最終話「始まる私」

 入院と通院で費用がかさんで、両親に連絡を取った。


 お金だけは惜しまない人達だったので、ちゃんと領収書の写真を見せたら、振り込みをしてもらった。まあ、もうほとんど期待はされていないのだろうな、という感じだった。親として最低限、生かす義務があるから生かしといてやる――くらいの温度である。何もできない、精神を病むような子どもは、自分の子どもだと認めたくないんだろう。散々いいように使っておいて、いざ上手くいかなかったら子どものせい。育児はちゃんとした。悪いのは子どもだ――って感じだ。笑える。


 実際に笑った。


「にーぃ」


 ほっぺを引き延ばして、鏡の前で顔の体操をする。笑顔の練習、である。先生に指摘されて初めて気付いたけれど、私は笑顔の仕方を知らなかった。いや、多分本当に小さい頃、親の言う通りに生きることができていたころは自然とできていたんだろうけれど――いつからだろうな。楽しいことがあっても、辛いことで帳消しになってしまったのは。


 そう思いながら、ついでに洗顔した。


 そっと頬を撫でた。


 中学の頃はニキビに悩まされたものだ。


 妹は顔立ちが整っていたから、さんざん比較されたなあ。


 学校でもあひるなんて綽名を付けられたものだ(醜いあひるの子に起因しているものらしい)。


 そんな扱いを受けて、自信なんて持てるはずがないのにね。


 社会に出たら、自分への自信は標準装備でなければならない。私から自信を奪った人達は、返してはくれない。奪う者と、奪われる者。その構造は、いつまでも続く。


「――っと、危ない」


 ちょっと死にたくなって、頑張って堪えた。


 もう一度鏡を見た。


 大嫌いだったこの顔も、まあ嫌いくらいにまで落ち着いた。


 最近は肌荒れも落ち着いてきて良かった。まあ、薬師院高校には、容姿で人を差別するような人はいない。そういうものとは無縁で生きてきた人ばかりである。一番の幸せは、ひょっとすると、知らないということなのかもしれない。


 朝の支度を終えたところで、部屋のチャイムが鳴った。オートロックであり、少し離れたアパートの入り口に付いているカメラで、それを認識することができる。


『おは』


 そこにいたのは、青山環と、そして緋野響だった。


 あれから私たちは、一緒に登校するようになっていた。




 これから先、それはもう想像を絶する程の苦悩があった。


 今までの人生が間違いで、甘かったと思えるくらいに上手くはいかなかった。


 若くして色せてしまった私たちには、それくらいの悲劇が飛んで来るのは当然だと、今なら思う。人とは違う生き方をするというのは、それだけ覚悟のいることで――当時の私たちはそれを理解してはいなかった。


 ただ――それでも。


 苦悩だけではなかった、と、付け加えておきたい。


 死ぬほど辛いことの先には、幸せなことがあった。


 苦しいことの表には、楽しいことがあった。


 泣き顔の後には、笑顔があった。


 喧嘩の末には、仲直りがあった。


 悪いことばかりではなかった――なんて。


 そう思えるようになっただけでも、僥倖ぎょうこうだろう?

 

 だからこれから先の私のことは、これから先の私のことは、読者の皆様の想像に委ねようと思う。


「おはよう」


 私は扉を開けて、前へと進んだ。


 空は青く色付いていた。




《Blue Encounter》 is the END.

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青色の邂逅 小狸 @segen_gen

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