第19話 がらくた山の宝①

 真夏の夜は昼間ほど暑くなくともあまり冷えない。夜の帝都を行き交う人々は額や背中に汗を流しながら歩いている。

 レイキシリス・ブラウエルはそんな中を涼しい顔をして歩いていた。水属性の魔力を纏わせた服は周囲の熱から身体を守り、非常に快適だった。彼はイスメラ区の街中を進んでいき、やがて《黒い羊》に辿り着いた。


 扉を開けると、女将のチェルシー・クローバーがレイクを出迎えた。


「あら、レイクさんいらっしゃい」

「やあ、女将さん。もう奥来てる?」


 レイクが奥の個室へ視線を向けると、チェルシーは頷いた。


「つい先程。ご案内しますね」


 レイクはチェルシーの後をついていき、奥の個室へと向かう。

 個室の扉を開くと、二人の人間の姿が目に入った。


「ようレイク、お先に料理堪能させてもらってるぜ」


 レイクの高等学校時代からの友人であるネッド・バーリーが手を挙げて言った。

 個室を何度も使った経験のあるレイクは慣れたような足取りでネッドの隣の席まで行く。彼が座るとチェルシーは退室し、レイクと先にいた二人が部屋に残された。


 ネッドは対面に座る若い女性に声をかける。


「エイミーさん。こいつがレイキシリス・ブラウエルです。調子の良い奴ですが信用できますよ。きっと貴女の力になってくれるはずです」

「初めまして。エイミー・ベールです」


 紹介された女性は小さく頭を下げた。肩まで伸ばした金髪が揺れる。


「レイキシリス・ブラウエルです。レイクで構いませんよ」


 互いに自己紹介が済んだのを見届けたネッドは咳払いをした。


「さて、じゃあ俺の方から簡単に説明させてもらおう。エイミーさんは芸術家でね。絵や彫刻なんかを売って生計を立てている。土属性に適性のある魔術師でもあって、素材の扱いがすっげえ巧い。今度トライド区で個展も開くんだ。これがチラシな」


 ネッドはポケットに手を突っ込むと、四つに折り畳まれた紙を取り出した。レイクが開いて確認すると、そこにはエイミー・ベールの名と個展の開催日時と場所が記されていた。


「俺は前に開いた個展でエイミーさんと知り合ってな。たまに逢って話をする程度なんだけど……昨日俺に彼女から連絡が来て力を貸してほしいって頼まれたんだ。今日はその件で呼んだんだよ」

「成程。それじゃあ話を聴かせてもらいましょうか」


 レイクがエイミーの顔を見つめると、彼女は一度息を吸ってから話し始めた。


「私にはサイラスという弟がいます。仕事は富裕層の子供向けに美術を教える家庭教師です。年齢は今年で二十五になります。こちらが弟の写真です」


 エイミーが差し出した写真には、彼女と顔立ちが似通った純朴そうな青年が写っている。


「一昨日の朝のことです。弟が所属している家庭教師の斡旋事務所から電話が来ました。弟が無断欠勤して二日目になるというのです。その前の日に勤務先の貴族の家から事務所へ苦情が来て、弟に連絡したのですが応答がなかったそうです。それで私に居所を知らないか訊ねにかけてきたのですが、私はそんなことまったく知らずすぐに弟に連絡を取りました。ですが返事はなく、弟の家に確認に行きましたが誰もいませんでした。それから弟とは一切連絡がとれません。レイクさんには弟を捜してもらいたいんです」


 レイクは写真を観察しながら質問した。


「弟さんが最後に目撃されたのはいつですか?」

「最後に授業をした日ですから四日前ですね。仕事から帰る時に勤務先の家の方が見たのが最後です」

「いなくなる理由に心当たりはありますか?」


 エイミーは目を伏せた。


「……いいえ、見当もつきません」


 レイクは無言だった。ネッドは気遣うような目をエイミーへ向けると、話を引き継いだ。


「で、途方に暮れたエイミーさんは前に俺がお前の話題をしたことを思い出したんだ。いろいろなトラブル解決を引き受けてくれる凄い奴がいるってな。それで助けを求められたわけだ」

「警察にはもう相談したんですか?」


 エイミーは首を振った。


「いいえ、まだしていません。本当に深刻な何かがあるのか、それとも些細な理由で連絡を取りたくないのか、まだ判断がつかなくて。警察の手を煩わせていいものか……」


 どこか言いにくそうな様子で彼女はそう言った。

 ネッドは懇願するような声で言った。


「なあレイク、俺からも頼むよ。引き受けてくれないか?」


 初めて会った頃から人が良いことで知られるネッド・バーリーは、時折こうしてレイクに頼み事をしてきた。内容の多くは親しい友人知人の悩み事を解決してほしいというもので、彼自身は利益を得ないことがほとんどだった。そんな彼が持ち込む厄介事にレイクは頭を痛めることが何度もあったが、彼の人間性は嫌いではなかった。


