第8話「遊嬉宴楽」

 ため息をつきつつ、初瀬は歩を進める。半歩前を三笠が、初瀬の隣を友永が歩いている。

(……飲み会とかあるんだ)

 大亀駆除の後、初瀬たちは現場に残って片づけの手伝いをしていた。市街地の被害は甚大で、怪我人の手当てよりも交通誘導の方が大変だった。慣れないことをしたせいだろう。いつもよりも疲労感で身体が重い。

 初瀬たちが奔走している間、三笠と鷦鷯は富士からいつもの注意を食らっていた。他に何やらゴタゴタとやり取りをしていたが、初瀬自身忙しかったために把握しきれていない。そんな具合で大変な一日だったのだ。そのため、この新人歓迎会兼零課再編結束会に参加するつもりはなかった、のだが。

『えっ……初瀬さん、いらっしゃらないんですか?』

 不安げな顔と共にそんな風に言われてしまったが最後。結局初瀬は送迎を理由に飲み会へ参加することになった。一度断った手前、幹事である春河に連絡するのは気が引けたが彼は快く歓迎してくれた。

(ま、当の本人は後片付けがもう少しあるから遅れるらしいけど……仕事、変わったのかな)

 そんなことを思っているうちに三人は目的地に着く。店員の案内でたどり着いた席は大変に賑やかな店内の奥の方にあった。春河が気を利かせたのだろう、新人歓迎会兼零課再編結束会の会場は広めのスペースが確保された個室だった。

「へえ、こういうのあるんだ」

 思わずそんな感想が口をついて出る。それに対し三笠も感心したように頷く。

「そうだね。僕もこの辺にあるってのは知らなかったな」

「……ん? なんで三笠がいるの?」

「それは僕も疑問に思ったけど……春河さんがわざわざ名指しで呼んできたから」

「へえ……?」

 いつの間にそこまで仲良くなっていたのだろうか、そう思ったが三笠の表情を見るにそうでもないのかもしれない。彼自身どうしてここにいるのか、よく分かっていないらしい。いつも通り呆けた顔をしている。三笠の招待理由を考えながら初瀬は戸を引いた。

「おー、お疲れぇ」

 そんな気の抜けた声とともに初瀬たちを出迎えたのは、なんと二森にもりだった。その顔を見た三笠はぎょっとして後ずさる。初瀬はそれを一瞥してから二森の方を見る。何とも意外な人物が登場したものだ。

「あれ、二森さん?」

「いやぁ、初瀬さん。実は俺も今期から零課担当なんだよー」

「そうだったんですね。それはなかなか心強いです」

 にへら、と笑いながら二森はピースをして見せた。少しだけ驚いている三笠を放って、初瀬は友永を手招きする。彼女は身を縮めながら敷居を跨いだ。

「あ、先輩! こっちです、こっち」

「え? 赤鴇あかとき?」

 予想外の声と名前に初瀬も思わずそちらを見る。

「な、なんで?」

「進一がせっかくだからーって、呼んでくれたんです。でもさすがに気が引けたので……先輩を呼んでくださいってぼくが言っちゃいました。すみません」

 そう言いながらも、赤鴇はどこか嬉しそうである。

「なんだ、そういう……」

「あ? オマエ……」

 硬直した三笠越しに声の主を確かめる。見覚えのあるその姿に初瀬は小さく声を上げた。

長柄ながら……千速ちはや……」

 若干顔をひきつらせた三笠がその名を呼ぶ。彼に対して鋭い視線を飛ばしているのは金髪の男だった。大人びたその顔立ちのせいか、こんな場にいても違和感がない。歳は赤鴇と同じ十六のはずなのだが。思わぬ人物の参戦に三笠も動揺しているらしい。それもそうだ、この二人は──。

「また会ったな二流がよ……! んでこんなトコに居んだよ」

「は!? 先輩が二流!?」

 長柄の言葉に横から赤鴇が噛みつく。面倒なやり取りが始まりそうなことを直感した初瀬は、友永をさっさと座らせて自分も席に着く。メニューを彼女へ手渡しながら、部屋の隅で事の顛末を見守ることにした。

