第18話「追跡」

「放火犯の足取りがある程度掴めた」

 そう言いながら富士は地図を掲げる。一同は一斉に彼の方を見た。敷宮白根との話が終わった後も、三笠たちは敷宮家にいた。彼直々に休憩用の部屋を貸し出してくれたのである。そこでしっかり休んでおくようにと言われたが、慣れぬ環境やプレッシャーを受けた三笠はソファーに横になったきり動けなくなってしまった。それを見た鷦鷯が気を遣って水を差し出すほどに、だ。一方東はというと窓辺で一人、爪の手入れをしていた。

 それはさておき、意識は放火犯の話へと戻る。

「……思ったより早かったですね」

 鷦鷯が珍しく驚きを表情に出している。それもそうだ。敷宮白根に指示をされてから三時間ほど経った。彼と話をした時点でほとんど手がかりは無かったはずだが、どういうわけか探し物はすぐに見つかったらしい。

「いずもさんに頼んだからな。縁視だから確かだぞ」

「なるほど、縁視でしたか」

 鷦鷯はそれで合点がいった様子だった。縁視……いわゆる人や物の繋がりである縁を見る能力や魔術のことを言う。

(あれ、でも……そんな高度な魔術使える人、そうそういないんじゃ)

 そう、縁視は異能力と同等かそれ以上の希少な魔術である。持っていればこぞって人が集う。そのレベルで希少な魔術だ。三笠は八束いづみの使うものしか見たことがない。

「八束さんの妹さんよ」

 首を傾げる三笠の元へ東がやってきてそう囁いた。急な東の動きに三笠はぎょっとしてしまうが、上手く平然を装う。

「えっ、そうなんですか」

 彼女は相変わらず手にひしゃげた紙コップを握っている。癖なのだろうか、東はるかは手に持ったものを必ずと言っていいほど握りつぶす。それが何の脈絡もなく行われるので、それが原因で三笠は東に少しばかりの恐怖心を抱いていた。

 元々年上かつ異性の先輩というだけで近寄りがたさを感じていたのだが。

「……いつの間にうちに在籍していたんですね」

 彼女の手元から目を逸らしながら三笠は相槌を打った。

「今年に入ってからね。思うところがあったらしいわ」

 東は目を伏せながらそう言った。もしかして直接話をしたのだろうか。

「……そうですよね」

 彼女の最期について、その妹がどこまで知っているのか三笠は分からない。非常に大事かつ入り組んだ状況であったからか、伏せられていることも多い。ほとんどの重要な場面に立ち会った三笠からは、彼女が何を思っているのか考えるのは難しいことだ。それは東も同じなのだろう。彼女はそこで話を終えて富士へ向き直った。

「ということは、これからとっ捕まえに行くということですか」

 その言葉に富士はしっかりと頷いて返す。

「ああ。すぐに出られるか? 一応捕まえるってことになるから、零課さんにも連絡をする。それまでに準備を済ませて欲しい」

「了解です」

 東と鷦鷯が揃って返事をする。三笠も少し遅れて「了解です」と返した。


 ※


 初瀬、そして三笠は小雨の中、じっと塀の陰に息を潜めていた。

 放火犯の家の場所も行動パターンも割れている。そこで手始めに一同は家へ向かった。しかしながら、それは向こうも警戒しているのだろう。家はもぬけの殻で、しばらく帰っていない様子が見て取れた。

 そこで東が行先に回り込み、初瀬たちのいる場所まで追い込む作戦をとることになった。彼女が追う役として抜擢されたのは放火犯を殺してしまう可能性があるから、らしい。それを聞かされた初瀬はどこか遠い目をしてしまう。

「その観点で言えば、三笠もアウトじゃないの」

 目の前にいるこの男とて、人の身に余る力を出すことができる。真正面からそれを指摘された三笠は思わず苦笑いを浮かべた。雨合羽で隠された銀色が鈍く光る。

「ま、まぁ……僕もそう思うけど……でも今は封印中だし」

「まー、そうだけども」

 三笠の決戦術式は緊急時以外使わないことになった。特に市街地ではその使用を避けるように取り決められている。使っていいのは監視官が許可を出した場合、もしくは切迫した状況になった場合……大方、災害級やそれに匹敵する大型のスペクター駆除の場合のみになった。後者の場合であっても巻き込みが予見される場合は使用を控えるように言い渡されている。

