第18話 ガキ大将④

「ここならちょうどよさそうだね」


 リヴェストア区北部の廃工場にニックたちの姿はあった。過去に金属加工品を生産していた工場は、今は設備にほとんどが撤去されがらんとした空間が広がっている。

 ニックたちの持ち物は寝床用のシーツを突っ込んだ紙袋と、蝋燭と懐中電灯を三つ、それに懐中電灯の動力源となる小型の魔導結晶だけだった。


 子供たちは思い思いに辺りを探索した。


「汚れているけど寝るのは大丈夫みたい」

「シーツ持ってきて良かったね」


 埃塗れの床の上に綺麗なシーツを敷くと、子供たちは座り心地を確かめた。


 ニックはその様子を眺めながら、後方で仲間が言葉を交わすのに耳を傾けていた。


「明日の夜にやるんだよね?」

「今からわくわくしてきた」

「これで成功したら、もうゴミ漁りしなくて済むのかな」


 額と背中がじんわり湿っぽくなる感触に見舞われたニックは、乾いた唇を舐めた。


 ケイが彼の顔を覗き込んだ。


「ニック、緊張してる?」


 妹分の心配そうな声を聞いて、ニックは驚いた。ケイが近づいたことにまったく気づかないほど考え込んでいた。

 ニックは気丈に振る舞った。


「いや、興奮してきたんだよ。俺も今から楽しみで仕方ないぜ」


 そう言ったニックの顔は暗がりに紛れてはっきり見えなかった。




 レイクの家にアマリから電話がかかってきたのは翌日の午前のことだった。

 応対に出たエレニカはその電話が自分宛てにかかってきたものと知ると、期待に声を弾ませた。内容は彼女が予想した通り、ニックの居場所を掴めたというものだった。アマリが店まで来てほしい旨を告げると電話を切った。

 エレニカはレイクに事情を伝えた上で、今度は《甘美荘》に連絡を入れホタルにも同じ内容の説明をした。二人は職人通りで待ち合わせを約束し、それからエレニカは家を出た。


 職人通りで合流した二人は、そのまま《揺蕩い》へ向かった。店に入ると、アマリは早速調査報告書を渡してきた。


「一日もかからずに見つけられるとは流石です」

「相手がガキならこんなもんだよ。痕跡を隠す努力なんて全然してないからね」


 アマリは得意げに言った。事実彼女の調査は見事だった。調査報告書にはどこかの工場を写したと思われる写真が添付され、その他には数名の子供が写った写真もあった。エレニカはそこに写っている子供の中に、彼女に掏摸を働いた二人がいることを確認した。


「場所はリヴェストア区北部の廃工場だね。この付近の商店に食料を堂々と買いに来ていたから、近隣住民の目に留まってたよ。スラム暮らしは身なりですぐばれるからさ。後は他の目撃証言からどこで寝泊まりしているか当たりをつけるだけ。楽な仕事だったよ」

「ありがとうございます。こちらが報酬になります」

「ん」


 エレニカが差し出した小切手を、アマリは受け取った。


「ではホタル様、早速向かいましょうか」


 エレニカはきびきびした動きで入口の扉を開け、出ていった。それを見たホタルはアマリに礼を言うと、すぐに後を追う。


「大丈夫かな……」


 残されたアマリの心配そうな呟きが、他に誰もいない店内に消えた。




 リヴェストア区の街中を、ニックの仲間の少年と少女が歩いていた。二人はパンとミルクの詰まった袋を手に提げていた。二人は仲間たちの食料を買い出しに行った帰りだった。購入費用はニックとケイが掏摸で稼いだ金だ。


