地下劇場にて、ある日の輝き②

 スノーチェンバーの一曲目は、少しロック調の激しい動きのある曲だった。メンバーの一人がギターを片手に残りの二人がその手前で踊る、という少し独特の振り。当然こちらも事前に予習済みである。基本的には手前二人の決めのポーズを待ちながら、そうでない間は奥でギターをかき鳴らす一人にフォーカスを合わせていく。前の二人と違い、一切笑顔など見せることなく一心不乱に真剣な面持ちでギターを鳴らすその姿は、アイドルというよりはバンドマンのそれだったが、この真剣さに心を撃ち抜かれるのだと、俺に曲の紹介をする時に野々村先輩も語りまくっていた。


 曲の盛り上がりがピークになっていくと、ギターを鳴らす速度もどんどんと上がり、それに対して手前の二人も会場を沸かすように激しいダンスを披露する。俺もそれに合わせて、夢中でファインダーを覗き込み、シャッターを押しまくった。写真一枚一枚を確認する時間も、カメラをおろす時間もない。それは一組目のドットセブンの時からそうだった。けれど、曲の振り付けが頭に入っているスノーチェンバー相手だと更にそう思う。


『お次はゆっちゃん!』


 一曲目、ギターをかき鳴らしていたメンバーがマイクを手に取り、手前で踊っていたうちの一人を指し示す。

 裏手からスタッフが和琴を運んできて、紹介されたメンバーに渡した。観客から大きな歓声と拍手が響いて、二曲目の和風ロック調の曲が始まった。


 スノーチェンバーのメンバー三人には一人一人に得意な楽器があり、その特技を披露した楽曲がいくつか存在する。今回の対バンでも、最初の三曲は一息にそれらの楽曲を歌うことになっていた。

 ギターの凍子とうこ、和琴の雪那ゆきな、シンセサイザーの美冬みふゆ。それぞれが得意の演奏をして、その手前で他の二人が踊る。それらの曲が終われば、野々村先輩が踊ってくれたスノーチェンバーの代表曲で締める流れ。

 スノーチェンバーの良さを撮るには、ダンスだけではなく、奥で真剣に楽器を演奏するメンバーの様子をカメラにおさめることがマストだ、というのも野々村先輩と事前に相談したことだ。

 故に、ダンスの決めポーズを待っている間も全く気が抜けない。彼女たちの美しくも格好いい姿を俺もまた真剣に撮らねば。

 そう思いながら、俺はカメラをスノーチェンバーに向け、シャッターを押し続けた。


『最後の曲だよ! 盛り上がっていこー!』


 そして気付けばスノーチェンバーの三人が全員前に出て、ファン達に使って熱い視線を送る。彼女らのその視線がこちらに向くタイミングを見計らい、俺はシャッターをおろす。

 煌めくような輝きのドットセブンも、どこまでも真剣に貪欲さを見せたスノーチェンバーも、なるほど確かに、それぞれを応援したくなる魅力があるものと感じた。当然細かく見ていければ、歌もダンスも、曲と曲の間のトークも決して完璧ではないけれど、そこに観客を魅せようとする意思があることを、俺は知っている。


『今日はありがとうございました!』


 スノーチェンバーの最後の曲が終わる。そこで汗を垂らし、三人で一斉にファンに向けて感謝を込めて頭を下げるところまで、俺も気を抜かずにファインダーを覗き込んだ。顔をあげた瞬間のホッとした表情に、俺もまた最後のシャッターを切り、ふぅと息を吐いた。


 もはや慣れたバツン、という音と共に休憩時間が訪れる。俺はすぐに会場の外に出て、野々村先輩と合流した。


「はああああ、もう最高だったああ!」


 蕩けるような笑顔を、今にも涙を流しそうに紅潮させて、野々村先輩はぴょんぴょんと跳ねた。本当にいつも見せるのとは違う表情だが、これが野々村先輩の推し活モードである。


