第13話 道楽者の幼馴染③

 三人が廊下を進んでいると、途中でニルス・バドックと顔を合わせた。

 彼はポケットから煙草を取り出すと、レイクに話しかけてきた。


「ああ、よかった。ちょっと火貸してくれないか?」

「私がつけましょう」


 リンが人差し指を立てると、その上に小さな火が点いた。一見簡単そうに見える火の魔術だが、火の大きさや位置を調整する高度な技術が窺えた。


「ありがとよ。ところで、庭園ってまだ入れないの? できれば広い場所で吸いたいんだけど」

「申し訳ありませんが、まだ捜査が終わっていないので……」


 ブランが答えると、ニルスは舌打ちしてどこかへ去っていった。


「やけにいらいらしてるね。あいつらしくない」

「そういえば騒ぎが起きる前に会場に戻ってきた時から、ずっと態度が妙ですね」


 レイクは消えていくニルスの背中を見つめながら、考え込むような様子を見せた。しかし、本来の目的を果たすため先を急ぐことにした。


 庭園は白い光によって照らされ、奥まで見通せないほどの広大な姿を晒していた。光源のほとんどは、警察が設置した照明だ。元から庭園に設置されていた照明は少なく、捜査するには不十分だった。


 最初にレイクが向かったのは、四阿から東へ行った生垣の迷路の出入口だった。


「フラシアが拳銃を拾ったのはこの辺りか」

「四阿からあまり離れていませんね。あっちにある建物は何でしょうか?」


 リンが四阿の北側に見える小さな建物を見た。ウィルズの血痕が垂れている場所のさらに奥に建っていた。


「園芸用品の倉庫よ。普段は庭師しか使ってないけど、ウィルズは仕事をさぼっている時に、よく倉庫の傍でたむろしていたらしいわ」

「犯人がウィルズを殺すつもりだったなら、頻繁に訪れるこの場所で犯行に及ぶのは都合が良かったでしょうね」


 レイクは四阿と迷路の入口を交互に見た。


「拳銃が落ちていた位置は……四阿から一直線上か。四阿から思い切り蹴っ飛ばしたら、あそこまで滑りそうかな?」

「皆が現場に駆けつけた時はアデレイド嬢とウィルズと火災にばかり注目していましたから、拳銃があの場に落ちていたとしても気づかなかったでしょうね」


 四阿は他の場所より高い位置に建ち、緩やかな階段を少し上がることになる。角度があることも、拳銃が発見されにくい要因になりえるだろうとリンは考えた。


 レイクは次に魔導拳銃が元置いてあった展示室へと向かった。展示室前の廊下でリリーを見かけたレイクが部屋を見せてもらおうと頼むと、リリーは案内を引き受けた。

 展示室は、ジラー伯爵家の化粧品事業の沿革に関わる物品を来客向けに紹介するために用意した部屋だった。


「凶器の魔導拳銃は、伯爵家の事業と何か関係があるんですか?」

「それは射撃が趣味だった先代の愛用品として飾られていたと聞いています。昔、事業所に乗り込んできた暴漢をその銃で撃退したって話があるんです」

「俺も伯爵から聞いたことあるよ。その時に使われた銃だったんだ」


 レイクは展示室の外に出て、左右を見渡した。片方には庭園へ続く大扉、もう片方はパーティ会場へと続いている。会場側へ向かい角を曲がると、邸の裏手の通用口へ続く廊下もあった。通用口は庭園の北側に面していた。


 レイクは通りかかった二人の執事に話しかけた。


「ねえ、事件当時この辺りを通った客がいたか把握してる?」


 一人の執事が記憶を探るように目を瞑った。


「ええと……ニルス・バドック様と、ティンメル公爵を見ました。ニルス様はメイドに声をかけていて、ティンメル公爵は庭園へ出ていくところでした。確かリリーも一緒に見ていたはずです」

