第19話 救いの手は神か悪魔か

 事件から一週間が経ち、マリエルから聞き出せたわずかな情報を、護衛のアルマンが教えてくれた。


 きっかけは、見知らぬ女官からいきなり話しかけられ、“お仕置き部屋”の話を聞いたことから始まった。

 シャルルを温室の奥――物置部屋へ誘い込んだあと、逃げようとしたマリエルの後頭部に痛みが走った。次に目をあけると、まわりを火で囲まれており、助けを求めて叫んだ。その声に気付き、火中に飛び込んで来たのが庭師のティモンだった。


 マリエルを抱えてなんとか脱出を試みたが、すっかり炎に囲まれて退路を断たれた。逡巡したティモンは、何を思ったのか、いきなりシャベルで穴を掘りはじめたという。

 マリエルの意識はそこで途切れ、次に目をあけたときには、焼け落ちた温室の中におり、飛び立つ天使の姿を目にした。


「――以上が、マリエル嬢から聞き出せた情報です」

「マリエル嬢をそそのかし、襲った者がいるのね?」


 マリエルは温室に戻って来たわけではなかった。ずっと温室の中にいたのだ。気付かなかったことが悔やまれる。


「はい。犯人は、ピピが見た女官だと思っていたのですが……」


 ピピのほかにも、大きな壺を倉庫から運ぶ姿を見た者がおり、女官はすぐに見つかった。だが本人は、まったく身に覚えがないと否認した。その日は非番で、城下町に降りていたという。

 それを裏付けるように、聞き込みをした警備兵からは『事実である』との報告が上がり、捜査は難航している。


「ねぇ、マリエル嬢は本当に、自ら飛び降りたのかしら?」


 シャルルより少し背が高いとはいえ、手すりの高さはマリエルの肩まである。自分から身を乗り出さなければ落ちるわけがない。それゆえに、シャルルを閉じ込めた罪悪感から飛び降りたと結論づけられた。


 アルマンは苦い顔で続ける。


「現状、そのように判断するしかありません」

「そう……よね」


 これ以上はどうすることもできず、結局捜査は打ち切り。

 社交シーズン中にもかかわらず、バロワン伯爵夫妻は悲しい事件から逃げるようにして、領地へ引き上げていった。



 ***


 悶々もんもんと過ごしていたある日のこと。ピピが申し訳なさそうに頭を下げた。


「シャルル殿下、一週間ほど留守にすることをお許しくださいっ。それとっ、アルマン様のそばから離れないでくださいねっ?」


 心配性だなと思うけれど、あんな事件があったのだから仕方がない。シャルルは素直に頷いておく。


「わかったわ」

「代わりに、こちらのアメリ様が侍女に就きます。けどっ、護衛の役割はできませんからねっ?」

「はいはい」


 相変わらず、ピピの言葉遣いはいい加減だがわかりやすい。敬称に“様”がつくのは貴族で、“さん”とつけば平民だ。主の前では呼び捨てにするものなんだけど。


 ピピは教会からこの仕事を斡旋あっせんされており、一年に一度、教会本部に顔を出す義務があるらしい。王城からだと往復十日はかかるはずだが、ピピは一週間で戻ってみせると豪語した。


「ピピ、少しは羽を伸ばしてきたら?」

「そんなこと言ってぇ! 私がいないあいだにお菓子を食べるつもりでしょっ⁉」

「う……」


 ここのところ、気落ちしたシャルルを見舞い、ベルティーユがたくさんのお菓子を持ってくる。シャルルも不安からつい食べ過ぎてしまい、女官長のニネットに節制を申し渡されたのだ。

【悪魔】のギフトで自分の食欲を刈り取れないのがつらい。ピピのスペシャルマッサージでなんとか体型を保っている……はずなのだが。


「このぷにぷにほっぺは癒やしですけどっ、ニネット様のお叱りはまっぴらごめんですっ! ニコニコ顔のお説教、こわいんですからねっ」

「でも、ピピのマッサージでかなり痩せたと思うの」

「王太子就任パーティーのドレス、着てみますかっ?」

「……、よくわかったわ」



 ピピが出かけたあと、見計らったようにベルティーユがやって来た。その後ろに立つ侍女たちが、両手にアフターヌーンティーのトレーを掲げている。


「さぁ、シャーリィ。お茶会しましょう?」


 歌うような声音でニッコリと微笑まれたら、シャルルは断れない。貴族令嬢であるアメリは早々に白旗を揚げて部屋の隅に控えた。ピピが強く断れるのは、教会という後ろ盾があり、王家ですら簡単には首にできないからだ。


