第14話「勇武の話」

 三笠が連絡をしている間、初瀬は茶の間で一足先に休むことになった。勇武に連れてこられたのは、集落の中で最も入口に近い場所にある日本家屋だ。勇武いわく、ここはお客さん専用の家らしい。公民館的扱いなのだろう、広い土間には少なくない数の靴が並んでいた。それが以外は至って普通の建物だ。手入れがよく行き届いている。

 勇武は初瀬を座らせると、いそいそと茶菓子を物色し始めた。

「そういえばお姉さんの方は警察官なんだっけ」

「そうですね」

 彼は手元に目をやったまま話を切り出す。

「そっかぁ。最近の市内は荒れ気味って聞くし、結構大変でしょ。嫌だね……竜脈がああも不調だと」

 初瀬の答えに対し、半ば他人事のように勇武はそう言った。

「はい、これ結構好きなやつかも」

 彼は話を早々に切り上げて茶菓子を差し出す。こしあんパイと書かれた個包装の菓子を初瀬は受け取った。少し反応に困る。彼が諦めているからこんな話し方なのか、地雷だから平然を装っているのか。判断がつかない。

「ありがとうございます。……やっぱり魔術師にとっては大問題なんですね」

 それでも初瀬は、今の状況を少しでも多くの視点から把握しておきたい。少しだけ遠慮気味に話を戻せば、勇武は平然とそれに答えた。

「まー、ライフラインだからさ。おかげさまで魔道具の値段が上がっちゃって。室の陰謀だとか変な噂が流れちゃって……こっちはこっちで今までに無いくらい大変な時期かも」

 しかし、これもまた他人事のように話す勇武のテンションに初瀬はついていけない。頷くと同時に菓子の袋を開けて一口かじる。きめ細やかなこしあんの甘さと、バターの風味が上手くマッチしたおいしいものだった。

「初瀬、その人ここの出身じゃないから」

 食べながらどう話を続けるか、と考えていた初瀬の背後から三笠が声をかける。連絡が済んだのだろう。彼は初瀬の隣に座り湯飲みを手に取った。

「そそ。だから触れにくい話題とかあんまりないかも。まぁ聞き耳立てられてはいるだろうけど……俺の場合はいつものことだし、あんまり気にされてないっぽい。三笠君、最近市内の物価はどう?」

「そうですね……軒並み上がり続けてます。特に魔力鋼辺りは跳ね上がってるって感じです」

「やっぱそっかー。注文激増してるんだよね、こっちは。下世話な話だけど、今年入ってからめちゃくちゃ儲かってる。過去最高かも」

「な、なるほど」

 三笠は苦笑しながら頷く。以前初瀬が聞いた魔道具の値段より上がっている、ということであれば相当な額になるはずだ。喜ばしいと同時に、理由が理由だから素直に喜んでいられないと勇武は呟いた。

「それってつまり、水道が止まったから、水入りペットボトルが売れまくってるってこと?」

 確認するように初瀬がそう訊けば、彼は可愛らしく肩をすくめて答えてくれる。

「そーなの。元々は竜持ちとかが独裁してたんだけどね。いわゆる水ナシさんたちはそこから大金はたいて魔術研究とかに使ってたんだ。室産の魔力鋼よりは安いからさ」

 魔術師の中にも商売をするものがいる。しかしそれはほんの一握りの存在であり、大半は消費者だ。三笠も含めそういった商人に振り回される魔術師がほとんど、ということになる。

 勇武はうんうん、と一人で相槌を打って続けた。

「そんで、この状況で唯一得ができてる室の人たちに、あらぬ疑いがかかってるってわけ。竜持ちの方があくどい商売してたのに。やれやれ、皆は敵を探すのに必死なのかも」

 可愛らしい顔から吐かれる毒舌に三笠はまた苦笑いをしている。初瀬もどんな顔をしてよいか分からなかったので、茶を飲んでごまかした。

 昨年の鯨騒動は、単に「災害級のスペクターが出現した事件」として扱われている。その裏であったモズの騒動や、大社と竜冥会の取引に関してはすべて火消しがされて、あれ以上取沙汰されることはなかった。

 つまり市内に住む多くの魔術師は「竜脈を荒らした犯人がいる」ということすら知らないのだ。

 そんな具合で、三笠と勇武は魔術関連の話をしている。初瀬は特別詳しいわけではないが、聞いておくことに損はないと考えて黙って二人の話を聞いていた。湯飲みを手に取り、それを傾ける。

(…………あれ?)

