第14話 道楽者の幼馴染④

 時刻は十時半を回っていた。

 招待客の内、事件との関連が薄いと判断された者は、連絡先を確認した後で解放されていた。

 邸に残っているのは、クレファー一家を含めた極一部のみだ。


 その中にはフラシア・ティンメルもいた。

 彼女は客間の一つを与えられ、公爵家の当主に相応しいもてなしを受けていた。ジラー伯爵は満足に世話できないことを謝罪したが、フラシアはそれを受け入れた。


 フラシアは椅子に座ったまま心ここにあらずという様子だった。常に浮かべているような笑みは潜めており、何かに思いを馳せているようだった。


 誰かが扉をノックする音が鳴った。


「あのう、お茶をお持ちしました」


 聞こえたのはメイドのリリーの声だった。

 フラシアが応答すると、ティーカップを載せた盆を持ったリリーが入ってきた。


「ああ、ありがとう」


 フラシアはカップを受け取った。カップの中はアイスティーで満たされている。じんわりとした冷気がカップから手に伝わった。


 リリーは静かにフラシアを見つめていた。


「ん? どうかしたかい?」

「あ、いえ、なんでも――」


 フラシアが訊ねると、リリーは誤魔化すように笑った。

 そして、リリーが盆を持って離れようとした瞬間、扉が勢い良く開いた。


「取り押さえろ!」


 パイン捜査官とマリガン捜査官が乗り込んでくると、リリーの腕を捩じり後ろで縛り上げた。魔術的効果を放つ拘束用のロープがリリーの手首に食い込んだ。


「な、なんですか! 一体何――」


 言い終える前に、今度はレイク、リン、ブランが踏み込んできた。

 レイクはつかつかと進んでいくと、フラシアが持つカップを取り上げた。フラシアは彼の突然の行動に一瞬目を丸くしたが、すぐに元に戻った。レイクが“やるべきこと”をやっているのだと理解したからだった。


 レイクの手が魔力を帯びた。薄い光がカップの中に注がれていく。すると、徐々にカップの中のお茶が青く変色した。


「ああ、やっぱりだ。お茶の中に魔術用の触媒が含まれている。七幻香を混ぜたね。これを呑めば体内の魔力が反応して中毒症状を起こすだろう。かなりの量が混入されているから、死に至るのは間違いない」


 レイクはリリーに冷たい視線を浴びせた。


「これは殺人未遂の物的証拠だリリー。反論があるなら聴こう」

「ただし、貴女の発言は証拠として採用されるからそのことを忘れずにね」


 ブランが付け足すと、リリーは悔しさのあまり歯噛みした。


 一区切りついたところでフラシアが口を開いた。


「それで? どういう状況なのか私にも説明してくれないかな? 何故彼女は私に毒入りのお茶を飲ませようとしたんだ? 今回の事件と関係があるのかい?」

「関係は大ありだ。なにせリリーは君を殺すために・・・・・・・今回の事件を引き起こしたんだ」


 フラシアは面白そうに口を歪めた。


「へえ、私を殺すため? だが、実際に犯人が襲ったのはアデレイド嬢とウィルズだろう?」


 レイクは首を振った。


「二人の人間が襲われて、最初俺たちは犯人がいずれか一方を殺すつもりだったと考えた。もう一方は偶然巻き込まれただけだとね。だから、アデレイド嬢とウィルズそれぞれを殺す動機を持つ人間に疑いを向けたが――もう一つの可能性を思いついたんだ」


 レイクはフラシアを見た。


「フラシア、君とアデレイド嬢の容姿はとても似ている。長い黒髪で青の系統のドレスを着ている。後ろから見ればすぐには判別がつかない。そして、君は事件当時庭園を散策していた。もし、犯人が君が庭園にいることを知っていて、君を撃つつもりで誤ってアデレイド嬢を撃ったとしたら、と考えたんだよ。リリー、君はフラシアが庭園へ行くところを見たと証言したね?」


