第17話「仮設事務所と所長」
「……さて、というわけで事務所が燃えてしまったと」
「なんでそんな冷静なんですか」
富士が頭を抱えながら突っ込みを入れる。
鷦鷯による全力の消火活動も相まって、火事はその日の深夜に鎮火した。しかし事務所は見事に全焼、備蓄してあった魔術資源も書類もすべて炭となってしまった。富士は出勤して初めてそれを知ったらしく、気の毒なほど落ち込んでいる。
事務所が燃えてしまった敷宮探偵事務所の主要メンバーである東、三笠、鷦鷯、富士は、急遽敷宮家に集まって会議を開いていた。
(初めて入ったけど、何もかもがでかいな……)
屋敷という言葉に相応しい敷宮家に三笠は恐縮してしまう。他のメンバーは一切臆する様子がないことから、立ち入ったことがあるのだろうか。ガーゼ付き絆創膏の貼られた腕をさすりながら、三笠は
彼こそが『敷宮探偵事務所』の創設者かつ所長であり、敷宮家の元当主……である。近年事務所の方へ顔を出せていなかったのは、家の仕事引継ぎのためだったそうだ。三笠は事務所へ勤めることが決まって以来、一度しか会ったことがなかった。後で分かったことだが、鷦鷯も東も、二回ほどしか会っていないらしい。
ゆったりとした喋り口調のせいか、富士もいつもよりのんびりしているように見える。
「とりあえず重要書類とかのデータは外部でも保存してるみたいからね。その辺は安心していいよ。復旧も済んだみたいだ」
「早いですね」
鷦鷯の言葉に一同は頷く。敷宮白根は満足げに頷いて顎に手を当てた。
「あぁ。サーバーは焼けてしまったけど、対策はしていたみたいでさ。取り返しのつかない事態は避けられたみたいだよ。ただ……建物と物資と家具がやられてしまったか。建物とかは僕がどうにかできるとして、問題は物資か」
「最近買い足したばっかりだったのに……」
富士が妙に落ち込んでいる理由はそれらしい。
魔術物資は現在軒並み高騰している。そうそう何度も買い足せるほどこの事務所に余裕はない。それに、十分な数の物資がすぐに揃えられるとも限らない。事務所には三笠の使う宝石類や魔力鋼などの魔力に関する物から、東の使うような近接戦闘武器類。魔術式符専用の墨と紙……事務所のメンバーが日々使い、かつ消耗する品々が貯蓄されていた。その数は決して少なくない。三人は少し遠い目をした後に、富士と一緒に肩を落とした。
「そうなんだよねぇ。さすがにかき集めようとしても無理が出るだろうし。値上げは激しくなる一方だし……これについても色々考えておこうか。問題は山積みだねぇ」
「私たちにできることは……ありますか」
東が静かに口を開く。しかし敷宮は首を横に振った。
「いいや。物資に関してもそうだけど、君らに負担を強いるわけにはいかない。一応仕事には入ってないからね」
「そうですか……」
「とはいえ、だ。このまま何もしないわけにもいかないからね。昨日三笠と鷦鷯からの報告で放火犯がいることは確定している。というわけで事務所員諸君にはソイツを捕まえてきてほしい」
ぐるりとメンバーの顔を見回して敷宮白根はそう言った。
「零課さんにも協力を依頼してある。魔術を使った犯罪であることに変わりはないからね。向こうさんも協力はオッケーしてくれたんで、そのつもりで」
「分かりました」
全員が揃って返事をする。
「……ところで、燃やされる心当たりはあるんですか」
鷦鷯が心底不思議そうな顔で敷宮白根に尋ねる。真面目な話を終えた後、敷宮白根は使用人たちに茶菓子と急須を持って来させた。鷦鷯いわく『いつもの流れ』らしい。三笠は終始恐縮したまま末席につく。小皿に乗った若草を食べながら頷いて、鷦鷯の疑問に同調してみる。
「そうですよ。相当じゃありませんか?」
東も同感だったらしく、湯飲み片手にそう付け加えた。
「俺が消した感じ、だいぶ強固な魔術をかけられていたようですが」
「えぇ……いや、それがねぇ、ウチの事務所はどこからも喧嘩を売られているから何とも言えないんだ。なぁ富士」
