第二部 ミサキとのあの日

地下劇場にて、ある日の輝き①

 ライブ当日まで、俺は野々村先輩から借り受けたデジタル一眼レフカメラを持って、色々と撮影を試した。


 片桐さんに呼ばれて見学店に行った時にカメラを持っていくと、何人かのキャストに声を掛けられ、自分も撮ってほしいと次々に言われた。片桐さんにも休憩中なら構わないと許可をもらい、他人の借物だからオフとしてしか撮れない旨を伝えた上で、茉莉綾さんやかなこさん、しょうこさんなどが撮影に付き合ってくれた。

 意外にも、いつもは引っ込み思案の印象のあるゆりあさんも「せっかくだから撮られてあげる」などと高飛車な物言いで写真を撮らせてくれた。特に、茉莉綾さんが初披露してくれた自身のダンスや、かなこさんがSNSで流行っているというコミカルな動きをしている様子を撮るのは、ライブで撮影することになるだろう動きのある対象物を撮る参考になった。


 撮影を繰り返して、ネットでデジタル一眼レフカメラの設定を調べるうちに、フィルムの感光度を示すISO感度を高め、シャッタースピードを優先するように設定するのが、動きのある被写体を撮るには良いとわかり、微調整は当日するとして、ライブが始まればすぐにでも撮影を開始できる準備が整った。


「よう、首尾はどうだい?」


 ライブ会場である地下劇場最寄りの駅で待ち合わせをしていた野々村先輩に会うや否や、いつものように不敵な笑みを向けられた。


「結構仕上げてこれたかな、とは」

「君のそういう自信をちゃんと持つところ、好きだぜ」


 自信があるというわけでもない。撮影や小説、創作において表現物に恥を持たない、というのも同じだが、いざ言葉にする時にあまり弱音を吐くべきではないのだろう、と思ってはいる。

 以前片桐さんにも言われたことだ。自分を卑下して他人から信頼を勝ち取る機会を失うくらいなら、ちょっとの自信であろうと言葉にした方が良い。


「ありがとうございます。入場はもうしちゃいます?」

「ん、そうだな。自分一人だったらもう入るところだが、君はカメコしないといけないからな。もう少しだけ時間を潰そう。近くに美味いラーメン屋があるんだ。奢るよ」


 俺は改めて野々村先輩にお礼を言い、二人でラーメン屋に向かった。移動中にスマホを見ると、美咲からいつものようにというか、もはやお約束のように「終わったら連絡ください」のメッセージが来ていたので「了解」の返信をした。


 野々村先輩からラーメンをご馳走してもらってから、俺は野々村先輩の案内でライブの場に向かった。駅から少し歩いて路地に入った先にあるライブハウスの入り口には、今日のライブポスターが何枚も貼られており、大々的に売り出していることが伺えた。


 地下に続く階段を降りると、チケットの確認をするスタッフが入り口を入ってすぐのところに待機していたので、俺と野々村先輩はそれぞれのチケットをスタッフに渡す。


 俺はカメコ席、野々村先輩はその後ろの一般観客スペース。

 スタッフの案内でライブ劇場の中に入る。

 劇場の奥にステージがあり、観客席には椅子などはなく、基本的には立っての鑑賞となるようだ。ライブの開始まで残り10分を切っており、もうかなりの数の観客が集まっていた。

 こういう地下劇場、いわゆる箱と呼ばれる場所にあまりきたことがないから比較はできないが、あまり大きな劇場ではないようにも思えた。

 カメコ席と一般観客スペースはチェーンとポールで区切られている。

 野々村先輩は出来るだけ近くに入れるようにするとは言っていたが、ライブが始まれば休憩時間以外は話す暇もないだろう。


「じゃあ、よろしく頼むぞ」

「はい。野々村先輩も楽しんで」

「それはこっちの台詞だ。カメコを頼んだのは自分だが、何より君にも楽しんでほしい」

「わかりました」


 そんなやり取りをして、俺と野々村先輩はそれぞれ自身の持ち場につく。

 俺は野々村先輩から借り受けたデジタル一眼レフカメラを構えてみる。他のカメコや後ろの観客の邪魔にならないよう、膝を内側に折って撮影する技法は野々村先輩からも言われて習得済みだった。シャッター音も鳴らないようにサイレントモードを実行している。


『間もなくライブ開始です。これ以降の移動や入退場は遠慮いただきますよう、ご協力よろしくお願いします』


 アナウンスが流れ、ライブ会場内の照明がバツンという音を立てて消える。会場全体が暗くなる。それからステージの照明が同じように音を立てて点灯したところで、会場全体から集まったファンの拍手の音が響いた。


『今宵はようこそおいでいただきました。存分に楽しみ、存分に盛り上げていきましょう!』


 ステージ上に、スーツを着た男性が裏から現れマイクを持って会場に語りかけた。この人自体もファンの間では知られている人物らしい。観客席の至るところから指笛や「いいぞ!」と囃し立てる声がステージに向かって投げられて「ありがとうございます!」とその男性も応えた。


『皆様お待ちかね! ドットセブン!』

 司会の男性のトークが三分ほど続いた後に、遂に一組目のグループの紹介が始まった。


 大きな歓声と拍手に包まれて、七人組のグループが裏手から手を振って現れた。カメコ席の他の観客が、すでにカメラを手にシャッターを押していく。俺も焦らず、ゆっくりとカメラを構え直した。