 ゆえに今の三笠ができることと言えば、軽い弾幕魔術と簡単な対人格闘技くらいである。

「あの宝石とかは?」

 そうでなくても、あの辺りの魔術であればそこまで強くないはずだ。発動も簡単なものが多いと三笠が話していたのを、初瀬は覚えている。それなのに、昨年からあまり使っているところを見ていない。彼は少し間を空けて小さく「ああ」と呟いた。

「去年貸したやつみたいなの?」

「そう。あの辺はまだ危険度も低いって話してたじゃん」

「あ、あー……いや、ほら。僕お金ないから……ある程度貯蔵はあったけど事務所焼けちゃったから、その時に…………」

「……それはまた」

 初瀬も肩を落として首を横に振る。そちらが健在であればまだ使えたのだが、残念なことに三笠用の消耗品は全滅だったらしい。放火犯も上手いことをするものだ、と初瀬は唸ってしまった。

「ふーん、でも鷦鷯さんが居ないのは少し意外だな。あの人出ずっぱりなイメージがあるけど」

「あー、鷦鷯さんはあの魔術師に対しては相性が有利すぎるし……今日は雨だから、見回りをしてもらってこっちに人員を割いた方がいいって言ってたな」

 話題の彼は今回の放火犯確保には参加せず、市内の巡回を一人ですることになっている。

「魔術にもあるんだ、そういう相性の有利不利」

「感覚的なものだけどね。鷦鷯さんの八雲霖雨流とかはソレに特化したものだから」

 この地方で有名な魔術流派、八雲霖雨流。湿気と魔力の多いこの地方ならではの流派であり、ここ以外の土地だと活動もままならないらしい。それくらいに特化された──この土地に合わせて作られた魔術を得意とする。雨の日が一番強いと本人も言っていた。逆に乾燥した晴れの日は大の苦手らしい。

「ふーん……んなら、東さんは?」

「えっと……それが僕もあの人があまり戦っているところは見たことが無くて。力が強いことは分かるんだけど……」

 そう言いながら三笠は東の記憶を探る。彼女はスペクター駆除にもあまり参加していない。今回のような誘導役や追跡役など、サポートに回ることが多い。しかも魔術を必要としないサポートばかりだ。三笠が知る限りで、東はるかは補助魔術を使っていない。

「魔術を使ってるところ自体、あんまり見たことが無いっていうか」

「そうだったんだ。もしかして純粋な魔術師じゃないとか?」

「うちではあり得るかも。うん、むしろ富士先輩とか鷦鷯さんとかが珍しい方だし」

 初瀬は目を丸くしながら相槌を打つ。初瀬からすれば魔術師というのはやはり富士や鷦鷯のような、手幅の広いイメージが強い。

「魔術師にも色々あるってのは分かるけどねぇ。ぱっと見じゃ分からないしなぁ」

 結局はそれである。パッと見ただけではそもそも魔術師かどうかすら判断できない。見るからに魔術師だと判別できる材料があまりにも無い。雨だれが音を鳴らす。

 不意に黙り込んだのは、視界に人が入り込んだからだった。カモフラージュ代わりにしゃべり続けてもよかったが、なんせ話題が話題だ。

 押し黙って待機する二人の前を男子学生の集団が賑やかに通り過ぎていく。時刻は十七時前。部活に入っていないのであれば妥当な時間だろう。楽し気なその背を見送っていた三笠の耳に急に音が入った。

『そっちに行った!』

「え、今!?」

 学生服の彼が通り過ぎた直後、東の鋭い声が飛び込んできた。初瀬も三笠も慌てて計画通りに駆け出す。先ほど追い越していったばかりの少年たちを追い抜き返し、角に曲がってすぐに三笠は弾幕を展開した。薄暗い曇天の中で三笠の魔術は一際目立つ。あらかじめ用意されていた煌めきは逃亡者が放った火炎をまとめて薙ぎ払った。

