第13話「室」

 三笠は隠しもせずにあくびを噛みしめた。それを横目で見てしまった初瀬は、大きなため息をつく。

「疲れてるんなら寝れば?」

「あ、ごめん……気づかなかっ、あっ」

 軽い謝罪と共に膝上へ視線を落として、三笠は小さく声を上げる。

「ごめん、今のところ右だった……」

 そう言った頃にはすでに交差点に差し掛かっていた。

「早く、言えと、あれほど」

 ハンドルを握る初瀬は三笠に一瞥もやらずにそう返した。交差点を過ぎ、車は田んぼの中の一本道を走り始める。

「ご、ごめん……」

「いいよ。迂回ルートはある? それともいったん止まってUターン?」

「少しだけ回り道になるけど、迂回ルートはあるね。次見えた角を右に行けば大丈夫」

 三笠の指示通りに初瀬は右折した。そのまま道なりに進んでいけば、強くうねった山道に入る。民家はぽつりぽつりと点在しているものの、田と木々の方が目に付く。見上げる空には必ず山が目に入る。そんな田舎道だ。

 二人は刻印について調べるために山奥を目指して車を走らせていた。

「ここ初めて来たな」

「そうなんだ……って思っちゃったけど、早々来るところじゃないか」

 三笠も苦笑しながら返す。

「随分と不便なところに住んでいるんだな、その魔術師たちは。ここから先ってことは、救急車ですら来るのに時間がかかるでしょ」

「らしいよ」

 三笠たちが向かっているのは安来市内からかなり離れた位置にある集落だった。ほとんど県境に存在すると言ってもいいその集落には、例の大亀を含む複数の転華個体の処理を担当する業者──魔術師集団が住んでいる。

 大亀の家の方は春河と友永、それから津和野で調べるとのことなので、初瀬と三笠は彼らの記憶を探るために車を走らせることとなった。刻印を施したのが誰なのか、分かれば捜査は大きく進むからだ。

「まぁ……人を避けて暮らすのが魔術師の常だし……」

 そんな魔術師の中でも特異な存在が住む集落、室。西日本では穴熊と呼ばれることが多いと聞く。

「排他的で、職人気質な魔術師が暮らしてる……んだっけ?」

「大体そんな感じ。あとは破門された魔術師とか、はぐれものとかそういう人がいるかな。基本的にそれぞれの出自はバラバラなんだって」

 江戸時代からそれまで漂泊民だった魔術師たちは定着し始める。いくら社会のはぐれものとはいっても、大勢に逆らうことはできない。結果その土地で世代を重ね、独自の集落を築いた先にできたのが室だった、というわけである。

「ふぅん……まぁじゃあ、職人の村みたいなイメージでいいわけ? 何の職人だか知らないけど」

「うん。そうだね。大亀の後処理の時に業者呼んだでしょ? 転華して生まれたスペクターは特別な処理がいるから、業者を呼ぶのが必須なんだよね」

「んー……なるほど? だから刻印のことも分かるかもしれないのか」

 三笠の説明に半分頷きながら初瀬はハンドルを細かく切っていく。無遠慮にせり出した斜面は、ゆらゆらゆらゆら、と蛇行する道を作り上げる。そこを初瀬はほとんどスピードを落とさずに進んでいった。

「そうそう。初瀬さ、去年の鯨のこと覚えてる?」

「うん? あー、覚えてるけど。アレ未だに解剖中なんでしょ?」

「そう、解剖中なんだよ。スペクターは普通、死体を残さない」

 三笠の言葉にぴんときたらしく、初瀬は小さく唸った。会議の中でもそういった話があったはずだ。あの時は他のことに気を取られていて、あまり頭に入っていなかったらしい。

「そういうこと。じゃあ昨年のアレは元々魔術師だったと?」

 確かに、初任務の時に相手したスペクターをはじめ初瀬が今まで戦ったことのあるスペクターは総じて事切れた後に塵になって消滅していた。しかし鯨だけは例外で、あの後数日間はあの場所に置かれていた。復旧作業の傍ら、どう片付けるのか観察していたからよく覚えている。

