夜の公園、あの日の呼び名

 マップアプリで葦束公園を検索してみると、ライブ会場最寄りの駅から三駅離れたところ、そこから更に30分程歩いた場所に、同じ名前の公園があった。

 俺は何度か公園の名前を心の中で反芻して、チェキ写真を懐に仕舞った。


 野々村先輩の姿が見えなかったので、一足先にライブハウスから出て、入り口の向かいで待つ。

 あまり待つようなら、野々村先輩に一言メッセージを送ってすぐにでも公園に向かいたかった。


『今どこだ?』


 十五分程待っていると、野々村先輩の方からメッセージが届いた。俺はホッと一息つき、こちらもメッセージを返す。


『今は外で待ってます』


 返事を送ってすぐ、野々村先輩がライブハウスから出てきて、俺に手を振って近づいてきた。片手には紙袋をぶら下げている。チェキだけでなく、物販で売っていたグッズをいくつか買ったのだろう。ここから見ていても、紙袋の側面がパンパンに膨らんでいるのがわかった。


「どうだったチェキは?」

「撮れました」

「どれ、見せてくれ──というのも野暮か」


 俺は一瞬、野々村先輩の言葉に心臓が口から飛び出そうになって、すぐにホッとした。

 チェキを手渡して見せた時、その裏側を見られてしまった時の言い訳が効かないから見せたくはなかった。


「野々村先輩、今日は本当にありがとうございました。楽しかったです」

「それは良かった。君もカメコとしてよく働いてくれたな。こちらこそありがとうな」

「はい。カメラお返しします」


 俺は首元からぶら下げるカメラを外して、野々村先輩に手渡した。


「良いのか?」

「だって先輩のでしょ。中のデータも必要だし」

「まあな。いや、正直なところ自分が持っているよりも、君が使ってくれた方が良いかもと思ってな」

「自分のカメラは自分でいつか買いますよ」

「そうか。今日は君には本当に感謝だよ」


 野々村先輩はそう言って両の手を合わせて、俺を拝むように頭を下げた。それからすぐに顔をあげて、いつもの野々村先輩らしい、不敵な笑みを彼女は浮かべる。


「この後はどうする? 美咲も呼んで打ち上げにするか?」

「あの、それなんですが」


 俺は小さく肩をすくめて、野々村先輩の顔を見た。


「すみません。俺、ちょっと急用ができて」

「急用?」

「はい」


 バイト先から連絡があって、と続けようとしたところで、塾だったら古宮さん、見学店の方だったら美咲からボロが出ないとも限らないと考え直した。


「実家から連絡がありまして。このまま電車で寄ろうかと」

「なんだって? 大丈夫なのか?」

「テレビの配線の調子かなんかが悪いそうなんですが、すぐに直したいらしくて、それで俺が何とかできないかと」


 因みにこの頼みは、実際に休日の時に親から来ていたものだ。大学から実家までは、電車に一時間も乗っていれば片道移動できるくらいの距離なので、俺はめんどくさいと思いながらも実家に戻って、古くなった端子の交換をして配線を復活させたのだった。


「そうか。家族思いなのは良いことだ。なら仕方ないか。美咲に連絡は?」

「まだです。が、今しちゃいます」


 俺はスマホを取り出して、美咲の連絡先を開く。


『ライブ終わった』

『ごめん、急用ができてこの後連絡無理かも』

『親からの呼び出し。大したことはなさそう』


 そんな風に立て続けにメッセージを送る。既読になったかどうかも確認はしなかった。


「じゃあ、俺は先に行きます」

「ああ、本当に今日はありがとうな!」


 俺は野々村先輩に手を振って、意味もなく走って彼女から離れた。

 そのまま駅まで向かい、路線をしっかりと確認して、葦束公園の近くの駅まで電車に揺られた。揺られながら、俺は桔梗エリカとの会話を思い出していた。彼女は自分とは初対面の風を装っていたし、俺もそれに何も言わなかった。


 駅に着いた時、時刻は七時半過ぎだった。約束の時刻までまだ一時間以上あるが、初めて降りる駅だし、迷わないとも限らない。

 俺は一度近くのコンビニに寄って、お茶を買った。あまりにずっとバクバクと言い続ける心臓にうんざりして、気持ちを誤魔化す為に酒でも飲もうかとの考えも一瞬頭を過ぎったが、流石にそれはやめておいた。