「パンを安く買えて良かったな。俺あんまり金持ってなかったからさあ」

「今夜の仕事がうまくいけば、もうパンの値段なんかに悩まなくて済むでしょ。掏摸で枷がなくてよくなるんだから」

「そうだな。ニックがうまくいくって言うなら間違いない」


 陽気に会話する二人は、物陰から見つめる三人の男の存在に気づいていない。

 男らは“三叉のカーマイン”一味だった。


「おい、あのガキども……」

「綺麗な所に住んでる奴の身なりじゃねえな」


 三人の内、二人が頷き合う。残る一人が言った。


「俺は先にアーロイの兄貴に伝えてくる。お前らは後をつけて塒を突き止めたら戻ってこい」




 カーマイン一味がリヴェストア区で子供たちを見つけてから三十分ほど後、マルタ区の拠点にしているビルにアーロイから電話がかかってきた。

 その電話を受けたカーマインは歓喜の叫びを上げた。


「見つけたか! 場所はどこだ?」

『リヴェストア区にある廃工場で、俺らが狙っている家の近くです』

「案の定だな。所詮ガキの考えることだ。分かりやすくていい」


 カーマインはレリアに言った。


「レリア、他の連中を呼んで来い。一人も逃がさないように追い詰める」


 レリアは了承して、すぐに手下たちを呼び集めた。

 十分後、ビルからカーマインたちが現れ、駐車場に停めていた二台の車に次々と乗り込んでいく。その様子をパイン、マリガン、ミリアムの三人が見ていた。


「カーマインたちがどこかに行くようです。どうしたんでしょう?」


 マリガンが疑問に思った。一方、パインは表情を曇らせた。


「まずいな。奴等掏摸のガキどもを追ってるんだろう? もしかして居所を突き止めたんじゃないか?」


 ミリアムは走り行く車を見つめながら言った。


「私はレイクさんにすぐ伝えます。パインさんとマリガンさんはアルケイン刑事部長に連絡してください」




「今夜やるんだよね」


 ケイが声を震わせて言った。


「成功すると思う?」


 ニックの意思を確認するように問いかけるケイに、ニックは引き攣ったような笑みを浮かべた。


「安心しろ。これに書いてある通りならきっといけるはずだ」


 ニックが自信に満ちた答えを返すと、他の子供たちの顔がぱっと明るくなった。ニックは心の隅がちくちくと痛む感覚を覚えたが、表面に出さないように努めた。ケイは彼を見て何か言いたそうにしていた。


「それじゃ、俺はターゲットの家をもう一度見てくるよ。最後にもう一度見ておきたいからさ」


 ニックは逃げるように廃工場から出ていった。仲間の見送る声が後ろから聞こえてくると、ニックは罪悪感にいた感情に駆られた。


 彼はそのまま廃工場から離れた場所まで全力で走っていく。そこはターゲットの家とは反対方向にある視界が開けた場所だった。道の片側に用水路が整備され、もう片方には農地が広がっている。

 ニックは用水路の縁に腰を下ろし、憂鬱そうな表情を浮かべた。


「はあ……」


 仲間に聞かせるわけにはいかない溜息が漏れる。昨日からずっとこうだった。皆がいない時、ニックは揺れ動く心を静止させることができず、ぐるぐると思考が渦巻くばかりだった。そのせいで昨夜はまったく眠れず、今朝仲間に寝不足気味なのを指摘され、興奮のあまり寝付けなかったと誤魔化した。


 ニックは用水路を見下ろす。水の流れる音を耳に入れて静かにしていると、少しだけ心が軽くなった。


 それでも目の前の問題から逃げることはできなかった。


 ニックは計画をこのまま実行に移すべきか迷っていた。成功すれば大金が手に入る。現在の暮らしから脱却することも夢ではない。何も人を殺めるなど恐ろしい行いに手を染める必要のない単なる盗みだ。普段やっている掏摸の延長線上でしかない。そう考えても心の奥底では表現できない引っ掛かりを覚えていた。

 自分が一体何に迷っているのか、ニックにはそれが分からなかった。盗む相手が金持ちだから? 貴族相手に手を出すなとショウに言われた矢先に、彼自らが進んでその禁忌を犯そうとしているから? ニックは最初そう考えたが、どうにもしっくりこなかった。確かにリスクは大きいが、根本的な理由とは異なる気がした。では、良心が原因かと言われればそれも違うと思った。今更そこで立ち止まるような生き方はしていない。


 ニックは答えの出ない自問をひたすら続けていた。こうしている間も時間は刻一刻と流れていく。今夜やると宣言した以上、それまでに決断を下さなければならない。彼は焦燥感に追われていた。


 そのため、背後から声をかけられた瞬間、ニックは心臓が跳び上がるほど驚いた。


「お困りですか?」


 ニックが振り向くと、そこには見覚えのあるメイドの制服を着た若い女が立っていた。エレニカ・ブレイズだった。


「あんたこの前の!」

「やっと見つけましたよニコラス」


 名前を呼ばれて、ニックは苦い顔をした。


(名前……もうばれてるのか)


 無理もないとニックは思った。エレニカから逃げる際、ケイが迂闊にも名前を呼んでしまった。それにあの近辺ではニックたちの悪評も立っており、身元を突き止めることは難しくない。ニックはショウの忠告を今一度思い出した。やはり金持ちに関わるのは危険だったと。