 ふと強烈な違和感を覚える。

 それでも、特別気にかかることではない、と思い一度目は無視する。

「あ、これもあげる。結構おいしいやつかも」

 そう言って勇武からまた茶菓子を手渡される。それを受け取りながら初瀬は気になっていたことを訊く。

「そういえば三笠。竜守と室は別って言ってたけど、あれは結局どういうこと?」

「あ、そうだったっけ」

 話がちょうどきりのいいところだったのだろう。彼は眉を下げて首を傾けた。それを見た勇武は菓子袋を畳みながら口を挟む。

「あぁ、その辺結構ややこしいかも。一緒くたにされがちっていうか」

「そうなんですか?」

「実際はかなりの別物なんだよね。なんて説明するのが分かりやすいのかなぁ。とりあえず室は『職人集団』って覚えておいてもらえばいいかも」

「そうでしたね。竜守は……竜骨や竜脈の管理や守護をするお家、ですよね」

 竜骨が水源、竜脈が川と例え、その流れや質を一定に保つのが竜守の仕事だったと初瀬は記憶している。確か昨年、三笠が丁寧に説明をしてくれた。竜脈及び竜骨は魔術師にとってライフラインであるため、それを所有する有力者もいる。それらの人々を竜持ちと呼ぶのだったか。勇武は初瀬の言葉を聞いてうんうん、と頷く。

「そそ。この二つの違いは戦闘力を持っているかいないかってところ。竜守は自衛程度の戦闘力を持っていることが多いかな。室の方は基本的に職人ばっかりだから、戦闘は不得手な人が多いんだ」

「だから戦闘専用の魔術師を雇ってるところもあるんですよね」

 三笠が菓子を開けながら相槌を打つ。

「そのとーり。その戦闘専用の魔術師を防人って言うんだ。初瀬さんも知ってる人で、防人の家の人がいるよ」

「え、そうなんですか?」

「三笠君は分かるでしょ?」

「富士先輩ですよね」

 少し目を丸くしながら初瀬はその名を繰り返す。大柄で甘いものに目がないあの所長代理の男だ。苦労人の気があるように見えるが、実際どうなのかは分からない。

(そういえば一対一で話したことないな)

 朧気で偏ったイメージを思い起こしながら初瀬は続きを促した。

「実はねー。この辺は名字で分かるよ。竜守は地名を由来にした名字が多くって。その土地名そのものを名字にしてるところがほとんどかも。防人は室を象徴するものとか、記号を由来にしてる名字が多いかな。富士は大山……伯耆富士を冠する室の防人だろうね」

 これはおれの推測だけど、と付け加えて勇武は茶を飲む。こう説明したものの、富士本人に確認を取ったことは無いらしい。勇武いわく「そういう雑談をするような仲じゃないんだよねぇ」とのことだった。眉を下げて笑う三笠の反応を見るに事実なのだろう。

「そんな仕組みだったんですね……じゃあ津和野さんも?」

 彼の苗字は町の名前そのものだ。たまたま被った、ということもないだろう。となれば先程説明された法則に当てはまるものではないか。三笠もそう思ったのか勇武の方を見る。すると彼はゆるゆると首を横に振った。

「あ、うちも地名だけど、この辺とはちょっと違うかな。津和野家は代々、あの辺を中心に歴史をまとめる家でさ。保護を受けるっていうのと、子孫代々その地に奉仕をし続けるって意味で地名を貰ってるんだよ」

「え、そうだったんですか」

「そそ。三笠君も竜守の家、だっけ? なら春日の方? だよね?」

 手元で菓子の入っていた袋を潰したり開いたりしながら勇武はそう質問する。これには三笠も意外だったらしく少し目を丸くする。

「そ、そうですね。分かるものなんですね、こういうの」

 彼がそう言えば勇武はどや顔をしながら胸を張った。

「まーこれでも、魔術史の編纂者だからさ。……話を戻すけど、室も竜守も別物だし、竜守は竜持ちとセットなことが多いんだ。んで、竜持ちは室と対立してることが多い」

「だから一緒くたにするとよくないんですね。そういう事情でしたか……ずいぶんと入り組んでますね」

 彼の言葉に初瀬は頭を抱えた。数が少ないからこういった問題も少ないだろうと思っていたが、聞いてみる限りそうでもないようだ。どこも入り組んでいる、と初瀬は小さくため息をついた。勇武も三笠も同感らしく同じように小さく息をつく。

