井ノ神太陽


 ――桜が散って緑が芽吹き始めた春過ぎ。


 軽装の通行人がポツポツと出始めており、少し夏を感じさせる季節。


 しかし、そんな輝かしい季節に似つかわしくない男が一人。駅前の警護符公園けごふこうえんにて、スマホを見ながら周囲の人間を観察している。


「ご苦労さまな人達がいーっぱい」


 全身真っ黒に染まったその男、井ノ神太陽いのかみたいようは、自身よりも遥かに年下の家出少年少女と酒を飲みながらスマホをいじっている。


「なぁなぁ、は普段何してんの?」

「ん? あぁ、そうだねぇ……。ホームレスかなぁ?」

「あっはっはっ!! マジですか?! アポロさんもう大人っしょ?! なのに俺等みたいな雑魚生活してんのまじウケるわ〜」

「……そうだなぁ。ていうかお前、俺をアポロさんっていうのやめろよ」

「何でっすか? アポロさんはアポロさんっしょ?」


 井ノ神は、太陽という名からアポロさんと呼ばれており、この界隈、護符界隈ごふかいわいに来てもう三年。


 周囲と歳は五、六歳ほど離れているのだが、考える力を捨てた家出子供達にとってはただの面白いキャラとして認識されており、馴染みに馴染んで界隈のリーダー的ポジションに登りつめた。


「アポロさんってさぁ、もう二十歳過ぎなのに働かねぇの?」

「なんで働くんだよ。あんなの馬鹿のする事だろ」

「だって働かねぇと金無くなんじゃん」

「お前も頭悪ぃなぁ〜。働かずとも金なんていくらでも手に入るんだよ」

「へぇ〜、凄いっすね~。俺もこの前さぁ〜――」


 井ノ神は、それはもう楽しそうに嘘の薄い話をする。お互い本名も知らない上に、お互い見栄を張るために作り話に花を咲かせる。


 彼らは嘘を付かないと話すことが無い。


 井ノ神が界隈に来た時は、今までの経験を話すことが出来たのだが、そのネタもすぐに尽きてしまい、こうして嘘をつくしかないのだ。


 しかしこの嘘は決してしたくてしている訳ではない。彼らだって、語れる事があるのならば語りたい。だが、それがない人生を送ってきたがゆえにこの場にいるのだ。


「……クソッタレが」


 井ノ神は酒を囲んで馬鹿騒ぎする男女に聞こえないように呟く。楽しいはずなのにどこか心苦しさがあり、飲んでも飲んでも酔うことが出来ない。


 しかしそんな悲しげな顔をする男に、景文が酔い踊る人を押しのけてそっと話しかける。


「……アポロさん」

「ん〜? どうした餓鬼んちょ?」

「……餓鬼じゃねぇよ。……頼みがあんだけど」

「あぁん? お前みたいな奴が頼み事なんて何かあったのか?」

「まぁね……」


 景文は酒が入ったコップを握り、下を向く。

 その顔はどこか恐怖を感じており、涙を浮かべつつもある。


「……どうした? やっぱ嘘か?」

「いや、嘘じゃないんだけどさ。ちょっと言いづらいんだ」


 この時、景文はまだこの護符界隈に入ったばかりであり、リーダー格の井ノ神と話すのは少し思うところがあった。


「あの……」

「……」

「……その……」


 井ノ神は景文が喋るのを黙って待つ。


「俺は……」

「……俺は?」

「俺は……、誰のために、何のために、何を目指して生きていけばいいんだ……?」

「……」


 ようやく口を開いた景文に対して、それを聞いた井ノ神は何を言うでもなく、呆れた顔をしていた。


「お前さぁ、話す相手くらい選べよ。そんなのこんな俺らみたいな底辺に聞くんじゃねぇよ」


「……それは分かっているんですけど――」

「おい、ちょっとは否定しろよ。自分で自分を貶すのはいいけど、他人から言われると結構ムカツク」

「……すまん。けど、実際それは事実だし、それを分かった上でアポロさんに聞いてんだよ」


 井ノ神は、チグハグ敬語の景文を我が子のようにうんうんと優しい顔で見つめる。

 そして井ノ神はよいしょとジジくさい声をあげながら立ち上がり、景文の頭を撫で、最後にグビッと酒を飲み干して、景文の質問に答えること無くその場を立ち去った。






 ■■■■■■■■■■






 ――おはよう。




 当たり前過ぎて誰も注意すらしないこの言葉を使う人間を井ノ神は見たことがない。

 それどころか朝に目覚めた事はほとんどない。


「……おはようって、初めて使ったかも」

「えぇ〜、アポちゃん何言ってんの〜?」


 福岡県某所、とあるホテルにて井ノ神は目覚める。


だが時間はもう既に昼過ぎであり、しれっと延長料金が課せられていた。

 井ノ神は無職であるので、当然持ち合わせておらず、それどころか延長前の料金ですら払うことが出来ない。同じベッドで横になっている名前も知らないギャルに出してもらうしかないのだ。


「お前、金あるか?」

「あるわけないじゃん。アポちゃんが払ってよ」

「それは無理かな」

「いやいや〜、昨日あんだけ私を使ったんだからホテル代くらい出してくれてもよくね?」


 ギャルも当然、井ノ神と一晩を過ごすようなそれなりの人間であるのでお金は無い。


「あぁ〜、じゃあ知らね」

「私も知〜らない」


 二人は焦りもせず、どうにかなるだろうという態度で寝転びながらスマホをイジる。

 フロントからのコール音に耳を傾ける事もなく、それはもう我が家のようにくつろいでいた。


「知〜らない」

「俺はもっと知〜らない」


 そして二人はこのまま何もせず――もう一晩寝てしまった。


 

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