 リリーはレイクの詰問するような声に答えず、無言を貫いた。


 フラシアは肩をすくめた。


「成程、彼女は私が庭園にいると知って、頃合を見計らって拳銃を持ち出し、庭園へ行ったんだね。けれど、間違ってアデレイド嬢を撃ってしまった。そこへ偶然ウィルズもやって来たから、こちらも撃ったというところかな?」

「ただ、ウィルズはすぐには死なず反撃してきたんだろう? その際に拳銃を落として、それをウィルズが思い切り蹴飛ばしたんだ。拳銃は生垣の迷路の入口まで滑っていき、フラシアに拾われるまでそのままだった。ただ、これはリリーにとって都合が良かった。拳銃を拾ったフラシアに疑いの目が向けられたからだ」

「まあ、私が疑われるのは無理のない話だよ」


 自分の対外的な評価を知る彼女は、くすくすと笑った。


「フラシアに疑いが向いている状況なら、彼女が捕まるのを嫌って自ら命を絶ったように見せかけることも可能だと思ったろう? もう一度彼女を殺そうとするなら、それ以外に有効な手段はない。早く気づけて良かったよ。なんとか間に合った」

「ところで、さっきから聞いているとここへ来る前からリリーが犯人だと見当がついていたようだね。何か疑わしい理由でもあったのかい?」

「理由は二つある。一つ目はリンが気づいた」


 リンを見やると、彼女は頷いて説明を引き継いだ。


「リリーさんと執事たちがフラシアさんの悪い噂について話していた時、リリーさんはこんなことを言っていました。フラシアさんはティンメル公爵邸の図書室で蔵書を読み漁っていて、禁止指定の魔術も使えると。何故それを知っている・・・・・・・・・・のでしょう? 少なくとも私はそんな噂を聞いたことがありません。フラシアさんもその話は図書室を管理していた執事だけが知っていたと言っていました」

「俺もさっきリンに言われて気づいたよ。他にその話を知っているのは、君から聞いた俺だけのはずだ。リリー、何故君は知っていたんだ?」


 レイクの推理に合わせてリリーを覆う虚飾が徐々に取り払われていく。積み上げられた煉瓦を一つずつ除いていくように、その後ろに隠れた正体が見え始めていた。


 フラシアは合点がいったように頷いた。


「いや、もう一人知っている可能性のある人物がいるね。ああ、そうか。ようやく思い出した。さっきからずっと記憶の隅に引っ掛かっていたんだ。どこかで聞いた憶えのある声だって」


 フラシアはリリーの正面に回り込み、顔をゆっくりと近づけた。そして、満足そうに笑った。


「久しぶりだねエメラルダ。随分と可愛らしい顔になったじゃないか」


 聞き覚えのない名前にリンは訝しんだが、リリーは今にも跳び上がらんばかりに身体を震わせた。


「エメラルダ? 何者ですか?」

「君にも話しただろうリンさん。私の母が死んだ時、偽証したメイドだよ。あの執事の親類だったから、彼の死後に遺品を継いだはずだ。彼が遺した手記から私が図書館に入り浸っていたことを知ったのだろう。まったく、顔が変わっていたから気づかなかったよ。変成魔術で整形したのかい?」


 リリーの顔は恐怖一色で染まり、葉をがちがちと鳴らしている。


「偽証をしたのもやむを得ないからとあの事件の後も情けをかけて邸に置いてあげたのに、私に報復されると勝手に怖がってあちこちで言いふらしていたね。挙句の果てに一人で夜中に逃げ出して行方知れず。巷では私が陰で殺したなんて言われたよ。しかし、まさか私の命を狙おうとするとは思わなかった」


