第26話 過保護な天使はまだ無自覚

 意地悪くもピピは二通の手紙を掲げ、シャルルの目が迷いなく片方の手紙に動いたのを見るや、満面の笑みを浮かべた。シャルルは咳払いをしつつ、二通とも引ったくる。


 一通はマリエルからの謝罪文だった。カルメが断罪され、領地に隠れる必要はなくなった。直接謝りたいが、王城に出向くにはまだ勇気がいるとのことだった。


 二通目の手紙はセラフィンからだ。

 シャルルは封を切りながらも、興味深く見守るピピにうろんな眼差しを向ける。


「ピピ、何度も言うようだけど、セラフィンはただの友達だから」

「わかっておりますっ、永遠のプラトニック・ラブ……なんて切ないのっ」


 ――全然わかってない。

 ピピが変なことを言うから、こんなに頬が熱くなるのだ。


 手紙には慈善活動での出来事や、セラフィンを『人』として扱ってくれる信者が増えたことが書いてあった。人ならざる『天使』として崇めたいカルメは、きっと泣いて悔しがるだろう。ざまぁみろだ。


「ん? やっと<寛容と慈善>の能力が結実したのね!」


 これでセラフィンはギフトの書き換えや付与の幅が広がった。十歳で判明したギフトが教会の教義に反するものであっても、『死』か『服従』かを迫られることはないはずだ。

 最後に、『近々会いに行く』と結んであった。シャルルの心が浮き立つ。


「でも、近々っていつだろ……?」


 首をかしげたシャルルの耳に、窓を叩く音が聞こえた。警戒したピピが身構えている。だがすぐに、その後ろ姿は窓へ向かい、白い鳥を招き入れた。


 純白の美しい鳥が、シャルルの頭上を旋回し、舞い降りるとともに姿を変える。


「セラフィン⁉」

「シャーリィ、会いたかった」


 はにかんだ笑顔で言われ、シャルルの鼓動が高鳴る。十三歳を過ぎたころから、心臓の動きがどうにもおかしい。


 慈善活動に参加するようになったセラフィンは、中性的な児童からどんどん男の子に向かっている。鍬を振る腕には筋肉がついた。身長はとうにシャルルを追い越し、頭ひとつ分も離れた。


(手足の長さも違うし、肩幅だって……。同い年のはずなのに)


 そこまで考えて、不躾に眺めていることに気が付いた。

 苦し紛れにそっぽを向く。


「せっ、せめて、訪れる日時はあらかじめ知らせてほしいわ! お客様を迎える準備ってものがあるのよ?」

「そうですよっ、セラフィン様。好きな人の前では、キレイでいたいのが乙女心なんですからねっ」

「「――すっ、好き⁉」」


 シャルルと目が合った途端、セラフィンが胸を押さえてうめき出す。


「うっ……胸が……苦しい」

「セラフィン⁉ どうしてなの⁉」


 天使が堕天する条件は、<純潔>を失うこと、そして【悪魔】の接吻を受けることだ。普通のふれあいは問題ないと本に書いてあったし、ましてや言葉だけで堕天するはずがない。


 それでもシャルルは慌てた。


「ち、違うの! ええと……そう! 友達としての好きであって」

「…………、ともだち」


 たちまち表情をなくしたセラフィンの瞳が、光を失っていく。

 今度は何がいけなかったのだろうか。


「あわわ……あ、そうだ! セラフィンに相談したいことがあるの」

「僕に? 何かな?」


 セラフィンの顔がパッと輝いた。胸をなで下ろしながらも、これから話す内容が重いだけに、良心が痛む。

 窓際のテーブルセットに誘い、向かい合って座った。


「……わたしね、【悪魔】のギフトを育てようと思う。これはベル姉様の提案でもあるんだけど」


【悪魔】のギフトを持っていることは、母セリーヌと姉ベルティーユにも共有された。ふたりはおどろきつつも、シャルルを受け入れてくれた。しかもベルティーユは人のために役立ててはどうかと提案し、ジェラールも賛同した。


