第12話「裏面」

 日が沈み、人々が帰路につく頃。女が一人、足早に歩いていた。彼女は高いヒールをものともせず段差を超え、閉め切られたドアの前に立つ。目の前のドアには『closed』と小洒落た文字で書かれた看板が下げられていた。女は持っていたハンドバッグから鍵を取り出し、そのドアを遠慮なく開ける。ドアベルが暗い店内へ元気よく来客を報せた。

 彼女はドアの内側へ身を滑り込ませ、バックヤードへと向かう。喫茶店の奥の奥、畳まれた通路の先にあるそこが集合場所だ。

 綺麗に保たれた部屋には先客が居た。

「あら、お早いのね」

 彼に向って女は声をかけた。いつもは自分が一番乗りなのだ。先客がいるのは完全に予想外だった。

「そうですかね?」

 声をかけられた当人はというと、小首を傾げて不思議そうな顔をしている。

「あ、でも今日は近くで別の用事があったので……そのついでに来たから、確かに早いですね」

「やっぱりそうじゃない。まぁ、退屈しないからいいけども……」

 あとのメンバーはいつも通りなら遅刻をしてくる。女は適当に椅子を選んで席に着いた。ちょうど先客の座っている斜め向かいに当たる席だ。

「そうですね。せっかくですし、お菓子先に開けちゃいましょうか」

 穏やかにそう笑って彼──周防夏彦すおうなつひこは近くにあった紙袋を手に取った。たったそれだけの動きでも、その所作の滑らかさが目に付く。確実にそういった方向の躾を受けてきた人の仕草だ。香住かすみからすればそんな人間がこんなところに居るのは、やはり不自然としか思えない。しかし服装は派手な色の柄シャツである。所作は丁寧、服装は派手そのもの。違和感のある組み合わせだが、それを周防夏彦は上手く着こなしていた。

 ──それはさておき、香住は菓子について話を続ける。

「大丈夫なの?」

「今日は多めに買ってきたので大丈夫です」

 そう言って彼は紙袋の中からクッキーを取り出す。

「ふーん……また例の居候用?」

「まぁそうですかね。この前おいしいって言ってくれたんで、また買ってきたんです。香住さんにもおすすめしますね。あいつがそう言うなら、絶対に間違いないので」

 にこりと笑いながら周防は小袋を差し出した。長い黒髪がさらりと揺れる。横髪を残して、後ろで一つの三つ編みにまとめられた髪は、右肩に垂らされている。今日は三つ編みの気分だったらしい。髪型と仕草のせいだろう、どこか姉のようだと感じながら香住は小袋を受け取った。

(居候の舌を露骨に全肯定するわね、こいつ)

 満足げな朱色の瞳に促され、袋を開けてみれば満月のように綺麗なクッキーが五枚、袋の中に入っていた。それを一つ摘まんで口に放り込む。ほのかな甘みと心地の良い食感が唾液腺を刺激する。

「……へえ、おいしい」

 思わずそう声に出す。香住の感想を聞いた周防は、また満足げに頷いて見せた。

 それから少し雑談をし、盛り上がってきたところで次々と遅刻者たちが顔を出す。周防は新しくメンバーが顔を出すたびに菓子を差し出していた。よほど気に入っているのだろう。香住は半分白い目でそれを見守っていた。

 待ち合わせの時間から一時間経った頃。入口の方から荒々しい足音がした。それを合図にその場にいた全員が口を閉ざす。足音は徐々にその間を広げて近づいてくる。それから少しの間が空いて、バックヤード入口の目隠しを押し退けて一人の男が入ってきた。ややこけた頬に、暗い目元。色の薄い髪も相まって、壮年に見える中年の背広を着た男である。集まったメンバーが皆若いせいもあってか、彼の容姿は悪い意味で目立っていた。

「遅くなりました」

 低い声でそれだけを言って、彼は空いていた一番奥の席に座る。ある一点を除いていつも通りの流れだった。

「……新入り?」

 香住が首を傾げながら、男にそう問いかける。視線は入り口横に立っている人物へ向けられていた。薄暗い廊下に、暗い色の服を着ているせいだろう。その姿を香住は上手く捉えられない。

「そうですね。まぁ、メンバーが増えたり減ったりするのなんて、珍しくもないでしょう。それより……状況が変わりました。我々の手で計画を再起動させましょう」

「えっ、幸嗣さんが戻ってくるまで待つんじゃなかったんですか?」

 男の言葉に素直な反応を示したのは、周防だった。

「悪いお知らせですが。残念なことに、あの人は殺されたんですよ」

 彼の言葉に、一同は硬直した。凍り付いた空気の中で、香住は恐る恐る口を開いた。

「どういうこと……? あの人は今、拘留中じゃなかったの?」

 そう、初瀬幸嗣は拘留中だったはずだ。そんな状態にある人が果たして殺されるなんてことがあるのだろうか。すると男は忌々しそうに顔を歪めて見せた。

「不審死らしいですね。現在調査中らしいですが……大方どうしようもなくなって殺したんでしょう。生かしておくには大変でしょうし、世間の批判もありますからね」

 言葉こそ淡々としたものだったが、その声と表情には珍しく感情が顕れていた。

「でも、再起動させるにしたって、不完全なところがあったし……計画自体、俺らは知らないですよ」

「私は知っています。ですので、指揮は私が執ります。何か不満でも?」

 確認するような男の言い分に、周防は控えめに首を振ってみせた。

「いえ……計画自体を知らないので、何も」

 露骨な周防の言い方が鼻についたのだろう。それでも、男はそれ以上機嫌を悪くすることなく話を仕切り直す。

「別に構いませんよ。今から計画内容を共有します。その上で降りる降りないは自由に決めてください。ただ……」

 言葉を切ってから、彼は静かにこう告げた。

「あの人に少しでも報いるつもりがあるのなら、答えは決まっていると思いますが」

 その目の中で、業火が咲く。

「計画の最終目標って、あるの……?」

 香住の問いに男は静かに頷いて面を上げる。

「最終目標は、竜骨の解放です」

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