第5話「潮田診療所と転華病」

 四月らしい陽気の中、三人は潮田診療所を目指して歩き出す。あの後、初瀬たちは一度警察署に戻って後片付けを済ませた。柳楽からは

「初瀬さんは診療所に用事があるんでしょう? それなら、ついでに保護した子から事情を聞いてきてください。友永さんも気になっているでしょうし」

 といった具合にお使い任務を課された。

 そんなわけで友永、初瀬とともに用事を済ませるべく潮田の元へ向かっている。友永は友永で例の子供が気になるらしく、どこかそわそわとしながら三笠たちの後を追いかけている。

 そんなこんなで初瀬と友永の用事に付き合ったはいいものの、三笠は気まずさを感じていた。初瀬は友永と何かを話すわけでもない。友永は友永で三笠のことが気になるのか絶対に隣には出てこない。今は三笠を先頭に初瀬と友永がその後ろで並んでいる状態だ。

(考えすぎなんだろうけど……めちゃくちゃ気になる)

 今朝の柳楽と浦郷の空気もまぁまぁ険悪だったが、友永の持つ緊張感もなかなかのものだ。三笠は初対面だからこそこう感じるのだろう、と己を納得させようとする。

「え、ええっと、友永さんって今期から零課配属なんですっけ」

「そ、そうですけど……あの、三笠さんは魔術師、なんですよね……?」

 隠してもしょうがないと思い、静かにその問いを肯定する。今の三笠は腕章を身に着けている上に、先程の戦闘介入も彼女は見ていたはずだ。ここで首を横に振ろうものならますます警戒されてしまうだろう。そんな三笠の正直な回答に、どういうわけか友永は困り顔をした。

(何故……!?)

 彼女の反応に三笠も困惑する。ちら、と初瀬に視線を送ってみれば初瀬もまた少しだけ眉を下げて首を横に振った。求めた助けがあっけなく瓦解してしまい、三笠は話の行先を見失う。動揺は初瀬にも伝わったのだろう、彼女は酷くやりにくそうに口を開いた。

「えぇと、そういえば友永さんは腕章のこと聞いた? 三笠は聞いてると思うけど」

「あっ、はい。でも、詳しいお話は聞いてない、です」

 友永の回答に初瀬は小さく頷いた。そして己の黄色い腕章を摘まみながら説明を加えていく。

「あとでちゃんとした説明を春河はるかわさんにお願いしておくから、ここではざっくり説明するね。さっきも言った通り今年度から義務化されたんだけど、役職によって色が違う。青が仮登録、赤が登録、黄色がわたしたち監視官」

 初瀬は三笠の腕章と己の腕章を指しながら説明をしている。デザインはシンプルなもので、それぞれの役職が黒字、もしくは白字で印刷されている。三笠のものは青地に白で『仮登録』と書かれている。それ以上のデザインは無く、少し味気ない。

(誰が何者なのか一目で分かるのはありがたいけど……)

 そう思いながら三笠は周囲を見回す。道行く人々が三笠たちに向ける視線は決して温かいものではない。むしろ冷徹で隠しようのない溝を三笠は感じてしまう。友永もそうなのだろうか。彼女もまたしきりにあたりを気にしている。

(このご時世なら仕方ない、けど)

 「気になる?」などと、つまらないことを問う前に一行は目的地に到着する。

 目的地──潮田診療所は城下町から少し離れた住宅街に存在する小さな施設だ。今現在も潮田旭の父が内科として運営しているこの診療所だが、その裏では魔術師たちが多く訪れる魔術診療所として知られている。小洒落た西洋風の外観は、潮田父の趣味らしい。

 一行はその正面を通り過ぎ、裏手に回った。魔術関連の用事があるときはこちらから入れと言われている。診療所の一角、併設された潮田家のすぐ隣。初瀬はその小さな部屋の扉をノックして声をかけた。すぐによく通る声が返ってくる。

「いるぞー」

 その声を聞き終わってから、彼女は扉を開けた。スライド式の扉は新しいものだ。初瀬の引く勢いがすごかったのだろう。ものすごい速度で扉がいっぱいに開く。初瀬は慌てて扉を押さえるが時すでに遅し。扉は派手に音を立てた。三笠と友永は思わず顔を見合わせ、恐る恐る中を覗き込んだ。