話を振られた富士は苦々しい顔をしてそっぽを向いた。それで一同は敷宮白根の冗談ではないことを察する。かの人は冗談をよく言う、だから言ったことは絶対に鵜吞みにするな──と、特に富士は言っていた。その時の表情を見るに相当振り回されたのだろう。それはさておき。
「あの……どうしてそんなに四方八方から喧嘩を売られてるんですか?」
三笠はおずおずと質問を投げかける。
「それはねぇ、ウチが警察にひいき目に見られてること、それから登録制度を重視しているからかな」
「あ、あー……そうなんですね……」
「ま、他にも多々理由はあるんだけど。大体はその辺かな」
三笠は思わず納得してしまう。
魔術師の中では、登録制度が裏切り者の代名詞になってしまっていると聞く。登録魔術師になればある程度生活は豊かになるのは確定している。しかし登録を受けられるのは狭き門を通り抜けた者のみだ。羨望や嫉妬の念も確実にあるのだろう。
(……って言ってもそこまで快適なものじゃないけどな)
紙面に目を通した側から言えば、勘違いも甚だしい。この溝をどうにかして埋めないことには彼らとの関係がよくなることもない。
「それじゃあ絞れません。もっとないんですか」
鷦鷯は少し不満そうに敷宮白根に言う。しかし彼もぱっと思いつかないらしく、眉を下げ首を傾げた。
「とは言ったってねぇ……候補が多いの事実だから、なんとも……」
そう言いながら敷宮白根はさらさらと手元で何かを書き取る。その内容を三笠の席から見ることはできない。不思議に思いながらそちらを見ていると、敷宮白根と目が合ってしまう。彼はにこりと笑ってから、手にしたメモを富士へ渡した。
「富士、とりあえずこういう感じにしてくれないか」
差し出されたメモを一瞥した富士は短く返事をした後に部屋を出ていく。
「皆も後は待機だね。情報が集まるまではしっかり休んでほしい」
穏やかな口調で敷宮白根はそう言った。
鷦鷯と東が席を立つ。三笠もそれに倣って席を立とうとしたが、敷宮白根から声をかけられる。
「あ、君は残ってほしい。そう、三笠」
「え、はい」
急に呼び止められた三笠は驚きながら腰を下ろす。敷宮白根は、二人が部屋を出たことを確認してから口を開いた。
「こうして話すのは……入社直後以来かな?」
「そうですね、それが最後だったと思います……」
恐る恐る、その人を見上げた。年季を感じさせる白灰の髪は丁寧に整えられており、上品さを漂わせている。瞳の色と併せたのだろう、深い青のカラークリップがいいアクセントになっていると思った。
緊張で指先が冷えていくのが分かる。
「うん、そうだったな。二年くらい前の話だったね。事務所の方にあまり顔を出せていなかったのは、申し訳ないと思っているよ」
「いえ、そんな……お家の方が大変だったと、富士先輩から聞いていますので」
首を横に振ってそう答える。彼が所長であるにもかかわらず、長い間その席を空けていた。富士が所長代理として事務所の仕事をこなす一方で、敷宮白根はいわゆるお家騒動の解決に東奔西走していたらしい。どうやら敷宮家は魔術師の家としては珍しい大所帯らしい。
「まぁね。兄弟がたくさんいると揉め事も多いんだなぁって改めて思ったよ。いつぞやよりずいぶんと男前になったんじゃないか?」
「そ、そうですかね……ありがとうございます」
「君の活躍はしっかり聞いているとも。昨年末はお疲れ様。大仕事をこなしたそうじゃないか。身体の方はもう回復しきったのかな」
「はい、おかげさまで。復帰もできましたし……」
「そうかい。それはよかった。まぁ、また怪我をしてしまったようだけど……」
なんと返せばいいのか分からなかった三笠は、とりあえず眉を下げて笑っておく。痛いのは確かだが、それをここで言ったってどうにもならない。
(ていうか、怪我したの僕の失敗のせいだし)
早く話題を変えよう、そう思った三笠は口を開く。
「最初はどうなるかと思ったんですけど……案外何とかなったので、安心してます」
第一の目標である登録は達成していないものの、なんとか生活ができている。特に昨年のことがあってからは、それだけで三笠は十分だと常々思うようになっていた。