「そうなの?」


 レイクが後方のリリーを振り返り、訊ねた。


「はい、私に庭園に出てもいいかと訊ねられたので答えました」

「ティンメル公爵が何か持っていたのは見ていない?」

「い、いいえ、その、拳銃らしき物を持っていたかどうかは見ていません」

「わ、私も特には……」


 レイクの質問が何を意味するのか悟った執事とリリーは、少しどもって答えた。


「そうか……」


 リンはレイクの顔に憂いを読み取った。彼の表情には複雑な感情が絡み合った糸のように存在しているように思えてならなかった。


 黙り込んだレイクを、リンとブランが同じく黙して見守った。


 二人の執事は、ひそひそと話し合った。


「やっぱりティンメル公爵の噂って本当なのか?」

「そうじゃないか? 実際一族皆が破滅してるし、他にも不幸な目に遭った人間もいるんだろう」

「人が死んだとかそういう話ばかりよね」


 リリーも加わり、三人の使用人はフラシア・ティンメルへの疑惑を言い合う。

 そこへ裏手の通用口へ続く廊下から、アンネがやって来た。


「何を騒いでいるの? お客様の前ではしたない真似は止しなさい」


 リリーと執事たちは、アンネの気迫に思わず身体を縮こまらせた。

 アンネはレイクたちを見ると軽く会釈した。彼女の身体からふわりとした七幻香の香りが漂った。


「リリーも一緒になって騒いで……何故止めなかったの?」

「いや、だって……本当にティンメル公爵は怖い人だって皆言ってるわよ? なんでも昔から邸の図書室に入り浸って怪しげな魔術の研究書を読み漁っていたなんて話もあるのよ? 禁止指定の魔術も習得しているなんて話もあるし……」

「馬鹿馬鹿しい、ほら仕事に戻りなさい。お客様が不安になっているんだから、しっかりとお世話しなさい」


 アンネがきつい口調で言うと、リリーたちは慌ててその場から姿を消した。

 リリーはレイクたちに向き直ると、頭を下げた。


「恥ずかしい姿をお見せして大変申し訳ありませんでした」

「こんな状況でも職務に励むなんて、使用人の鑑ね」

「突っ込んだこと訊くけど、ウィルズのことは気にしていない?」


 アンネは僅かに目を細めた。


「……あれでも長く一緒にいた相手です。あの男が死んでいるのを見て胸がすくかとも思いましたが、案外そうでもありませんね」


 アンネはそう言うと、頭を下げて仕事を再開するため廊下の奥へ消えた。


「ウィルズのこと本気で好きだったのかな」

「そうでしょうね、それだけに失望も大きかったと思うわ」


 その時、扉の開く音がした。レイクが音の鳴った方を見ると、展示室の斜め向かいの部屋からジラー伯爵が出てきた。


「申し訳ない、話が聞こえたから気になってね」


 伯爵はばつが悪そうに目を逸らした。


「ウィルズを雇ったのは私の責任だ。あんな男だと最初から知っていれば、アンネに辛い思いをさせずに済んだのに」

「どんな経緯で雇ったんですか?」

「元は地方の男爵家の執事を務めていたが、暇を出されて帝都へ来たらしい。同じ頃、私も新しい執事を雇おうと考えて貴族用の求人を出したら、彼が応募してきたんだ」


 レイクとリンは顔を見合わせた。


「暇を出されたのも何かやらかしたのが原因かな?」

「かもしれませんね」

「能力は優秀だったんだ。火と土の魔術に適性があって、料理や庭仕事が得意であるのが強みだった」


 レイクは意外な事実に眉を上げた。


(二つ以上の魔術の適性がある使用人なら、真面目にやれば上級使用人にもなれただろうに。性格が災いしたな)


 魔術は学べば誰でも使えるが、それを活かして糧を得るとなれば才能が物を言う。複数の属性へ適性を持つ人間は、一般的に高給取りとして認識されている。貴族に仕える身となれば、側近として採用されてもおかしくなかった。


「そういえばアデレイド嬢の容態は?」


 ジラー伯爵はブランに訊ねた。自らの邸で侯爵家の娘が凶弾に倒れたという事実は重い。シアソン侯爵がこの件について厳重に抗議する事態は避けられないと、誰もが思っていた。そんな状況下で、アデレイドの命がまだ繋がっていることが、ジラー伯爵にとって唯一残された希望だった。


