第25話 何でも見通す天使の神眼

 マルガレータを殺した犯人はまだ捕まっていない。ジェラールはおどろきに揺れたのち、次第に眉根を寄せていく。犯罪行為を見ていたというのなら、報告するべきだ。


「なぜ報告しなかった⁉」


 ヴィクトルはバツが悪そうに目を伏せた。


「ふたりの護衛とシャルルを捕まえようとしましたが、証拠の鎌と一緒に消えてしまって……。だから、信じてもらえないと思ったんです」


 当のシャルルはポカンと口をあけるしかない。だって“悪魔の武器”は人を殺せないのだから。しかもマルガレータの死亡を聞いたのは、連日のお茶会で真ん丸になっていたころだ。ソファでゴロゴロしていた記憶しかない。


「失礼ながら、王太子殿下。もう少し詳しくお話しいただけませんか?」


 セラフィンは微笑みを崩さない。何か見えているのだろうか。



「あの日、シャルルは護衛もつけずに、こそこそと北塔へ向かっていたんだ。やけに軽装で……、あまりにも怪しいから跡をつけた」


 背負っていた大袋には錠前をあける道具が入っていたようで、北塔へ侵入したのち、見事な手際でマルガレータの牢内に押し入った。


 虚ろな目で見上げたマルガレータを睥睨へいげいし、大袋から黒い鎌を引っぱり出したかと思うと、いきなり無言で切りつけた。


(なんで“悪魔の武器”を袋から……?)


 牢から出てきたところを捕まえようと考えたヴィクトルたちだったが、シャルルは鎌を石壁に差し込みながらスルスルと上り、シャルルがギリギリ通り抜けられる小さな窓から姿を消した。慌てて塔の外へ出たが、近くにいた使用人はシャルルの姿を見ていなかった。


(ムリムリ、あのポンポコ腹で石壁なんか登れないわ!)


 実際には出っ腹すら関係なく無理だろう。どこから突っ込めばいいのかわからず、シャルルは呆然と立ち尽くす。

 聞き終えたのち、セラフィンがシャルルの前にやって来た。


「シャルル、“悪魔の武器”は出せる?」

「う、うん」


 右手にあらわした黒い鎌は、稲刈りに使えるかどうかというほど細く頼りないものだった。ジェラールたちに見えるよう、シャルルの隣にまわったセラフィンが、その刃先に手を伸ばす。


「「――⁉」」

「セラフィン⁉ 何を」

「ご覧のとおり、悪魔の武器は人間の体を素通りします。壁に引っかけることもできません」


 さすがは【天使】、悪感情などまったく吸い取れない。

 何度も手をくぐらせながらセラフィンが続ける。


「悪魔の武器が奪えるのは欲望とギフトだけ。人を殺すことは不可能です」

「そっ、そんな……でも、俺は確かにこの目で見たんだ!!」


 必死な様相のヴィクトルにくるりと背を向け、セラフィンはカルメを冷たく見下ろす。


「司教、言うべきことがあるでしょう?」

「…………」


 カルメは笑顔で肩を竦め、無言を貫く。ふいにセラフィンの瞳が曇った。心配になったシャルルが手を伸ばしたところで、セラフィンの瞳が水色に輝く。途端にカルメの体が勢いよく――吹き飛んだ。


「ヘブッ⁉」


 セラフィンがカルメに近付くたびに、カルメの体が転がっていく。

 シャルルは伸ばした手を、あてどなく彷徨わせた。


「……せ、セラフィン?」

防御壁シールドの使い方、やっとわかったんだ」


 なんていい笑顔だろう。どうやらシールドで殴ることを覚えたようだ。しかしながらカルメはよろこんでおり、押さえるべき衛兵たちは腰が引けている。石コロのように蹴り飛ばされて、カルメはとうとう元の位置まで戻ってきた。