「やっとピピがいなくなって清々したわ! 妹と楽しくおしゃべりしたいだけなのに、口うるさいんだもの」

「あはは……」


 そうだ。お茶とおしゃべりだけを楽しめばいいのに、お菓子に手を伸ばすシャルルがいけないのだ。それにしても、目の前に並んでいるのはシャルルの好物ばかり。なんという苦行だろうか。


 さまざまな種類のワッフルサンド、濃厚そうなショコラのテリーヌ、イチゴのミルフィーユは生クリームとカスタードクリームが、


「見た目だけでなく、味の黄金比を極めて……ハッ⁉」


 眺めていただけのはずだったのに、いつの間に口へ運んでいたのだろうか。


「おそるべし、お菓子の魔力!」

「ぷっ、ふふ。シャーリィったら、お菓子に魅了されちゃったの?」

「笑い事ではありません、ベル姉様。三ヶ月前に着ていたドレスが入らなくなったんですよ?」

「あのドレスは細すぎたでしょう? これくらいでちょうどいいのよ。だけど、体調を崩すようなら、考えなければいけないわ。どこか悪かったりしない?」

「ええ、まったくもって健康です!」


 自慢げに胸を張ると、ベルティーユは顔を引きつらせた。


「吐き気とかも……ぜんぜんナシ?」

「はい!」

「今日はお化粧してる?」

「いいえ?」


 衛兵から奪った【胃腸強化(中)】ギフトのおかげだろう。いくら食べても消化してくれるが、不要な栄養素までしっかり吸収してくれるのが悩ましい。

 ベルティーユは少しあきれた顔をしている。


「そ、そう……。じゃあ、もっと食べるべきよ! シャーリィは丸いほっぺがかわいいんだから」

「そ、そうですか? えへへ」


 気をよくしたシャルルは、ワッフルサンドに手を伸ばす。

 口に入れる寸前、ベルティーユがため息をついた。


「ハァ、シャーリィはいいわよね。私なんて食べても全然太らないの」

「むぐっ⁉」

「この体、ちゃんと成長するのかしら? まるでカッティングボードみたいだわ」

「ごふっ……ど、どういう意味ですか?」

「出るとこ出てくれるか、心配なのよ」


 王妃セリーヌのスレンダーボディを受け継いだベルティーユは、あまりお胸が育たなかった。でも決して、カッティングボードまないたなどではない。


「こ、これからですよ! まだ十二歳なんですから」

「……それもそうね」


 自分のことを言われたわけでもないのに、シャルルはもうお菓子が喉を通らなかった。パトリスが愛人を作ったのは、これが原因なのだろうかと頭を抱えた。



 その三日後、予期せぬふたつの事態に見舞われた。ひとつは、マルガレータの死。牢内で息絶えていたと、アルマンから報告を受けた。何者かに殺害されたようだと。これに対してはあまり感情が動かなかった。


「わたしの母は王妃陛下だから」と答えれば、アルマンは寂しげな表情で引き下がった。シャルルが強がっていると思い、同情したのかもしれない。



 一番の問題は、もうひとつの事態についてだ。

 アメリにもう一度聞き返す。


「イヴェール王国の第二王子は……いつ、ご到着ですって?」

「すでにご到着されております! ですから早くお着替えを」


 イヴェール王国は我がロートンヌ王国の北に位置する隣国で、首都が近いため何かと交流がある。とはいえ、国賓の来訪はかなり前に決まっているはずだが、アメリもたったいま知ったらしい。


「こんなことは初めてです。女官長に伝えて原因を調査中ですわ」

「そう。でもなんでこの時期に……」


 そこでふと、ヴィクトルの王太子就任パーティーにイヴェールが欠席したことを思い出す。遅ればせながらお祝いにやって来たのだろう。それに第一王子は病弱だと聞く。イヴェールの王太子は第二王子が継ぐという意思表明かもしれない。


 国際情勢はさておき、シャルルの心配事はそこではない。


「まずいわ。入るドレスが……しかない」


 マルガレータが散財した負い目から、ドレスはできるだけ新調しないようにしていた。ただでさえ成長期の子どもはすぐに着られなくなるのだから。

 ともあれ、普段着で出席などすれば王家の恥。いまはピピもいない。脂肪をなくすギフトなど、そんな都合のよいギフトは聞いたこともない。


「どうしたらいいのっ⁉」


 そこへ、予期していたかのように、ベルティーユ付きの侍女イネスが訪れた。手には一枚のドレス。色こそグレーで地味だが、そこそこ華があり、胸まわりのフリルがうまいことお腹まで隠してくれそうだ。


「お下がりで申し訳ありませんわぁ。でも『これなら着られるのではないか』とベルティーユ殿下が仰ってぇ」

「ベル姉様……神だわ!!」


 よろこぶシャルルの姿を、アメリはいぶかしげな表情で見つめていた。

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