 フラシアは「ふむ」と呟き、レイクの顔をちらりと見やった。


「私の命を狙ったことはお茶の中身を調べれば分かるかもしれないが、あの二人については罪を立証できるのかい?」

「できるよ。フラシア、リリーから何か匂う?」


 言われたフラシアは鼻を近づけて、嗅いだ。


「いや、全然。何の匂いもしないよ」

「パーティ会場で七幻香を使った人間には魔術で生み出された香りが付与されている。これは魔術の効果が切れるまで待つか、魔術を解除するような術を使うか、いずれかの方法じゃないと匂いはとれない。リリーはデモンストレーションで自分に七幻香を使っていて、その匂いはまだ残っているはずだ。だが、今のリリーからは何も匂わない。同じように七幻香を使ったアンネには匂いが残っていたのに」

「つまり、エメラルダは何らかの方法で匂いを落としたと?」

「そういうことだ」


 レイクは肯定した。


「水属性の魔術なら匂いを落とすことができる。火属性と風属性も使えるなら乾かすこともできるだろう。問題は何故洗う必要があったのかだ。さっき言ったように、ウィルズは撃たれてもすぐには死なず犯人に反撃したと考えられる。その時に拳銃を落としたのなら、犯人の身体にも触れていたはずだ」


 レイクがブランに目で合図すると、彼女は一枚の写真を取り出した。現場で撮影したウィルズの手を写したものだ。


「ウィルズの遺体を見た時、掌は血がべっとり付いていたのに、指先の血は掠れていた。あれは一度血がついた後で拭ってできたものだ。ニルスは事件が発覚する前に遺体を発見していたけど、遺体には触れていない。遺体の服にも拭った後はなかったし、持っていたハンカチも綺麗だった」

「つまり、犯人の衣服で拭われたということか」

「ああ、そのせいで犯人は服を着替える必要に迫られた。多分顔や髪にもついたんじゃないかな。そのまま皆の前に姿を現すわけにはいかないから、裏手の扉から邸へ戻り、身体を洗って、替えの服に着替えた。しかし、七幻香の匂いも落ちることにまで気が回らなかった」

「ただ、水の魔術だけでは汚れを完全に落とすことはできません。必ず痕跡が残ります。顔などに付いた血は洗い流せるかもしれませんが、服に付いた血はどうにもならないでしょう」


 リンが説明を補足した。


「だから、元着ていた服はどこかに隠しているはずだ。火を使うのはバレたら危険だし、仕事もあるからまだ処分していないはずだ。今、他の警官たちが邸内を捜索しているから、きっと見つかるだろう」


 その言葉はリリーにとどめを刺すのに十分だった。

 彼女は目に涙を浮かべながら、フラシアを憎々しげに睨んだ。


「あ……あんたがいなけりゃ、私は平穏に暮らせていたのに……!」

「平穏? 十分平穏な人生じゃないか。私の母を殺した奴に加担したのに赦してやった。偽証の件も訴えなかったじゃないか。何が不満だった?」

「あんたが生きている限り安心なんてできないわよ! いつ心変わりして私を殺しに来るかと思うと夜も眠れなかった! だから、顔と名前を変えて別人になって、完全に過去を捨てた。これでやっと逃れられるって思ってた」


 リリーは腹の底に溜まった感情を吐き捨てるように言った。


「三年前にここの奥様が亡くなられた時、一緒に死んだメイドの代わりとしてこの家で働き口を見つけることができた。これからはジラー伯爵家のメイド“リリー”として新しい人生を歩める……そう思ったのに、今夜あんたは私の前に現れた。あんたはしばらく見ない間もまったく変わってなかった。相変わらず恐ろしい女だった。そこでようやく自覚したわ。顔を変えたくらいじゃ全然安心できないんだって。あんたのすぐ傍で仕事をしている時、逃げ出したくなるのを抑え込むのに必死だったわ。もし、正体がバレたら? あんたの不興を買うのを恐れて、旦那様に追い出される? それとも、あんたに売られる? 想像しただけで震えが止まらない! こんなに怖い思いをするくらいなら――」

