お疲れ様配信、あの日の耳ぜめ①

「この後、時間あるってことで良い?」


 昔のように彼女を呼ぶと、彼女は顔を綻ばせて俺に尋ねた。


「大丈夫。今、一人暮らしだし」

「そっか。大学生は自由で良いな」


 俺は一度呼んでおきながら、彼女のことをどう呼ぶべきか迷う。昔と同じように呼ぼうとして飲み込んでを三度ほど繰り返して、ようやく口を開くことができた。


「で、ミサキは?」

「アイドルやってる以外はフリーター? 普通にレジ打ちのバイトとかやったりしてた」

「してた?」

「今のとこはバイトなしでも割と食っていけてるんだー、これが」


 桔梗エリカ──三﨑瑛梨みさきえりは「えへへ」と楽しそうに笑う。その笑顔は俺の見知ったもので、少しホッとする。心の中で緊張して張り詰めていた糸が、少し緩んだ。


「元気になったんだな」

「んー……どうだろ、わかんない。騙し騙しだと思う」


 ミサキは困ったように俯いて、小さく地面を蹴った。


「じゃあちょっと移動するから。着いてきて」


 ミサキはそう言って俺を手招きする。

 俺は彼女の導きに従い、その隣を歩いた。


「ユウくんは? 元気?」

「俺は変わらず」

「小説は?」

「書いてる」

「いいね。今度読ませてよ」

「今度な」

「一緒に来てたの、彼女さんじゃなくて先輩って言ってた?」

「うん」

「サークル?」

「そう。文芸サークル」

「へえ。良いじゃん良いじゃん?」

「まあ楽しくやってるよ」

「じゃあ彼女いないんだ」

「いないな」

「作らないの?」

「好きでいないわけじゃ……いや、割とそうか」

「何、その含み?」

「いや」


 昔の記憶と変わらないミサキとの会話。しているうちに、こちらの調子もそれに合ってくる。


「ユウくん、バイトとかは?」

「塾のバイトと……カメラマン?」

「あ、それで今日も?」

「先輩が俺のバイト知ってたから」

「なるほど、納得」

「頼まれたから」

「ふーん、でも自分をあまり安売りしちゃ駄目だよ」

「安売り?」

「だって、それでお金もらえるくらいなんでしょ?」

「まあ、そう」

「じゃあ知り合いだからって安請け合いはよくない」

「うん」

「あ、今回安請け合いしたって意味じゃなくてね?」

「わかってる」

「そのおかげであたしはユウくんに会えたし」

「俺もまさかミサキが地下アイドルやってるとは思わなかった」

「あたしもー。人生わからないものですなあ」

「なんだよそれ」

「ねえ? どういう写真撮るの?」

「あー、人」

「人って、あなた」

「いや、説明が」

「えー、なあに? いかがわしい写真でも撮ってるの?」

「……あー」

「え? ……マジ?」

「いや、別に。ヌードとかじゃないから」

「え、気になるんだけど。グラビア系?」

「えと、見学店ってわかる?」

「えっちなお店」

「いや、まあそうなんだけど」

「え? まさか? ユウくん?」

「縁あって、そこのキャストのWeb宣伝用の写真撮ってる」

「え、何それ。エロ漫画の話?」

「違う」

「お店の名前は?」

「後で教える」

「えー、気になるじゃん。──あ、ついた」


 ミサキが住宅街から少し離れた路地の先にある、二階建ての小さなアパートの前で足を止めた。

 鞄の中から鍵を取り出して、彼女は改めて俺を手招きする。


「二階の角部屋。ついてきて?」

「ミサキの家?」

「仕事用に借りてる部屋。今日この後まだ仕事あるからさ」

「じゃあ俺邪魔じゃない?」

「今逃したら次いつ会えるかわかんなかったじゃん」


 それはそう。俺は当然、ミサキの連絡先など知らないし。

 俺は二階に続く階段を登るミサキの後ろをついていく。その角部屋まで歩いて、ミサキは鍵を開けた。


「ほら、入って」

「お邪魔します」


 ミサキが部屋の中に入るのに続いて、俺は玄関を潜る。

 ミサキが電気をつけて先に抜けた部屋は1LDKで、電子機材やパソコン、ゲーム機などが置かれていた。

 窓は雨戸を閉めてあるだけではなく、穴のたくさん開いた防音ボードが壁一面に貼られていて、確かに仕事部屋であることが伺えた。

 野々村先輩が、アットシグマは配信者のグループだと言っていたことを思い出す。つまり、ミサキはこの部屋から配信を行っているということなのだろうか。