「やっぱり生演奏はクる……そうだよねえ」

「動画とかでは観てましたけど、実際のパフォーマンスを観ると圧倒されましたね。独特の力強さがあって」

「そうなの!」


 野々村先輩が俺の両肩をがっしりと掴んだ。痛い痛い。


「皆よく頑張ってた! とうこちゃんもゆっちゃんもみっちゃんも皆演奏する時は真剣で。元々音楽をソロでやってたことのある三人なんだけど、こうやってアイドル活動をする中でも自分達の好きなものを捨てる必要なんてないって集まったグループだから、お互いがお互いを尊重してるんだよね。とうこちゃんは最初の頃はもうちょっと不貞腐れてて、なんだこいつらとか思った時期もあったんだけど、ステージに上がる度に肝が座っていってさあ。……あ、そうだ写真」


 野々村先輩は推しへの愛を一息に語った後、思い出したように俺が首からかけて両手で抱えていたカメラを、俺の両手ごと持ち上げた。


「結構良い写真撮れたと思いますよ。俺は腕がだいぶ疲れました」


 長時間カメラを掲げてファインダーを見続けるのは腕への負担が大きい。それはスマホでの撮影でもそうなのだが、野々村先輩から借り受けたデジタル一眼レフカメラは、軽量サイズなものとは言え、やはりずっしりとした重みがスマホの撮影とは全然違う。

 多分これすぐに筋肉痛になると思う。


「そうか、そうだな」


 野々村先輩はコホンと咳払いをして、少しだけ普段の調子に戻った。


「写真の確認は後でじっくりな。今観たら気絶しちゃう」

「了解です」

「この後は三組目だが、疲れたなら途中退席か、カメコ席からの移動も頼めばできると思うがどうする?」


 野々村先輩は俺の両手とカメラを支えたまま、首を傾げて尋ねた。

 疲れは当然あるが、ここまで来たら最後まで楽しみたい。


「いえ、先輩も物販までずっといるんでしょ。俺ももう少し撮りたいです」

「ふふふ、そうか。やはり君に頼んで良かったな」


 野々村先輩はカメラから両手を離して、満面の笑みで腕を組んだ。


「じゃあ最後の組だ。応援いくとしよう」

「最後は……」

「アットシグマ。個人勢配信者のグループだな。自分もソロライブには行ったことがある」


 重ね重ねアグレッシブな人だな。


「こういう対バンに来るのは初めてなんじゃないかな。それぞれ、メンバーの元々のファン層が厚いから。今日は新規顧客開拓も目的の一つというところか」

「野々村先輩みたいに、物販まで会場に残る観客もいるわけですからね」


 俺は業界には詳しくないが、その辺り各グループにも色々な戦略があるのだろう。


「ではまたアットシグマの後に。チェキもどうするか考えとけよ」

「わかりました」


 俺は野々村先輩とハイタッチして、会場に戻る。観客の層が、さっきまでの二組とも少し変わっていて、おそらくは初めてこうしたライブハウスに来たのだろう、さっきまでの俺のようにソワソワとした様子で落ち着かない観客が、ドットセブンやスノーチェンバーの時よりも多く、何人かの観客がスタッフに「もう少しステージから後ろに」と誘導されたりしていた。


 ワイワイという落ち着きのない観客の雰囲気も、バツンという観客席照明の消灯と共に静かになる。ステージの照明が点灯し、ステージ裏からアットシグマの三人が登壇する。

 俺もさっきまでの二組の応援の流れでアドレナリンが出て、野々村先輩にうったえたような疲れも、こうしてカメコ席にいるとあまり感じていない。

 俺は登壇した三人に向けて、レンズを向ける。


 ──と。

 俺の目線は、アットシグマの中にいる一人の女の子に向けられる。思わずカメラから手を離しそうになって、慌てて持ち直した。


四之宮しのみやかえで!』

烏京うきょうすずめ!』

桔梗ききょうエリカ』

『三人あわせてアットシグマ!』


 三人の元気の良い名乗りに、観客席が湧き上がる。けれど、その湧き上がるような歓声も、俺の耳にはまるで届いていなかった。


 カメラを構えることもせず、俺はただステージ上の彼女に釘付けになる。カメコの数は、おそらく今日で一番多かった。だから、俺は彼らの邪魔になってはいけないと理性では考えながらも、レンズを覗き込むことができない。


