お仕事

 昼の日差しが窓から差し込む高層マンションの最上階。


 その最上階で井ノ神ともあろう社会的底辺が、両手を広げても有り余るベッドでスヤスヤと三十近い女と寝ている。


 その女は井ノ神のセフレであり、井ノ神はその女のヒモである。


 両者とも、お互いに需要を満たしているので喧嘩することも無ければ、縁が切れそうになったこともない。

 強いて言えば、井ノ神が女の事をただの都合の良い奴としか思っていないので、女に構ってやれないことが少々あり、関係が一時的に悪くなったりはする。


 しかしその度に井ノ神は幼少の頃から積み上げてきたテクで女の欲望を満たすので、決して井ノ神がこの高層マンションから追い出されることはない。


 女は俗に言うバリバリのキャリアウーマンであり、美人ながらも女を捨てて仕事一筋で生き抜いていた。だがそれはいずれ限界が来る生き方であり、尚且つ、ちょうど女が自身の幸せを自問自答していた病んでいる時期に井ノ神がすり寄ってきた。


 井ノ神はホスト顔負けのコミュ力とそこそこのイケメン顔で女の懐につけ入り、彼女のペットのような生活を送っている。


「うーん……」

「んー……」


 両者共に、昨晩のおせっせで疲弊しており、女の方は月一の休みを貪るように惰眠にふけっている。

 対して井ノ神は頭を空っぽにしてよだれを垂らしながら女を抱きかかえて、彼女と向き合うように寝ている。


 二人共昼にも関わらず、刻み込まれた性の反動に抵抗すること無く寝ている。


 しかしその睡眠も決して永遠では無い。

 

 先に起きたのは―――井ノ神であった。


「あぁ……」


 井ノ神は目が覚めると、女に刺激を与えないようにそっと手を引いてベッドから抜け出す。

 そして、フワァ〜と園児のようや欠伸を上げながら床に置かれたジーパンを履く。


「……昼過ぎくらいか。」


 井ノ神は頭を左手でワシャワシャと掻き立てる。

 女は肉体から離れたペットの温もりに気づくこと無く、一人で安らかに眠っている。


 井ノ神は昨晩の事を覚えている。

 しかし、それは井ノ神にとっては――吐き気が止まらない出来事である。


 三十歳近い女は肉付きも熟れ具合もピークなのだが、二十歳そこそこの井ノ神にとっては少々きつかったりもする。


 勿論いくら歳をとっても綺麗な人はいるのだが、よりにもよってその女は仕事のストレスからか顔のシワも多く、はっきり言えば老けている上に、日頃の鬱憤を解消するために井ノ神がいくら限界をむかえても、もう一回、もう一回と狂気的連戦を続けてしまう。


「……こいつはもういらねぇかな」


 井ノ神は流石にウンザリしていた。


 ほとんど毎晩同じ年増女。

 たまには若い女をつまみ食いしなければ続けてなどいられない。

 

 だから井ノ神は時折女の隙をついて、星輝く空を背景に高層マンションを階段で駆け下りる。エレベーターを使わない理由は、もしかすると万が一の可能性で女が自分の跡を付けてきているかもしれないと考えると、エレベーターの行き先にでも先回りされているのではないかと考えてしまうからである。

 現に一度、井ノ神が抜け出した際に、女は何処からか人を狩り出して井ノ神を包囲したことがある。そしてその晩は、もう二度と男として立ち上がらない程までに使い潰された。



 それほどまでに女の欲望は凄まじいのだ。



 そして今日も。

 今回は珍しく太陽を背に、井ノ神は高層マンションから飛び出して――。


「今日もあいつらと酒でも飲むか――」


 井ノ神は毎日毎日、飽きるほど酒を浴びている。



 しかし、こんなへんちくりんな男でも行くべき場所の一つは存在していた。


「あ、でも今日は一旦あそこか」


 井ノ神は扇風機のように回していた足をピタッと止めて、とある場所に向かうことにした。




 ■■■■■■■■■■■■




 ――四角い部屋。

 そこはたった一つだけの椅子と机がスポットライトに照らされている。

 机上には新品同然の綺麗なノートと、ノック式のボールペンが几帳面に並べられている。


「……今日も来てやったぞ」


 そんな無機質な部屋で、井ノ神は椅子に腰掛けて何も無い空間に向かって独り言を呟くように――取引相手に話しかける。


「本日もご足労頂きありがとうございます。それでは一週間分の記入をお願い致します」


 部屋に機会的なAI音声が鳴り響く。

 

「はいはい。今週も書いてやりますよ」


 井ノ神は言葉に抗うこと無く、従順にペンを手に取りノートに記入する。


 そして、書き始めて約十分後。


「……あのさぁ、もう辞めにしないか?」

「……どういう意味でしょうか?」

「あいつは確かに人間じゃ無いけど、普通の人間になろうとしてるんだからそれを邪魔しなくてもいいんじゃねぇのか? たぶんお前らが考えてる事は起きないと思うぞ」

「……それは貴方が決める事ではありません。もし不満があるのならば、この取引から手を引くことをオススメ致します」

「それでもし俺が取引辞めたらどうせ俺を殺すんだろ?」

「……」

「大事な事は黙秘かよ」


 井ノ神は文句たらたらだが、言われた通り、景文の一週間の行動をノートに記入する。

 

「……記入が終了致しましたら、速やかに退室願います。今週分の報酬、十万円は既に口座に振り込んでおりますのでご確認よろしくお願い致します」

「……あのさぁ、景文はもうお前らに何かしてやろうなんて考えてないと思うぞ」

「……」

「また黙りやがって。お得意の黙秘権かよ」


 井ノ神は書き終わるなり椅子から立ち上がって部屋から出る。

 これだけで報酬が十万円貰えるのならば割の良い仕事だと思うのかもしれないが、井ノ神にとっては胸糞悪い仕事としか思えない。何故なら、井ノ神の仕事とは景文の一週間分の行動を監視する事であり、その目的は――。




「……景文、もうお前は普通になりたいだけなんだよな」

 

 



 



 



 

 

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