「ウ、ウフフ。仕方ありませんね。サービスには応えなければ」


 天使に構ってもらえたのが余程うれしかったとみえる。

 恍惚とした表情を消し去るように、カルメはひとつ咳払いをした。


「ヴィクトル殿下がご覧になったのは、【擬態ぎたい】ギフトでシャルル殿下に姿を変えたジョエルです。ヴィクトル殿下が通る時刻に合わせて誘い出し、見せつけました」

「――な⁉」

「正義感のお強い殿下は、まんまと我々の策にハマって……ブフッ」

「そんな、じゃあ……俺は……」

「ええ、ヴィクトル殿下。あなたは無実の妹を殺そうとしたのですよ。フッ、フフ。ですが、悪魔は殺されて当然の存在。殿下もそうおっしゃっていたでしょう? フフフ」


 カルメは貴婦人のごとく口もとに裏手をあてて笑い、ヴィクトルは真っ青になって膝から崩れ落ちた。

 ジェラールの厳しい視線が背中を突き刺す。


「ヴィクトル、誰がどんなギフトを持っているかは関係ない。それをどう使うかが問題なのだ。裁判もせず人を裁くことがいかに愚かなことか、理解できたか?」

「……はい」

「事実確認を怠ったうえ、妹を毒殺しようなどと、本来なら廃嫡にすべき事態だ。しかし跡目はお前しかいない。これからは甘やかさないから、そのつもりでいろ」

「……はい、父上」


 ジェラールは立ち上がると、抜け殻のようになったヴィクトルには目もくれず、シャルルの前に降りて来た。目線を合わせるように片膝をつく。


「へ、陛下⁉」

「シャルル、私はまた間違えるところであった。愚かな父を、どうか許してほしい」

「お、お顔を上げてください! 陛下」

「本当にすまなかった」


 ジェラールは頭を下げ続け、シャルルはやり取りした会話から答えを探した。


「ゆ、許します! ですから、お顔を上げてください」


 これではダメなのか。胸に手をあてたまま、ジェラールの頭は上がらない。おそらくもうひとつ、シャルルがあえて言わないでいる言葉がある。玉座の間で呼ぶべきではない呼称が。


「お願いです。……お父様」


 やっとおもてを上げたジェラールは、ホッとしたように眉尻を下げた。次いでシャルルの隣に立つセラフィンにも微笑む。


「天使殿もありがとう」

「……お父様、セラフィンです」

「そうだったな、セラフィン殿。これからもシャルルのよき友であってほしい」

「もちろんです、陛下」




 事態の収束に乗り出したジェラールは、大司教を呼びつけ、今回のことを詰め寄った。しどろもどろの大司教をやり込め、カルメ司教にセラフィンたちの【束縛】契約を解かせた。


 人質になっていたジョエルとピピの身内も城で引き取ったのだが、これには理由がある。

 良くも悪くもジェラールは為政者であった。ピピとジョエルを処刑しない代わりに、今度は王家に忠誠を誓わせたのだ。


 ジョエルは本来の姿――女性騎士として、シャルルの護衛に戻った。【擬態】の能力は実物大の人間になれるが、運動能力などは本体に依存する。だからシャルルのような子どもの姿になっても、石壁を登る芸当ができたのだ。鍛え上げられたジョエルの体はたくましくも美しかった。


 ちなみに、ジョエルの弟が城にやって来た日、シャルルは間違えて声をかけてしまった。


「ジョエル、こちらは……うん? 弟がいるって言わなかったっけ?」

「おそれながら殿下、こっちは弟のジョセフ。アタシがジョエルです」


 なんと双子だった。ジョエルは弟の姿に擬態して王城に勤めるよう、カルメから命じられていたらしい。植物関連のギフトを持つジョセフは、庭師として城に勤務する。



 ピピもまたシャルルの侍女に戻ったが、王家の影となり不在にすることもあるからと、アメリのほかに新しくイネスという侍女がついた。ベルティーユについていた侍女だ。


 チョコレート色の髪と瞳。白い肌にはソバカスが散る、楚々とした女性で、的確にシャルルの胃袋をつかんでくる天才だ。ギフトは食べ物に関することかと思っていたが、動物を手懐けるのが得意なのだと教えてくれた。


 そんなイネスに対して、拳を握ったピピがわなわなと憤る。


「イネス様っ! またこんなに食べさせてっ」

「あらぁ大丈夫よぉ。ピピがなんとかしてくれるでしょう?」

「まっ、まぁ……そうですねっ」


 おっとりした口調でおだてられ、ピピは毎度言いくるめられている。

 平和なやり取りを眺めつつ、シャルルが口を挟んだ。


「ピピ、妹さんはいつ紹介してくれるの?」

「まだまだっ、行儀が身に付いてからですっ」

「噂ではぁ、ピピよりも、お行儀がいいみたいですわよぉ?」

「いっ、イネス様っ⁉」

「ふふ。そうなんだ」


 ピピの妹はメイド見習いとなった。姉と一緒の職場で働けるとあって、張り切っているらしい。見習い期間が終われば、シャルル付きの給仕メイドになる。


 カルメは北の塔に幽閉された。大司教が引き取ろうとしたが、国王が許さなかった。いまだに交渉は難航し、カルメへの尋問ができないでいる。


  人道的でない尋問が行われる可能性がある、と難癖をつけられているからだ。牢の前では、城の警備兵と教会から派遣された護衛が火花を散らしている。おかげで政務官の【自白】ギフトは使えないようだ。



 指導者を失ったセラフィンは、教会本部へ連れ帰られてしまった。それからずっと手紙のやり取りを続けている。カルメといたときよりも快適な日々を送っているらしい。何度も読み返しては頬を緩ませた。


「シャルル殿下っ、またお手紙ですよっ」


 その言葉にアメジストの瞳が輝いたのを、ピピは見逃さなかった。

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