第三章-6 噂
その日のことは、わたし、何も知らないの。お父さんもブランも、なんにも言わないから、わたしはなんにも知らない。何も見てない。
ベッドに戻ってシーツを頭から被ったわ。わたしはずっとお部屋でおひるねをしていたわ。だから、ね。わたしはなんにも知らないの。
ほら、ナターシャもそう言ってるわ。
誰かが言ってたこの家のウワサにね、裏庭の迷路っていうのがあるの。迷って出られないお庭。だからきっと、わたしが見たのは迷っちゃった誰かなのかもしれないわ。
そんなことないってわかってる。でもそう思わないとお父さんとアダムさんがお話してたこと、気になっちゃうのよ。だからあのことは迷路の中に隠しちゃったの。
お母さんにね、みんなが話すウワサのことを訊いてみたわ。全部本当のことなんだって。じゃあ、このお家は呪われてるのね。そういうことじゃないのよ。ウワサしてるってことが本当なの。
お母さんもウワサは知ってたわ。このお家のことを一番知ってるのはお母さんだもの。
わたしの知らないウワサもあったわ。ずっと前からこのお家はウワサされるんだって。
「ウワサは本当のことなの?」
「それは確かめてみなきゃわからないわ」
たくさんのウワサを確かめる人なんているのかな。そうだ。例えばね、ナターシャに訊くのなんてどうだろう。きっと知らないことも話してくれるわ。
「ふふっ。でもナターシャはお人形なんでしょ?」
「そうよ。ナターシャはお人形なんだから動くはずないわ」
だからお話なんてできないのよ。
ほら、ナターシャがこっちを見てるわ。なんにも言わないで、ずっとわたしたちを見ているわ。見ているだけで動かない。だって、お人形なんだから。
「お父さん、まだかな」
「ええ、遅いわね」
お母さんが帰ってくるより先にブランは帰ってきた。何もなかったよ、探検おもしろかったよっていうみたいに、尻尾を振ってわたしの所に戻ってきた。
でも。
でも、いくら経っても、お母さんが帰ってきても、夕食がテーブルに並んでも、お父さんは帰ってこなかった。
その夜、ナターシャはずっと裏庭のどこかを見ていた。わたしたちに見えない何かを見ているのかもしれない。あの子はお人形だから。
ベッドの中でわたしは思い出した。教会で誰かがこうウワサしていたのを。
あの家に住んだ人は消える。
いなくなるじゃなくて、消える。
次の日、お母さんが悲しそうな顔でわたしたちに言ったわ。
「ヨセフさん、しばらく帰って来れないって」
遠くのどこかに用事があるから、しばらく帰って来れないんだって。でもいつかかえってくるわ。お母さんは言ったわ。
お父さんはかえってくるの。わたしたちのために、かえってくる。
かえってきたわ。
お父さん、かえってきた。
でもあえないの。
お父さんと、もう、あえないの。
お父さん、こっちに来ちゃだめっていうの。
お父さん。お父さんは。
お父さんは、もう。
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