「まだ何とも言えません。医療魔術師が手を尽くしている最中とのことです」

「早く目を覚ましてほしいですな。彼女の証言が得られれば犯人に繋がる手掛かりを掴めるかもしれません。そうなることを期待しています」


 伯爵は疲れたように言った。




 リンは一度レイクたちと別れて、会場である大広間へ戻ってきた。


 彼女が大広間へ入ると、両親とマオがやって来た。


「どうだね? 捜査の進捗は」

「情報は集まっていますが決定的なものはありません」

「困ったわね~、いつ帰れるのかしら~」

「今日中には解放されると思いますが……」


 リンは母親の髪を撫でた。まるで姉が妹を甘やかすような仕草だった。


「マオちゃんの御両親も心配してるんじゃないの~?」

「いやあ、どっちも肝が太いですから、殺人事件に居合わせたくらいじゃ動じませんよ」


 マオはクレファー伯爵宛てに届いた招待状に付随する同行者の枠として、パーティに参加した。商売人である両親から見聞を広めるために行ってこいと言いつけられたからだ。

 先程家に電話したところ、ユーライデス夫妻はそれは大変だと言うだけで特に心配した様子も見せなかった。


「早く犯人が捕まらないかしらね~」

「きっとあの女がやったに決まってるわ」


 そう言ったのは、アデレイド・シアソンの友人の一人だった。庭園でフラシアを指差して“破滅の魔女”と呼んだ娘だ。他の娘たちも彼女の後ろに並んでいた。


「可能性は否定しませんが、まだ断定できません」

「あいつが何をしたか知ってるでしょう! 家族を陥れて公爵家を自分の物にしたのよ!」


 彼女の興奮は未だ冷めやらぬといった様子だ。後ろの娘たちも、口々にフラシアを非難し始めた。

 興奮する娘はぎっと歯ぎしりして、憎しみを顔に出した。


「どうしてアデレイド様があんな目に……あいつこそ殺されるべきじゃない」

「滅多なことは言わない方がいいわよ」


 ぎょっとした全員の視線が発言者――アレッシアへと集中した。

 アレッシアののんびりした雰囲気は消え失せ、鋭い目が失言した令嬢を見据える。令嬢は突然の出来事に怯える仔犬のように身を震わせた。

 そこに子煩悩の母親はなく、大舞台の支配者がいた。


「一度口にしてしまったら取り消すことはできないわ。お芝居の台詞じゃ済まないのよ?」


 アレッシアは唇の前に指を立てて、しーっと小声で囁いた。

 顔面を蒼白にした令嬢は無言でこくこくと頷くと、すぐに踵を返して逃げていった。彼女の友人たちは得体のしれないものを見るかのような目をアレッシアへ向けたが、はっとして逃げた令嬢の後を追った。


 令嬢たちがいなくなると、アレッシアはほうっと息を吐いた。


「若い娘って感情的になることが多いから、おばさん手を焼くわ~」

「……そうですか」


 リンは時々この母親のふわふわした性格もまた演技なのではないかと疑うことがあった。その疑惑がさらに深まったところで、考えるのを止めた。


「ところで、ティンメル公爵はどちらへ?」

「さっき二階のバルコニーで見かけたわよ」


 リンが二階を見上げると、バルコニーから手を振るフラシアの姿が見えた。


「少し話をしてきますね」


 リンは大広間の脇にある階段を上がり、フラシアの元へ行った。彼女はフルーツジュースのグラスを持っていた。


「やあ、なかなか面白い見世物だったよ。流石は大女優アレッシア・ミュリーだ」

「そう言ってもらえると母も喜びます」

「本当に良いお母様だ。親子仲が良さそうで何よりだよ。それで捜査の方は順調かい?」

「それなりに」


 リンは会話の中に引っ掛かるものを感じた。それだけでなくフラシアの妖艶な笑みが一瞬曇ったように見えた。


「フラシアさん、一つ質問してもいいですか?」

「どうぞ」


 リンは意を決して口にした。


「フラシアさんは御家族が皆いなくなられたことを、どう思っているのですか?」


 その瞬間、リンにはフラシアの時間が停まったように見えた。


「どう、とは?」


 フラシアは何事もなかったかのように訊き返した。


「先代のティンメル公爵や他の御家族は赦されざる罪を犯しました。それが原因でティンメル公爵家は窮地に立たされ、爵位剥奪になるかどうかという状況でした。結果としては存続を許されましたが、世間の厳しい評価は避けられません。ただ一人残った貴女が公爵家を継いで立て直すことにも不満の声が出たことは容易に想像できます」