「うん。この辺結構拗れてるんだよねぇ。おれも少し自信ないくらいにはさー」

 勇武の言葉に三笠もしきりに頷いて返す。話がひと段落したからか、一同は黙り込んで手元の菓子に意識を向けている。その中で初瀬は少し前から抱いていた違和感の正体を探っていた。

(いや、やっぱりそうだよな)

 違和感が確信に変わる。

(なんで飲みきったはずのお茶が増えてるの)

 そう、度々口にしていたはずの湯飲みの底が見えない。なぜか気が付けばいっぱいになっている。飲んでいるはずなのに。

「あ、初瀬」

 首を傾げた初瀬に気が付いたのか、三笠が声を上げた。

「ごめん、言うの忘れてた。お茶もういらないってなったら言わないといけないんだ」

「なんだ、それ……」

「あ、ごめんごめん。ついうっかり、いつもの癖でやっちゃったかも。もう止めとくよぉ。この辺はこれが普通でさぁ」

 勇武は後ろ頭をかきながらそう言った。

「ふ、はは、いや、本当にごめん」

 三笠はもう我慢ならない、と言った様子で笑い始めた。

「そんなにおかしいこと? ちょっと、笑いすぎだって」

 笑い続ける三笠に初瀬は不満を向ける。ただそれよりも、なんだかんだ言って恥ずかしい。とはいえ仕返しなんてものはすぐに思いつかない。

(次の練習の時に思いっきり投げてやろう)

 笑い転げる三笠を他所に、初瀬はようやく最後の一口を飲み込んだ。

「勇武さん!」

 その声と共に部屋に人が転がり込んでくる。何事か、と二人が察知するよりも早く勇武は立ち上がってその人物の元へ駆けつけた。部屋に転がり込んできたのは壮年の少しくたびれた男性だ。

「また……! スペクターが!」

「分かった。とりあえず老人優先で避難を。三笠君、初瀬さん。お力をお借りしてもいいですか」

 襟を正しながら勇武がそう言った。急な雰囲気の変化に初瀬は驚いたが頷いて返す。三笠もそれは同じだった。一瞬にして緊迫した空気になる。先ほどまで長閑だった集落は一瞬にして臨戦態勢に入っていた。

「どうなってる」

 勇武が避難誘導をしていた女性に話しかけると女性は冷静な様子で集落の入口を指さした。

「今回もまた、入口の方からみたい。先日の群れではないようだけど……少し大きいから。あの時のかもしれないわ」

「なるほど……。二人とも、どのくらいまでなら問題なく動ける?」

 くるり、と振り返って彼は問う。

 二人は思わず顔を見合わせてからそれに答えた。

「えっと……僕は普段通りとはいかないかな」

「わたしは万全ですけど……魔術師ではないです」

「オッケー。それなら、あの時よりはマシ、か。やろう。今ウチは防人が不在なんだ。頼むよ」

 そう言って勇武は袖を捲った。


 勇武に誘導され、集落の入口に二人は構えることになった。確かに見てみれば、あの細い道に何かがいる。今はまだ、木陰に隠されていてその全貌をつかみ取ることはできない。しかし、油断できない相手であることは初瀬でも理解できた。

「……今のうちに説明しておくけど、たぶんあのスペクター、人を襲いに来たのかも」

「え……それはかなり危険じゃないですか」

「また詳しく話すけど、最近スペクターに襲撃されることが多くてね。アイツは以前もここを襲撃してきたヤツだと思う。その時に人を殺して食ってたし……」

 三笠は勇武の言葉に絶句している。初瀬も思わず眉根を寄せた。

「となると……こちらをなめてかかってくるかもしれないですね」

「そそ。初瀬さんの言う通りかも。だからできるだけ痛い目見せてやって。倒せなくてもいいから。それじゃ、おれは邪魔にならないように引いておくから……後はよろしくかも」