 じり、と二人は追い込まれてきた男に詰め寄る。薄汚れたTシャツに、褪せた色のジーパン。泥だらけになっているのはおそらく、東の追跡のせいだろう。舌打ちが聞こえる。

「止まってください! ていうか抵抗しないでください!」

 右手を掲げながら三笠は警告をする。それが聞き入れられるのが一番いいのだが、そう簡単にことは進まない。あろうことか男は素早い動きで印を結んだ。仏教系の魔術らしい。それに二人が対応するより早く魔力が爆ぜた。

「三笠!」

 初瀬の鋭い声に反応して三笠も身を引く。男の元から白い煙が勢いよく発生した。視界が真っ白になる。早く離脱しなければ、と三笠も必死に足を動かす。

 少し離れた場所にいた初瀬はそれを外から見ることとなった。

(マズい、こうなると面倒だ! 少し手荒でもいいから捕まえないと巻き添えが出る!)

 煙を割って飛び出してくる男を捕まえようと初瀬は待ち構える。路地から再び飛び出してくるだろう。その正面に初瀬は陣取る。

「なっ」

 しかし初瀬の予想を大きく超えて男は真上を跳び超えていく。身体強化魔術を使ったのだろう。さすがの初瀬でも上は手が届かない。そのまま男は走り抜けていく。

(しまった! あっちは!)

 人通りの多い道路に向かっていく男を初瀬も追いかける。男は遠慮なくそこへ突っ込み、近くを歩いていた少年に手を伸ばした。彼を盾にするつもりなのだろう。その手が彼の背にかかる──その瞬間。

 ばっと二人の間に身体を捻じ込んだのはなんと、三笠だった。初瀬よりも早く彼は少年と男の間に割って入り魔術を行使する。

魔導雷撃展開ルートセット! 『三連星』!」

 至近距離で放たれた雷撃は見事男を捉える。それと同時に男の手は三笠の服を掴んだ。互いの魔力が共鳴するように爆ぜる。それらが少年に降りかからないように三笠は必死に身体を張って庇う。痛みがあちらこちらに軽く走った。

「いっ……つ」

 続けて『山雪』を使い、延焼を防ぐ。男は派手な魔力の爆発に怯んだのだろう、少し三笠から距離を取った。その間に、と三笠は振り返る。

「だ、大丈夫ですか。ちょっと派手にやりましたけど……!」

 慌てて怪我の有無を確認しほっとする三笠とは逆に、少年はぽかんとしながらしりもちをついていた。彼の友人だろうか、少し離れた場所で同じ制服を着た男子生徒たちがじっと三笠の方を見ている。

「いや……そっちこそ……」

 正面から衝撃を受けていたが大丈夫なのか、そう言いたげだった。それを三笠は察せたものの、説明をしている暇はない。黙って頷いておいた。傷は浅いのだが痛くないわけではない。滲みだした血を思い切り拭ってから男の方を見やる。雨水が傷口に沁みて痛んだ。それを誤魔化すように口を開く。

「……とりあえずここは危ないから、早く家に帰るなりした方がいいかな。次は守れるか分からない」

 彼がそれをしっかりと聞いているかは分からない。それでも言っておく価値があることを三笠は知っていた。少年の相手をしているうちに、初瀬が男へとにじり寄っていた。それで男も逃げ出さなかったのだろう。三笠は心の内で初瀬に感謝しておいた。

「一応聞くけど、今すぐ投降しなさい。これ以上危害を加えようというのなら、こちらも相応の対処をしますが」

 初瀬の声は雨音の中でもはっきりと響く。

「するわけ……ないだろう!」

 決裂。彼は大きく手を振りかぶって魔術式を開いた。三笠もそれに合わせて前に躍り出る。『三連星』はクールタイムが長めだ。連続で使うことはできない。『春日雨』で時間を稼ごう、そう三笠が考えて指を動かすより早く男の元で魔力が爆ぜる。

(早い!)

