第12話、十二年前

「叔父上、話をしたい」


 そう言って夜燈をあずまやに呼んだ。蔵書閣の裏の庭にある亭だ。夜燈ははじめ渋っていたが「大事な話だ」と言うと、「分かりました」と頷いた。「二人きりでだぞ、警備も呼ぶな」「それは……」「頼む、人に聞かれたくない」。夜燈は不思議そうにしていたが、王が言うのなら相当のことだろうと思ってくれたようだ。




 夕暮れのあずまやに夜燈が座している。玉剣一本だけを持って。言った通り、供は付けていない。

 今にも雨になりそうな空だ。帰る時は降っているかもしれないな。人を呼んで傘をかけてもいいが、濡れていくのも悪くない。しかし、それを考えるのは、この話が終わってからだ。

 夜燈は尚王を見て、すくと立ち上がった。うやうやしく礼をして見せる。


「叔父上」

「はい」

「これは個人的な話だ」


 何か聞きたげな視線が尚王を捉える。それに答えることなく尚王は切り出した。夜燈は数字には聡いくせにこういうことは鈍い。尚王がはっきり言わなければわからないだろう。この時、尚王は、真実を明らかにすれば全て解決すると思っていた。


「俺の母上が亡くなったのは十二年前だったな?」

「……はい」

「何があった」


 夜燈はしばし考え込み、やがて口を開いた。彼にとっても語りにくいことだろう。


「その頃、皓華の反乱があったことはご存知ですね」


 十二年前、尚王の父である勇王が崩御した。新しい王はまだ子供であり、母の雅妃と夜燈が後見になった。夜燈はその歳にしては珍しく婚姻しておらず、子もいなかったため、簒奪さんだつの意図はないように思われていたらしい。あるいは……簒奪を疑われないため婚姻しなかったのか。


 その頃、倒した皓華こうかの遺民を、東方のかつての都から南方へと移す計画が進行していた。東方には王の目が行き届きにくいことと、彼らの力を削ぐためである。ところが皓華の民の反乱は東方と南方で一気に起こった。大宰夜燈や諸侯たちはこの反乱の鎮圧に追われることになる。


「そのため、私や衡大公は、兵を率いてこれを抑えに遠征することになりました。そして、空いた王都に賊の侵入を許しました」


 夜燈は自らの失態であると言うように語った。彼らは秘密裏に王宮に入りこみ、王と王弟を狙った。殺すつもりだったのか、あるいはどこかに連れ去り利用するつもりだったのかは分からない。ともかく、彼らの母である雅妃によってそれは阻止された。


「その時、尚王様と仲燿様を守るため、雅妃様が犠牲になりました」


 ともかく、賊は王妃を殺し、そして兵に捕まった。反乱は落ち着かなかったが、夜燈も一度、都に戻らざるを得なかった。


「賊は『緑公の差金さしがねだ』と吐きました。そのため緑公清が捕らえれたのです」

「……そうか」

「そして、緑公が、都からの求めがないうちに兵を動かしたことが分かり、謀反むほんが疑われました。自分が王になろうとしたか、王の後見になろうとしたか……それは尚王様ではなく、仲燿様でも良かったのかもしれません」

「燿を……」

「また、賊が皓華の遺民だったことから、皓華の反乱にも一枚噛んでいると思われたのです」

「それで一族も連座か」


 夜燈は表情を変えぬまま、しかし苦々しさを含んだ声で言った。


「一族もろとも、早々に処刑せざるを得なくなりました」


 せざるを得なかった、という言い方に尚王は引っかかった。


「……叔父上は反対したのか?」

「私は、もう少し取り調べをすべきだと考えていました。しかし――」


 言い淀んだ夜燈に、尚王は核心を突いた。


「衡大公に言われたか」


 ひくりと眉が寄った。それが答えだった。夜燈の喉が動き、わずかに動揺が見えた。


「衡大公は処刑を急がせたんだな」

「王妃を殺されて黙っていれば、他の諸侯が反乱に加わるだろうと。事実、反乱者と内通するものも出ました。早いうちに元凶を処刑して見せなければ、動揺が広がり、王は求心力を失ったでしょう」


 尚王は一度息をのみ、呼吸を整える。それは国、ひいては王……尚王のためだったとでも言うのか。自分が不甲斐ないために争いが起きていたとは。そうとは認めたくない気持ちを押さえ、尚王は低い声で問うた。一番、重要なことを。


「本当に……緑公は賊と通じていたのか?」


 夜燈ははっとしてまじまじと尚王を見る。


「天子様は、おひとりで……それを考えていたのですか」

「おまえが衡大公を恐れているとわかれば推測できる」


 夜燈は答えられない。それを見て、尚王はここまでかと悟った。


「――だそうだ、大舟」


 あずまやの影に隠れていた大舟が出てくる。顔色をなくし、震えた唇で夜燈に近づいていく。


「……そんな。そんなことは、どうしてそんなことに……」


 大舟はふところから包丁を出した。小さななたに似た包丁を夜燈に向ける。


「なぜおれを生かした!」

「そうか……君が」


 夜燈が腰の玉剣に手を伸ばした時、かすかに物音がした。上だ。上に……人? 尚王が動く影を見たその瞬間、屋根裏から、短刀が降ってくる。尚王は動けない。短刀を持った人影が、自分を狙っていた。


 咄嗟とっさに動いたのは大舟だった。尚王に駆け寄り、その包丁を叩きつけるように短刀を打ち落とした。人影が思わず身をすくめる。夜燈が剣を抜くとすぐさまその人影に切り付ける。背中を斜めに斬られ、血が吹き出し、その場に人だったものが崩れ落ちた。


 賊か? 何があった。尚王は棒立ちになったまま血が流れるのを見つめていた。まるで現実感がなく、悪い夢のようだ。


「……話し過ぎました。天子様、こちらへ」


 夜燈は呆然としている尚王の手を掴むと、庭の側にある蔵書閣まで走った。すでに小雨が降り出していた。先程の賊は何だったのかと聞く余裕もなく、蔵書閣に入れられる。薄暗い蔵書閣、ひんやりとした空気に墨の匂いが鼻をついた。


「叔父上!?」

「大舟、あなたも入りなさい。王を頼みましたよ」

「待て、何故おれを信じる?」


 押し込まれた大舟が振り返る鼻先、重い扉が閉まり、外からかんぬきが落ちる音だけが響いた。

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