 曲が始まってパフォーマンスが始まった瞬間に、ようやく俺は大きく息を吐いてカメラを向けた。シャッターを押そうとして、手が震えている自分に気付く。その震えを誤魔化すようにしてシャッターをおろす。


 三人を平等に撮影しようとしながら、俺の目線は気付けばそのうちの一人に注がれている。その顔を近くでみようと、思わず身を乗り出そうとして「あまり前に出過ぎないようお願いします」と、スタッフに止められた。


 心臓の高鳴りを感じる。冷や汗が頬を伝った。手の震えは、なかなかおさまらない。


 目元が染みて、俺はゴシゴシと目を擦った。

 多分、頬を伝わるのは汗だけではない。


 アットシグマのパフォーマンスは体感で一秒にも何時間にも感じるようだった。何とかカメラを構えて写真を撮る。けれど、それは俺の中でほとんどただのポーズでしかなくなっていた。


『おつありー!』


 最後の曲が、いつの間にか終わっていた。

 バツン、という音と共に観客席が照らされる。俺はその場で呆然と立っている。


「お疲れ様。大丈夫か?」


 後ろから、野々村先輩に肩を叩かれて、俺はようやく我に帰った。


「あ、先輩」

「この後、物販どうする?」

「あ」


 そうだ。この後、チェキがある。だから、俺は彼女との会話の時間を作ることができる。


「自分はスノーチェンバーの凍子で決まりだ。今日はあまり大きなハコじゃないから、予約優先だし、早くしないと整理券ももらえない」

「エリカ」


 俺はボソリとその名前を口にした。


「桔梗エリカを、お願いします」

「おお、ライブを通して君にも推しができたか!」

「ええ、まあ……」


 違う。これはそういうんじゃない。だけど、野々村先輩には適当に相槌を打った。


 物販の時間が始まり、俺は野々村先輩に流れを教わりながら、桔梗エリカのチェキ券を購入した。

 野々村先輩の言った通り、チェキは予約が入っていて、そちらが優先。ただ、当日券も販売していて、その券をなんとか手に入れることができた。


「じゃあ楽しんでな!」


 俺はスノーチェンバーの凍子の元へ向かう野々村先輩のことを手振って見送った。

 チェキに向かう列に並ぶ間も、生きている心地がせずに、汗をかきながら並ぶ。


「次の方」


 スタッフの誘導で、俺は桔梗エリカの待つブースに案内される。

 他のアイドル達がファンと一緒に写真を撮る様子も周りにある中、俺は桔梗エリカと対峙した。


「どうもー! はじめまして!」


 桔梗エリカが俺に笑いかける。


「はじめまして」

「どうしたー? 緊張してる? 固い固い!」


 桔梗エリカはそう言って、俺の横について腕を掴んだ。それからピンク色のインスタントカメラを掲げて、俺の腕に自分の腕を絡めて、ピースサインを作る。


「はい、チーズ!」


 パシャリ、と安っぽい音が鳴る。インスタントカメラからすぐに写真が現像される。


「今日はライブきてくれてありがとう、と」


 桔梗エリカは胸元に差したサインペンでチェキ写真に文字を書き込む。俺はその様子を、ただじっと見ていた。


「他になんかリクエストある? 後一枚くらいなら撮れるよ。それともお話する?」

「大丈夫」

「はは、相変わらずだなあ」


 俺は彼女の言葉に、ドキリとする。俯いていた顔をあげて、彼女の顔を見ると、それに気づいた彼女はニッコリと笑顔を俺に向ける。


「じゃあまたね」


 桔梗エリカは俺に、さっきの野々村先輩みたいに俺の両手をとって、一枚だけ撮ったチェキ写真を握らせた。


「時間です」


 剥がしのスタッフに優しく背中を叩かれて、俺はチェキブースから離れる。俺は現像されたチェキを見た。笑顔の桔梗エリカと、あまりに間抜けヅラを晒す俺が並んで立っている。


 チェキ写真の上から『今日は応援ありがとう! また来てね!』という可愛らしい丸文字が書かれている。俺はハラリと写真を裏返した。よく見れば、そこにも蛍光色のペンで文字が書かれていた。


『葦束公園 今日 9時』


 

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