第6話「大亀」

「ど、どういう状況なの!?」

 突然呼び出されたかと思えば、相方は黙って己の前を行くのみで、少しも説明をしてくれない。三笠は困惑しながら説明を求めたが「今は時間がない」の一点張りで、初瀬は少しも歩を緩めない。

「ちょっと! 頼むから少しは状況を──」

 再度彼女に頼み込もうとする三笠の言葉を轟音が遮る。

「浦郷さん、現場着きました」

 電話口に向かってそう告げる初瀬の眼前では、大きな亀が暴れていた。それだけではない、複数のスペクターが交差点を中心に暴れまわっているのが見える。

「こ、これは……」

 目の前で繰り広げられる光景に三笠は息を飲んで立ち止まった。対処しているであろう魔術師たちの姿がちらほらと見える。しかしそのどれもが交わるようにして動き回るスペクターに翻弄されているように見えた。有効な打撃を与えるどころか、激化していく攻勢に三笠は思わず身を縮める。

「わたしは避難誘導に回るから、アレの対処頼んだ」

 そんな三笠に対し初瀬は無情にもそう言った。もちろん彼女が指しているのは一番派手に暴れている大亀型のスペクターだ。

「えっ、ちょっ、え!? 僕一人で!? 初瀬は!?」

「何を……」

 「変なことを」と言いかけた口を初瀬は閉ざす。三笠の言いたいことを察したらしい彼女は首を横に振ってから三笠の背を叩いた。

「っ!?」

「悪いけどそういうわけにはいかないし避難誘導も必要なんだよ。説明は後!」

「な、えぇ!?」

「もう仕事の範疇じゃなくなったってあんたも知ってるだろ!」

 再度初瀬に強く背中を叩かれるが、三笠は飛び込むことを躊躇してしまう。どうにかしてチャンスを掴もうと必死に流れに目を凝らしてみたが、混乱と交錯を極めた乱戦状態だ。どこへ行くべきか、どこを通って前へ出るか。大亀の元へ一番早くたどり着けるのはどの道筋か──判断がつかない。

 そんな彼のもとに大亀の放った大波のごとき攻撃が迫る。強い魔力と衝撃波で跳ね上がったアスファルトの欠片が、雨あられとなって降り注いできた。

「んなっ……『春日雨』!」

 短い詠唱と共に圧縮された魔力の弾幕が展開され、その波を相殺していく。

(こ、れは、どう割り込めばいいのか……!)

 大亀の高さは三メートルほど。とてもではないが、真正面から向かっていく勇気はない。それの周りの地面は隆起し、呼吸するかのように蠢いている。おそらくあのスペクターの持つ能力なのだろう。水道管がどこかで破裂したのか風に乗った飛沫が三笠に降りかかる。

 目の前で展開される一方的な戦いに、三笠は臆した。

「仮登録、俺に続け」

 そんな三笠を一喝した人物は勢いよく戦火の中へと飛び込んでいった。その人が誰であるか確かめる間もなく三笠もそちらに続く。ここまで肌をひりつかせる緊張感は、昨年以来受けていない。

 大亀型のスペクターは天を仰ぎ吼える。

「俺が制圧する。前に出るな」

 劣勢に陥った魔術師らの間に勢いよく割って入ったのは──先輩魔術師である鷦鷯ささきだった。

「……励符『錦呼水』、続け、『水手毬』!」

 低い声で鷦鷯がそう呟くと、アスファルトの隙間から魔力を帯びた水が染み出す。ぱちぱちと、きらきらと弾けるその様は幻想的だ。戦闘中でなければ感嘆の声が出ていただろう。それらが鷦鷯の声に合わせて球形に変化する。強い圧力と魔力で撃ち出されたそれは明確に大亀を刺し穿った。大きな隙ができ上がる。