 室内では白衣に袖を通して、線の薄い眼鏡をかけた若い男が机に向かっている。扉を開ける音に驚いたのだろう。少し眉をひそめながらこちらを見やった。

「んァア? なんだよ、なんで健康なヤツがウチにいんだよ」

 萌黄色の瞳を細め、潮田は首を傾げる。

「すみません、少し訊きたいことがありまして」

 初瀬は頭を下げる。

「なんだ、そういう系か。急患かと思った」

 ほっとした様子で彼はこちらを向く。三人の様子を見て事情を察したのだろう。潮田は眼鏡を外して机の上に置いてから椅子に座り直した。

「そういえば訊きに来るって言ってたなァ。いいぜ、ちょうど暇だったんだ」

 潮田は肩をすくめながらそう言ってくれた。それに初瀬も三笠も少しほっとして頭を下げる。

「ありがとうございます。まず今日潮田先生のところでお世話になった、スペクターに襲われたあの子の様子が気になる、と」

 そう言いながら初瀬は友永の方を見る。潮田はそれだけで察したのか小さく頷いた。

「なるほど、ありゃ極度の恐怖で失神してただけだな。身体的な傷も精神的な傷もなさそうだった。軽い擦り傷だけで、健康も健康。聞き取りとか、してもらって大丈夫だからな」

「よ、よかった……」

 潮田の言葉に友永は肩の力を抜く。初瀬はそのまま友永に、子供から聞き取りをするように指示をした。ぱたぱたと廊下を早足で行く彼女の背を見送りながら潮田は初瀬に言葉を投げかける。

「それで、アンタの用事はなんだ? 俺名指しで訊きたいことがあるんだろ?」

 浦郷が事前にアポを入れておいたらしい。事情を察しているその目はじっと初瀬の方を見ている。

「兄のことです。その……転華病について知りたいんです」

 転華病、という言葉に三笠は僅かに眉を動かしてしまう。それに初瀬が気づいたかは分からないが、彼女はこちらを見ていた。思わずきゅっと服の裾を掴んでしまう。初瀬の言葉に潮田は「ああ、それか」とメモを取り出しながら頷いた。

「そういえばアンタさんは魔術師じゃなかったな。悪い。……三笠にでも訊くだろうと思っていたが、コイツ最近まで謹慎状態だったしなァ。そりゃあ無理だな」

 にやにやしながら潮田は余計なことを付け足す。意地悪な言葉に三笠は思わず苦々しい顔をしてしまった。それを受けた潮田はすぐに真面目な顔に戻る。

「まァ、できない証明ってのは難しいからな。特に魔術となると証明できないも同然だし。よくもまあ、お前も何度もそういうトラブルに巻き込まれるなァ。そんで、えー、転華病か? これの詳細なァ。名前の通り病気なんだが」

 そんな具合で説明が始まる。

 転華病とは、魔術師だけがなる不治の病だ。現在もその治療法は確立されていない。なったが最後、その進行を遅らせることしかできない。感覚としては癌に近いと潮田は話す。

「だから俺も、そこの三笠も同様に同じリスクを背負っている、というワケだ。魔術師であれば誰であろうとこのリスクを背負っている……。とはいえ発症は稀だ。一部の人間しか発症せんから、魔術師うちでも知名度は低い」

「そう、だったんですね。道理で聞かないと思いました。でも命に関わること、ですよね?」

 不思議そうに初瀬は首を傾げる。そんな初瀬の疑問を察した潮田はこう付け加えた。

「ついでに言うなら、発症者は基本即死する。だから話題になりにくいんだ。病気、というよりは低確率で発生する現象……くらいのイメージなんじゃないか?」

「そうですね。奇病の方が感覚的には近いでしょうか」

 三笠の返答に潮田は「だな」と言って頷いた。

「にしても三笠、お前転華病のこと知ってたんだな。珍しい」

「え、そうですかね……まぁ、何というか、うちでは知る機会があったので。確かに珍しいかもです」

 思わぬ突っ込みに三笠は少し驚きながらそう返す。

「ま、そうか」

 そっけない返事の割に勘ぐるような潮田の目が気になってしまう。特別何かを隠しているつもりはないが、疑われると変に緊張してしまう。怪しさ満載だが、三笠は大きく頷いて返しておいた。