(あの時は確か、分解してどこかへ運んでいたんだったか)

 その運ぶ先は室だったのだろう。三笠たちが鯨にノータッチだったのも『専門家の邪魔をしないため』だったというわけだ。

「うーん、そうかもしれないし、そうでないかもしれない」

「曖昧だな」

「まぁね。半々ってところらしいよ。中身はめちゃくちゃだったみたいで……仮に元魔術師だったとしても、証明するのは難しいだろうって報告があったな」

 あの鯨に関しては、海岸に流れ着いたものを竜冥会のメンバーが拾ったと証言している。後に管理に困って手放そうかと悩んでいたところへ初瀬幸嗣が現われ、譲るに至ったらしい。

「竜脈に繋がるとあんなに大きくなるのか」

 昨年の巨体を思い起こしながら初瀬は尋ねる。

「あー……、どうなんだろうね。最近報告があった転華個体は、全部大きかったけど」

「そこも分からないのか。逆に何が分かってるの?」

「死体が残っているうちはいつでも蘇生できる、ってところくらいかな。あとは魔術師がなるものってところ」

「あくまで『瀕死』状態ってことね」

 初瀬の結論に三笠は「そうだね」と返す。

 感覚としては互換性のあるパーツや電池さえあれば動く機械類に近い。大きく違うのは意思を持っているという点と、スペクターとなっても、その意思の有無に関わらず魔術を行使するというところか。

「そういうこと。だから完全に死んだ状態にするために、ちゃんとした儀式をする必要があってね。そこで室の人たちの力がいるんだ。あの人たちがそれを専門に商売をしているから」

 今現在車を走らせている理由に初瀬はようやく納得がいった。

「ふぅん、じゃあ専売特許ってわけ。……ん?」

 会話に割り込んできたのは着信音だった。シンプルなその音が聞こえるや否や初瀬は素早く携帯を取り出して、画面をちらりと見やる。

「えっ、え!?」

 放られた携帯をキャッチして、三笠は泡を食いながら初瀬の方を見た。初瀬はというと、運転に意識を割きながらこう付け加える。

「ごめん出て。友永さんだ」

「えぇ……あ、すみません、三笠です。あ、違います、運転中で……はい、はい」

 そんな具合の少々まどろっこしいやり取りをした後に、三笠は初瀬を覗き込む。

「あのさ、津和野さんが部屋から出てこないって……」

「……それ、わたしにどうしろと」

「だよねぇ……えぇと、僕から富士先輩に連絡しようか」

「それがいいでしょ、たぶん。ちょっと待って、止まれそうだから止まるわ」

 そう言いながら初瀬はサイドブレーキを引いて、三笠の手から携帯をひったくった。一瞬だけ彼は不満そうな顔をしたが、すぐに自身の携帯を取り出して富士へ発信する。お互いに連絡を済ませ、一息つく頃には二十分経っていた。

「……話戻すけど、要は今から解体業者に聞き取りに行くってことね」

 そう言って初瀬は携帯をドリンクホルダーに放り込む。

「あ、そんな感じ。特に何かするってことは無いかな」

 そんな適当なやり取りの後に車は再発進する。ここからもまた、つづら折りになった山道が続いていく。対向車も追従する車もない。そんな孤独な状況を初瀬は心地よく感じていた。目の前の景色に集中するのに飽きた彼女は、思い出したように話の続きを始めた。

「にしても、バラバラが売りの魔術師の中でも塊はできるんだな」

「……そりゃあるよ。集団行動には向いてないけど、集団でいた方が有利なことは多いからさ。竜持ちならまだしも、僕らみたいなのは個人活動が厳しいところもあるから。だから……うちの事務所みたいな民警と、竜冥会みたいな自警団、それに神社とかが中心の宗教団体。竜持ちの魔術師一家が作った組織もあるかな」

