第18話 ピピのギフトと女官の正体

 王城の東にある礼拝堂には、薄ぼんやりと明かりが灯って見える。

 一番に事情聴取を終えたピピは、「先に戻る」と告げて足早にここへ来た。


 カルメ司教に呼ばれた場合、昼間でもなければ正面玄関から入ることはない。裏手の大木から屋根を伝って鐘楼しょうろうから侵入する。誰にも顔を見られないよう、黒いフード付きマントに身を包んで。


 礼拝室の祭壇では、日課のごとく天使をあがめるカルメ司教の姿があった。今日はピピを呼んだためか、翼を広げた天使には白い衣が与えられている。はじめて見たときには震撼しんかんした。こんなの、虐待以外の何ものでもない。


「……お呼びでしょうか?」


 ピピに気付いているはずなのに、カルメは天使を一心に仰いでいる。こうなったら長丁場になるのが常だ。しかし、ピピにそんな時間はない。シャルルの事情聴取が終わる前に部屋へ戻っておかなければ。


 再び声をかけようとしたとき、祭壇横のドアがひらき、ひとりの女官が入って来た。あれはピピが消火を頼んだ女だ。警戒して構えると、カルメが立ち上がった。


「セラフィン、部屋へ戻っていなさい」


 微笑を貼り付けた天使は、頷くと同時に翼を消し、女官が支えるドアから出て行く。いつも見る顔だなと思いつつ、ピピはその姿を目で追った。

【天使】のギフト持ちは人間とは違う、本物の天使なのだと思っていた。それが間違いだと気付いたのは今日、シャルルと一緒にいるセラフィンを見てからだ。


『意識のない君を見て、僕がどんな気持ちだったか、わかる?』


 心配そうな表情、シャルルを見つめる優しい瞳、褒められて真っ赤に染まった頬。どこにでもいる十歳のかわいらしい男の子だった。


 そのセラフィンに、何も映さない瞳と一定に保たれた口角を与えたのは、間違いなく目の前の男――カルメ司教だ。

 彼のギフトは【束縛そくばく】。契約を結んだ人物の行動を監視できるだけでなく、制限もできる。


 【天使】や、ピピのような特殊ギフト持ちの手綱を握る、教会からのお目付役。若くして司祭から司教に抜擢されたのは、強力なギフト持ちを監視するためだ。司祭では複数の拠点を巡回できない。


 ――だからこそ奇妙だった。


 司教は自身の管轄する教会をまわるのが仕事のうちなのに、この男はなぜか、王城の礼拝堂に居着いてしまった。何か目的でもあるのだろうか。


「さて、ピピ。新たな仕事の依頼です」


 カルメは膝についたホコリを払い、司教しかりとした立ち姿で穏やかに微笑む。ピピも最初はこの微笑みに騙され、まんまと【束縛】の契約を交わすに至った。


「……また、誰かを殺すのですか?」

「ピピ……私とて心苦しいのです。けれど、教会は寄付で成り立っており、依頼主の心には寄り添わねばなりません。それを……彼女が、【擬態ぎたい】のギフト持ちがしくじりましてね」


 言いながらカルメは女官を睨みつける。


「ターゲットが生き残ってしまった。気絶させて油を撒くだけの簡単なお仕事だったのに」


 あのとき、女官は大きな壺を重たそうに持っていた。マリエルを気絶させたのち、油を持って来たところでピピと鉢合わせたのだろう。いかにピピが人の気配に敏感でも、気絶していたら気付かない。

 だがそんなことよりも、聞き捨てならない言葉があった。


「ふたり……?」


 温室に閉じ込められていたシャルルの姿が脳裏を掠める。あれもこの男の指示だったのか。

 ピピに答えることなく、やれやれと頭を振ってカルメは続ける。


「最初からあなたにお願いするべきでした。とりあえずは、マリエル嬢だけで結構です。――そうそう、レナール司祭とは違う方法でお願いしますね。いまさら、殺すことに抵抗などないでしょう?」


 ピピはギュッと拳を握り込む。カルメの言うとおりだ。ピピのギフト【暗殺】があったからこそ、両親を殺したかたきを討てた。それをサポートしてくれたのもカルメだ。すでに血濡れたこの手は殺人を拒めない。

 それでも、マリエルはまだ十歳かそこらの子ども。躊躇ちゅうちょはする。


「【天使】が救った命なのですよ?」


 それだけじゃない。庭師ティモンが体を張って助けた命だ。それをピピに摘み取れと言うのか。


「あの子に足りないのは“許し”です。<寛容>の能力を開花させなければ、ギフトの付与も書き換えもできない」


 付与や書き換え能力は<慈善>活動でも上げられる。なのにカルメは、天使にそのようなことはさせられないと言う。選り好みしているから、いつまで経っても能力が上がらないのだ。