「どの口が言ってんですか! 一回先輩にボコられた癖に」

 舌を出しながら赤鴇は長柄を挑発する。

「あ、あぁ!? ちげーよ、アレは事故だ! 今戦ったらオレが勝つに決まってるだろ!」

「なーにが事故ですか。大人しく負けを認めればいいんですよ」

「ちょ、赤鴇。とりあえず落ち着いて。ここ一応お店だから」

 三笠に窘められるも、赤鴇の気は治まらない。彼は一体どこからこの話を聞いたのだろうか。少し不思議に思ったものの、当人たちが気に留めるはずもない。三笠にとっても赤鴇が噛みつくのは想定外だったのだろう。慌てて彼を宥めにかかるが意味を成さない。先程の「二流」呼ばわりが彼の地雷を踏み抜いたらしい。

 赤鴇は三笠に抑えられながら、じりじりと長柄へ詰め寄っていく。長柄もまた、それに触発されて腕まくりをしつつにじり寄る。三笠を挟んで一触即発、そんな空気になりかかったその時だった。

「長柄、赤鴇。ステイだ。騒ぐな」

 浦郷にぴしゃり、とそう言われた二人はすぐに動きを止めた。その場の注目が一斉に彼へ向かう。注意をした本人は悠々と机に肘をついてコップを傾けた。やや間があって、浦郷は珍しく上機嫌そうにこう告げる。

「お前ら今日の昼やらかしたこと忘れてないよな?」

 ──落雷。

 二人は黙って顔を見合わせた後に、そそくさと席に戻って行った。三笠だけが困惑したままその場に残される。

「え、何があったんですか……ていうか、担当変わってたんですか!?」

 三笠の突っ込みに浦郷は小さく頷いて肯定する。

「そうだ。今日からだがな。今日の昼のことだが……この二人は学校をさぼって私闘に及んでいた。たまたま大亀が乱入したから、無かったことになっているが」

 大人しくなった二人に対し、浦郷は容赦なく追加の冷や水をぶっかけた。誰もが二人の反応を待って黙り込む。

「赤鴇……」

 三笠もさすがに庇えない、と言わんばかりに眉を下げた。

「せ、先輩……違うんです、こいつ学校で容赦なく殴りかかってくるから」

「挑発に乗ったってことでしょ……?」

「あ、う、それは、そうですけど……」

 たじたじになりながらも必死に言い訳をする赤鴇だったが、表情の変わらない三笠を見て語気も言葉も弱くなっていく。

「さすがにそれはそのー、よくないんじゃないかなぁ……」

「す、すみません」

 三笠の追及に赤鴇は完全に小さくなる。先ほどまでの勢いは一瞬で吹き飛んでしまった。一方、長柄は何故か得意げな顔をして鼻を鳴らす。

「はん、ざまーねぇの。憧れの先輩に怒られてさぁ」

 彼の言葉に赤鴇は顔を顰めたが、さすがに冷静になったのか特に何も言い返さない。小さく舌打ちが聞こえたのは気のせいではないだろう。初瀬は思わず苦笑いを浮かべてしまう。

「長柄も同罪だし、なんなら挑発した分お前の方が悪いからな」

「え、なんで」

「何でじゃない。私闘禁止だって契約時にも言ったはずだ」

「あ、あー?」

 完全に忘れていたのだろう。それを長柄は誤魔化すことなく首を傾げて示した。浦郷は少し遠くを見た後に、口調を少し優しいものに改めて説明を加える。

「禁止事項は三つ。監視官のいないところで勝手に魔術を使う、定期連絡をさぼる、更新料滞納。お前は現状、俺がいいと言わなければ魔術を使うことは許されない」

「はぁ!? そんなのおかしいだろ! お前らが有利なだけじゃん!」

 当然とも言える抗議を長柄はする。それに対し浦郷は少し人の悪い顔をしてこう返した。

「お前ら魔術師が力を持ち過ぎないようにするためだ。登録の道を選んだ時点でそれを承知したことになる」

「は、え──!? そんなのアリかよ!」

「お前は読まずにサインしてたなぁ。まぁ、仮登録期間は長くて二年だ。更新料金が払えなくなったら自動的に解除される。不満なら請求を突っぱねていればいい。その代わり別の問題が発生して、税務署から電話がかかってくるかもしれないがな」

