第7話「花曇り」

 ひときわ強い光と爆風を肌で感じる。初瀬はそちらを見ようと顔を上げた。しかしあちらこちらで立ち上がる水柱のせいで、何が起きたのか全く把握ができない。顔を顰めてもっとよく見ようと身を乗り出したそのタイミングで、背後から声がする。

「初瀬さん! こっちの避難誘導終わりましたっ!」

 それに少し驚いて、初瀬は表情を解いた。

「あぁ、ありがとう。こっちの怪我人確認も終わったから、とりあえず一区切りかな」

 初瀬たちは柳楽に釘を刺された通り戦闘に参加するわけにはいかない。三笠が渦中に飛び込んで行ってから、初瀬たちはその場にいた人々や退いてきた魔術師の誘導に努めた。

「あの……初瀬さん」

「……何か?」

 初瀬は控えめに問いかける友永の方へ向き直る。何か困ったことでもあったのだろうか、そう思いつつ彼女が言い終わるのを待つ。

「いえ、その……何があったんですか」

 気まずそうに目を逸らした友永を見て、彼女の言わんとすることを察する。

「もしかして兄さんのこと?」

「あっ、いえ、そのごめんなさい。詮索するつもりとかはないんですっ」

 初瀬の確認に友永は泡を食いながら勢いよく頭を下げた。それに若干困惑しつつ、初瀬は首を横に振る。

「いや、いいんだけど……そっか友永さんには言ってなかったな」

 初瀬と友永はなんだかんだ言いながらそれなりの付き合いがあるが、兄に関して初瀬が友永の前で言ったことはない。友永と出会った時点ですでに兄とは別居状態にあったからだ。意図的に話さなかったというよりは、話題として挙げる必要もなかったというのが正しいだろうか。故に、友永からすれば想定外のことであっただろう。

「ごめん。着任してすぐなのに、結構ごたついてるよね」

「い、いえ……その辺は大丈夫です。担当ってわけでもないので……」

 申し訳なさそうな顔をしつつ、友永は首を横に振った。

「初瀬さんこそ、昨年から大変だったんですよね」

「え? あぁ……うーん、そうだな……」

 大変と言われれば大変だった。嫌々連れてこられた零課だったはずなのに、今ではすっかり馴染んでいる。それどころか、黙って見ていることができない、くらいには向こう側へ行こうとしている節もある。

「まぁ……こういうことはよくあることなんじゃないかな」

「そうなんですか……?」

「不安?」

「え、ええと。そう……ですね。不安です。どうしても、やっぱりなんてったってこんな時に配属されるなんてって」

 俯きながら友永はそう零した。こんな時世だ。叩かれたくなければ「零課に配属された」なんて口が裂けても言うべきではない。それを痛いほどに理解している初瀬は、どう言ったら彼女の不安が軽くなるか分からなかった。初瀬もまた眉を下げて目を伏せる。

「そりゃそうか。わたしがいる間はなんとか支えられると思う。それに人数も増えたし……頼りになる人もいるから」

 そう言って初瀬はぎこちない笑顔と共に励ましの言葉を添える。

 普段であればこんなことは言わないのだが、初瀬はどうしても友永を放っておくことができない。それは彼女が昔から抱いている夢を知っているからなのだろう。己と少し似た境遇も含め、一人で放り出す気にはなれなかった。

「そ、そうですよね……すみません、大変なのに御迷惑をおかけして」

「いいよ、大丈夫。それじゃあ……あっちで柳楽さんが来るまで休んでて。それで柳楽さんが来たらさっきと同じように報告すればいいから」

「承知しました! それではお先に失礼します」

 ぴっと背筋を伸ばして礼をした後に、友永は駆けていく。

 それを見送って一つ、初瀬はため息をついた。

「おや、何か悩みごとでもあるんですか?」

 声のした方を反射的に振り返ってみれば、そこには柳楽がいた。

 傷ついた街の中で、すっと立っているその姿はどこか浮いて見えてしまう。柳楽は特別おかしな恰好をしているわけではない。それなのに、そんな風に見えるのはこの人物が持つ雰囲気のせいなのだろうか。

「そんなに私がここにいるのが意外でしたか?」

 首を傾げながらその人は言う。ふわり、と透き通った香りが鼻孔をくすぐる。香水だろうか。それに少し気を取られながら、初瀬は慌てて弁明をする。

「あっ、いえ。今さっき友永さんに報告に行くよう頼んでしまったので……」

 友永には気の毒なことをしてしまった。誰が悪いわけでもないが、少し申し訳なく思ってしまう。柳楽もそれを察したらしく、ゆるりと頷いた。

「ああ、そうだったんですか……それじゃあ後で私が探しに行きましょうか。ところで、何か物思いに耽っているようでしたが、気になることでもあったのですか?」

「……そうですね。後輩への接し方に少しだけ」

 初瀬の答えに、柳楽は「なるほど」と言って手を打ってみせた。ミステリアスな雰囲気から一変、コミカルな動作に初瀬は思わず首を傾げそうになった。

「初瀬さんは、零課で後輩を持つのは初めてですよね?」

「ええ、そうですね。後輩というか、実際は同僚なんですけど」

 年齢は違うが、配属時期は同じだ。それでも初瀬が先輩という立ち位置に据えられているのは、昨年のことに関わっていたせいだろう。考えれば考えるほど不思議な立場にいると実感する。

「確かに、言われてみればそうですね。そこも原因かもしれません。初瀬さん自身、把握しきれていないことはたくさんあるでしょうし」

 柳楽の指摘はすっと初瀬の腑に落ちた。

「……そうでしたね。だからしっくりこない感じがあるんですね」

「ですかねぇ。私自身、着任したばかりですので……その点は同じですね。すみません、何か有効なことが言えたらよかったのですが。初瀬さんは昨年から今年にかけて色々ございましたし……」

「いえ、そこはお気になさらず。それより…最近妙にスペクターが活発じゃないですか?」

 初瀬は大亀が居た方を一瞥してそう言った。友永が遭遇したスペクターもそうだが、最近は妙にスペクターの目撃情報や駆除依頼が多い。初瀬は半ば反射的に話題を逸らしてしまう。それを後悔するが時すでに遅し、柳楽はふと真面目な顔になった。

「そのことですか。確かに、最近は頻繁に強いスペクターが出現していますね。仮登録の彼はそんなに不安があるのですか?」

 首を傾げながら柳楽は問う。

「いえ。そういうわけでは」

 初瀬はほぼ反射的に首を横に振った。彼に対する文句と捉えられては困る。あくまで自分がそう思っている、そう伝わらなければ。

「用水路の時もそうでしたが、初瀬さんは見守るのが苦手なんですかね?」

「そう……なんですか?」

「私が見た感じですけど。案外世話焼きなんですね」

 柳楽の指摘に初瀬は返す言葉を見失う。確かに言われればそうかもしれない。だが、世話焼きという言葉はどこか間違っているような気もした。変なもやもやを覚えながらも、初瀬は「なるほど、そうかもしれないです」と返しておく。

(……兄、か)

 反射的に話を逸らしてしまったが、おそらく柳楽は特に踏み込むつもりもなかったのだろう。よくも悪くも特別取り上げるつもりはない──そんな具合に柳楽は、初瀬幸嗣関連の出来事を捉えているように見えた。

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