 レイクはエイミーに言った。


「いいでしょう。弟さんの行方を突き止めてみましょう」


 その言葉を聴いて、エイミーの顔に安堵の色が灯った。




 食事を終えた三人は会計を済ませると、店の外へと出た。熱された外気は相変わらずだった。


「じゃ、俺はエイミーさんを送っていくから。何か進展があれば教えてくれよな」

「ああ、それじゃあ」


 ネッドとエイミーが並んで去っていく後ろ姿をレイクは眺めた。やがて、彼はチェルシーに向き直った。


「じゃあね女将さん。また来るよ」

「はい、お気をつけて」


 レイクは再び夜の街を歩く。人の姿は行きと比べて減っていた。

 静かな街並みを一人歩いていく。空には星が輝いていた。

 しばらくしてオーリン区の住宅街へと入り、レイクは家に辿り着いた。


 玄関ではエレニカ・ブレイズが主の帰宅を出迎えた。


「ただいま」

「おかえりなさいませ」


 レイクは小さくを息を吐いた。


「エレニカ、冷たい飲み物をお願い。何にするかは任せるよ」

「かしこまりました」


 レイクはそのまま居間へ向かった。彼はソファに座らず窓際まで移動した。カーテンの陰に身を潜めるようにして、彼は窓の外を見た。暗い道が所々街灯で照らされていた。


 飲み物を盆に載せて運んできたエレニカは、奇妙な主の様子を目の当たりにすることになった。


「いかがされましたか?」


 レイクは視線を窓の外から動かさずに答えた。


「《黒い羊》からずっと誰かにけられてるんだよねえ。いつぞやのリンと同じで、俺の命が狙いかと思ったけど殺気は感じないんだ」


 かつてリン・クレファーが《鳩の巣》の暗殺者に命を狙われた時と同じように、誰かが闇討ちを仕掛けてくるかと警戒していたが何ら動きはなかった。

 レイクの視線の先には街灯に寄り添うようにして立つ一人の男の姿があった。


(年は四十くらいか。佇まいからしてそれなりにできる奴かな?)


 レイクが男に抱いた第一印象は、いざ荒事となれば戦えるほどの腕を持つ人間であるということだった。男から漂うに慣れた独特の空気は家の中にいても感じ取ることができた。ただ、傭兵のように戦いに慣れているほどではないと思った。


 男はレイクの家を見ていたが、少し経ってから背中を向けて角の向こうへ消えていった。


 レイクは頭を掻いた。


「うーん、これは今夜の依頼と関係あるのかな? 予想していたけど、ただの失踪者捜しでは済まないみたいだ」




 同時刻、アマリ・デイビアスは住まいあるマルタ区の職人通りから北東、アラド区の川沿いを歩いていた。彼女はこの区に店を構える南国料理店を訪れた帰りだった。ほろ酔いで軽やかな足取りの彼女は機嫌が良かった。


(いやあ、あの店の料理は本当に良いね。帝都には美味しい南国料理が食べられる店が少ないから、隣の区にあるのは助かるよ)


 南部出身のアマリはたまに故郷の味を懐かしむことがある。両親と喧嘩して飛び出してきた彼女は、飛び出してから一度も故郷の諸島へ戻っていない。両親への怒りはとうに薄れていたが、家を継がされることだけは我慢できなかった。アマリは昔から島を出て帝都へ行くことを夢見ていたからだ。彼女の興味は狭い島の世界より、世界中に散らばる稀覯本や奇書に向けられていた。幼い頃に商人が持ち込んだそれらの本に魅せられて以来、彼女の目標は定まっていた。

 故郷へ帰らないことに後悔はない。ただ、故郷の料理は口にしたい時がある。そんな時に彼女は多少遠出をしてでも故郷の味を知る南国料理を提供する店へ足を運んだ。


(帝都は味の濃い料理が好まれがちなんだよね。嫌いじゃないけど私はもっと薄い味が好みだ)


 そんなことを考えながら川沿いを進んでいくと、石造りの橋が見えてきた。途端に彼女の目が不快そうに細くなった。

 橋の下には幅の狭い道が整備されている。その一画に黒い山がそびえ立っていた。


 積み重ねられた不法投棄物の山だ。近隣の住民はそれを“がらくた山”と呼んでいた。


(ここは相変わらずゴミの山だね。お役所もさっさと片付ければいいのに)


 橋の下は人目につきにくく夜中にこっそりゴミを捨てるにはちょうどいい場所だった。最初は古い家具や壊れた魔導器具がいくつか捨ててあるだけだったが、徐々にゴミの量が増えていき、いつしか山ができるに至った。


 アマリは不快な物から視線を逸らし、そのまま去ろうとした。

 そんな時、視界の隅で何かが動くのを見た。がらくた山の傍だ。

 立ち止まって目を凝らすと、一人の人間ががらくた山の前に立っているのが分かった。形からして男だと思われた。


(何だろうあの男……?)