「スラムを離れてこんな場所で何をしているんですか? なんでも子供たちでこそこそ話し合って、夜の内に移動したらしいですね。今度は何を企んでいるんですか?」


 エレニカはホタルの話からその理由に見当をつけていた。カーマインは押し込む予定の家の結界の解除手順を認めた紙を持っていた。ミリアムはカーマインが市街地を歩いている際に突風に見舞われたと証言している。その日の夜、ショウ・ライリーはニックから結界の解除手順書を見せてもらっている。ニックが手順書を掏ったのは明白だった。

 そして、ニックは仲間とともにスラムを出て、リヴェストア区の廃工場を根城とし始めた。エレニカは廃工場の近くに、ある貿易会社の前社長の隠宅があることは知っていた。彼女はリヴェストア区に来て真っ先にその家まで行き、そこが結界に囲われていることを確認した。状況はすべてニックがカーマインの計画を横取りしたことを示していた。


「ニコラス、馬鹿な真似は止めて今すぐ仲間を連れてスラムへ帰りなさい。貴方の計画は既に漏れているんです。成功する確率は万に一つもありません」


 エレニカはきつく言い含めるように言った。


「貴方はまだ引き返せる位置にいます。仲間には適当な言い訳をした上で帰らせるんです。もう貴方一人の問題では済まないんですよ? 彼らを今度こそ捕まらせたいのですか?」


 エレニカの言葉はざくざくとニックに突き刺さった。彼自身気づいていたことだったが、外部の人間からはっきり言われるのは堪えた。

 ニックは俯きながら言った。


「……なんだよ、知った風な口きいて」

「知ってますからね」


 その口調に実感が籠っていることを知覚したニックは、ゆっくり顔を上げる。エレニカの表情は無表情のように見えて、どこか哀しみを帯びているようだった。


「立ち止まることが怖いんですよね。立ち止まってしまえば皆を失望させてしまうかもしれない。皆を危険に晒してしまうかもしれない。自分はリーダーだから・・・・・・・・・・


 ニックの身体が震えた。図星だった。


「ですが、リーダーを名乗るなら決断する時を誤ってはいけません。やりたいこと、やれること、やるべきことを区別できなければ、行き着く先は破滅のみです」

「俺は……」


 ニックは泣きそうな顔をしていた。そこには掏摸グループのリーダーとしての顔はなく、年相応の子供らしさしかなかった。


 エレニカは屈んで彼と視線を合わせた。


「不安だというなら私が付き添いましょう。心配は要りません。既に目をつけられていると知れば、貴方の仲間もすぐに諦めますよ」


 ニックは力なく頷くと、エレニカに連れていかれるようにして歩いていった。


 二人の遣り取りを密かに見ていたホタルは、ほうっと息を吐いた。




 エレニカとニックはそれから会話を交わすことなく廃工場までの道程を歩いた。時折ニックはちらちらとエレニカの顔を窺ったが、彼女はただ無言で微笑みを返すだけだった。その表情は自分にすべて任せておけと言っているようであった。

 ニックを覆っていた虚勢の鍍金は完全に剥がされていた。彼は先程エレニカが口にした言葉を思い出す。あの言葉は妙な実感が籠っていると感じ取った。まるで彼女自身についてを語っているようだったのは気のせいだろうか。


 二人は廃工場の前に辿り着いた。ニックは敷地内に足を踏み入れようとしたが、ふと立ち止まった。工場の中から大きな声が聞こえてきた。ニックはそれが仲間の一人の声だと気づいた。


「中が騒がしいですね。何かあったのでしょうか?」


 エレニカも不審に思ったらしく、眉を顰める。ニックは駆け足で開いたままのシャッターから工場の中へと飛び込んでいった。

 ニックの目に最初に映ったのは奥の方で一塊になって怯えた表情を見せる仲間たちの姿。そして、次に彼らを囲むように立っている大勢の大人たちだった。


「どうしたお前ら! 何があったんだ!」


 彼の叫ぶ声に子供たちは様々な感情が入り混じった顔を作った。

 大人たちの中心に立っていた背の高い男が振り返ると、ニックへ意地の悪そうな笑みを投げた。


「よう、ニックくん。また会ったな」

「あんたは……」


 ニックは男が誰なのか即座に思い出した。手順書と鍵の入った包みの元の持ち主だ。


 “三叉のカーマイン”は笑みを引っ込めると、今度は冷たく睨みつける。


「よくも人の大事な物を掏ってくれたな。お前のせいで本当に大変だったぜ。手間をかけさせてくれたな」

「お前らを捜すためにわざわざスラムまで行ったんだぞ。そうしたらお前らがどこかへ消えたっていうから、まさかと思ってターゲットの家の近くを捜してみれば、案の定いやがった」