 それからというもの、暴れる罪人から欲望を抜く仕事を受けるようになった。失神から目覚めた罪人たちは、大人しく聴取を受けるという。


 “破滅の樹”は枯れかけていても、ギフトレベルは下がることがないから、欲望を吸った“悪魔の武器”はすぐに成長し、実がなるのも早かった。

 いまのところ、相手のギフトレベルが高ければ奪えないけれど、できればギフトを奪わずに、欲望だけを吸い取れないか模索中だ。


「今回のことで気付いたの。奪うことは悪いことだけど、奪うことで助かる人たちもいる。それこそが、【悪魔わたし】の役割なんじゃないかって」


 真剣な表情で聞いていたセラフィンが、目を細める。


「……そう。僕もギフトレベルを上げるようにがんばるよ。僕たちが目指すものは同じだね」

「うん!」


 にっこりと笑い合ったのち、ふとセラフィンが瞳を揺らす。


「あの、シャーリィ。君のギフトは……」

「ん? なぁに?」

「あ……いや、そろそろ加護が切れるころでしょう? だから急いでやって来たんだ」

「そんな、いいのに……」


 セラフィンは四ヶ月に一度はやって来て、【幸運(小)】ギフトを【幸運(最大)】にしていく。そのたびにシャルルは「もう大丈夫だから」と断るのだが、セラフィンは決して譲らなかった。


 いまも拗ねたように首を傾け、猫っ毛な銀髪がふわりと揺れる。


「僕と会うのは……イヤ?」

「そっ、そうじゃないわ! 教会の仕事が忙しいだろうと思って」

「シャーリィ。君が死にそうになったとき、僕がどんな気持ちだったか、わかる?」


 サファイアの瞳が、青みを色濃くしていく。

 シャルルは風が起きそうなほどブンブンと頷いた。


「わ、わかってる! 心配かけてごめんなさい」

「うん。君に加護をかけるのは、僕の心を正しく保つためでもあるんだ。覚えておいてね」


 セラフィンの瞳はころころと色を変えるようになった。海底のような瞳に焦ったりもするけれど、人形みたいな天使よりは断然いい。

 シャルルは頬を緩ませながらお茶を飲む。セラフィンの瞳が、何かを迷うように揺れていたことには気付かなかった。



 ***


 シャルルの姉ベルティーユが十七歳になり、イヴェール王国の第二王子とやっと婚約が決まった。今日は盛大な婚約パーティーが催される。

 我が国の成人は十六歳。まだ十五歳のシャルルは夜会に参加できない。パーティーのはじめに顔を見せたのち、すぐに退散する予定だ。


「だからアメリ、そんなに気合い入れなくても……」

「なりません! 殿下もよい婚約者を見つけなくては」

「ハァ……」


 盛大に嘆息し、もう何も言うまいと身を任せる。今日は父王から仕事を受け、ピピは不在。代わりにアメリとイネスがシャルルを飾り立てる。


 十五歳にして出るところは出て、ピピにより引き締められた体はまさに小悪魔。その体を惜しむように、淡いライラック色のドレスを身にまとう。ラズベリー色の目立つ髪は緩く結い上げ、ライラックの花飾りを散りばめた。


「ほう……まさに、春を告げる妖精ですわ! セラフィン様にもお見せしたかったですわね」


 四ヶ月ごとに会っていたセラフィンだが、巡礼に赴くとの知らせを受けてから、もう五ヶ月が過ぎた。南方の国を転々としているらしく、シャルルが送った手紙は教会本部で止まっているようだ。一方通行な内容の手紙が、ポツリポツリとやってくる。


「まだ帰って来ないのかしら……」

「お寂しいですわねぇ」


 イネスにも生暖かい目で見られ、シャルルは頭からセラフィンの美しい顔を消した。


「別に……寂しくなんかないわ! もう行くわよ!」



 大広間へ入場するための王族専用扉の前には、談笑するベルティーユとランバートの姿があった。

 ベルティーユの、白地に青をアクセントにしたドレスは、サファイアのネックレスと相まって目にも鮮やかだ。ランバートの瞳を意識したものだろう。


 黒髪がサラリと流れ、かき上げたランバートがシャルルに気付く。


「ん? その髪色……まさか、シャーリィなのか?」


 相変わらずストレートな物言いだ。顔が変わるほど太っていた記憶はないのだが。

 こめかみに青筋が立たないよう、努めて平静を装う。


「ご無沙汰しております、ランバート王子。シャルルでございます」


 スッと膝を折ると、ランバートからため息が漏れた。


「所作もなかなかのものだ。婚約者は決まったのか?」

「いえ……まだ」

「惜しいな。こうも化けるとは」

「はぁ……」


 この王子、これから自身の婚約パーティーだとわかっているのだろうか。後ろに立つベルティーユの笑顔が作り物めいている。非常によろしくない空気だ。


(だっ、誰か助けて……)

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