「……多いな」

 三笠の列挙していった組織を脳内で反芻する。

「一個一個の集団の規模は大きくないんだけどね。正直全部把握するのは無理かなぁ……。所属しない! っていう魔術師もいっぱいいるし。自分の所属する集団に強い拘りがある人もいるしで」

「だから魔術師の大規模組織はないのか。軍隊もそうだけど」

「まぁ……そうだね。きっと軍事利用を危険視する人もいるけど、そうはならないんじゃないかな。すぐ分裂するし。一人一人、そこまで強いわけじゃないからさ。ああそう、だから十月事件も偶然複数の事件が重なっただけっていうのが有力なんだよね」

 頬杖をつき、車窓に意識を飛ばしながら三笠はそう付け加えた。

 進んでいくほどに民家の数が減って、田んぼの面積が増えていく。さらに峠を一つ越えれば民家どころか、田んぼの面積も減っていく。人が住む場所ではないのだろう。そんな雰囲気を感じざるを得ない。

「あんたの家もそうなんだっけ? 違ったか」

「あー、ちょっと違う、かな。室と竜守は別物だよ」

「えぇ……?」

「ちょっとだけややこしくなるから、また今度ね。話を戻すけど、敷宮の人は大体その辺出身だよ。所長がそういう魔術師を雇いたいんだーって言っててさ」

 そう言いながら三笠は少しだけ目を伏せた。初瀬はそれで敷宮の立ち位置を察する。おそらく他所との溝があるのはこういう構成員の出自が関係しているのだろう。ただ、初瀬自身それを目の当たりにしたことはない。

「魔術師界隈も思ったより広いんだな」

「いち地方の片隅なんだけどね。魔術師の数が多いからこうなるのかな」

 そんなこんなで、ようやく集落の入口に到着する。

 市内から車で四十分弱。不便に不便を重ねた場所に位置するその入り口を初瀬たちは車で通り抜けた。

「あ、ここからは歩きじゃないと行けないから……この辺で止めて」

「はいはい」

 降り立った先にあるのは狭い狭い林道だった。向かいから人が来た時にはどちらかが入ってきた方まで下がらなければならない。一方通行のそれを抜け、細い川を飛び越えた先に目的地は姿を現す。

「お! 敷宮さんところのお使いチーム?」

 ご機嫌な様子でこちらへ駆けてきたのは、黒い丈長の上着を羽織った小柄な人物だった。華奢でかわいらしい顔立ちをした人物に三笠は一度会ったことがあるらしい。

「お久しぶりです、津和野さん」

「……あ、津和野って」

 呼ばれたのその名に初瀬も遅れて反応する。津和野と呼ばれた人物はにこにこと笑いながらピースをして見せた。

「そう。思い浮かべてる津和野で合ってる! おれは勇武いさむだけどねー」

(男性だった)

 その声の低さに初瀬は少しだけ驚く。ふわふわとした長い髪に、可愛らしい目元。アクセサリーは瞳の色と揃えてあるらしい。涼やかな青竹色がいいアクセントになっている。初瀬にはどう見ても年下の女性にしか見えない。それでも声は完全に男性のそれであり、彼が男であることは疑いようがない。改めてその姿を見てみれば、肩や胸元、手足は上手く衣服で隠されていた。

 少し混乱する初瀬を他所に津和野勇武は話を続ける。

「んで、先日の大亀さんのデータが欲しいんだっけ? それなんだけど、もうちょい時間がかかるかも。少し待ってもらうことになるけどいいかな?」

「分かりました。どのくらいになりそうですか? 一応事務所に連絡したいので……」

 三笠の返しに勇武は少し首を傾げてからこう返した。

「そこそこでかいからかき集めるのが大変で……今日中に終わるのは確実だけど、日が沈むのが先かも。てことでお茶でも淹れるからついてきてー」

 彼はにこにことしながら二人を手招きした。

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