第19話「お茶の時間」

 ──事務所炎上より、少し前。


「なんだァ? 待ち合わせの時間にはまだ十五分もあるぜ」

 ぱっと目が合った人物に対し、潮田は少し嫌味っぽくそう言った。彼は藤色の目を丸くして手にしていたマグカップを机の上に置いた。

「へえ。十五分は誰も来ないだろうから、一人でゆっくりできると思ったんだけどな。患者が少なくていい日じゃねぇか」

「まっ……そうだな」

 少し不服そうな顔をしながらも潮田は席に着く。潮田診療所、その端にある給湯室兼休憩所。暗い診療所の中でそこだけが明るく温かい。潮田もコーヒーを淹れるべく、机の上に伏せてあったお気に入りのマグカップを取る。

「にしても、苦労しそうだな。この前三笠たちが来たぜ。転華病の説明が欲しいって言うんでしてやったが」

 潮田は富士を一瞥してそう言った。珍しい労いの言葉に富士は少し驚きながら席に座り直す。

「お前、他人事みたいに言ってるが専門分野だろ? どうなんだよ、今回の件」

「そうだな……しかしまぁ、このゴタゴタはそう単純な物でもなさそうだし」

 そう言いながら潮田は机の上に置かれていたマグカップを手に取り、一口飲む。

「は!? ぁあ、旭、おま、それはおれのココア!?」

「あっま。なんで砂糖入れた上にマシュマロ二個も入れてんだよ。甘……頭痛くなるわ」

 苦々しい顔をしながら潮田はもう一口ココア飲む。

「文句言うなら飲まなきゃいいだろ……あーあ、上手くできたのによ」

 それに対し富士はわざとらしく呆れた表情をして、大げさに肩を落としてみせた。

「別に文句じゃない。感想ってヤツだ。……オイ、これ底に砂糖溜まってるぞ。飽和してんじゃねェの……」

 そう言いながらかき回すカップの底には、まだ形のある砂糖の粒が見える。潮田は思わず顔をしかめた。

「それがいいんだろ?」

「じゃあマシュマロは抜けよ。明らかに入れすぎだバカ」

 語気を強くして潮田は指摘する。

「別にいつもこうなわけじゃないからな。今日だけたまたまこうだったんだって」

「何も言ってないだろうが」

 言い返す潮田を無視して富士はマシュマロの入った袋を漁る。そこからマシュマロをつかみ取って、一気に口に入れる。その様子を見た潮田は思わずため息をつきそうになるが、ぐっとこらえた。そして、あることに気が付く。

「ていうかこれって、そこに置いてあるココアだよな? ビターのヤツだよな」

 そう言いながら指したのは粉末ココアの袋だ。潮田の好みで選んで置いているため、カカオ百パーセントの商品のはずだ。富士はちら、とそちらを見た後に平然と頷く。

「うん? まぁそうだけど」

「それなら問題ないかもねぇ」

「松島ァ! 甘やかすな! そんなわけないだろ、もっとよくないわ!」

 ごく自然に現れて、静かに着席していた松島に潮田は勢いよく突っ込んだ。

「えぇー?」

 勢いのある突っ込みを受けた松島は小首を傾げてとぼけて見せる。肩にかかる榛色がさらりと流れた。

「えぇーじゃねェ」

 不満げに返す潮田が面白いのか、松島はくすくすと笑いながらレジ袋を折り畳む。

「遅かったな、松島」

「まぁね。お土産買いに行ってて」

 そう言いながら松島はロールケーキを掲げて見せた。

「ローソンのロールケーキ。二人共好きでしょ」

「おい松島、富士を甘やかすな」

 潮田が不服そうな顔をしながらそう指摘する。それを聞いた松島は苦笑いを浮かべた。

「あー、そういや最近暴食気味なんだって? じゃあこれは持って帰ろうかな」

「なんでだよ! いつも通りだろ!」

「そんなワケないだろ!」

 富士と潮田は立ち上がってにらみ合う。

 実のところ潮田にとっては富士の食生活が気になって仕方がない。出会う度に何かしらの甘い物を食べているのはいつものことなのだが、最近その量が増えた。さらに言えば甘さもだいぶ強火になっている。医者かつ旧友、同期である潮田にはそれが気になって仕方がない。