「……てな具合だ。珍しさは伝わったか?」

 三笠を弄るに飽きたのか、潮田は初瀬の方へ向き直って確認しをする。彼女は「分かりました、よく」とだけ返した。

「話を戻すが、発症者は、肉体が急激に変化するんだ。だからこう、内から弾ける感じだな。弱い場所から崩れ、そのまま死に至る。だがごく稀にそれに耐えられてしまうヤツもいる。それがスペクターになると言われているな」

「人が、スペクターになる……ですか」

「ああ。俺は見たことないけどな。結局言葉通りごく稀だから、観測者すらいないんだ。だから俺もこちらの方は詳しく言えない。大抵は魔力不足……エネルギー不足になってそのまま機能停止するんだろうけどな」

 淡々と潮田は説明を付け足していった。初瀬はメモに聞いたことを書き殴りながら思考を整理しているらしい。三笠もそのメモを覗き込みながら少しだけ考える。確か、祖父母から聞いたのは──転華病は魔術師だけが発症する不治の病である。発症した場合ほとんどが即死するが、稀にスペクターになる者もいるらしい。部分的にスペクター化し、そのまま死んでしまう者もあったというが、確証はない。しかし転華病自体稀なものであるため、魔術師たちのあいだでは『低確率で発生する奇病』と認知されている。詳細な症状などの記録がほとんど無く、発症してからすぐに死ぬケースが多いため話題になりにくいと思われる──と、いった具合だったか。

(ややこしいよなぁ)

 そう思いつつ、三笠は顔を上げる。ちょうどよいタイミングだったのだろう。潮田は再び話を始めた。

「ま、なにがトリガーになるのかは調査中だけどな。ただ……幸嗣さんに関しては俺も疑問点がいくつかあってな。転華病が直接の死因とは言い難い」

 意外な言葉に二人は眉間に皺を寄せる。

「……それはどういうことですか?」

 三笠の問いに潮田は机に置いてある報告書を指しながら話を続けた。

「スペクターになったことで死ぬってのは、転華病ならあり得るんだが……その場合あんな風にはならんだろうなァ、と。まぁ精査中だからまだ確信を持っちゃいないが……いずれ分かることだからな。その可能性が高いと宣言させてもらおう。ただしこれが、他殺だとは言い切らない。ただ、転華病が直接の死因である、ということだけ否定するって話だからな。そこはいいか?」

「分かりました」

「利口なこった。それでこっちも助かる。んで、詳細な話をすると……幸嗣さんが長いこと『いつ転華してもおかしくない』状態で生きていたことが確かなんだよ」

「そんなこと……ありえるんですか?」

 潮田の説明に三笠は思わず噛みつく。先ほど発症すれば死ぬ、と潮田は言っていた。三笠自身も発症すれば死ぬものだと思っていた。進行度によって発症の仕方が違ったり、発症者によってその程度が違ったりする……そういう話なのだろうか。

 三笠の言葉をやんわりと頷いて受け止めた潮田は話を続けていく。

「ありえたんだよ、三笠。アンタらが出会った時点で、雑賀が殺された時点で『初瀬幸嗣は人間ではなかった』と言えるだろう。そうだな……幸嗣さん、魔術を使う時にあまり詠唱をしなかったんじゃないか。これは俺の推測だが」

 潮田の指摘に二人は訝しがりながら昨年のことを回想する。

 すでに数か月前の出来事と化しているが、彼に関する記憶は今でも鮮明に想起される。確かに潮田の指摘通り、幸嗣が詠唱をしたのは片手で数えられるほどしかない。直接対決した回数はたったの二回だ。それでも三笠たちに比べて圧倒的に彼が口を開いた回数は少ない。

「そういえば……言われてみればそうですね。でもそれと、人を辞めていることに何の関係があるんですか?」

 初瀬は首を傾げながら潮田に疑問をぶつける。それもそうだ。彼女は三笠の詠唱が長いのは知っているが、他の魔術師に関してはあまり知らない。そこを結びつける発想は魔術の知識が無ければ難しいだろう。潮田も説明を準備していたらしく、すぐに話を続けた。