 その言葉に長柄も三笠も赤鴇も微妙な顔をして見せる。

「あ、あの……もしかして仮登録とか、登録申請って結構お金がいるんですか……?」

 友永は小声で初瀬にそう尋ねる。これまでずっと黙って事の成り行きを見守っていた彼女だったが、少しばかり入り組んだ話になってきたからだろう。申し訳なさげに尋ねてきた彼女に、初瀬はできる限り優しく答える。

「そうだね。登録免許も仮登録免許も、定期的に更新料を払う必要があるし、申請時にも結構なお金がかかるな」

 スペクターを駆除し、報酬を受け取る。その駆除のための道具は一部経費で落とすことができる。そう聞けば便利でよい制度のように聞こえるが、実際のところはそうでもない。免許更新料や落とせなかった分の駆除費用と、報酬は釣り合わないことが多い。最速で登録を受けられても、手に職がついていなければその生活は苦しいものになる。しかもスペクターを相手するのだ。スペクターが全く出現しないときもある。

 報酬を得るために「我先に」と駆除しに行く必要があるのだ。私闘禁止も、管轄制度もすべてこれが原因でできたものだった。

 初瀬の説明を聞いた友永は唖然とした顔で魔術師たちを見やる。

「こんな制度だった、んですか」

「あー……一応未成年は、更新料とかも安くはなっているから、心配するようなことは起きてないよ」

「そ、それはよかったですけど……でも」

「まぁ、言いたいことは分かるけど」

 小さく息をついてそう返す。そのタイミングだった。

「もー、浦君さぁ、悪い癖出てるよー」

 そう言って会話に割り込んできたのはなんと二森だった。

「別に。コイツは何度説明しても覚えないからな」

 咎めるような、窘めるような二森の言葉を浦郷はさらりと流す。酔った二森はそれを気にしていないのか、長柄の方へ向き直って彼を手招きする。

「コイツちょっと口調は強いけど、君を貶めるつもりで言ってるんじゃないんだよ。ま、TPOは選んでほしいよねぇ。ほら唐揚げをお食べ。レモンかける?」

「は、はあ……」

 長柄は菫色の瞳を揺らがせながら二森の元へしゃがみ込む。そんな彼の元へわらわらと人が寄っていくのが見えた。おそらく二森と同じ鑑識の人たちだろう。初瀬も何度か二森と共に仕事をしているのを見かけたことがある人物ばかりだった。


「おや、お揃いでしたか」

 初瀬たちが注文を済ませ、適当な話題で盛り上がっているところへまた新しい人物が顔を出す。能天気な声の主は柳楽だった。その場の注目が一斉にその人へ行く。

「すみません、遅くなりました」

 小柄な柳楽の背後から、背の高い眼鏡の女が顔を出す。彼女もまた新入りだろうか。初瀬は見たことのない人物が気になってしまう。身長は自分よりも少し低いくらいだろうか。しかし初瀬よりも筋肉質な体つきをしているように見える。癖のついた黒髪は三つ編みで一つにまとめられており、よくよく見てみれば黒縁の下には濃いそばかすがあった。

「遅れてすみません。今期から着任した柳楽です。こちらは佐上さかみです」

 佐上と呼ばれた女はぺこりと軽く頭を下げる。

「松島さんからはきっちり引継ぎを受けていますが、何分難しい仕事の多い課と聞いておりますので、皆さんにお世話になると思います。改めてよろしくお願いいたしますね」

 挨拶もそこそこに、柳楽は空いていた初瀬の隣へ座る。佐上もそれに続いて席に着いた。

「お、よかったー。全員揃ってる感じっすね!」

 それを確認したのか、ちょうどいいタイミングで幹事が到着する。二森たち酔っ払いメンバーは春河の登場を待ちわびていたらしく、彼は席に着く間もなく酔っ払い集団に飲まれていった。初瀬はそのノリに呆れながらも春河の顔の広さに感心する。