「そこの、動けるなら退避しろ。巻き添えになる」

 鷦鷯の指示に負傷した警官や、劣勢に陥っていた魔術師たちは体勢を整えて離脱していった。それを見送る暇もなく再び大亀は猛攻を振るう。回避行動をとりながら鷦鷯は続けて三笠に指示を出した。

「仮登録は攻撃。とにかく撃て。援護しろ。絶対に俺の前に出るな」

「り、了解です」

 三笠は鷦鷯の指示に従って後ろに下がる。大亀の攻撃圏内ではあるが、先程よりはマシに動けるだろう。そんな三笠を他所に身を低くしながら鷦鷯は再度左手を繰る。展開された魔術式は、アスファルトから染み出した水を媒体に霧を発生させた。濃い水のにおいが街を満たしていく。

「庭陣式敷設完了」

 それと同時にさらさらと、清流のような滞りのない魔力の流れが発生した。澱んでいた空気が、湿気た風が流されて消えていく。涼やかで凪いだ魔力が辺りを満たしていった。三笠はそれを肌で感じる。圧倒的なその量に、何もかもが飲まれていく。

「八雲立つ、出雲八重垣妻ごみに──地の流れ汲むは我が意思。水鏡よ、すべての魂を写したまえ」

 詠唱を合図に暴れていた春風が、ぴたりと風が止んだ。鷦鷯の前に大きな魔術式が展開される。玻璃のように、美しく輝く綿密な魔術式は大亀らの姿を写し取る。

「変則投影魔術式、『砕月』!」

 鷦鷯がそう詠唱を終えて左手を握ると、ガラスが割れる派手な音ともに水鏡が砕け散った。スペクターたちが一斉に魔力の霧となって消え失せる。文字通り、その命を握り潰されたらしい。消滅速度に差異はあれどスペクターは軒並み姿を消していった。

「な、え、すごい荒業だ……」

 三笠は引き続き身構えながらもその様子に圧倒される。詠唱と使われた魔力量からしてそれなりに大掛かりな──おそらく三笠の決戦術式に相当するほどの──魔術式のはずだ。それなのに発動速度が異常に速い。

(これが……土地への適応に特化した魔術……!)

 土地ごとに存在する恩恵を余すことなく受け取ることを重視した魔術系統。三笠自身ここまで適応しきったものを見るのは初めてだった。凄まじい能力に思わず総毛立った腕をさする。

「こんなので驚くな。大亀は動くぞ」

 戦慄する三笠へ水を差すように鷦鷯は冷たく言って身構え直す。その直後、大亀が大きく動いた。消えていく他のスペクターが発する魔力が、陽炎のように立ち上がる。それを隔てて立つ怪物の、その瞳には明らかな怒りが浮かんで見えた。斬撃を受けたはずの大亀の表皮は少しも傷ついていない。それを見た鷦鷯は小さく舌打ちをし、眉間に皺を刻んだ。

「立派な表皮を持ってるらしいな。手が届かない」

「そんな他人事みたいに……」

 困惑しつつ三笠も大亀の方を見る。先ほどの攻撃の火力は十分だったはずだ。鷦鷯の力不足というよりは、あのスペクターが規格外なだけなのだろう。それに気づいてからもう一度大亀を見上げる。指先が冷えてきた。

「今の状況じゃ俺よりお前がいいかもしれないな。天気がよくない」

「え、えぇ……? いや、僕の魔術は鷦鷯さんのあれとは相性が」

 鷦鷯は三笠の返事などお構いなしに独り言を続ける。

「合図したら撃て。頃合いを見計らって庭陣術式は解除していくから、心配はいらない」

「は、はい」

「来るぞ!」

 咆哮とともに地鳴りが起きる。大地が呼吸するかのように隆起、沈降があちこちで発生する。三笠たちは姿勢を低くしてそれをやり過ごしていく。

(思うように移動できない、でも、これ以上近づいたら──)