「あぁ、魔術の性質上大きな関係がある。そうさなァ……簡単に言えば魔術を上手く発現させるには言葉による補強が必要なんだ。例えば、コイツの『竜哮一閃』」

 潮田は三笠の背を思い切り叩く。小さく呻きながら己の背に手を回した。非難の目を向けるが、潮田は意に介さず淡々と説明を続けていく。

「あそこまで大規模かつ、影響力の大きな魔術を成立させるには詠唱による補助が不可欠だ。元から魔術式を組んでおく既成術式はもとより、その場で魔術式を組む即席魔術は特にだな。既成の方は、正しい順番で魔術式を起動するためにすることが多いんだったか。なァ?」

「そ、そうですけど。今さっき叩く必要ありました?」

 三笠は彼の問いに文句を混ぜながら頷く。

 既成術式というのはあらかじめ組んでおいたいくつかの魔術式を、さらに組み合わせたものが多い。それぞれのパーツが正しい順番で、かつ正しい熱量で起動しなければ暴発してしまうことがある。それ故に事故を防ぐためにも詠唱は必要不可欠とされている。

「まァ──要するに魔術師が魔術を使う際に詠唱をしないというのは、おかしいことであると認知してくれ。極端な言い方ってのは否めないんだが。とにかくアレがないと魔術師は魔力を上手くコントロールできない。限りある魔力を無駄なく使いこなす。それが魔術の基礎中の基礎だ。なッ」

 潮田は再度三笠をどつこうとするが三笠はそれを察知したのかしゃがみ込んで回避する。

「潮田先生!」

 三笠はしゃがみ込んだまま抗議をするが、潮田はこれまた平然と話を続けた。

「……それがどうした、と思うかもしれないが、これは魔術師──魔術を使用する人間に限った話でな。妖怪、もといスペクターの類には詠唱の必要はないとされる。ギフト持ちが己の力をコントロールできずに身を滅ぼすのは、こういう魔術の特性と仕組みのせいだ」

「つまり兄は転華病のせいで人ではなくなっていて……」

「その後、何らかの──転華病以外の理由で死亡した。元々死にかけだったが、最後の一押しを何かがした、ということかもなって話だ。これを解明したいってところだな。俺としては」

 澄ました顔で潮田はそう締めくくった。

(あの人、そんな状態でいたのか……僕が勝てたのって、本当にまぐれだったんじゃ)

 ぼうっとそんなことを思う。魔術のネックは発動に少し時間がかかるということだ。詠唱が必須なために、相手に次の手を悟られやすい。それを飛ばせるとなれば、悪いものでもないのではないか。そんな気がしてしまった。

「……三笠?」

「え? あぁ、何?」

 怪訝な顔をする初瀬に三笠は適当に返す。考え事をしていたら、それが顔に出てしまっていたらしい。しかし雑な誤魔化しは初瀬に通じない。三笠としては少しばかり不謹慎なことを考えていたのだ。あまり言いたくはない。そんな三笠の内など知らぬ彼女は目つきを鋭くして、口を開こうとした。その時だった。

 着信音が鳴り響く。初瀬は一瞬でいつもの表情に戻ると、潮田に断りを入れてから電話に出た。通話口から勢いよく発信者の声が飛び出す。

『あ、渚ちゃん! ごめん、北高の近くでスペクター暴れてるから来て!』

「分かりました。すぐ行きます」

 短く返事をして初瀬は電話を切った。

「すみません、呼び出しがあったのでもう行きますね。説明ありがとうございます」

 初瀬は潮田に礼を言って頭を下げる。

「あぁ、とりあえず頑張ってくれや」

 潮田もさらりとそう返す。返事を聞いた彼女は一目散に外へ出て行ってしまった。タイミングを掴み損ねた三笠はもたつきながら潮田に会釈をし、駆け出そうとする。その背に向かって、彼は一つ言葉を投げかけた。

「そんな便利なモンじゃないぞ。病だからな」

 それを聞いた三笠は何とも言えない表情で頷くしかなかった。一瞬でも楽ができるのではないか、と考えたことを後悔した。

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