 そういえば、と友永の方を見てみれば彼女は赤鴇と話をしていた。楽しそうな横顔に初瀬はやっとほっと息をついた。


 ※


 一時間と少し。たったそれだけの時間で大人たちは出来上がってしまった。それを横目で見つつ、適当に料理を摘まんでいた初瀬は時計を見やる。午後八時。飲み会の終わりとしては早いかもしれないが、未成年たちは帰宅するべき時間だろう。

 そんなことを考えていると、横から服を引っ張られる。何事かと思いそちらを見てみれば、赤鴇が眉をハの字にしていた。

「あのー、初瀬さん……」

「え、どうしたの」

「先輩が」

 その言葉に促されて彼の方を見る。初瀬は呆れて声も出なくなってしまった。二人の視線の先では、三笠が机に突っ伏している。

「先輩いつの間にかよくない方向に行ってたみたいで……」

「爆沈したんだ……はあ」

 赤鴇に帰宅準備をするよう促してから、初瀬は三笠の元へ行き、その肩を揺さぶる。

「ちょっと」

「あ、あー……うん、うん……」

 むにゃむにゃと三笠は何か言っているが呂律が回っていないせいで聞き取れない。

(こいつ……弱いのかと思ったけど違う、完全に飲みすぎだ……)

 机に並ぶ空のグラスやボトルを一瞥して初瀬はため息をつく。全く飲めない身からすれば、どうしてそんなに飲めるのか不思議なことこの上ない。そんなにおいしいものだったか、と疑問を覚えてしまう。初瀬が引き続きその肩を揺さぶっていると彼はゆっくりと身を起こした。アルコールのせいかその背は温かい。

「水を飲め」

「うん」

 三笠にコップを手渡せば彼はちゃんとそれを受け取り飲み始めた。体調は悪くないらしい。よくよく見てみれば顔色も飲む前とさして変化していない。

「あんま後輩に迷惑かけたくないんだろ」

「……そうだ。よくない、くそ、僕はまた足を引っ張って」

「あんたねぇ……」

 初瀬は呆れながら三笠の背をさすった。そんなことはない、なんて言うつもりはないがこの姿勢は気に食わない。

「登録魔術師までもうちっとなんだからしゃんとしろよ」

「うぅ……そうだけど、今の僕はなんにもできない……」

 自信喪失気味の三笠の背を二、三度叩いて初瀬はため息をつく。昨年の活躍で自信を身に着けたものだとばかり思っていたが、彼の卑屈はそう簡単に覆るものでもないらしい。

(見苦しいから止めたらいいのに)

 若干の苛立ちと、呆れ半分。そんな絶妙な感情を抱いてしまう。

「完全にバッド入ってますね」

「佐上さん」

 聞きなれない声に顔を上げてみれば、佐上が水を片手に席に着いたところだった。その隣では酔っ払いたちが寝ている。

「大変でしょうけど、少し放っておいたら寝ると思います。何を言っても無駄なので……」

「慣れてるんですね」

「はい。柳楽さんがもっと酷いので」

 佐上は初瀬の言葉に無表情で頷く。あの大人しそうな人物は、まさか酒乱なのだろうか。初瀬からすれば想像もつかない。しかし口ぶりからして佐上は柳楽のことをある程度知っているようだった。彼女は案外苦労人なのかもしれない、と初瀬は少し思う。そのタイミングで柳楽が帰ってくるが、手元の財布を凝視したままその人は席に座った。

「あ、柳楽さん。そろそろお開きになりそうなんですけど」

「ちょっと待ってください。今財布のチャックが噛んじゃってそれどころじゃないんです」

 マイペースに、しかし当人はごく真剣そうにそう返す。初瀬と佐上は思わず顔を見合わせた。後に判明したことだが、この飲み会の代金は柳楽が全額支払ったらしい。

 宴会場は山場を越えたせいか少し静かだ。酔っ払いたちは酔っ払いたちで二次会を計画しているらしく、少し離れたところで団子になっている。悪酔いしていた三笠も、今では口を半開きにして眠りこけていた。

「初瀬、未成年たちを送るが……手を貸そうか」

 浦郷がジャケットを羽織りながら初瀬にそう尋ねてきた。

「すみません。お願いします」

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