「やられる前にやれ、と? いやはや意外に決断力と行動力があるんだね君。お母様が死んだ時にも発揮してくれたら良かったのに。だが、そうして実際にやったのは何だ? 人違いでアデレイド嬢を撃ち、不運にも居合わせた執事を殺しただけじゃないか」

「全部あんたのせいよ! あんたがいなけりゃ私はこんなことしなくて済んだ! “破滅の魔女”がいなけりゃ……」


 レイクが聞くに堪えないという顔で、リリーの言葉を遮った。


「フラシアが手を下さずとも君は破滅するよ。落ち目とはいえシアソン侯爵家の人間を殺そうとして、ただで済むはずがない」


 リリーはシアソン侯爵家の名を聞いた途端、再び恐怖の色を浮かべた。


「いや、違うのよ。あれは間違いで、シアソン侯爵家を敵に回すつもりは……」


 リリーはうわ言のように言い訳を口にしたが、耳を貸す人間は誰もいなかった。

 彼女はパインとマリガンによって連行される時も、ぶつぶつと言葉を垂れ流していた。




 十一時を回ろうとする頃、レイクたちはようやく帰宅の準備を始めることができた。

 リンはレイクと共に帰ることを両親に伝え、夫妻はマオを連れて一足先に邸を後にした。

 邸の玄関にはレイク、リン、フラシアの姿があるだけだった。


 警官と話していたブランが微笑みを湛えながらやって来た。


「今、病院から連絡があったわ。アデレイド・シアソンが目を覚ましたそうよ」

「それは良かった。シアソン侯爵もほっとするだろう」

「まだ安静にしないといけないけど大丈夫みたい。ただ、死にかけたことで普段の気の強さがすっかりなくなっているそうよ」


 ブランはレイクを見て、片目を瞑った。


「それから長官からまた伝言よ――“よくやった”と」

「お褒めの言葉いただき大変感謝すると返しておいてよ」


 レイクは冗談交じりに言ったが、心の中では本当に感謝していた。


「アデレイド嬢にとっては随分な荒療治になったかな。今後は性格の悪さも鳴りを潜めるかもしれない」

「それにリンさんが解決に助力したことは皆知っているから、クレファー伯爵家にも借りができた。これからはリンさんの悪評は流せないだろう。今の状況で味方を減らす真似はできないからね」

「借りといえばニルスさんも借りを作りましたね。アデレイド嬢が倒れていたことを知らせずに逃げたこと、シアソン侯爵には黙っていることにしたんですよね?」

「事情聴取だけするってさ。大事には至らずに済んだのもあって、それで勘弁してやるそうだ」


 それを聴いてフラシアはお馴染みの嘲るような笑みを浮かべた。


「あの小心者の色男にはそれくらいで十分さ。彼も今後大きな顔はできないね」


 彼女はレイクに向き直った。


「君と刺激的な夜を過ごせて満足したよ。機会があれば是非うちにも寄ってくれ。それじゃあお先に。車を待たせてあるからね」


 フラシアは手をひらひらと振ると、扉の外へ出ていった。

 彼女の姿が見えなくなると、レイクは安堵したように息を吐いた。


「まったく……こっちの気も知らないで」


 その横顔には親愛に満ちた苦笑が浮かんでいた。


 リンはその顔を見つめながら、バルコニーでフラシアと交わした会話を思い出した。




「“破滅の魔女”――正しいよ。まさしく、私は魔女だ。復讐に身を焦がし、狙った獲物を皆破滅に導いた。私は今の自分の在り方に満足している。私は、私が望む自分になれたんだ」