 思考の流れに乗って大亀の方を見やる。やはり大亀に近づけば近づくほど地鳴りは激しくなっているらしい。アスファルトは剥がれ落ち、地中の水道管がむき出しになっているところもある。すぐ近くにある水道管はいつ破裂してもおかしくない。

 うねる大地を躱しながら三笠は怪物を睨む。切り札を使えば行動不能まですぐに追い込めるだろう。しかし、どう足掻いても建物に被害が出る。

(この場合だと、僕らに瓦礫が降りかかってきて危険だ)

 歯がゆい思いをしながらも必死に瓦礫を踏み越え、飛来する礫を回避する。限界を感じ始めたその時、地鳴りが止んだ。

「撃て! 今だ!」

 間髪入れずに鋭い声が飛ぶ。

「当たれッ! 『流星』!」

 光と熱が散り、周囲の水を蒸発させていく。湿気たものが乾燥したときの独特なにおいが場を塗り替えていく。指先から放たれた閃光は見事に大亀の頭を捉えた、が。

「だ、駄目です、装甲抜けてません……!」

 無傷の被弾箇所を見て三笠は後ずさる。

(やっぱ切り札が使えないと、僕じゃ駄目なんじゃ)

 市街地のど真ん中であの魔術を使うわけにはいかない。監視官もしくはそれなりに権限のある人物から許可が下りなければ、『竜哮一閃』を使うことは許されない。今年に入ってからその決まりが追加された。三笠自身、街を傷つけるのは好まない。それでいいと思い二つ返事で了承した。しかし今現在、それを後悔している。

 やはり魔道具が無ければ、切り札が使えなければ、自分は満足に戦うこともできない。

「仮登録! 伏せろ!」

 大亀の鋭い反撃が飛ぶ。砕けた岩が路面を穿つ。吹き飛んだ破片が容赦なく三笠たちへと降りかかろうとする。それを防いだのは鷦鷯だった。三笠たちにはアスファルト片の代わりに冷水が降り注いだ。破片は水の流れとともに向こうの方へ押し出される。

 それをもろに被った三笠は咳き込みながら顔を上げた。

「うっ、わ、わ……」

「悪い」

 そう小さく謝罪の言葉を口にする鷦鷯も全身ずぶ濡れになっている。近くでは複数の水柱が上がっていた。それをぐるりと見回して彼はため息をつく。

「これは富士ふじに怒られるな」

「お、怒られるで済めばいいですね……」

 おそらく先ほどの攻撃で水道管もダメージを負ったのだろう。後始末が大変なのは必至か。また財布へのダメージが入るかもしれない。三笠は嫌な方向へ行きかけた思考を、無理やり大亀の方へ戻す。大亀の攻撃はそれぞれが重たく範囲が広いものの、その間隔はそこそこ長い。

「ど、どうします? 一旦引いて体勢を……」

「いや、ここで引くとマズい。強行突破する」

 どうやって、そう言おうとした三笠を鷦鷯は手で制す。

「仮登録、あんたは確か鉄の弾とかも飛ばせるんだよな。なら適当に散らしてぶっ放してほしい。試したいことがある」

「は、はあ」

 そう話す鷦鷯の目は大亀に真っ直ぐ向いていた。確実にここで仕留めなければ、大きな被害が出るだろう。人的被害も拡大する可能性がある。そうとなれば、ここで退かずに止めるべきなのだ。その意図は理解できたものの、三笠にはその手段が思いつかずにいた。

「いくぞ。合図したらまた撃ってくれ。それまで耐えろ」

 そう言いながら鷦鷯は三笠から離れ、少し後方に位置取った。

「えっ……えぇ!?」

 驚く三笠を他所に大亀は追撃を放つ。それを右に右に、三笠は避けていく。地から足を離さぬように、姿勢を低くして岩の礫を避けていく。飛んでくる破片は最早気にならない。踊る水飛沫と陽の光が煌めく。