 カーマインの隣に立つアーロイが引き継いで言った。

 しまった、とニックは自分の失敗を悟った。彼らはニックに包みを掏られたことを知り、今まで自分たちの居所を探していたのだ。そして、とうとう廃工場にいることを突き止められてしまい、仲間を引き連れてここへ現れたのだろう。ニックの中で再びショウの忠告が木霊した。


「それじゃあ掏り取った物はちゃんと返してもらおうか。ああ、いや素直に差し出さなくてもいいぞ。力づくで取り返すつもりだからな」


 カーマインはそう言って懐から小振りのナイフを取り出した。

 ニックの判断は早かった。彼は掌に緑色の魔力を纏わせ、腕を振るい魔力を放出した。風の塊がカーマインへ真っ直ぐ飛ぶ。だが、カーマインは慣れたような動きで身体を逸らすことで躱した。


「おっと、危ない。スラム育ちのガキのくせになかなか上手じゃねえか。まあ、当たらんがな」


 カーマインは余裕の笑みを浮かべる。周囲にいる手下も所詮子供と侮るような態度だった。

 ニックはどうすべきか思考を巡らせた。


(あいつらが逃げる隙を作れるか? 俺一人で? 無理だ。何人か惹きつけるだけで精一杯だ。誰か一人でも逃がすことができれば近くにいる大人に助けを求められるか? でも、助けが来る前に皆やられちまう。どうすれば、どうすればいい――?)


 少年が思考の迷路に囚われている間、カーマインはゆっくりと足を踏み出し、一歩ずつ近づいていく。その手に握られたナイフが鈍い光を放った。子供たちはリーダーに死が迫りつつあるのを見ていることしかできない。ケイが耐えきれずに悲鳴を上げた。


 ニックとカーマインの距離が徐々に縮んでいく。だが、カーマインの足がはたと止まった。

 二人の間にエレニカが静かに割り込んでいた。


「何だお前?」

「いえ、そろそろ止めた方がよろしいかと思いまして。見たところもう十分に後悔しているようですから。今回のことは良い薬になったでしょう」


 エレニカはニックへと顔を向けた。


「仲間を守るため思考を止めない。リーダーとして及第点を差し上げましょう」


 それからエレニカはカーマインの隣に立つアーロイを見ると、小馬鹿にするように笑った。


「アーロイ、随分と落ちぶれましたね。かつてスラムの支配者だった貴方が、今や他のならず者の手下に甘んじているなんて無様もいいところです。尤も、私も人のことを言えた義理ではありませんが。ですが、私は今の環境を大変気に入っていますから、そこは貴方と明確に違う点ですね」

「何の話をしてやがる? そもそも誰だてめぇは」

「粗暴な性格も変わらないままですか。命からがら逃げ延びて少しは丸くなるかと思いましたが、まったく成長が見られませんね。やはり、あの時仕留めそこなったのは失敗でしたか」

「だから何の話を――」


 アーロイの言葉が途中で止まった。彼はわなわなと震え出した。変だと思ったレリアが彼の顔を見ると蒼白になっていた。


「お前、まさか――」


 アーロイの震える指が力なく突きつけられる。

 エレニカは獣のような眼光をぎらりと輝かせた。教育の行き届いた使用人の面影はなく、歯を剥き出しにして不敵に笑う。


「さて、久々に本気を出すとしましょうか。出力を間違えて焼き殺すかもしれませんが、そうなっても恨まないでくださいね」


 次の瞬間、工場内がぱっと明るくなった。何が起きたのか誰にも理解できなかった。視界が赤く染まったかと思えば、とてつもない熱気がカーマインたちに襲いかかった。

 ニックは見た。エレニカの手から撃ち出された火球を。それが空中で破裂して、いくつもの小さな炎へと分裂し、それらが羽虫のようにカーマイン一味の身体に次々と取りついていった。

 悲鳴が工場内に反響する。カーマインを始め数名は炎を寸前で回避できたが、ほとんどの者は身体を燃え上がらせた。炎に塗れた手下たちは熱による痛みと恐怖により踊り狂った。何名かは床に転がって火を消そうと試みたり、外へ逃げていった。