「了解です」

 勇武を見送りながら初瀬は三笠を小突く。

「って言ってもどうする。要するに相手をつけ上がらせるなってことでしょ」

「まぁ……そうなんだろうけど。今の僕にそれができるかなぁ……」

 遠い目を三笠はする。やはり炉心があるとないとでは違うのだろう。実力はともかく、三笠の自信はまるで違う。そんな具合で話している間に、木陰から化け物が躍り出た。

 そのスペクターは初瀬が想像していたものよりも小さかった。大きく口の裂けたモグラ、と言うべきだろうか。人を襲うにはあまりにも小さい。アナグマほどの大きさしかないそのスペクターはゆっくりとこちらに向かって近づいてくる。

「どうする」

「と、とりあえず……叩くしかない、んじゃないかな……」

 作戦も何もない。とにかく突っ込んでいく。それはどうなんだ、と初瀬が言い返すより早くスペクターが動いた。少し遅れて三笠も動き出す。

「入らせる、か!」

 ぱっと魔力と火の粉が散って、弾雨が展開される。しかし細長い体を持ったスペクターは上手くそれをすり抜けて一目散に集落入り口へ向かう。初瀬も負けじと鞘を払う。

(わたしの仕事ではないけど……!)

 本調子でない相方だけを戦わせるのは気が引ける。刃が陽光を反射すると共に周囲に魔力が満ち満ちる。抜刀の威力を維持したまま初瀬は刀を振り抜いた。スペクターは軽く吹っ飛ばされて、元居た木陰に突っ込んでいく。

「やった!?」

「まって、アイツ軽い!」

 初瀬の反論通り、スペクターは再び姿を現した。先ほどと違い、黒い液体を身体から滴らせながらこちらをねめつける。

「……怒ってるな」

 再びスペクターが突っ込む。それを二人が捕えようと必死に手足を動かすも、その足を掴むには至らない。攻撃どころか、補足すら難しくなっている。不幸中の幸いか、スペクターは二人が攻撃してくることに意識を向けている。今すぐの集落突入は免れそうだが、それも時間の問題だろう。スペクターが再び攻撃を仕掛けようと地を蹴った。

 三笠が手を伸ばす。

 初瀬が魔力を解放する。

「ちょっ、まっ」

 三笠の展開した魔術式を初瀬の魔力が塗り潰してしまう。出来上がった大きな隙を突いて、スペクターは門を突っ切る。

「しまった!」

 二人は揃って声を上げる。

 初瀬の足でもあのスペクターの前に回り込むのは難しいだろう。二人が臍を噛むよりも早く、ばちん、と大きな音がした。

「……! 結界だ!」

 スペクターは見えない壁に阻まれて怯んでいる。大きなチャンスを逃がすまいと初瀬は声を張った。

「三笠! 適当に撃って! わたしが突っ込むから」

「な、は!? なんで」

 三笠が文句を言うより早く初瀬の足は駆け出す。彼は口を閉ざし、再びその手を繰った。

「どうなっても知らないからね! 『流星』!」

 適当に撃て、とは言われたものの、乱射するわけにはいかない。三笠は右から左へ追い詰めるように魔力を撃ち出していく。初瀬もそれに気が付いたのだろう、逃げるスペクターの前方に回り込んでその力を解放する。

「も、ら、ったぁ!」

 濃い魔力を纏った殴打は、確実にスペクターの頭部を捉えた。刃を削いだ刀とはいえ、鉄の塊であることには変わりない。嫌な音を立ててスペクターはその形を崩す。

「……はぁ、よかったぁ」

 初瀬はほっと息をついた。

「ていうか初瀬」

「分かってるって、ごめん」

 魔術式をかき消したことについて、三笠が指摘するよりも早く初瀬は頭を下げた。

「ん、ま、まぁ……そこまでじゃないけどさ」

 その速さに三笠は思わず後ずさる。そこまで責めたつもりはなかったのだろう。

「いや。結構危なかったし」

「そりゃそうだけど」

 「そこまで?」と言わんばかりに三笠は首を傾げる。そんな三笠の様子に初瀬は少し腹を立てた。

(結界があったからまだよかっただけなんだぞ)

