ライブに向け、ある日の打合せ②

 野々村先輩の撮影を終えると、彼女は撮れた写真を自身のパソコンに転送して、どの写真が良いか、俺と美咲へ一緒に確認するように言った。


「さっきも言ったが、アングルやサイズなんかには文句なしだな。少なくとも自分よりはセンスがある」

「センスというか、慣れです。もうだいぶ撮ってきたので」


 それで言うと、こうして実際にカメラを触って撮り方を理解したとして、慣れないライブでの撮影にはやはり不安が残る。


「野々村先輩、このカメラしばらくお借りしても?」

「もちろん。今の自分が持っていても眠らせるだけだしな」

「ありがとうございます」

「ただし壊すなよ」

「万が一そうなったら弁償しますから……」


 野々村さんと俺は引き続き一枚一枚写真を見ていく。あまりブレも目立っておらず、この分でも問題なさそうに見える。


「ただあれだな。自分の踊っている姿を撮られるというのもこそばゆいな」

「野々村先輩、上手に踊れてましたよ」


 元を知らないので比較してどれほど上手く踊れているかどうかはわからないけれど、複雑な振り付けでも迷いなく動いているのは、何度も何十回も推しのパフォーマンスを観ているが故なのだろう。


「気になるとこはない感じですか?」


 美咲が野々村先輩にそう尋ねる。


「うーむ、そうだな」


 野々村先輩はPCに転送された写真の幾つかを改めて確認し直して、腕を組んだ。

「少し目についたんだが」


 と、野々村先輩はモニターに映る写真を指で示す。


「連写してる中にうまく写りこむことはあるが、せっかくキメているところなのにコンマ秒遅れて手が降りてたり、変なところで撮れているところがある」

「なるほど」


 急に野々村先輩が踊り出して俺の初動が遅れたのもあるが、そもそも曲を聞いたのが俺は初なので、タイミングが掴みづらかったのが大きい。


「どの部分で決めのポーズがくるかは、ある程度知っておいた方がいいかもですね」

「曲の振り付け動画、送るよ」


 早速、野々村先輩から動画のメッセージが俺のスマホに送られた。


「何度か観ておきます」

「ああ、ありがとう。助かる。さて、カメラや曲には慣れてもらうとして、後は当日のスケジュールなんだが」


 野々村先輩はPCを操作して、ライブのポスター画像を画面に映し出した。


「さっきも言ったが、今回は三組のグループが出演する対バン形式。各グループの出番が終わるごとに10分のインターバルを挟む。そこで客の入れ替えが起こったりするな」

「客の入れ替え?」

「自分の推しの番だけ観にくるファンがいるからな」

「ああ、なるほど」

「私の場合はどのグループも応援したい気持ちがあるから全て参加するが、それも割りかし数寄者だな」


 そんな気はしていた。


 俺はポスターに書いてあるライブの開始時刻を確認した。入場開始が午後3時、ライブの始まりが4時。ライブ終わりが6時半とある。


「結構な時間かかりますね」

「三組だから短い方だ。対バンで参加するグループが増えれば、昼過ぎにライブが開始して終わるのは9時過ぎなんてこともある」


「ライブ終わり次第物販、というのは?」


 一緒にPC画面を見ていた美咲が、ポスターの該当部分を指差した。


「文字通りだ。各グループのグッズの販売と、後はチェキだな」


 チェキか。アイドルと一緒に写真を撮って、その場で現像した写真を受け取るアレだ。


「大手のグループだと、事前に指示された通りにチェキを撮って、ほとんど話もできないのが普通だったりするが、今回集まったところだと多分、チェキを撮った後、サインの内容なんかを話すのも含めて1分前後は時間がもらえる」


 そういう一人一人に時間を割いてくれるというのも地下アイドルの醍醐味の一つか。


「私の聞くところによると、握手のみならずほっぺにチューとかもしてくれるとか」


 美咲がそんなことを言う。どこから仕入れたそんな話。多分、店のキャストかなんかに聞いたろ。


 野々村さんは顎に手を当てて、少し考え込んでから答えた。


「そういうグループがいることは否定しない。地下アイドルは激戦区。本人たちも生き残りのために必死だ。自分に言わせれば、大きな度量をもってその必死さを受け取ってこそのファンだな」


 格好いいんだか何なのか。単純に推しのことは何でも許せるだけか。


「俺はそういうのもありだとは思いますが」

「皆が皆、そんな割り切れるわけではないからな。ファンとの距離があまりに近過ぎるのをガチ恋営業と揶揄したり、ファンの在り方もまた魔境だ」


 その辺りは見学店とも似てるかもしれない。あそこは性的な欲望を盛り上げることをむしろ良しとしてはいるが、あくまでそこでのことはパフォーマンスでありフィクションであることを理解することが、客には求められる。

 生身の客を相手にする以上、線引きは必要だ。

 その一方で、客は自分がキャストに認知されたり、特別な関係性になることを喜び、望む。それを店もわかって商売する。


 人の情愛を利用する商売である。芸能にしても風俗にしても金の匂いが染みつき、それに対して良くない者も群がる。片桐さん曰く、今の時代は随分とマシになったというが、どこまでも綺麗なままで、とは決していかない。


