ライブに向け、ある日の打合せ①
「よし、じゃあ始めるぞ」
「よろしくお願いします」
「私は当日は参加できませんが、何かお手伝いすることがあれば」
俺と美咲と野々村先輩の三人。野々村先輩が座るリビングのテーブル向かいに俺と美咲が座る。そうして三人で顔を付き合わせ、そうやってライブに向けて打ち合わせを始めるところだった。
野々村先輩の推しのライブまで残り3週間を切った頃。
俺は美咲と一緒に野々村先輩の家に行って、カメラの使い方や当日の流れについて打ち合わせをすることになった。野々村先輩から電話があったその日の部室でも、約束通り野々村先輩と推しの地下アイドルについて話したのだが、俺があまりに無知だと言うことでしっかりと時間を取らせてもらうことになったのだ。
就活は大丈夫なのかと心配にはなるが、本人が問題ないと言うのだから、あまり気にするのはよそう。
俺は最初、高いカメラには不慣れだしいつも仕事でそうしているようにスマホカメラを使おうとしたのだが、それを野々村先輩に言ったら、幽霊でも見たような怯えた顔をされてしまった。
流石にライブ会場でスマホでの撮影は厳しい、というかそもそもスマホでの撮影自体を禁止しているらしい。
「だから、写真撮影は専用のカメラが基本だ。それにカメコ──アイドルの写真撮影をするファンは、カメコ専用の席を買って撮影することになるのが多い」
「え? それは俺ら大丈夫なんですか?」
「ふっ」
野々村先輩は両腕を組んで、不敵に笑う。
「抜かりない。既にチケットは予約済みだ」
「流石ですね」
昔から文芸サークル内でも仕事が早い人ではある。部誌の発行や注文も基本的には全てこの人がプロデュースしており、彼女の任期中は一度も〆切を落としたことがないので評判だ。その代わり、部誌への寄稿が決まった部員は、〆切までに彼女からの怒涛の詰めを喰らうことになるのが我が大学の誇る文芸サークルの日常の一つでもある。
「今回のライブは三組のグループが約30分の出演をする対バン形式。三組なのでスリーマンライブと言うこともあるな」
地下アイドルのライブと言っても、いくつかの形式があり、またグループによっても当然ルールが違うため、応援のためにはまずそのアイドルが何をNGとしているかを把握するのが当然のマナーだという。
「写真撮影そのものがNGというグループも当然少なくない。今回は三組とも撮影OKなので、カメコ席も少し多めだったな。ただ、自分の推しであるスノーチェンバーはまだまだ売り出し中。彼女たちを撮る仲間は少ない。そんなところに君を送り出すことになる」
「そう聞くと怖いんですが」
俺も先輩との打ち合わせまでに、自分でも地下アイドルの撮影やカメコについて色々と調べてはみた。だが、やれカメコは嫌われるだの、安物のカメラで撮るなんて失礼だの、所詮素人の戯れ事だの、マイナスな意見がたくさん目に飛び込んできて、見るだけでも気分が落ち込んでしまった。
「大丈夫です、先輩ならできます」
俺の横で、美咲がぐっと拳を握った。後輩の信頼が厚い。嬉しいが重い。
「そして撮影に使ってもらうカメラはこれでお願いしたい」
そう言って、野々村先輩はカメラを取り出した。デジタル一眼レフカメラだ。見た目こそ光沢が色褪せて見てるものの、かなり高価なものであることを推測できる。
「これ、いくらするやつなんですか?」
「これは中古で十万くらいで手に入れた」
「うっ、わ」
十万……。それも中古で、ということは実際にはその何倍かの値段か。
カメラなんて拘ろうとすれば、本体からレンズなど、凝り始めたら再現なく予算がかかる。俺も昔、一眼レフカメラを買おうとしてその値段の高さに目を回して購入を断念したことを思い出す。
「ライブのカメコだと、カメラをレンタルしている者も多いな」
「レンタルとかあるんですね」
「そもそも今は何でもサブスク、リースの時代だぞ。そりゃある」
なるほどな。
「自分の場合は、いちいちライブの度に貸し出しの申請をしたり、サブスクでのレンタルをするより、自分で買った方が色々便利だと思って、ギリギリ手の出せるものを購入した次第だな」
「お店のキャストとかもこれで撮ったらもっと良い写真になるんですかね?」
美咲も興味深そうに、野々村先輩の持つ一眼レフカメラを見る。
「どうだろうな」
俺は首を傾げる。そう簡単な話でもないだろう。
「スマホってだいぶ補正かかるから素人の俺が撮ってもある程度綺麗に写るってのはあると思うし」
「慣れるのに時間がかかるのは確かだと思うぞ、ほら」
野々村先輩が、カメラを俺の前に置いた。
俺はおそるおそる野々村先輩のカメラを手にとってみる。思ったよりも軽く、シャッターをおろす際の取り扱いに四苦八苦する、ということはなさそうだ。
「この辺で設定を弄る」
野々村先輩が身を乗り出して、露光調整や絞り、シャッタースピードなど、設定変更のできるカメラの機能をレクチャーしてくれた。どこで何を弄ることができるのかわかれば、後はスマホのカメラと設定は似たようなものに感じる。というか、スマホカメラの方がこちらに似せているのだから本来の感想とは逆だろうが。
「一枚撮ってみていいですか?」
「もちろん」
「先輩先輩、じゃあ私撮ってください」