 アーロイは魔導拳銃を取り出して叫んだ。


「畜生! どうしててめえが――」

「どうしてと言われましても。強いて言うなら運が悪かったのでしょう」


 銃口をエレニカへ向けて引き金が引かれる。エレニカは身体強化により瞬時に移動し、銃弾は彼女の身体を捉えることはなかった。

 エレニカはアーロイの眼前に接近すると、右手で彼の顔をがっちり掴んだ。掌から放たれた高温の熱がアーロイの顔を焼いた。彼は絶叫し、その場に転がって悶える。


 レリアは周囲の惨状に思わず腰を抜かしていたが、エレニカの視線が自分へ向いたことを知ると、慌てて立ち上がり工場の外へと駆けだしていった。カーマインを気にする余裕はまったくなかった。


 外へ出たレリアを涼しい空気が出迎えた。すっかり火照った身体が瞬く間に冷えていくようだった。彼女は一安心して、つい足を止めてしまった。そして、素早く彼女に迫った者によって地面に押さえつけられてしまった。


「マリガンさん、お願いします」


 リン・クレファーの指示に従い、マリガン捜査官がレリアに手錠をかけた。

 その横をパイン捜査官が警官たちを率いて通り過ぎ、工場内へと踏み込んだ。


「帝都警察だ! “三叉のカーマイン”一味、武器を捨てて投降しろ!」


 警官たちは火達磨になった盗賊たちを次々と拘束していく。転げ回っていたアーロイもすぐに取り押さえられ、手錠をかけられた。

 そんな中、一人悠々と現れた男がいた。


「レイク様?」


 レイクは片手を挙げて応じた。


「カーマイン一味がぞろぞろと塒から出てきたから、ミリアムがうちに連絡をくれたんだよ。どうやらあちらさんもニコラスたちの居所を突き止めたらしいと分かって、アマリに電話してここを教えてもらった。外で突入するタイミングを見計らっていたんだけど……派手にやったねえ」