「うん、実際そうだったね。こんな子供に任せられるかという人もいたし、さっさと家を潰してしまえという人もいた」

「そこで気になったのですが、貴女は御家族をどう思っているのですか? 貴女を犯罪者の家族にして、負債を押しつけた彼らにどんな感情を抱いてるのですか?」


 それはフラシアの内面に土足で踏み込む発言だった。礼儀も配慮もない。しかし、リンは直感的に訊くべくであると判断した。


 二人の間に静寂が流れた。周囲に人の姿はなく、二人だけの空間に二人の小さな息遣いだけが響く。


 そうして、フラシアがふっと笑って静寂を破った。


「どんな感情かって? そんなの決まっている。ざまあみろ・・・・・だ」


 リンは驚いてフラシアを見た。

 そして、気づいた。

 “破滅の魔女”と呼ばれる女の顔に、激しい憎悪の炎が宿っていた。


「そうとも、あいつらへ抱く家族の情など微塵もあるものか。君は知らないだろうが、あいつらはただの国賊程度で済む輩じゃないんだよ」


 フラシアは深呼吸すると、口の端を吊り上げた。


「折角だから暇潰しに話してあげようか。私の身の上話をね」


 今、リンの眼前で優雅に微笑む女は、彼女が過去に一度も出会ったことのない性質の女だった。

 リンはこれがフラシア・ティンメルという人間の本当の姿なのだと思った。


「私が前のティンメル公爵と愛人の間に生まれた子供って話は知っているかい?」


 リンは頷いた。


「母は没落した伯爵家の出身でね、南部のヘラザって街で水産業を手掛けていた家だった。母が二十歳くらいの時に街が二級魔獣の被害を受けて、母の実家は大打撃を受けた。それが元で会社が潰れてしまって、あっという間に没落したらしい」


 リンは家庭教師から学んだ帝国の地裡と歴史を、記憶から掘り返した。

 ヘラザは南部の港湾都市であり、フラシアが言うように水産業が盛んな地だ。

 記憶によれば、ヘラザは過去に魔獣の襲撃により産業が壊滅的な被害を受けたことがあった。


「途方に暮れてる母の元に、先代から愛人として迎え入れる話が舞い込んだ。母は悩んだがその提案を受け入れた。ティンメル公爵家は優良物件だからね。少なくとも食うに困ることは無いだろうと考えたらしい。しかし、最初は可愛がられていたらしいけど、すぐに飽きてしまってその後は離れに放置していたそうだ。私が生まれる時も、別の女と遊んでいて連絡一つ寄越さず、生まれた後も顔を見に来ることはなかったと聞く。母の傍にずっとついていたのは、実家からついてきた数名の使用人だけだった」


 フラシアは心底嫌そうに吐き捨てた。その横顔をリンは黙って見ることしかできなかった。


「あの家は地獄だったよ。夫人とその子供たちは私と母のことを害獣か何かのように扱い、頬を叩かれたり殴られたりするのは日常茶飯事。彼らに付き従っていた使用人たちも一緒になって私に暴力を振るった。それ以外の使用人は保身のために見て見ぬふりをした。母は夫人と子供たちの所業を先代に訴えたが逆に怒鳴りつけられて、同じように殴られる始末。いったい前世でどんな罪を犯せばあんな目に遭うのかと、本気で神を呪ったよ」


 そこでリンはフラシアが浮かべる笑みの奥底に隠された真意を理解した。

 あれはこの世のすべてを呪う人間の悪意の発露だった。

 リンは無意識に腕を・・った。


「何度も暴力を振るわれる内に治癒魔術の腕が上がっていったのは不幸中の幸いだったね。あの家は魔術の教本だけは揃っていたから、勉強するのに不自由はしなかった。図書室を管理していた老齢の執事は、同情心と手を差し伸べられない罪悪感から私が本を読むのを見逃してくれた。お陰で知識と技術は蓄えることができた」


 その表情が幾分和らいだのを見て、リンはフラシアにとって魔術に没頭する時間は至福だったのだと考えた。

 だが、フラシアの顔は再び陰りを見せた。


「ただ、それでも足りなかった。あの境遇から抜け出すためには、あの程度で満足してはいけなかったんだ」

「どういう意味ですか?」


 フラシアはゆっくりとリンの方を向いた。彼女は自嘲的に笑った。


「私が十歳の頃だった。母はその日用事があって本館へ行っていた。そこで先代の長男と出くわしたんだ。武人気取りの鼻持ちならない男で、私を特に殴ってくる奴だった。母は適当に挨拶をしてその場を去ろうとしたが、長男は機嫌が悪かったのか母に絡んで憂さ晴らしをしようとした。母は抵抗したが、奴は母が暴れるのに腹を立てて突き飛ばし――その先に階段があった」