「まー、旭の指摘はもっともだと思うけどね。てかそれでよく体調崩さないね? 私だったら絶対太ってるよ」

 にこにこと笑いながら松島は言う。

(太らない体質の癖によく言う)

 潮田はそう思いはしたが口に出すまいと必死に飲み込んだ。そんな彼の様子を知らない富士は頷きながら松島に返す。

「そりゃー、運動してるからな。おれの場合は生命維持にも魔術使うし、人よりコスパ悪いってのは知ってるだろ」

「にしても、だ。てめェ人の話をガン無視しやがってよ」

「まぁまぁ」

 尚も食いかかる潮田の前に、松島はロールケーキを置いた。お手頃価格で売られている六等分されたミニロールケーキだ。もちもちとした食感がウリらしく、その点は潮田も気に入っていた。

 さっそく富士が手を伸ばすが、松島はそれをひょいと持ち上げた。不満げな声が潮田の耳に入る。

「でもほんと、真面目な話。貴方、本当に疲れが目立つわよ」

「……なんだよ急に師匠みたいなこと言って」

「お師匠さんに告げ口してないだけマシだと思ってほしいな。こんな状態だとまーた修行って言って拉致されるわよ。自己管理がなってない! って」

 ロールケーキをつまみ食いしながら、松島は意地悪にそう言い放った。かなり前の話だが富士が過労やその他ストレスで体調を崩したことがある。そんな時に彼の師匠はというと、どこからともなく現れて絶不調の富士を俵抱きにしてどこかへ消えていった。文字通り鬼のような形相をしていた彼女を止める度胸を、手段を、その場にいた中で持っている者は一人としていなかった。

 その話を出された富士はみるみるうちに萎れていく。抵抗手段が無かったのは彼も同じだったのだろう。苦々しい顔をしながら、その大きな背を丸めて頭を抱える。

「あ、あー!? 止めろって、あの時本当にヤバかったんだからな! もう二度と御免だって」

「そう言いながら三食菓子パンとかふざけてんのか」

「なんでおれの食生活がバレてんだよ!」

「オイオイ、馬鹿にすんなよ。俺のところをかかりつけにしてる魔術師は少なくねェんだわ。特にお前さんのところの部下! 同期!」

「クソ……鷦鷯か、東か……」

「ザンネン白根さんだ。苦言を呈されたんだよ。だァからこうやって真正面切って言ってんだよ、馬鹿が」

『馬鹿が』と一際強く言った後に潮田は勢いよくココアを飲み干す。

「わぁったなら、もうちっと自己管理しろ。いざという時動けなくて後悔すんのはオメーだろうがよ」

「そんなことは知ってる」

「はいはい。二人とも。とりあえずお茶淹れたから飲んだら?」

 そう言いながら松島は机の上に人数分の湯飲みと急須を置いた。それを合図に二人はに睨み合うのをやめ、湯飲みを手に取った。

「んで、話を戻すんだが……」

「どこにだよ」

「俺の専門分野だ。転華病のことだろう」

 潮田は一口茶を飲んでから急に真面目な顔をする。それを見るなり、二人は口を閉じて潮田の話に耳を傾ける。

「頻発することに関しては、データベースがないから何とも言えん。そういう周期の可能性は十分にあるしな。竜脈って言うでけェもんのせいで、集団発症したという可能性もあるし」

 転華病の原因の一つとして、ストレスが挙げられている。正であれ負であれ、強い感情は魔術に大きな影響をもたらす。魔力と似た性質を帯びるからだ。余談ではあるが、幽霊や呪いの類も強い感情が魔力と同じ性質を獲得した結果、姿を得たものになる。魔術と感情は切っても切れない関係なのだ。