 雨天であることを忘れさせるほどの業火がアスファルトの上を走る。三笠はそれを半ば転がるようにして回避した。地を蹴って泥水を巻き込んで起き上がる。橙の瞳は瞬時に対象を補足する。

「当たれ……! 『春日雨』!」

 そしてそのまま、すでに励起していた『春日雨』を撃ち出す。無数の魔力弾は弧を描いて男の周りに降り注いだ。当たりはせずとも、相手が怯むことに意味がある。そう言い聞かせてまだ先程の業火が消えぬうちに、三笠はそこへ突っ込んでいく。強い雨だれと燃え盛る炎が交じり合って、未知の感覚を生み出した。

「捕まえ──」

 伸ばした手が掴んだのは火の粉だった。男は火炎に紛れてそこからすでに離脱していたのだ。あまりの悔しさに、三笠は奥歯を噛みしめる。もう一度、と魔術式を励起しようと手を浮かせた。

「三笠! ちゃんと見ろ!」

 初瀬の怒号で三笠は我に返る。

 ぴた、とその手を止めて息を吸う。

 三笠の悪い癖──それは相手の動きをなんとなくで捉え、決まった動きへ繋げてしまうところだ。つまり、パターンを自ら作り出してしまう。三笠が負傷することが多いのもそのせいではないかと初瀬は指摘していた。

 三笠が動きを止めたのを境に、初瀬も男を捕まえにかかる。初瀬の動きは素早く、法則性のないものだ。しかしそれを男は魔術と反射で乗り切っている。

(見なきゃ! あっちの方が、僕より早いんだから!)

 目を凝らし、避けることと相手の動きを見ることに集中する。反撃のための観察だ、と自分に言い聞かせて癖を抑え込む。

「代われ!」

 初瀬とタイミングを合わせて前衛と後衛を入れ替えた。

 それに放火犯は一瞬身構えたが、三笠がすぐに何も仕掛けてこないことが分かると再び攻撃に移る。ぶわ、と血気盛んな魔力が迸る。

(違う! 確かに魔力が出る速度は速いけど、魔力を魔道具で拡散させて魔術が発動したように見せかけてるだけだ!)

 魔力の消費量が多いのだろう。噴出するその量が少なくなっていっていることにようやく気が付いた。ならば、と三笠は臆さずに突っ込んでいく。それは特攻ではなく、完全に相手の動きを見切った上での一手だった。

「今度こそ、捕まえた!」

 こちらに追撃を放とうとした手を掴み、引き寄せる。そしてそのまま胸倉を掴みに行き、一気に投げ飛ばす!

 春雨が頬を伝っていく。決着がついた瞬間だった。

 初瀬も取り押さえに加勢する。それでようやく、三笠は肩の力が抜けた。

 あれよあれよと言ううちに警察関係者がわらわらとやってきて、男はパトカーに押し込めて連れていかれた。


「……お疲れ」

 初瀬は珍しく穏やかな顔で三笠に労いの言葉をかけた。それに若干慄きつつ、三笠は顔を上げる。

「あ、そっちこそ……お疲れ。途中、助かったよ」

「なかなか抜けないもんだね。まぁ……長年の悪癖っぽいし、ちゃんと戦い方を学んでなきゃこうかって感じだけど」

 肩をすくめながら初瀬はそう言う。三笠は手当てを受けたこめかみの方へ手をやりながら苦笑いをして見せた。

「き、厳しいな」

「でも最後、投げはちゃんとできてたし及第点じゃないの? 向こうも大きな怪我はなかったみたいだし」

 初瀬の指摘に思わず目を丸くする。

「本当だ……意外とちゃんと動けるんだね」

 じわりと喜びが滲む。それを見た彼女は少しだけ表情を引き締めた。

「もちろん、ちゃんと継続して練習してればね? 反射を身に付けられたら一旦は大丈夫だけど、そこからまた変な癖がついたら意味ないし」

 そう言われて三笠は小さく頷いた。

「……何か気になることでも?」

 少しばかり陰っているその目に気が付いたのか、初瀬は首を傾げた。及第点じゃ満足できないというのか、そんな初瀬の疑問に三笠は首を振って答える。

「いや、なんというか……もっと上手く助けられたんじゃないかって。取り逃したのは一旦置いといても……」

「助けられたって……高校生のこと?」

「うん。なんだろう。具体的にどこがって言われると難しいんだけど、もっと上手くできたんじゃないかって気がして」

「まぁ確かに、あんたも怪我してるし……完全勝利ではない、みたいな?」

「かな……?」

 まぁ問題点はそこそこあるけど、悪くないんじゃない。

 浮かない顔の三笠に対し、優しい雨音と共に初瀬はそう言った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る