 悪意を晒してそう言ったフラシアの姿は、リンに最大級の警戒心を抱かせた。その時の彼女はまさしく言葉通りの魔女であるとリンは思った。


 だが、その警戒心は次の一言で霧散した。


「それでも――最後の最後で邪魔をされたけどね」

「え……?」


 フラシアは悪意をあっさりと引っ込めると、年頃の乙女のように柔らかに微笑んだ。それはあの妖艶な笑みとは似ても似つかぬものだった。


「実を言うとね、私は当初自分自身も破滅させるつもりだったのさ。あの虫けらどもを一人残らず殺して、最後は自分も命を絶つ。それが私の計画だった」


 物騒な内容をささやかな悪戯を告白するかのように告げたフラシアは、今度は過去を懐かしむような目をした。


「母が死んだ後、私はあいつらを殺す手段を得るために奔走した。図書室から危険な魔術の研究書を持ち出して、夜も眠らず習得に励んだ。ティンメル公爵家の人間は傲慢に振る舞うのが当然なくらいには強かったから、全員を殺すには並大抵の努力じゃ足りなかったんだよ。それでも、まだ敵わないと考えて、図書室にはないより高度で危険な魔術について記された本を探すことにした。そして、あらゆる稀覯本が集まるという古書店の噂を知り、そこへ赴いた」


 リンの脳裏に、マルタ区の路地裏にある《揺蕩い》の古ぼけた佇まいが思い起こされた。


「今でもはっきり思い出せるくらい憶えている。私があの店を扉を開けた瞬間、カウンターの横に置いてあった椅子に座って本を読むレイクの姿が目に入ったんだ。彼は私を見て驚いたような顔をしていたよ。どうしてこんな所にいるんだ、とでも言いたげにね。私は何も話さないつもりだったのに――何故か彼の顔を見たら、抑えてきた感情が急に湧き上がってきて、柄にもなく泣いてしまったんだ。きっと気を張り詰めて足を運んだ先に、よく知る人間がいたからたがが緩んでしまったのだろう。いつまで経っても泣き止まないからレイクと店主殿が私を宥めるのに苦労していたよ」


 そう言ってフラシアは恥ずかしげに顔を背けた。


「私はレイクに自分の目的を全て話した。すると彼は“ちょうどいい。なら俺も噛ませろ”って言ったんだ。私が警察に訴えた内容はブラウエル侯爵に伝わっていたらしくて、侯爵からレイクにも伝わっていた。彼は事件について調査して、私の訴えが真実であると確かめた。そして、何か打つ手立てはないか模索してるところだったんだよ」

「レイクさんがフラシアさんのために……」

「私は彼に訊ねたんだ。どうして頼まれたわけでもないのに、一人で動いているんだと。それもまだ十歳かそこらの子供がだ。そうしたら何て答えたと思う? 私が遭ったような理不尽を打ち破れるような人間を目指しているからだと答えたよ」


 リンはレイクと出逢った頃に、彼が話してくれたことを思い出した。

 世に満ち溢れる理不尽や不条理を打ち破れる人間になりたい――彼はそう言ったのだ。

 そして、彼はフラシアをその犠牲者であるとみなし、彼女のために行動した。


「レイクは復讐のやり方について代替案を出してくれた。ティンメル公爵家相手に殺人という手段は難しいし、なにより終えた後で私が自決するというのは彼にとって承服しかねる案だった。それに、自決しなかったとしても罪に問われることは必至だ。そこでティンメル公爵家の闇を曝け出すことにしたんだよ」

「まさか……『ティンメル公爵家の醜聞』はレイクさんが立案したんですか?」


 リンの反応を見て、フラシアは満足げに頷いた。


「このやり方を選んだ理由は二つ。一つは、合法的に排除できること。もう一つは、単に殺すだけでは、あいつらが無辜の犠牲者として扱われてしまうこと。私が一方的に悪と断じられてしまえば、亡き母の名誉にも関わる。何らかの形であいつらの罪を問わなければ、本当の意味で復讐は果たせないというのがレイクの意見だった。その上で私が公爵家を乗っ取り、混乱を抑えた上であいつらの名誉を完膚なきまで叩き潰すことが計画だった。調査はレイクが代わりにすべてやってくれたよ。私の仕事はあの暴露劇の実行者になることだけだった。まあ、あいつらのほとんどは勝手に死んだから、思ったほど苦労はしなかった」