 そんな言葉をぐっと飲み込んで刀を鞘に納める。

「二人とも! 無事―?」

 その声に反応するよりも早く、視界に勇武が転がり込んでくる。よほど心配だったのだろうか、起き上がるや否や三笠の身体を叩きながらしゃべり始める。

「ホントに大丈夫? かすり傷とかあったりしたりしない? ちょと、なんか言ってって」

「あ、だ、大丈夫ですよ。はい。だ、大丈夫……だよね?」

 あまりにも勇武が心配するせいで、大丈夫という言葉がゲシュタルト崩壊してしまった。三笠の視線を受け取った初瀬は真顔のままで頷いておく。

「はぁー……結構肝が冷えたかも。ごめんねえ。戦えないからって引きずり出しちゃって」

「いえいえ……初瀬はともかく、僕はこれが仕事ですし」

「それもそうだった。じゃあ怪我もしてないし、いいか」

「えっあ、うん。うん!?」

 ひとしきり心配して満足したのかふいっと勇武は離れた。その落差に振り回される三笠を他所に勇武は話題を切り替える。

「あ、そうだ。ちょっと相談があるんだけどいい?」

「あ、はい。何でしょう?」

 閑話休題、勇武は不意に真面目な顔になってそんなことを言った。

「実は取り出した記憶のことなんだけど、解凍できる人が今ここにいなくてさ。だから持って帰ってそれから解凍してみてもらうことになるかも。いいかな?」

「えっ、そうなんですか」

 三笠も初瀬も目を丸くしてしまう。

「しょうがないよー。この前まではいたんだけど、スペクターに殺されちゃったんだから」

 その言葉で初瀬も目を丸くした。もしかしなくても先程のスペクターの仕業だろうか。勇武は少しだけ目を細めて話を続けた。

「つい最近の話なんだけどね。ちょっと前にも言ったけど、注文が激増してるから自然と集落の中にある魔力鋼も増えるでしょ? 納品するにしてもここは不便だから、一度にやるし。ってことで納品前の魔力鋼を狙って、集落の中に腹減りのスペクターが入ってきちゃうことがあって」

 その時は特に酷かったらしい。怪我人も多数出てしまい、魔力鋼も荒らされた。

「今は黒字経営だからもう少しすればボディーガード的なのも雇えそうだからいいんだけどさ。職人一人の損失は大きすぎるかも。そっちもタダじゃないし、結局プラマイゼロってところなんだよね、実は」

 勇武は肩をすくめて首を横に振った。

「だから市内で言いふらしてくれたら嬉しいなー。『室の奴らはなんだかんだ言って今までとあんま変わらん』って。そうじゃないとボディーガードもあんまり仕事を請けてくれなくって」

 勇武は何でもないようにそう言った。初瀬も三笠も、これにはどう返していいか分からずに口を閉じる。彼も少し申し訳ないと思ったのか、肩をすくめてこう付け足した。

「ってそこまで権力はないよねぇ。警察の仕事じゃないし、敷宮も似た者同士だし」

「すみません、お力になれそうになくて」

「いいんだよお姉さん。また危ないことあったらちゃんと頼むから、その時はよろしくお願いするかも。ま、なんだかんだ言って自然の範囲内だし」

「自然ですか」

「そそ。スペクターもまたこの辺に住む生き物みたいなもんだからさぁ。竜脈以上で困ってるのは向こうも同じって感じかも。だからこれは自然なことなんだ」

 そう言う勇武の表情は明るい。言動からしてやはりどこか楽観的、もしくは俯瞰的に感じる。あまり自分が渦中にいると考えていない様子だった。

「えぇとなんだっけ、脱線させちゃったかも。そうそう、解凍できる人ね。ハルちゃ……武治たけはるに頼むといいよ。アイツは器用だし。一応例の職人さんが残してた手記とかも持って行ってやって。アイツなら初めて触る魔術式でもなんとかなると思う」

 そう言って勇武は誇らしげに、にっと笑う。

「それじゃ、これは特に丁重に扱ってね。本当はもっと大きいんだけど、転華が激しくって。細切れになっちゃってるのはしょうがないってことで」

 そう言ってから勇武は、瓶詰にされた記憶の欠片を三笠に手渡した。

 二人は揃ってそれを覗き込む。掌にぎりぎり収まるサイズのそれには大きな六角形の石が入っていた。深い黒色のそれを覗き込んでいると、大事な何かが吸い込まれそうな気がする。瓶を傾ければ、かろんと音を立ててソレは転がった。あんなに大きなスペクターになっても、記憶はこの程度の大きさにしかならないらしい。

「じゃ、よろしくね」

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