「本当にかい? あれからお金が無くて家も引き払ったと聞いてね」
「あ、そこまで把握されちゃってるんですか。少し恥ずかしいです」
「いやいや、一応社員のことだからね。富士からも『どうにかならないか』と相談を受けたんだけど……なかなか貸せる部屋も無くてね。というか、うちに入れると相続云々に巻き込まれそうだから、と僕から辞退してしまったんだけども」
「申し訳ない」と言いつつ、敷宮白根は頭を下げた。
所長に間借りするのも、相続の話に巻き込まれるのも三笠からすればかなり気が引ける。彼には少し悪いが、そのことを聞かされたときに心底ほっとしたのは事実だ。首を横に振ってから三笠は言葉を返す。
「友人が居候させてくれたので……その辺は何とかなりました。今は家事とか掃除を分担していい感じに住んでますので、その……安心してください」
「気を遣わせてしまって、すまないね。もう少し経費で修理費を落とせるように、会計に掛け合っておくよ」
「あ、ありがとうございます」
ぺこりと頭を下げる。何とか穏やかに話が終わりそうだ、そう思った三笠だったがそれはとんでもない思い違いだったらしい。再び見上げたその人は、ふと真面目な顔をして話を続けた。
「ところで……少し真面目な話に戻すけど、警察側から君に対する評価がどうなっているのかは把握しているかな」
「──それは、去年のことを踏まえての、ですか?」
解り切っていることを三笠は確認した。
「そうだね。『最近の』君の評価だ」
敷宮白根は静かにそう返す。
「……ある程度は察しています。直接言われたことはありませんが」
強調された言葉を飲み込みながら、三笠は曖昧に返した。それで済むのなら、それでいい。三笠のそんな気持ちを察したのか、彼は穏やかに笑って話を続けた。
「そうか。僕から向こう側の評価をどうこうすることはできない。所長である僕からすれば、誠に遺憾である、とコメントするほかないね。君の功績は、決して軽いものじゃない」
「……」
「ただ、だからこそ君の評価が重要になってくるのだろうね。一挙手一動が値踏みされる、そんな感覚になると思う。非常に厳しい視線を向けられることにもなるとも、思う」
「そう、ですね。心得ています」
目を伏せてそう答える。剣呑な視線も、疑いの声も、なんだかんだ言って本人に届いている。見てみぬフリができるほど、その数は少なくない。彼の庇うような言葉は嬉しかったが、どうにもそれを素直に受け取れるような空気ではないと三笠は感じた。乾いた唇を噛む。
三笠の返事を聞いた敷宮白根は、淡々と話を続ける。声も表情も柔らかい。それにもかかわらず、どこか淡白であると感じるのは、おそらく話す速度が少しも変わらないからなのだろう。ゆっくりと、はっきりと。彼の言葉は三笠の耳に届く。
「うん、それでよろしい。だから──くれぐれも頭は低くするように。流れ弾に当たってしまっては、目も当てられないからね。君の振る舞いが、うちの事務所を図る材料になるかもしれない」
緩やかに訪れた緊張に、三笠は息を飲んだ。静かに彼は話を続ける。
「常に意識しろとは言わないさ。ただ、大事な決断をするときに思い出してくれたらそれでいい。君の行動一つで皆が職を失う可能性が出てきたのだから」
湯飲みを置いて、敷宮白根は三笠に向かって視線を投げかけた。
(試されている)
三笠は不意に悟った。彼は穏やかな顔のまま向かいの席に座っている。意地悪でこう言っているわけでも、三笠を嫌っているからこう言っているわけでもないことは何となく分かった。他のメンバーのことも考えて──総括的に誰もにとっていい道を考えれば、こうなるのは自然だ。分からなくもない、というのが三笠の答えだ。
(でも、今このタイミングそれを言わなくてもいいじゃないか)
少しばかり煮えすぎた文句を飲み下して、固まりかけた思考を温めながら息を深く吸う。
「分かりました」
その返事を聞いた彼は優しく笑って頷いた。
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