「あ、そうだ。先に連絡先教えて」


 部屋に入り、上着を脱いで鞄と一緒に洋服ラックにその上着をかけたミサキは、くるりと身体を回転させてこちらを向いた。


「アイドルがそんな簡単に連絡先交換していいの」

「あのねえ、ユウくんだから交換するんでしょ?」

「ごめん。そうだよね、わかった」


 俺はスマホを取り出した。ミサキの方も既にスマホを手にしていたので、そのままお互いの連絡先を交換した。


「ねえ、お店教えてよ」

「ええ……」

「良いじゃん。ユウくんの写真、見たい」

「まあ良いけど」


 流石にミサキに写真を見られるのは恥ずかしいが、そう言われてしまえば断りづらい。

 俺はさっき教えてもらったばかりのミサキの連絡先に、見学店のホームページを送った。


 ミサキはすぐにスマホをタップして、送られてきたページをじっと見る。それから「うっわー」とニヤニヤした顔で俺を見た。


「なにこれ、えっろ。え、本当にユウくんが撮ってるの?」

「そうだよ」

「マジかー、知らないうちに汚れちゃったんだユウくん……」

「汚れてないから」

「ポーズとかってどうするの? 指定されたの撮る感じ?」

「いや……全部、俺が指示する」

「なにそれ!? えろすぎじゃない!? イヤらしー!!」


 ミサキは半分涙を流しながら、腹を抱えてケタケタと笑った。


「ヤバい。ちょっとあたしまでドキドキしてきた」

「なんでだよ」

「こんなところに女の子連れ込んで、あたしもえっちな写真を撮られちゃうんだー」

「連れ込んだのはそっち!」


 ミサキはまたスマホをまじまじと見る。その間ずっと「うわー」とか「えろー」とか感嘆の声をあげるものだから、少しだけ店のページを教えたことを後悔した。

 なんだこの羞恥プレイは。


「ねえねえ、写真撮ってるうちにそういうことになったりしないの?」

「そういうことって?」

「え、だからその、えっちなこと?」

「ないって。あくまで仕事!」


 せっかく再会した昔の友達との会話がこれってどうなんだ。


「そうなんだ。ちょっと安心した」

「手出したらオーナーにドヤされるよ」

「あ、やっぱりそういうルールあるんだ?」

「スタッフはあんま、キャストと仲良くしすぎるのは良い顔されない。贔屓に繋がるし」


 俺は厳密にはスタッフではないから、そのルールもそこまで強く適応されているわけではないが、別に今それを言う必要はない。


「なるほどねー。まあ、あたしも配信でちょっとえろいことやってるからユウくんのこと言えないんだけど」

「えろいこと?」

「うん。今日もこの後配信やるんだけどさ」


 ミサキはすくっと立ち上がり、機材が並ぶパソコンラックの上から何かを持ち上げた。


「ほら」


 ミサキが持ち上げたものは、いわゆるダミーヘッドマイクと呼ばれるものだ。人の顔を模したマネキンの顔部分みたいにも見えるもので、イヤホンなどで録音された音声を聞くと、実際にそこにいるような臨場感がある、というやつだ。近年はASMR音声用の録音機材としてかなり有名なので、俺も当然それが何かの知識だけはあった。


「ダミヘ。これで耳掻き音声とか録るの」

「何となく知ってる」

「10時から配信なんだよね。今日の対バンのお疲れ様配信。大体一時間くらいやる予定」


 俺は部屋の壁に立てかけてある時計を見た。ただいま九時半。

 それ終わるの待って、俺終電間に合うかな。


「聞いたことある? ASMR配信」

「俺はSNSとかで流れてくる咀嚼音とか環境音くらいしか経験ないかな」

「そっかー。じゃああたしのが初だ」

「俺聞くの?」

「そりゃそうでしょ。ユウくんのお仕事見たお返しー。ちょっと待ってね」


 ミサキはパソコンラックに置いてあったパソコンとラックの棚から取り出したノートパソコンの、パソコン二台の電源をつけた。

 それからノートパソコンの方を弄って、ミサキの配信が予定されている「桔梗エリカ」の配信ページを開いた。配信予定ページのサムネイルにはマイクを手にウインクしているキャラクターの絵が描かれている。そのキャラクターの着ている衣装は、ライブの時にミサキが着ていたものと同じだ。


