逃げた先


 ――よ!


 この拍子抜けた陽気な声に――景文はどこか落ち着きを感じられた。


「……アポロさん?」

「よう! 元気か?」


 井ノ神太陽はまるで散歩帰りのように目をキラキラと輝かせて景文の傷だらけの顔を見る。

 ん? と井ノ神は首を傾げて、景文の表情を楽しんでいるようだ。


 一方景文はまず自分の体に伝わるもの。

 視覚や嗅覚よりも早く感じた触覚によって、自分がどこか知らない家のレンガ壁に寄りかかりながら座っていると分かった。


「元気な訳無いだろ……」


 景文は弱々しく、普段の餓鬼の威勢とはかけ離れた情けなさが目に見えるほどに表れている。その姿勢に、井ノ神はお兄ちゃんのように景文の心境を気遣っている。

 

「それにしても派手にヤラれちまったなぁ〜」

「……」


 井ノ神は景文の壊れた両腕を手に取る。


 その腕は軽い静電気レベルがほとばしっており、煙も止まらない。おまけに、黒く濁ったオイルも緩まった蛇口のようにポタポタと流れている。


「……あれ? 心臓は?」


 景文は自分の心臓が割られていたはずだとようやく気づく。あの時確かに人工心臓は四本腕のたくましい腕力で潰されたのにも関わらず――。井ノ神もそれを確かめるために手を景文の胸に当てる。


「結構動いてるな――」


 直に胸を触られた事で何かに目覚めそうになる景文。そんなことはお構いなしに胸をさすり続ける井ノ神。


 謎の沈黙が訪れる――。


「……あの」

「ん~?」

「もう確かめなくて大丈夫ですよ」


 さすがに触りすぎだろ。こいつはそういう趣味でもあるのかと景文は思うが、そんなことはお構いなしに井ノ神はガキの平たい胸に触れ続ける。


「――確かめてるんじゃなくて


 井ノ神は別に好きで男の子の胸を触っている訳ではない。

 慈悲の精神で景文の胸。人工の心臓を――手探りで修理していた。


 はたから見るとただのお触りプレイのようだがこれもれっきとした景文修理方法の一つなのである。


 井ノ神は景文の監視を命じられている以上、当然景文の扱い方。つまり非常事態に備えた行動も訓練されているのだ。


「もうちょい待っとけよ〜、確かここをこうして――」


 井ノ神は景文の体内に埋め込まれているボタンを外側から探し続ける。このボタンを順番通りに押せば、景文の体は自然と回復モードへと移行し、破損した部分の修繕を始められる。非常に便利な体だ。


 ポチポチポチ。


 井ノ神はやっと見つけたいくつかのボタンをなれない手つきでマニュアル通りに押す。すると景文の体はウィーンと音を出しながら一旦停止する。


「ありゃ? もしかしてミスったかな――?」


 予想通りの結果にならなくて若干焦る井ノ神。

 井ノ神の想像ではボタンを押した瞬間にすぐさま何か凄い事が起きて画期的な技術が行われるのだと思っていた。


 う〜んと頭を捻らせる。


 しかし考えてもどうしようもないので、井ノ神は頭の片隅に残っている訓練された記憶を探り始める。


「え〜と、確かあの時〜――」


 井ノ神は頭をポリポリとかいて、汗がまだ乾いていない髪の毛をかき乱す。


「習った通りに皮膚層の修繕からやってんだけどなぁ……」


 体に穴が空いた場合の修理として、まず皮膚層の回復を行った後に体内の修理を始める。この理由は外から体内を覆わないと修理中に放電が撒き散らされてしまうからだ。


「クソぉ、皮膚層の次が上手く思い出せねぇ。ボタンを押す前に何かあった気がするんだけどなぁ〜」


 何か大事な工程をすっ飛ばしている。そう思った井ノ神は景文の体を至る所まで触り、手がかりを探す。


 そうやってかれこれ十分以上が過ぎた。


 井ノ神はもう諦めてあの部屋に聞きに行こうと思ったのだが、そうすると景文が殺されてしまう可能性があるので――。


「自分で頑張るしかねぇか……」


 井ノ神は根気で修理を続ける事にした。



 ――しかし何故だろう。


 井ノ神は不審に思った。


 嘗て景文に壊された研究施設の奴らはきっと景文の事を死ぬほど恨んでいるはずなのだと。それならば景文がもしこのまま死んでしまえば都合の良い話なのに。


 いや、そんなことよりも俺みたいなボンクラ監視に頼らずに自らの手で景文の暗殺なりなんなりすれば良いのに。ていうか、あいつらの組織名って何なんだ?

 

 今更ながらの考えではあるのだが、実際に自分がプライベートではなく仕事として景文に接すると、自分のしている仕事の意味や目的を考え出す。

 

 だがそんな事を今考えても仕方ないと井ノ神は分かっているので、引き続き黙々と記憶の引き出しと景文のボディタッチを続ける。


「――あっ」


 ふと周りを見た井ノ神は声を上げる。


 それは修理手順を思いついた訳でもなく、自分のやっている事の意味を見つけた訳でもない。


 恐れていた事。

 十分あり得たはずなのに必死のあまり忘れていた。

 

 それは――。


「ここにいたのか――」


 



 


 

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る