 リンは息を呑んだ。淡々と語るその口振りは、まるで名前も知らない誰かの体験を語っているかのようだった。


「母はそのまま階段から転落し、そのまま動かなくなった。長男は怖くなり、母を置いて逃げ出した。母はその日の内に死んだよ」


 フラシアはどこか遠くを見つめていた。彼女の瞳に今はもういない母親との思い出が、泡沫のように現れては消えていった。

 リンは衝撃を受けたままだった。ティンメル公爵とその家族の悪事は、余すことなく暴かれたはずだった。違法な兵器の製造と密輸、それに関わる不正な会計、関係者への口止め等、様々な罪が根こそぎ引き摺りだされた。だが、長男による過失致死など一度も聞いた憶えがなかった。


「そんな……そんな話は知りません。警察には言ったんですか?」


 フラシアは首を振って答えた。


「勿論さ。だが、あいつを罪に問うことはできなかった。メイドの一人がその日奴はずっと外出していたと証言して、奴の友人や知人もそれに同意したんだ。先代が金を握らせて証言を頼んだらしい。私の訴えは母親を亡くして混乱した子供の妄想で片付けられた。それに当時はまだティンメル公爵家は権勢を誇っていて、敵対するのは悪手だと唱える声が帝都警察内に多かった。すべては片がついた」


 ふと、リンの脳裏にレイクとフラシアの会話が蘇った。

 誰も文句を・・・・・言わないなら・・・・・・それですべて片がつく・・・・・・・・・・

 レイクの言葉に潜んでいた怒気の意味を、リンはようやく理解した。


「この話はさっき言った老齢の執事が、母の葬儀の後で密かに教えてくれた。嘘の証言をしたメイドというのが彼の親類でね。真実を話すよう説得したらしいけど、受け入れてもらえなかったって嘆いてたよ。まあ、二人は良好な関係じゃなかったから仕方ない話だ。後で私も独自に真偽を確かめたけど間違いはなかった。もし、すぐに医者を呼んでいれば助かったかもしれなかったそうだ」


 フラシアは大きく息を吐くと、気だるげに天井を見上げた。


「失望したよ。警察にも、自分自身にもね。私が学んだことなんて何の役にも立たなかった。私が本当にやるべきことは他にあったんだ。ずっと私の味方でいてくれた母を助けるという一番の責務が。それ以来、私の学びは“やるべきこと”を果たすための手段に舵を切った。もう二度と後悔しないように」


 

「では、『ティンメル公爵家の醜聞』は、やはり貴女が裏で糸を引いていたんですね?」


 フラシアはこの夜初めてはっきりとした嘲笑を見せた。


「私はただ奴等の秘密を暴露するだけでよかったんだ。あれだけ平気で非道を働く連中だから、他にも後ろ暗いことの一つや二つあると睨んでいた。案の定奴等は違法な兵器製造に手を染めていた。それを適切なタイミングで暴露したんだよ。逃げ道を塞いだ上でね」


 彼女はまるで悪戯に成功した子供のように顔を輝かせた。リンは思わずぞっとした。後退りそうになる足を、床を固く踏みしめることで押さえつけた。


「本当に面白いくらい簡単に転落していったよ。特に母を殺した長兄は念入りに潰した。知っているかい? あいつは婚約者にも逃げられて、さらに警察の捜査の手が及んで、最後は自ら命を絶ったんだ。あいつらに加担した使用人も全員逮捕されたし、それ以外の連中は二度と逆らわないように十分に脅しつけた。図書館の執事が病で既にこの世を去っていたのは正直ほっとしたよ。彼には私の醜い姿を見られたくなかったからね」


 フラシアは両手を広げた。魔女が獲物を抱擁せんとする姿だった。あるいは、破滅をすべて呑み込み愛でようとする姿であったのかもしれない。


「“破滅の魔女”――正しいよ。まさしく、私は魔女だ。復讐に身を焦がし、誰一人逃さず破滅へ導いた。私は今の自分の在り方に満足している。私は“やるべきこと”を為せる自分になれたんだ」




 レイクはブランとともに応接室へ戻った後、テーブルを挟んで向かい合い座っていた。

 彼らがしばらく待っていると、箱を抱えた警官が来た。

 警官はテーブルの上にシーツを敷くと、箱の中身を一つずつ取り出し置いていった。ウィルズの所持品だった。


「ウィルズの所持品なら現場でも見ていたでしょう? 何か気になることでもあるの?」

「うん、ちょっとね」


 レイクは並べられた品を順に見ていく。

 煙草の箱、ライター、鍵束、手帳、ペン、ハンカチ。

 それらをじっと見て、レイクは顎を撫でた。

 