「それが桔梗エリカ?」


 俺はミサキが開いたページを後ろから見て尋ねた。

 その問いに対して、ミサキは誇らしげに自分の胸に手を当てた。


「あたしが桔梗エリカ。だけど、配信の方は3DCGのアバターを使ってる。というか、地下アイドルの活動よりも、こっちが先なんだけどね」

「なるほど」

「こっちの部屋はあたしが配信に使うからさ、来て?」


 ミサキはノートパソコンと充電機器を手にとって、部屋の引き戸を開けた。ミサキがそのまま引き戸の先の部屋に入っていくので、俺も彼女について中に入る。

 引き戸の先の部屋には、セミダブルサイズのベッドがあった。ベッドの脇にはダンボールが積んであったり、サイクロン掃除機やコードの繋がっていない薄型テレビなどが無造作に置かれてある。


「ベッドあるじゃん」


 完全に寝室だった。


「仕事終わって帰らずにここに泊まっちゃうことも多いからさ。少し汚いのは勘弁」


 ミサキはダンボールの積まれている部屋の隅に置いていた丸椅子をベッドの前に持ってきて、ノートパソコンを置いて、コンセントを繋いだ。

 そのまま「よいしょ」とベッドの上に座り、敷布団をポンポンと叩いた。


「座るとこないからここで。横になってもいいし」

「ならねえよバカ」


 俺はため息をついて、ミサキの隣に座った。


「手出して」

「こう?」


 両手を見せると、ミサキはその上にワイヤレスイヤホンをぽとんと落とした。


「イヤホンはそれ使って。あたしはもう配信準備始めるから」


 ミサキはベッドから立ち上がり、とてとてと寝室の入り口まで歩いていく。


「あ、トイレとか行きたい場合は静かにね? 誰かいるのバレたらヤバい」

「どうすりゃいいの」

「あ、スマホに連絡ちょうだい? そしたらあたしがトイレ行くフリするから。じゃ!」


 ミサキはそう言って引き戸を閉じた。防音ボードがしっかり働いているのか、部屋が静寂に包まれる。仕事部屋とは言え、いきなり家に連れて来られて、いきなり寝室に放り込まれて放置だよ。ただ、その辺りの奔放さはミサキらしいと思った。


 俺はミサキから渡されたイヤホンを耳につけた。パソコンとの接続設定は既にできているようで、配信予定ページから流れるヒーリング音楽のようなBGMが聞こえてきた。

 配信予定ページのチャットには、「今日はお疲れ様」「ライブ良かったなー」など、既に待機しているファンからの書き込みがいくつか流れている。


 しばらくそのまま待っていると、配信画面が変わり、3Dアバターの桔梗エリカがそこに映し出された。


『やっほー。配信来てくれてありがとうー』


 イヤホンから、ミサキの声が聞こえてきた。さっきまで俺と話していた三﨑瑛梨のものではなく、ライブの時の桔梗エリカの声だ。


『みんなもお疲れー! ライブ来たよーって人どれくらい?』


 ミサキの問い掛けに対して、チャット画面に挙手を意味する絵文字スタンプが次々と流れた。


『来た人も来れなかったけど遠くから応援してたぞーって人もありがとー! 今日はね、初めての対バンだったから緊張したけど、他のグループの皆も全員優しい人ばかりで。お、そうそう。ドットセブンとスノーチェンバー。みんな可愛かったー!』


 そんな風に、たまにチャットの文章を拾ったりしながら桔梗エリカのトークが配信される。それが十五分ほど経ったところで「それじゃあ」と桔梗エリカの声が一瞬ぷつりと消える。


『今日も頑張って応援してくれたみんなを癒すためのASMR配信、始めるよー』


 先ほどまでとは違う、ささやくような小さな声がイヤホンから耳に届いた。マイクをさっき見せてくれたバイノーラル用のダミーヘッドマイクに変えたのだろう。まるで耳元で囁くようなその声に、俺も思わずブルっと身体を震わせる。


『じゃあまずは右耳からー』


 ミサキの声が段々と右耳に近づいていく。実際にはそこにいないはずなのに、俺の後ろを移動しているように感じる。


『ふー』


 耳に息を吹き掛ける音。その音に、俺は全身にゾクゾクとした感触が伝わる快感に抗えず、思わずそのまま、自分の身体をベッドの上に倒した。

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