 派手に転がり、弾幕の隙間に飛び込んで回避。

「撃て!」

 そこへ飛び込んできた指示に身構えていた三笠はすぐに反応した。

「励起! 『春日雨』!」

 取り出したパチンコ玉を魔術式目掛けて放り投げる。魔弾となったそれは戦場に美しい弧を描く。

「応用反符『天津鏡』」

 鷦鷯の詠唱と共に魔弾の軌道上に魔術式が現れる。それは魔弾を屈折させ、大亀の下へと潜り込ませた。魔力と熱が勢いよく炸裂する。

 断末魔が街を駆ける。あまりの爆音に三笠は思わず意識を手放しそうになるが、寸でのところで踏みとどまった。

「もう一度だ! やれ!」

「『春日雨』!」

 流星群のように光の筋が生み出されていく。それらは全て鷦鷯の展開した魔術によって軌道を変えて大亀の下へ潜り込む。

 そこで三笠も鷦鷯の意図に気が付く。大亀の装甲が厚いのはあくまで側面と上部だけ。腹側、特に顎の下は柔らかいのではないか、という予想をしたのだろう。それは見事に的中し、大亀は大ダメージに苦しんでいるように見えた。

(あと一押しか……!)

「最後だ!」

「はい!」

 鷦鷯の声に合わせて特別製の弾を術式目掛けて投げる。魔術式を通って魔力と速度をまとったそれは強い光を放つ。

 反跳、そして潜り込んだ先で流星は派手に光と魔力を散らした。


「無事か」

 鷦鷯が眼鏡のレンズを拭いてから三笠に話しかける。

「わ、は、はい。無事です」

 大亀の沈黙を確認してから、呆然とその場に立ち尽くしていたせいだろう。鷦鷯は不審なものを見るような目をした。それに気が付いた三笠は慌てて両手を振って否定する。

「あ……違うんです」

「何がだ」

 変に返そうとして墓穴を掘った。それに気づいた三笠は思わず黙り込む。もうこれ以上墓穴を掘るわけにはいかない。

 そんな三笠のことを鷦鷯は笑うわけでもなく、静かに受け止める。

「またつまらないことで悩んでいるのか。別に構わないが、それは後でもできるだろう」

 すん、と鼻を鳴らして彼はばっさりとそう言った。その言葉の鋭さに三笠は肩をすくめながら小さく頭を下げる。そこでふと、アスファルトを汚す血に気が付いた。まさか、と思って見てみれば肩口から水で薄まった赤が滴り落ちている。小脇に抱えている白いカーディガンにじんわりと薄い赤が広がっていくのを三笠は目の当たりにした。

「えっ、ちょ、鷦鷯さん怪我してたんですか!?」

 三笠が慌てながらそう言うと、鷦鷯はうっとおしそうに目を細める。

「別に大したことはないし、とりあえず魔術で傷は塞いだ……なんだその目は」

「あ、いえ、何というか……すみません。たぶんそれ、あの時ですよね」

 必死に後悔を押し留めるが鷦鷯の目を誤魔化すことはできない。彼は小さく息をついて首を横に振った。

「それが分かったのなら次に備えておくことだな。毎度毎度、上手くいくとは限らない」

「そ、そうですね。すみません。気が抜けてました」

「ああ、お前は自分の回復手段がないことを忘れるな」

 そう言って鷦鷯はどこからか持ってきたのかハンドタオルを差し出した。三笠はそれを困惑しながらも受け取る。彼は三笠がしっかり受け取ったことを確認すると、さっさと踵を返してどこかへ行ってしまった。

 その場には三笠と、沈黙する怪物が残される。

(次はもっと上手くやらなきゃ)

 ハンドタオルをぐっと握りしめる。昨年の働きで大きく評価を覆すことができたのだ。せめてこの状態を維持したい。自分一人で駆除ができなくても足を引っ張るような真似はしないようにしたい。そんな三笠の不安を、焦りを助長するように空は厚い雲に覆われ始めた。

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