 リンの中ですべてが繋がった。恐らく最初から仕組まれていたのだと。

 何故、公爵家は爵位を剥奪されなかったのか。公爵家の秘密が暴露される前に、既に皇帝には話が通っていたのだ。すべてを明らかにする代わりに公爵家は存続してほしいと。それはレイクがブラウエル侯爵を通じて要請したのだろう。アルケイン侯爵とゼルフィア公爵が支持したのも、事前に打ち合わせ済みのことだった。

 ブラウエル侯爵はフラシアの母親の一件で、負い目があったのだろう。できる限り彼女の望みを叶える方向で皇帝との交渉も代理したと考えられた。


「だが、レイクは私が“破滅の魔女”の汚名を被ったことを酷く気にしているんだ。自分の考えが甘かったのだとね。でも、私はこの渾名が結構気に入っているんだ」

「気に入っている? 何故です?」

「そうだろう? たとえ汚名であろうとも、この渾名は私に寄り添ってくれた人間がいた証だ。この渾名で呼ばれる限り、私の叫びを知り、願いを聞き届けてくれた人がいたことを忘れないでいられる」


 フラシアの胸に手を置き、温かな声で言った。その声に親愛とは異なる別の感情が伴っているのを、リンは聞き逃さなかった。


「もし、レイクがいつか非常な決断を下さずにはいられないような状況に直面した時、私が代わりに泥を被るつもりだ。“破滅の魔女”の悪名にはそれだけの価値がある。人を救う道を諦めずに進む彼の道に、障害があってはならない。彼の罪は私が引き受ける」

「以前、貴女の周囲で数人奇妙な死を遂げた方たちがいましたね。それは?」

「レイクが手掛けた、表沙汰になっていない事件の関係者だ。真相を明るみにすべきでないと判断した事件は裏で処理するようにしている。その中に私の不興を買うような人間が数人いたというだけの話さ。私が暗躍したように見えたのはただの偶然だ。ただ、その偶然を悪名を高めるのに利用させてもらった。皇帝陛下からはやり過ぎるなと注意されてしまったけどね」


 リンは皇帝が「詮索無用」とソルに言い含めた理由を理解した。


「……私は貴女とは逆ですね。レイクさんが決断に悩むことがあれば、私は彼の隣で一緒に支えたいと思っています。彼が貴女にそうしたように」


 フラシアは優しく微笑んだ。


「君にはそのやり方が似合っている。できることなら、ずっとそうしてほしい」

「貴女自身はそうする気はないんですか?」

「一度復讐心に囚われると、心がすっかり悪に染まってしまうんだ。正しいやり方はもう私にはできないよ。それは君の役目だ。私は私の悪を以ってレイクを助けるよ」


 そう言うと、フラシアはグラスの中身を飲み干した。それから長くゆっくり息を吐いた。


「長々と話してしまったな。自分の胸の内をここまで話したのは初めてだ。今の話はレイクには内緒にしておいてくれ」




「レイクさんはフラシアさんを心配しているんですね」

「ん? ああ……まあね、幼馴染だから」


 リンが言うと、レイクは若干口籠った。


(レイクさんはフラシアさんに罪悪感を抱いているんですね。彼女への微妙な態度もそれが原因だった)


 レイクは恐らく彼女のやり方を認めないだろうと、リンは考えた。二人は互いに信頼しつつも、主張は平行線を辿るだろう。

 リンは、ならば自分も彼女を気にかけようと思った。


「大丈夫ですよ。私もフラシアさんとは仲良くなりましたから、何かあれば私も力になります」


 レイクは目を丸くした。


「そう? それは助かるけど……いつ仲良くなったの?」


 リンは言った。


「まあ、いろいろとあったんですよ。いろいろと」


 リンはフラシアもまた自分と同じ感情を抱いていると確信していた。そして、隣に立つレイクがまだその感情の存在に気づいていないであろうことも。

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