上にあげてガラガラうがいをする。俺もそれに続いて同じようにした。


 うがいを終えた瞬間、ミサキは目を瞑って俺の方に顔を向けた。少しだけ口を突き出しているのを見て、俺がおそるおそる顔を近づけると、ミサキの方から俺の首を抱いて唇を重ねる。それからミサキの顔がゆっくりと、下に降りていく。


 ──俺の疲労は既にピークを迎え始めていた。

 俺とミサキはまたうがいをして、そのまま一緒にお風呂場に入る。

 お風呂場に入ると、ミサキは俺の肩をトンと軽く押してから、シャワーの蛇口を捻った。肩から脚にかけてゆっくりとお湯をかけられる。疲れ果てた俺の体を癒すように流れるお湯の純粋な気持ちよさを感じる。彼女も同じように首筋から肩にかけてお湯をかける。

 全身を洗い清めた後にミサキはシャワーヘッドを掛け具に置いて、そこから流れ続けるシャワーを浴びながら、俺とミサキはお風呂場でも唇を重ねて、また抱き合った。


 お湯を全身に浴びた後、彼女と同じタオルで体を拭き、俺の腕を掴んで引っ張るミサキの後について寝室に戻ると、同じベッドに横になり、同じ布団にくるまる。布擦れだけが聞こえる静かな布団の中で、彼女の鼓動が耳に響いた。


 布団の中、ぼうっと遠くを見る俺の頬をミサキが一撫でしたところで、俺の意識はなくなった。


 ──目覚めれば朝だった。


 ミサキが隣で、俺の腕を枕にして吐息を出して寝ていた。腕を抜こうとしたが、ミサキの頭の重みで抜けない。

 起きて自分が裸なことに改めて気づく。

 ブーブーとどこかで音がしている。いつかのタイミングでしまった、俺の鞄の中にあるスマホのバイブレーションの音だ。


「ん、おはよう」


 俺がどうするか思案しているうちに、ミサキも目を覚ました。ミサキはむくりと頭を持ち上げて、自分の唇を一瞬だけ俺の唇に触れさせる。

 俺はベッドから起き上がり、小机の下に置いていた鞄を手にとって、中からスマホを取り出す。バイブレーションは電話の着信だった。

 画面に映る着信相手の名前を見たその瞬間に俺は現実に引き戻される。さーっと全身から血の気が引いて俺の中から、ふわふとした夢見心地であった感覚の全てが消え去る。


 電話の着信は、美咲からだった。


 

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