第8話「私」
私の抑圧は、はちきれた。
「っっっざけんな!!!!」
自分で何が起こったかは、行動した後に気付いた。
目を潰すとか、一過性の攻撃をしなくて、本当に良かったと、今なら思う。
気付いたら私は、道路に青山凛を押し倒して、首を絞めていた。
これもきっと笑われるのだろう。
根暗は怒らせたら何をするか分からないとか、陰キャは怖いだとか何とか。
怒らせた側の責任は、誰にも問われないのに。
勝手に逆上した私が悪くなるのだ。
全て悪いのは私。
どれだけ嫌なことを言われても、仕返しちゃいけない、殺しちゃいけない、押し殺さなきゃいけない。
それが世の中の正しさなのだ。
そういう理不尽、そんな世界、そんな私。
「何が、ちゃんと言えた! だ! っっっっざっけんな! 何主要キャラみたいに! 言ってんだよ。今のはお前を試したのだって言って! 試される側にもなってみろ! なんでそんな上から目線で言えるの! 試すために、人の心蹴っ飛ばしても、どうして許される! どうしてだ、正しい側から好き勝手もの言えて! どうせ私は間違ってんだよ! んなこと言われなくて分かってるんだよ!」
学校帰りに病院に行ったから、辺りは暗くなって街灯が灯されつつあった。
場所は団地である。
大声で響き渡る。
きっと人通りの人達も、奇異の視線を投げてくるのだろう。
そうだろう。
皆私の過去を知らない、彼女の言ったように、全員に私の過去を説明して理解してもらうことは不可能だ。
気持ち悪がられる、避けられる、嫌がられる。
でもどうでも良かった。
どうせ私は死にたいのだ。
それに土足で踏みにじられて、上からマウントを取られて、いいように言われることは慣れている。
でも。
本心を言わせられたのだけは、許せなかった。
誰にも本心を悟られず、死にたかった。
一人で勝手に死なせてほしかった。
誰にも迷惑をかけたくなかった。
誰にも、踏み込まれたくなかったのに。
「そんな覚悟もなく、人の心に踏み込んだの? おかしいって否定するんでしょ! 馬鹿だって笑う! 良いよ! 好きに笑えばいい! 勝手に
ぎゅっと、思いっきり首を絞めた。
ぼろぼろ涙が、私の顔から溢れてきた。
どうしてだろう。
この涙には、どういう意味があるんだろう。
泣いたのは久しぶりだった。
テストで満点を取れなくてお父さんにぶたれた時だろうか。
同じことを繰り返して失敗してお母さんに倉庫に閉じ込められた時だろうか。
担任の先生に窃盗の罪を
クラスメイトから無視された日の帰り道の時だろうか。
イヤなことしかなかった。
辛いことしかなかった。
そんな私の過去が、私の涙を助長した。
青山凛の顔が、青くなっていった。
名前の通りか。
笑える。
この女は――この女だけは、殺さないといけない。
真っ当に生きることも、分かりやすく落ちぶれることもできない、いつまでも中途半端だった。もうどうでもいい、私の人生なんてどうでもいい。
どうせまともな人生にはならない。生きていたって意味はない。
だったら、もう、落ちぶれてしまおう。
悪い側になろう。
ニュースになって、きっと適当なコメントが付く。
後出しで言いたいように言われる。
社会の闇だとか、どうして助けを求めなかったのとか、犯罪者を擁護する必要はないとか、人を傷付けるのは許せないとか、好き勝手言う。
いつもそうだ。私みたいな駄目人間は、犯罪を起こさなければ誰にも認知してもらえない。
だったら!
終わった後であーだこーだ言うなら!
後日談みたいにまとめるなら!
どうして誰かを殺す前に、誰も助けてくれなかったんだ――
と。
もう青を越して白になってきた――彼女の顔が、手が。
私の、涙でびしょびしょになった頬を、撫でた。
後。
私の頭に、ぽんと置いた。
口から、
聞こえて。
にっこりと、もう
笑顔で。
「ごめんね、気付けなくて」
反射的に、手を離してしまった。
「――ッ」
どうして手を離してしまったのかは分からない。この時の私は、別に犯罪者になっても良かった――でも、結果的に、ここで彼女を殺さなくて良かったと、今なら思う。
「っがはっ、が、がはっ――」
青山凛が
一応、ちゃんと意識はあるらしい――良かった、良かったと思って、思った自分に、逆に驚いた。
「あ、あれ――」
勝手に、眼から涙が溢れていた。先程のような衝動的なものでもなんでもなく――ただ、堰が切ったダムのように、だばだばと溢れてきた。
「あ――あれ、なんで」
なんで泣いているのかは、分からなかった。
まるで赤ちゃんみたいに。
さぞみっともなかっただろう。
それでも、ここまで思いっきり泣いたのは、ひょっとすると初めてだったかもしれない。
周囲には、いつの間にか仕事帰りの人や地域の人が集まっていたけれど、ほとんど視界に入っていなかった。
その後、住民の誰かが通報してくれたのだろう。
救急車と警察の車が来るまで、彼女に馬乗りになったまま、私は馬鹿みたいにわんわん泣き続けた。
(続)
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