 男はがらくた山の前で迷うような素振りを見せたが、ポケットの中から何かを取り出すとそれを足元に投げ捨てた。小さな箱のような物だった。

 男はがらくた山から離れると、階段を上がってアマリのいる方へ来た。アマリは咄嗟に何も見ていない振りを装った。男は早足で歩き、アマリには見向きもせずすれ違った。その際、アマリは男の顔を確認した。二十代くらいの金髪の男だった。


 アマリはその場に立ち止まって男の姿が完全に見えなくなるのを待った。そして、踵を返すと橋の下まで下りて、がらくた山へと向かった。


 何故そうしようとしたのかアマリ自身にもよく分からなかった。ただ、彼女の直感が若い男の様子に引っ掛かる何かを覚えたのだ。

 アマリはがらくた山の麓を調べ、男が捨てたと思われる物をすぐに発見した。がらくた山には不釣り合いな綺麗な箱だ。


 彼女は箱の蓋を開け、思わず声を漏らした。


(これは……)


 箱の中の宝石が月明かりに照らされていた。




 翌朝朝食を済ませたレイクは、八時に《揺蕩い》へ電話をかけた。コール音が数回鳴った後、アマリが電話に出た。


「アマリ、依頼したいことがあるんだけど今大丈夫?」

『ああ、レイクか。ちょうど良かった。私もお前さんに頼みたいことがあるんだ。今日来れるかい?』

「アマリも頼み事? いいよ、今からそっちに行く」


 レイクは電話を切ると、エレニカに出掛ける旨を伝え家を出た。


 三十分後、レイクは《揺蕩い》に到着した。アマリは待ちかねたような態度で、レイクを店の中へ入れた。

 レイクはカウンター奥の事務室に通されると、壁際に置いてあった椅子をアマリのデスクの傍まで寄せて座った。


「まずはお前さんの用事を訊こうか」


 レイクは昨夜エイミー・ベールから受けた依頼について説明した。アマリは話し終えるまで無言で聴きに徹した。


「ふうん、じゃあそのサイラスって男を捜してほしいんだね?」


 レイクは頷いた。


「ああ、俺はサイラスが通っていた家を当たってみるよ。どうもただ事じゃなさそうだ」

「というと?」

「依頼人と別れた後、俺を尾行してくる男がいた。俺の家を確認した後で去ったよ。家の方はエレニカに警戒してもらっている」


 アマリは興味深そうに顎を撫でた。


「尾行者ねえ。こういう場合、何かの犯罪に巻き込まれてる可能性が高いね」

「俺もそう思う。アマリには家庭教師の斡旋所を当たって、それからサイラスの交友関係の方を洗ってほしい。特に犯罪に関与している奴がいないかどうか」

「了解したよ。ところで、今は尾行されてないだろうね?」


 アマリは窓の方へ顔を向けた。


「大丈夫だよ。ちゃんと確認している」

「ならいいんだよ」


 レイクは懐から一枚の写真を取り出した。エイミーから預かったサイラスの写真だ。


「これがサイラス・ベールだ」


 アマリは受け取った写真をまじまじと見た。すると、突然表情が変わった。

 彼女には写真の男に見覚えがあった。


「あれ、この男……」

「知ってるの?」


 アマリは写真を返して言った。


「知ってるもなにも……私が頼みたいって言ったのもこの男に関係することだよ」


 アマリはがらくた山で目撃した男と、彼が捨てたジュエリーボックスのことを語った。レイクはアマリから渡されたジュエリーボックスと中身の宝石を観察した。燃えるような赤い宝石だ。


「……つまり何? サイラス・ベールは夜中にこっそりがらくた山へ来て宝石を捨てたってこと?」

「そうなんだよねえ。これがさっぱり分からなくてさ。どうしてこんな物を捨てようと思ったのかね?」


 レイクは箱の蓋を閉めると、考え込むように腕を組んだ。


「この宝石が失踪と関係している? これについても調べる必要があるな。調べたいから預かってもいい?」

「いいよ。最初からそのつもりだから。お前さんなら誰か詳しい奴を知ってるだろう」


 アマリはすれ違った時のサイラス・ベールの顔を思い返していた。

 彼の顔は不安と焦燥感に満ちていた。

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