美咲が自分の顔を指差してそうアピールする。
「でも野々村先輩のだし」
「自分は構わんぞ。可愛い後輩を撮ってみたまえ」
「ですって、先輩」
野々村先輩の言葉に美咲は俺の方に向き直って両手でピースした。多分、俺と二人だったらもっとふざけたポーズをしてくるんだろうが。というかなんか表情つけろ。
俺は美咲にカメラを向けた。露光やズームなど色々な調整は結局のところ、実際に撮ってみないことにはわからない。
パシャ。スマホのカメラとは違う音が鳴る。
「撮れました?」
「多分。これ、撮った写真どこで観れます?」
「どれ、貸してみろ」
俺は野々村先輩が差し出した手にカメラを置く。野々村先輩は立ち上がって俺の横に来ると、再生ボタンの場所と写真の確認の仕方を教えてくれたので、それに従って今撮ったばかりの美咲を表示した。
「お、よく撮れてるじゃないか」
カメラの背面モニターに、無表情で両手をピースにした美咲が写っている。事前に野々村先輩が設定した状態で、背後はぼんやりとボヤけ、美咲の顔にしっかりとフォーカスが当たって強調されている写真になっている。スマホカメラの方が調整が容易というメリットもあるだろうが、確かにこのカメラで撮ったからこその被写体の存在感というのはあるように感じた。
「ただ、前も言いましたけどライブの場合、相手が動くじゃないですか? 野々村先輩もそれで被写体ブレが起こるんでしょうし」
今ここで綺麗な写真を撮れたとしても、アイドルのダンスのように動く相手を撮るのも、ライブ会場の証明を考慮した設定に合わせてシャッターを押すのも、おそらくはだいぶ勝手が違う。
「そうだな。その辺は本番で色々試してみる他ないところもあるかもしれんが」
野々村先輩は自分のスマホを取り出して、音楽を再生した。流した曲の頭はアップテンポのまさにアイドル曲といった感じで、いきなりこれが外で流れてきたらビックリすると思う。
「これ、推しの曲ですか?」
「ああ。ちょっと、自分が踊ってみる。こっちこそ下手の横好きだが、振り付けは頭に入っているからな」
と、野々村先輩は立ち上がって俺から少し離れたところに立つ。この人、やっぱりスタイル結構良いんだよな、とポロシャツにデニムパンツという格好で、腰に手を当ててビシッとしたポーズをする野々村先輩を見て思う。
脚が長く、流線型のシャープな体型で立つ彼女のようなのは、少なくとも片桐さんの店にはいないタイプだ。
曲が盛り上がっていき、ボーカルが入ってきたところで、野々村先輩が体を動かし始めた。
キレキレの動き、とまではいかないものの、迷いのない大胆なダンスを恥じることなく披露する野々村先輩に俺は一瞬見惚れて、それから慌てて椅子から立ち上がって野々村先輩の前にしゃがんでカメラを構えた。
激しく動き回る相手だと厳しいと思っていたが、野々村先輩はあまりその場から動いたりはせずに基本的には両腕と腰回りを中心に、曲に合わせてポーズをしたり、時に複雑な手の動きで振り付けをする。実際のアイドルの動きがどれほどのものかはわからないが、これならキャストの撮影とそう変わらない構え方で良さそうだ。
野々村先輩の動きを見ながら、俺はシャッターをおろしていく。パシャパシャ、とデジタル一眼レフ独特のシャッター音の心地よさを感じて、普段の撮影の時と同じように連写機能なども利用しながら、写真を何枚も撮っていく。
曲が終わったところで、野々村先輩は「ふぅー」と一息つく。それからその場にしゃがんだ姿に、俺は思わずシャッターを押した。
「待て。今のはなしだ」
「え、あ、すみません、いつもの癖で」
俺はカメラをおろして野々村先輩に頭を下げた。
「気をつけてくださいね、副部長。カメラ持った先輩、すごい変態ですから」
美咲が呆れたような物言いでため息をついた。何度も言うようだが、お前に言われたくないんだよ、その手のこと。
野々村先輩は「いやいや」と首を振る。
「それでこそ、だ。カメコに大事なのは、撮るべき推しの姿をより美しく、より可愛く写そうという変態性! そういう意味ではやはり、君を選んで正解だった!」
変な持ち上げられ方をされた。やめてくれ。
「で、肝心の写真はどうかだが」
「待ってください」
俺が再生ボタンを押して録れた写真の確認をしようとすると、野々村先輩が立ち上がって背後に移動し、俺の肩から顔を出してモニターを覗き込んだ。
美咲も椅子から立ち上がり、反対側の肩から同じようにカメラを覗き込む。
二人とも近い。
俺はモニターに映る写真を、一枚一枚見ていく。
「おお、良いぞ!」
野々村先輩がそれを見て、俺の肩に手を置いた。さっきまで踊っていたからだろうが、少しだけ湿っていて、汗の匂いがふわりと漂う。
「どの写真もしっかり真ん中にとらえてるじゃないか」
「その辺りは流石に」
もう総合して何枚写真を撮ってきたのかわからないが、被写体に向かってどの位置でカメラを構えたら良いのかくらいは、ある程度体が覚えている。
「どうですか、先輩の腕は」
反対側の肩から、さっきまで俺のことを変態呼ばわりしていた美咲が、自慢げに鼻を鳴らした。
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