 一人一人、ファン向けに短い挨拶があった後、ステージに曲が流れ始める。その瞬間に、ピシリと場が引き締まるように感じた。

 アップテンポの曲に合わせ、ステージでは七人組の女の子が踊り始める。

 俺はそのうちの一人にフォーカスを合わせ、シャッターをおろした。


 地下アイドルというものを、少し舐めていたかもしれない、と俺はその時思った。


 ステージのアイドル達、観客席のファン、その全てが一体になってライブを盛り上げる様子は、外野の自分から観てもひり付くようでありながら、そこに好きなものに対する熱狂の混じる空気を感じる。カメコ席で彼女たちの晴れ舞台を撮るためにここにいる以上、生半可な気持ちでいることは許されないような、そんな心地がした。


 撮るからには敬意を払え、決して踏み台のようにするなと言っていた野々村先輩の言葉が改めて身に沁みて、俺は気を引き締めてシャッターボタンを押す。

 俺は撮られた写真をその都度確認して、事前に設定したよりも、少しだけシャッタースピードを上げるなどして微調整を行う。


 ステージでは一曲目の披露が終わり、ファンに向けてトークが始まっていた。そのタイミングではカメコ席の観客の多くもカメラを下におろしていたので、俺もそれに倣い、カメラをおろした。この場に集うファンなりのマナーがそこにはあるのだろう。


 ライブが続き、三曲目が始まった頃には、既に俺も次の本命の組のための慣れなんていう目的は忘れて、今この場で輝くように動くアイドル達に魅せられて、吸い込まれるように撮影を続けた。

 野々村先輩の推しだという、二組目のスノーチェンバー以外の楽曲を事前に予習していなかったことが悔やまれる。初めて聞く曲で、アイドルたちもどんな動きをするのか知らない以上、やはりシャッターを押すタイミングが、わかりづらい。


 逆に言うと、スノーチェンバーの曲は自分で踊れるかと言われると厳しくはあるが、どの歌詞でどんなポーズを撮るのか、どのメンバーが歌い、どのメンバーが目立つのかはわかっているので、今よりもっと集中した撮影ができるだろう。


 ステージ上で照明を頭上から浴びて、笑顔で輝く彼女たちの様子を撮影するのは、店でキャストの魅力的な様子を撮るのとも似ている。

 だが、それ以上に周りの観客から繋がる熱気と高揚感が俺にも伝わる。そして俺もまた、この一瞬を撮ってみたいという気持ちに突き動かされて次の写真を撮る。


『今日は来ていただきありがとうございます! ここで一度サヨナラの人も、物販よろしくね!!』


 気付けば最後の曲が終わり、グループのリーダーらしい女の子がマイクを手に、ファンに向けて終わりの挨拶をするところだった。


『休憩時間となります。入退場はスタッフの指示に従い、お手洗い等も譲り合いをよろしくお願いします』


 先ほど登壇していた司会のアナウンスと共に、再びバツンと観客席の照明が点いた。俺は一息ついて後ろの一般観客席を見る。野々村先輩が手招きしているのがわかった。俺は野々村先輩の手招きに従い、一度会場の外に出た。


「どうだった?」

 野々村先輩は興奮気味に俺に尋ねてきた。顔が紅潮し、かなりテンションが上がっているのがわかる。

 以前、野々村先輩や他のサークル部員と一緒に他の地下アイドルのライブに来た時のことを、俺は思い出した。その時も野々村先輩は、普段の様子からは考えられないような甲高い声で応援を叫んでいた。きっと、今回も同じようにしていたのだろう。


「すごかったです。観客とアイドルの一体感というか、熱量を感じました」

「そうだろう! いやあ、君にそう言ってもらえると嬉しいな!」

「でも今のは先輩の推しではないんですよね?」

「推しの一つではある。自分はドットセブンの七人組との付き合いも長いし、大好きだからな。ライブ会場で盛り上がればそれはもう全て推しだ」


 この人、興奮して自分でも何言ってるかわかってないだろ。


「とにかく、次が本命ですね?」

「そうだな。スノーチェンバーはドットセブンと比べてもまだまだ売り出し中のグループ。まさに今ここで、自分達が盛り上がていかなくては!」


 俺は野々村先輩に頷いた。写真の出来なんかを確認してもらうつもりがあったが、今はそういう野暮な時間ではないようだ。


「さて、次はいよいよスノーチェンバーだ。信じてるぞ! よろしく頼む!」

「ええ、もちろんです」


 俺は野々村先輩とパシンと手をタッチし合い、二人で会場に戻った。ドットセブンだけを担当していた観客やカメコが会場から出ていくのと、スノーチェンバーの時間に合わせて入場する新たな観客も確認できた。


『間もなく二組目、スノーチェンバーです! これ以降の移動や入退場はお控えください』


 改めて、そうアナウンスが会場に響く。

 さっきの一組目の時より、少しだけ観客の人数が減っているのが、人気の差を表しているのだろう。カメコの数も俺を入れて五人程度しかいなくなっている。

 そして再びバツンという音と共に会場が暗くなり、ステージが照らされた。


『二組目! スノーチェンバーの登場です!』


 スポットライトが当てられて、三人組のグループが裏手から現れた。ドットセブンの時と同様に、拍手と歓声が会場に響く。

 スノーチェンバーの衣装は、高校の制服のように見えつつも、水色と青を基調とした独特のものだ。スカートの柄や頭につけるカチューシャ、衣装の至るところに、雪の結晶のモチーフが目立つ。キラキラとしたドットセブンとまた違う雰囲気、メンバーのクールな出立ちからも、雪がコンセプトのグループであることがビシバシと伝わってくる。


『みんなー! 今日はよろしく!』


 三人組のうちの一人が観客席に向かって大きく手を振って、ファンに呼びかける。

 ファンからも多くの応援の声がステージに投げかけられて、二組目、野々村先輩の本命推しであるスノーチェンバーの曲の披露が始まった。

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