第8話


 いつもの時間。


 ここ最近の流れ通り、エルデンリングを起動して黎人の世界に召喚された途端――


「僕、やっちゃいましたよ~~!」


 と盛大に嘆き節をこぼす。


『どうしたんだ? そっちから仕事の話を振ってくるなんて、珍しいじゃん。……まさか、トラブったのか?』


 日頃は呑気な黎人も、さすがに戸惑ったように聞いてくる。


「トラブルというか、トラブルじゃないというか……」


 歯切れが悪い航に対しても、黎人は急かさず、根気強く続きを待ってくれた。その態度で航も覚悟を決め、ようやく口を開く。


『てことはつまり、苅谷建設さんに食い込んだってことか? すごいじゃないか、それ』


 航の説明を聞き、黎人は驚きつつも声を弾ませて喜んでくれた。航の説明の中には喜ぶべき要素が入っているのも確かである。

 しかし、それ以上に、とんでもない問題も内包しているのだが、黎人はそれをまるで無視しているようだった。


「いや、でも、鹿島さん、僕――」


 なけなしの勇気を振り絞って、残りの部分を口にする。


「――会社に相談せずに、勝手に条件詰めちゃったんですよ!」


 そう、航は午前中の商談で、確かに契約を結ぶまでにこぎつけた。

 具体的には、口約束を交わし、正式な契約書を作って持ってくるところまで話が進んだのである。


 だが航は、会社では規定されていなかった条件を勝手に盛り込んでしまった。もちろん超弩級の反則行為である。


 バレてしまえば大問題。下手をすれば会社をクビになる。

 航がナニをしでかしたのかというと、実はひとくちにリース契約と言っても、その

内容は大きく二つに分かれる。


 リースとは必要な品を借りる契約のことだが、多くの場合、所有権はリース会社が握ったままになっており、期間が短いものは「レンタル」という。

 車や、映画のDVDなどを考えればわかりやすい。

 

リースは比較的長期間取り引きを続ける形態のことを指すが、それにも二つの種類がある。

 予め期間を定めて安く貸し出す方式と、最終的には所有権が利用者に渡る―つまり購入と同じ扱いになる方式の二つだ。


 期間を定める方式は、契約が終了するとリース会社が商材を回収し、中古市場や二次使用に回す。

 商材の購入価格を複数の機会で回収するため、月々の費用を安く抑えられる。オペレーティング・リースと呼ばれる方式だ。


 一方で、後者は形だけを見ればローン購入と変わらない。

 利用者とリース会社で契約期間を定め、購入した商材の代金をリース代という形で支払い続ける。

 契約期間の終了は、商材の代金完済と同時となり、品自体の所有権も基本的には利用者の物となる。


 なのでその利点は価格面ではなく、ローンを組む時のような審査や手続きが簡素化でき、なおかつ手続き自体も大半をリース会社が行ってくれるという点にある。

 こちらはファイナンス・リースと呼ばれる方式だ。


 航はその二つの契約を織り交ぜたような提案をしたのだ。


 つまり、基本的にはファイナンス・リースの契約で、一定期間の支払いによって商材は苅谷建設のものになる。


 だが途中で都合が変わる―たとえば事業規模の変化で再度オフィスの体制が変わるような場合などは、本来なら途中解約できないファイナンス・リースを途中でオペレーティング・リースに変更できる特約をつけると言ったのだ。


 こうすることによって、万が一、オフィスの再編が行われるような場合も費用を最小限度にしてオフィスの変化に対応できる。


 形としてはオペレーティング・リースを継続し続けるようなものだが、一方で「そのままでいい」という場合、今度は最初から買い切りの契約を選んでいなければ延々と継続してリース料を支払い続けなければならない。


 ただ安いだけでは変化に対応できず、もし不要になった場合、それらの商材を処分する費用がかかってしまう。


 この対応力の点で、航の提案の方が魅力的だと、自分でも信じられないぐらい熱心

に相手を説得し、そして口説き落とした。


 口説き落とせてしまった。


 自分のどこからそんな発想が出てきたのか、今でもわからない。

 あのときはただただ夢中で、なりふり構わず相手を説得しようとしただけだった。


「なので、僕はやってしまったんですよ! あとは、どうやって問題を最小限にするか……」


 責任問題は必至。


 航一人がクビになるだけならまだましで、下手をすれば監督責任で自分の上役にも迷惑がかかるかもしれない。


 ネガティブな考えが連鎖して、際限なく落ち込んでいく航に対して、


『いや、そんなことにはならんでしょ。……というか、お前、覚えてないの?』


 と、黎人はあっけらかんと言い放つのである。


「え? 覚える? なにかありましたっけ?」


『お~ま~え~な~。その変動型契約、俺が聞かせてやったじゃないか!』


「えぇっ!? いやいやいや、僕、鹿島さんと仕事の話なんて――」


 そこまで言いかけたところで、航の脳みその隅っこがチクリと反応した。

 仕事の話をした、気がする。


『ほら、エルデンリングでマルチをやってる途中で、今度こんな新サービスをやるんだってって話したら、お前がゲームの途中に仕事の話をするなんて無粋だ~って遮ったんだろうが』


 確かあのとき、比較的沢山お酒が入っていた気がする……。

 黎人は面白がっているようだった。


「な、なるほど! そうか、そりゃ、僕が勝手に創作してあんなアイデア出るわけないですよね!」


 自分で言っていてかなり虚しい話だが、とにかく、安堵しかける。


『――が、正式にまだ採決はされてない。ゆくゆくは、そういうサービスをするだろう、という話だ』


 ピンチ再び。


「やっぱりクビですか!?」


 航が慌てると、黎人はボイスチャットの向こうで笑いをこらえているらしい。しばらくの沈黙の後、


『まあ、お試しで何件か実際に契約しようって話になっていたから、そこにねじ込んどいてやるよ』


と請け負ってくれた。


「本当ですか!? 助かります! 恩に着ます!」


 何年かぶりに、心の底から感謝の気持ちがこみ上げてきた。そんな航に黎人はうんうん、と鷹揚に頷いているのだろう声が聞こえてきた。


『でも、小売りが苦しむから思わず突っ走ったなんて、マジでセールスマンらしくないな。お前らしいというか、なんというか』


「そ、そうですかね。なんか、間抜け丸出しで恥ずかしいだけですが……」


『俺はいいと思うけどねぇ』


 黎人の言葉に安堵したところでふと気付く。


(会社だったら、こんな相談できなかったかも……)


 ボイスチャットで顔が見えていない気安さなのか、それともマルチプレイで距離感が近づいたおかげなのか、いずれにしても人見知りの航がそれほど親しくない黎人に相談できたからこそ今の状況がある。


(ありがとう、エルデンリング!)


 などと感謝を捧げていると、さすがに今日はのんびり遊ぶ気持ちにもなれないだろうからという黎人からの提案で、その日は軽く雑談だけをして切り上げることになったのだった。

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