 コンビニやドラッグストアなんかも近くにある駅から歩いていく。段々と周りが田園風景に変わっていった。ガソリンスタンドを二つほどこえると静かな住宅街があり、葦束公園はその中にある、ブランコと鉄棒くらいしかない小さな公園だった。

 誰もほとんど座っていないのだろう泥に汚れたベンチもあったが、そこに座る気にはならず、俺は鉄棒にもたれかかって、時計を見た。まだ八時を過ぎた頃。まだ一時間ある。俺は懐にしまったチェキ写真を見た。

 辺りはもう星明かりと、公園で一本だけ点灯している街灯くらいしか目立った明かりはない。その僅かな明かりに写真を照らして、そこに写る二人の顔を、俺はじっと見つめる。


 間抜け顔を晒す俺の腕を持って笑顔で映る女の子。地下アイドルの桔梗エリカの顔を俺は改めてマジマジと見る。


 俺がこの顔を見間違えるわけない。他人の空似かとも思ったし、チェキの最初にも彼女は俺に反応しなかった。けれど、少しの時間の間に彼女が言った言葉。


 ──相変わらずだなあ。


 それにチェキの裏にあまり目立たないように書かれた時刻と場所。

 そんなもの、答え合わせでしかないじゃないか。


 俺は公園でじっと待ち続けた。

 その間、スマホを開くことすらしなかった。ただただ、公園の入り口に誰か来ないのか、それだけを気にしていた。


 ──と、一台のタクシーが公園から少し離れた路地に止まる。周りに人通りも見当たらないせいで、俺はそのタクシーに向けて自然に目線が動いた。タクシーから客が降りる。小柄な女性だ。ニット帽を深く被っているせいであまり顔が見えない。

 その女性が、路地からタクシーをいなくなるまで見送った後、つかつかとこちらに歩いてきた。

 公園の入り口付近まで歩いて来た彼女を見て、もしかしてと思い、そしてこちらを向いて笑う顔を見て、その気持ちは確信へと変わる。


「来てくれたんだ」


 その女性は公園に入って、俺がもたれかかる鉄棒まで躊躇なく歩みを進めた。目には黒縁の眼鏡をかけている。その眼鏡を外して、彼女は俺の目の前でピタリと止まった。


「君の顔をカメコ席に見た時はびっくりした」


 彼女はそう言って、頬を綻ばせる。アイドル衣装を脱いで、ニット帽の下にある顔もステージで見た時のメイクとは違う。けれど、俺の目の前に立っているのは間違いなく、あのステージにいた桔梗エリカだと、俺には分かった。


「こっちだって、まさか」

「一緒に来てたのは、もしかして彼女さん?」


 彼女の言葉に俺は慌てて首を横に振った。


「大学の先輩。スノーチェンバーのファンで」

「ああ、なるほど。あの子達の」

「うん。それで俺も誘われて。写真を撮ってた」

「なんだ。じゃあやっぱり、あたし目当てで来たんじゃないんだ。まあ、ネットにも顔出ししてないしね。流出写真とかはあるけど」


 そう言いながら、桔梗エリカは、少しだけ残念そうだった。


「チェキの時はありがと。反応しないでくれたでしょ?」

「最初にはじめましてって言ったのはそっちだ」


 確かにー、と桔梗エリカは口元を抑えて笑う。それから改めて、俺の方を向く。その吸い込まれるような瞳が、俺の目と合う。

 心臓の音がうるさい。もう走ってからだいぶ時間が経つのに。

 彼女との距離が思っているのとは違って感じる。とてつもなく近くにいるようにも、とてつもなく遠くにいるようにも錯覚するが、実際には後少し手を伸ばせば彼女の顔に手が届くくらいの距離で、は向かい合っている。


「久しぶり、


 少しの沈黙の後、彼女はゆっくりと唇を開いた。

 俺をそう呼ぶ声。それは記憶の中にある彼女のままだ。


「こっちこそ、久しぶり。──


 俺もまたあの頃のまま、そうやって、彼女を呼んだ。

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