「ねえ、ウィルズと仲の良かった使用人がいるなら呼んできてくれない?」

「いいわよ」


 数分後、展示室前の廊下で話した執事の一人がやって来た。


「訊きたいことがあるんだ。ウィルズって火属性の魔術が使えたんだよね? じゃあ、煙草に火をつける時も魔術を使ってたの?」

「ええ、そうですよ。こう、小さな火を生じさせて」

「じゃあ、ライターは持って・・・・・・・・なかったの・・・・・?」

「持ってませんよ」


 ブランがはっとして、レイクを見た。


「ありがとう、十分だよ」


 執事が部屋を出ると、レイクはにやりと笑った。


「さてと、じゃあ行くか」


 レイクとブランはすぐに応接室を出ると、部屋のまで待機していた警官にニルス・バドックの居場所を訊ねた。警官は玄関の外で煙草を吸っていると答えた。


 玄関の扉を荒々しく開けると、扉の傍に立っていたニルスが驚いて振り返った。


 レイクは彼を睨んだ。


「ニルス、お前の隠してることは分かってるぞ。全部吐いてもらおうか」

「な、なんだよ急に。何言ってるか分かんねえよ」

「お前ライターをどこでなくした?」


 いきなり核心に迫る言葉を切りだすと、ニルスは言葉を失った。

 レイクは構うことなく話を続けた。


「ウィルズは喫煙者だがライターを持っていない。火属性の魔術を使えるからな。なのに、遺体の傍にはライターが落ちていた。ウィルズの物かと思われたがそうじゃない。あれはお前の持ち物だ。お前は会場を出た後、煙草を吸うために庭園へと向かった。だが、そこで倒れているアデレイド嬢とウィルズを発見した。驚いたお前はその場にライターを落としてしまった。拾おうとしたんだろうが、運悪くフラシアがやって来たから慌てて逃げ出したんだ。フラシアが耳にした足音の主はお前だ」


 その推理が正解を言い当てていることは、ニルスの態度が証明していた。彼は真っ青になり、扉の脇の壁にもたれかかった。


「困ったことにライターはウィルズの持ち物だと勘違いされてしまった。お前は今日手袋をつけていたから、ライターの指紋が拭われていたんだ。ウィルズも仕事上手袋をつけているから、指紋がないのは疑問に思われなかった。さっき火を貸してほしいと頼んだ時、最初にライターを取り出す素振りも見せなかったな。もし、ライターを持ってるなら今ここで出してみろ」


 ニルスは色男の面影のない泣きそうな顔を作った。

 彼は項垂れると、そのまま座り込んだ。


「仕方なかったんだよ……」

「何が仕方なかったんだ」

「あの使用人を見つけて驚いて腰を抜かしちまったんだ。その時にライターを落として……暗かったから手探りで拾おうとしたんだけど、ふと四阿の方を見たら他にも誰か倒れているのが分かったんだ。近づいたらアデレイドで……息はあったけど今にも死にそうだった。俺、怖くなってさ。アデレイドにはフラれた時に馬鹿にされたから嫌いだったけど、まさかあんな――それで俺がやったんじゃないかって疑われたら不味いと思って、すぐに逃げたんだ」

「それで人を呼ばずに放置したの? 何やってるのよ!」

「馬鹿な奴だ」


 ブランは怒りを露わにすると、腕を組んでニルスを見下ろした。ニルスは怖くなり、目を合わさないようにした。

 レイクは呆れるしかなかった。


「後になってライターを拾うのを忘れたことを思い出したけど、もう騒ぎになった後だったからどうにもできなかったんだ」

「もう一つ訊きたいことがある。お前が庭園に行った時、既にウィルズは死んでいたんだな?」

「あ、ああ」

「ならウィルズの遺体には指一本触れてないんだな?」


 ニルスはぶんぶんと首を縦に振った。


「分かった、もういい。後でまた詳しい話を訊くことになるから、大人しくしていろ」


 肩を落としたニルスを付近にいた警官に任せて、二人は邸内へ戻った。


「ニルス・バドックの言っていることは本当だと思う?」

「恐らくは。確認したいことも訊いた」

「ウィルズが既に死んでいたこと? あれが何か意味があったの?」

「可能性は低いと思っていたけど、これで確認はとれた。ジラー伯爵の元に行こう。邸内を隅々まで調べる許可が欲しい」


 レイクの声には確信の色が含まれていた。


「もう全部解けたのね?」

「急ぐ必要がある。俺の考えが正しければ、犯人は新たな犯行に及ぶかもしれない」


 ちょうどその時、前方からリンが歩いてくるのが彼の目に入った。

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