 レイクは苦笑いして辺りを見回した。そして、一人だけ残ったカーマインを見据える。


「“三叉のカーマイン”、神妙に縄につけ。数々の悪行の報いを受けろ」


 カーマインは歯ぎしりして視線を左右に動かした。一味は皆警官たちに制圧され、誰も彼を助けられる人間はいなかった。万事休すだと思った。

 彼はニックを憎悪に満ちた目で見た。こいつさえいなければという思いがありありと表れていた。どうせ捕まるなら最後に一仕事してやろうと考えた。


 カーマインはナイフを振り上げ、ニックへ迫った。エレニカが動こうとしたが、その必要はなかった。

 レイクが刀を抜き、その場で振るう。ぶんと空気を裂く音がした。

 一瞬の後、カーマインの首から血が噴き出した。

 カーマインは呆気にとられた顔で崩れ落ちた。


 エレニカは主に訊ねた。


「今のは“波紋”ですか?」

「ああ、最近使えるようになったんだ。なかなか難しい技でね。まだルカのように巧くはいかないな」


 絶命したカーマインの傍らで日常的な会話を交わす主従を、ニックは口を開けたまま眺めていた。

 そこへ新たな人物が警官たちをかき分けるようにして飛び込んできた。ショウ・ライリーだ。


「ニック!」

「ショウ小父さん!」


 ショウはニックに駆け寄り、彼に怪我がないか確認すると安心して大きく息を吐いた。


「誰?」

「昨日行ったスラムの闇医者です。本部で事情聴取をしていたのですが、カーマイン一味が動いたという話を聞いて自分も連れていけと言い出したんです」

「今にも工場へ一人突入しそうになっていたのを止めるのが大変でした」


 疑問を投げかけたレイクに、いつの間にか近くへ来ていたホタルとリンが答えた。

 空気が和らいだのも束の間、ショウは鬼の形相になるとニックを叱り飛ばした。


「まったく、だから言ったんだ! いつかこんな目に遭うと思ってたよ!」

「ごめん」


 ニックが素直に謝ると、ショウは毒気を抜かれたような顔になり頭を掻いた。それからもう一度息を吐いた。


「……本当に無事で良かった」


 奥にいたケイたちも泣いて駆け寄ってくる。ショウはあっという間に子供たちに囲まれてしまった。あちこちから裾を引っ張られて困り果てる様子は、実の父親のようであった。


 その様子を眺めていたエレニカが面白そうに言った。


「おやおや、あのショウがこんなに面倒見の良い男になっていたとは思いませんでした。アーロイと違ってこちらは変わったようですね」

「あん? 誰だあんた?」


 ショウは首を傾げた。


「アーロイといい案外気づかないものですね。それほど親しかったわけではありませんが、顔くらい憶えているでしょう?」

「うーん、あの頃と比べると印象が全然違うからね」


 レイクは懐かしそうに目を細めた。

 ショウは思い当たる節がないと言いたげにじろじろエレニカの顔を見つめていたが、突然はっとした。


「お、おい……まさか“火焔蝶”か?」

「やっと思い出しましたか。久しぶりですねショウ」


 リンはエレニカが今までに見せたことのない好戦的な笑みを浮かべたことに驚いた。だが、何より彼女を驚かせたのはショウが口にした名だ。


「“火焔蝶”……?」


 リンが呟くと、ニックはつい先日聴いたばかりの話を思い出した。


「そういえばニコラスにはまだ名乗っていませんでしたね。エレニカ・ブレイズといいます。かつてスラムで“火焔蝶”と呼ばれていた野良魔術師です。現在はそちらのレイキシリス・ブラウエル様に仕えております」

「“火焔蝶”ってレイクさんが戦ったという魔術師でしたよね? それがエレニカさん?」


 リンはレイクの顔を見た。


「そうだよ。あの事件の後でブラウエル侯爵家で引き取ったんだ」


 レイクは事も無げに言った。


 エレニカはニックの正面で屈むと、彼に微笑んだ。


「ニコラス、貴方は昔の私によく似ています。何かをせずにはいられない。しかし、何をすればいいか分からない。知識にも経験にも乏しく、無暗矢鱈に行動することしかできない。魔術の才能はあっても活かし方が分からないので、力で従えることしかできない。できることはあるのに、できないことが多すぎる。そうしていつの間にか暴力を以って成り上がり、“火焔蝶”などと呼ばれるに至った。このままではいけないと思いながら、自分自身に振り回されて泥沼に沈んでいく。それでも自分を信じてついてきてくれる仲間を裏切ることはできない。ですが、仲間を言い訳にして荒んでいく自分を正当化するのは、精神が摩耗しますよ」


 そう言ってエレニカはニックの髪を優しく撫でた。


「今回のことは貴方が立ち止まる良い切っ掛けになるでしょう。ゆっくり考えなさい。自分が本当はどうしたいのか、そのために何をすべきか」


 ニックは呆けたように小さく口を開けてぼうっとしていた。その頬が紅くなっていたのは、果たしてエレニカが放った魔術の熱が残っていたからなのかは誰にも分からなかった。




 数日後、レイクの家をリンが訪問した。

 居間のソファにレイクとリンが座り、エレニカが紅茶と菓子を供している。

 紅茶を一口飲んだ後、リンが最新の話題を振った。


「掏摸グループの子供たちは、孤児院を兼ねた更生施設へ入れられたそうですね」

「ブラウエル侯爵家とアルケイン侯爵家が出資して建てた所だよ。魔術の素養のある子供の教育も行っているんだ。ニコラスにも専属の教師をつけて適切な指導をする予定だよ。本人もかなり前向きらしい」


 レイクはブラン経由で知らされた情報を語る。それから彼はエレニカを横目で見やった。リンはその行動の意図が分からず訊いた。


「どうかしたんですか?」

「聞いた話じゃニコラスは火属性の魔術の訓練を重点的にやりたいと要望を出しているらしい。適性は風属性なのにね。一体誰の影響を受けたんだろうね?」


 レイクがにやにやしながらエレニカに話を振ると、彼女は薄く笑うだけだった。


「さて、私には見当もつきませんが、やる気に溢れているなら良いことでは?」

「それもそうだ」


 レイクは満足そうに言った。


「全部うまいこと片付いて良かったよ。“三叉のカーマイン”一味は全員逮捕できたし、アーロイもついでに逮捕できて万々歳だ。スラムの連中もアーロイが捕まったと聞いて喜んでいるとショウ・ライリーが言っていたよ」


 アーロイ逮捕の報をショウ・ライリーが伝えると、住民たちは歓喜に沸いたという。エレニカはその様子を想像し、過去にアーロイの犠牲となった仲間に追悼の意を捧げた。


 レイクは紅茶を飲んだ。ほのかな甘い香りが漂う。


「うん、美味しい。俺の自慢のメイドは今日も良い仕事をしている」

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