「また、天使様の前で告解を……?」


 頷くでもなく、カルメは穏やかに目を細めた。慈愛を浮かべたようなこの笑みも、本性を知ってしまえば嫌悪感しかない。


 いままでピピが犯した罪はすべて、カルメの前で報告させられた。束縛されて動けない天使は、耳を塞ぐことも許されず、カルメの隣で耐えるしかない。憐れな天使を解放してやりたくとも、ピピも契約を受けた身、カルメに逆らうことはできない。


「マリエル様はすでに取調中ですし、頭を打って何も覚えていないかも」

「【擬態】ギフトは声を変えられないのが欠点です。何かの拍子に……ジョエルにたどり着くかもしれない」

「……え? ジョエル……さん、なの?」


 ピピが知るかぎり、ジョエルといえばシャルルの護衛で男性だ。ピピと同じく平民の出だとユーグが言っていた。男性にしては声が高いのを気にしていて、いつも寡黙で……そういえば声を聞いたことがない。ぜんぶユーグから聞いたことだ。


「人目があるなかでの仕事です。ジョエルとふたり、協力して事を成すように」

「……かしこまり、ました」



 ***


 バロワン伯爵やマリエルは二階の客室へ連れられ、そこで事情聴取を受けた。貴族への聴取だけでも気を揉むのに、未成年の令嬢はさらにむずかしい。

 案の定、伯爵がしゃしゃり出て、マリエルの後ろから口を出す。聴取は遅々として進まなかった。


 一方、シャルルは隣の部屋で聴取を終え、なかなか終わらないマリエルの聴取を待つ。直接話を聞きたかった。いくつか疑問がある。

 だがその予定は、降って湧いた女性の叫び声により狂っていく。


「嘘よ⁉ いやあぁぁぁ――!!」


 悲鳴におどろき、隣の部屋へ行こうとしたが、護衛たちがそうはさせてくれない。アルマンが道を塞ぎ、ユーグが腰を折る。


「殿下はこちらでお待ちください! 私が確かめて参ります」


 王子だったころの放置ぶりが嘘のよう。正直に言うと息苦しい。ベルティーユであったころでも、ここまで過保護ではなかった。いや、これが本来あるべき護衛の姿なのだけれど。


 戻って来たユーグの顔色は悪く、シャルルと目を合わせようとしない。


「殿下、お部屋へ戻りましょう」

「報告して。隣の部屋で何が起きたの?」

「……マリエル嬢が、お亡くなりになられました」


 ――は、と声にならない息を吐く。


 事情聴取中に貴族の令嬢が亡くなるなどありえない。しかも両親に見守られながらの聴取だ。


「どういうこと⁉ 死因は⁉」

「聴取が終わったあと、バルコニーへ出られたようで……足を滑らせたか、もしくは自ら……」

「ま、待って。それを皆が黙って見ていたと言うの⁉」


 隣の部屋には警備隊長と警備兵ふたりの計三人が入るのを、この目で見た。それに伯爵夫妻もいたはずだ。


「それが……、給仕メイドがドアをノックしたことで、皆の意識はそちらへ向かったようでして」


 食事が運ばれたことに気を取られ、メイドがワインをこぼしてちょっとした騒ぎになり、しばらくしてからマリエルがいないことに気が付いた。

 よく見ればバルコニーへのガラス戸があいており、伯爵夫人がマリエルを呼びに出たところ、どこにも姿はなく。ふと見下ろした目に、外灯に照らされた娘の無残な姿があったという。


 二階とはいえ城の天井は高く、バルコニーの手すりから身を乗り出したのなら、高さ五メートルはあるだろう。


「なんてこと……」


 せっかく助かった命だった。庭師ティモンが自分の命を賭して守り、セラフィンが助けた。それをあざ笑うかのように、マリエルの命はついえてしまった。


「殿下、顔色がよろしくありません。戻りましょう」

「……ええ」


 ふらふらと覚束ない足取りで私室へと歩く。護衛たちが何度も手を上げては下ろしてと気を揉んでいるのがわかる。自分でも足をうまく動かせない。

 やっと着いた部屋からは、ピピの明るい声が出迎えた。


「お帰りなさいませっ、殿下。遅いから心配したんですよっ?」

「……大丈夫よ。護衛がいるんだもの」

「なんだかお疲れのようですねっ。そうだっ! ホットミルクをお作りしましょうか?」


 ピピがいつもより明るく振る舞っているように思える。

(あ……失念していたわ)

 ピピにも、ティモンの死をいたむ時間が必要だ。


「……今日はもう、寝るわ」

「かしこまりましたっ」


 シャルルを夜着に着替えさせ、ピピはにこやかに寝室から下がる。ドアを閉めた途端に、震えだした両手を握りしめた。

 少女の口を塞ぎ、背中を押した手には、いまも温もりがまとわりついている。ギフトのおかげで体は淡々と目的を達成するが、心はいつも置き去りのままだ。


 これから告解に向かわなければならない。

 憐れな天使は、眠い目を擦りながら立たされ、ピピの告白に心を痛めて眠れなくなるのだろう。ピピからしてみれば、カルメ司教の所業は、教会が忌み嫌う悪魔のようにしか思えなかった。

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