「……じゃあやっぱり、直接どうしようもないものって思うのが吉かしら」

「そうなってしまうな。しかしまぁ、これが脅威であることに変わりはねェし。これを受けた魔術師がどう動くかが見ものだな」

 そう言って潮田は一気に茶を飲み干した。感染症のようなものであれば、予防方法を周知すればいい。その上で感染源を特定し、可能であれば根絶する。しかし転華病はそうもいかない。魔術師ひとり一人がその種を抱えている──と、潮田は睨んでいた。正体不明の病、治療法のない病。魔術師たちが心の内に鬼を宿すのは確実だろう。

「そうだねぇ。正体不明の病よりも、狂気を武器にした人間の方が怖いからねえ」

 潮田の読みを理解したのかしていないのか、松島は肩をすくめて何でもないようにそう返した。

「何だよそれ。意味深なこと言いやがって。なんかあんのかよ」

 そんな彼女の反応に富士は眉をひそめて突っ込みを入れた。それを受けて潮田も松島の方を見やる。二人の怪訝な顔が面白かったのか、彼女は吹き出しそうになりながら話を仕切り直した。

「そうね。今日一番話したかったことでもあるんだけど……モズの残党狩りが完遂できなかった」

「残党だァ?」

「そ。弟子を含めた、彼の遺志を継ぎそうな人物の洗い出しよ。即座に逮捕できなくっても目星をつけておけばすぐに追跡できるでしょ? でも、根城にしていたであろう場所どころか、それらしい人物も見つけられなかったのよ。一人もね」

「そりゃもう……いないんじゃねェの? 魔術師は別に、全員が全員弟子を取ってるってワケじゃないぞ」

 松島にそう返しつつも、潮田もどこか不自然だと感じていた。

 魔術師は少なからず一人か二人、弟子を作る。経済的にも、研究をする上でもそちらの方が安定するからだ。基本的に多くてもその数は十人程度だが、魔術師によっては百人を超える弟子を抱えていることがある。

(だが、その場合は弟子が妄信的か、魔術師自体に経済力があるかのどっちかだ。モズならば、前者の方が可能性としてはあり得そうだな)

 弟子に関しては魔術師の家系でなくても問題ない。その代わり、弟子が切り札である決戦術式を引き継ぐことはあまりないとされる。彼らが行うのは切り札以外の魔術の研究であって、あくまで師匠となる魔術師の脇道を埋めるピースに過ぎないからだ。

「それか、こちらの目を掻い潜れるほど上手く潜伏しているかのどちらかだね」

「上手く潜伏するっつったって……お前もう警察辞めてるじゃんか。一人で追っかけてるんだろ? そりゃ無理もあるって。なぁ旭」

「そうだな。松島は安楽椅子探偵タイプだし。足で稼ぐのは苦手って言ってただろ。そりゃ限りもある」

「んねー。実際その通りだし。最近まで零課が頑張ってたはずだけど……結果はどうなったのやら」

 そこでちらりと松島は富士の方を見る。

「……もし仮におれがその結果を聞いてても、部外者のお前には言わねーよ」

「そりゃそうだ」

 彼の反応を受けた松島は大げさに肩をすくめてみせた。あわよくば聞き出せないか、とでも思っていたのだろう。そんな彼女の態度を潮田は視線で諫めてから話を継ぐ。

「要は何かしら起こすなら今がチャンスってことか」

 東部全域に根を下ろす自警団・竜冥会、そして大社が沈黙をしている今。目的にもよるが騒ぎを起こすには好都合だろう。モズの息がかかっていようがいまいが、動き出すものがいるかもしれない。

「そーいうこと。そしてその候補が無限にあるってわけ。いつ何が起きたって、おかしくないかもよー?」

「出た出た。杞憂してるわけでもないくせに、適当なこと言いやがって。そんなにおれらを不安にさせたいのかよ。なぁ旭」

「知らん」

 くだらないやり取りをする二人を一瞥して潮田は最後の一切れを口に入れた。

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