「それはさておきだ」


 話が明後日の方向に行きそうだったのを、野々村先輩が咳払いをして引き戻した。


「今回私が撮って欲しいのはスノーチェンバーだが、一組目のドットセブンの回から入るぞ。自分が観たいのが第一だが、君のカメラを慣らす時間にもなるだろうしな」

「確かに、一組目の時に色々試すのは良さそうですね」

「ただし、撮るからには敬意を払えよ。決して踏み台のようにするな」


 野々村先輩が強い口調で言う。流石、地下アイドルというものに対して真摯だ。就活に対してはどうなんですか、というツッコミが喉まで出かかったが飲み込む。それを言うとブーメランにもなるし……。


「三組目はどうします?」

「当然観るぞ」


 まあ野々村先輩が観るなら俺も付き合うか。


「そもそも自分はその後にある物販も参加したい」

「チェキですか?」


 俺の質問に、野々村先輩は頷いた。


「君ももし、ライブで気になった子がいればチェキ券をぜひ購入してくれたまえ」

「誰目線ですか、それは」

「無論、地下アイドルの素晴らしさを布教したいファン目線だ」

「……立派です」


 野々村先輩との当日に向けての打ち合わせは大体がこの時点で終わり、後は普通にいつものように飲み会になった。

 野々村先輩がビールを何本もストックしていたので、俺と野々村先輩で二杯ずつ、美咲が缶半分くらいだけ飲んだので、残りは俺がもらった。


「色々なところにライブで行くと、車があれば便利だと思うことがあるんだが、車で行くと酒は飲めないんだよな」


 野々村先輩が当たり前のことを言う。野々村先輩は、さっきまでデニムパンツだったのにいつの間にかいつものジャージに着替えていた。トイレに行くタイミングで履き替えたらしい。


「野々村先輩、スーツとか着ない職種の方が良いんじゃないですか」

「君もそう思うか? 自分もそう思う。というか働きたくない」


 正直過ぎる本音を漏らすな。


「いつまでも小説書いたり、アイドル追っかけたりしてたい」

「それは俺もそうですが」


 いつかはこうやって馬鹿やってるようなのも、社会に出て、仕事を始めたら難しくなっていくのだろうか。当然、そんなのは自分がどんな未来に進むかにもよるだろうけれど、自分の未来について、具体的な想像はできない。自分の未来は経験したことがないからだ。フィクションのように、ある程度簡略化され、決まったルートを進むわけではない。

 いつもいつでも、自分の人生は行き当たりばったりだ。


「内定とか出てるんですか?」

「内々定までかな。ここで志望する会社を絞っていく奴もいるが、流石に少数派だな。まだまだ色々な会社を受けるよ」


 ただあれだな、と野々村先輩は嬉しそうにビールをあおった。


「東京にある会社に行って、その帰りにライブによれたりするのは良いな」

「そんなことやってるんですか」


 流石に就活に集中しろ、とはやはり言えない。


「先輩は就活もそうですが、小説の方も色々挑戦してみるべきだと思います」


 横で俺と野々村先輩の会話を聞いていた美咲が、俺を窘めるような口調で言った。


「Webのコンテストでは最終選考まで残ったり、そのくらい実力はあるのですから」

「だが、はなから専業作家を目指すというのはリスクが高いぞ? 会社に入るなり家庭に入るなりしても、小説は書けるんだ」


 確かに俺も作家一本で食っていく未来を全く想像したことがないわけじゃない。


「どうですかね。何がなんでも作家になりたい、とかそういう気持ちはないんですよ俺は」


 小説を書くのは楽しいし、色々な経験をしたことでそれが作品の細部に影響するのを自分で見るのも面白い。

 この間も、見学店での経験を基に書いた、違法JKリフレで働くスタッフを主人公にしたノワール小説作品が、どこかの店で働いていた実際の元キャストに見つかって読まれたらしい。その影響で閲覧数が急激に上がって、いつもより多くの感想をもらえたのには物凄くテンションが上がったものだ。


「作家になるならないは私はどうでも良いので、とにかく書いていては欲しいです」

「そっか。わかった」


 やるやらないは俺の勝手だが、そんな野暮なことは言うまい。美咲の言葉は切実だった。その為にこいつがやってること自体には言いたいことが山ほどあるのだが。

 俺もお前みたいなのがいるなら書くという選択肢をなくすことはそうそうないだろうよ。


「君は幸せ者だよ」

「野々村先輩も同じですからね」


 まるで他人事のように言う野々村先輩に対して、俺は言う。いつか内から出るものを書かなくなってしまうことがあるのだとしても、頭の片隅には、お互いに創作の芽を残していたい。そう思うのは、わがままなのだろうか。


「まあ人生は長い。悩み悩んでいけばいいさ」

「絶賛就活継続中の野々村先輩に言われたくないなあ」

「お、言ったな」


 そんな風に三人で先の見えない今後の話もしつつ、俺たちは来るライブに備えて、英気を養ったのだった。

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