第39話   未知なる厨房で

 最寄りの男子トイレで手を洗って、両手で水をすくってうがいを済ませた。


「イオラ、その服は外を歩くときの服だから、ケチャップついても大丈夫な服に着替えよ」


「そのケチャップっていうのも、材料はトマトじゃないんだろうな」


「トマトってなぁに?」


「ニーポンの野菜売り場に売ってる、赤くて丸い野菜だよ」


「へえ、赤い野菜なんてあるんだ」


「赤い野菜そのものが無いのか……」


 俺は最寄りの空き部屋に押し込められて、オーバーオールを脱がされ、サイズが微妙に大きな黒っぽい男性ものの服を上下で着せられた。サフィールが俺の着替えにもめちゃめちゃこだわってた分、ノワールの適当なチョイスにちょっと苦笑した。


 下手すりゃパジャマにも見えるな、これ。ゆるすぎて、そのまま寝れそう。


「イオラ、お城の人たちはイオラのこと、あんまり好きじゃないの。厨房でイヤな思いするかも。それでも料理、作る?」


「え……あ、そっか、俺は得体の知れない侵入者で、今は居候してる怪しいヤツだもんな。警戒されてもおかしくないか」


 どういった理由があって嫌われているのか判明したところで、俺の境遇は変わらないしな……。でも、美人なメイドさんや、洗濯をしてくれてる人たちを無視しながら生活するだなんて、俺にはできそうにない。気にするなって言われたら余計に気になってしまう。


 よ、よし、こいつら三人だけじゃなくて、他の人たちとも交流を図ってみよう。


「すぐ作り終わるから、大丈夫だよ。長居はしないよ」


「念の為、ボクも同行する。イオラ、けっこう喧嘩っ早いから心配」


「そうかー? へーへー、ご心配かけてすいませんね」


 こんな状況で穏やかに過ごせるほうがおかしいだろ。それに元の世界だと、俺はかなりおとなしいほうだぞ。周りから親切に起こしてもらってばっかりでさ、もう頭が上がらねえんだよ……。


 ある意味、俺の全部をこの三人が暴いて広げて、絶頂させて気絶までさせたんだし、もう被ってた猫もどっか行ったわ。



 厨房に近づいてゆくにつれ、美味しそうな匂いが、何もしないのがこの世界なんだよなぁ。木箱に大量に詰まれた野菜(野菜……?)を、新人っぽい若い人が、開きっぱなしの扉の中へと運び入れてゆく。


 忙しそうな声が、中から聞こえる……。


「なあ今、入ってもいい感じ?」


 振り返ってノワールに尋ねてみると、「イオラがやりたいって言い出したのに」と責めるような言葉を投げられた。俺はしぶしぶ、扉の奥へと進んでゆく。


 おお! 厨房に銀色のステンレスっぽい台が幾つもあって、調理器具やら食材やらが、どしどし置かれている。ぱっと見は俺の住んでる世界と同じような形の食材なのに、色がなぁ〜、食欲を減退させるんだよなぁ。


 そして、まな板をたたき割るんじゃないかと心配になるほど豪快に肉やら虫やらを細切れにしてゆく、この海賊船から下りてきたばっかりのような集団は、もしかしてコックさんなのか。


 厨房の隅っこで固まってる俺に、物言わぬ鋭い眼光が飛んできた。俺は弾かれたように自己紹介し、すぐに出ていくから厨房を使わせてくれないかと頼んでみた。


「へえ、じゃああんたが王子様の愛人か」


「ふえっ!?」


「ルナだなんて、身分も戸籍もねえ人間が何度も呼んでいい愛称じゃねえんだよ」


 アアアアアアーッ!!!!!


 なんで知って……廊下まで声もれてたんじゃ――


「イオラ……」


 横からノワールの心配そうな声が。


「部屋、帰る? 料理するのあきらめる?」


 部屋に戻っても、監視されて閉じ込められるだけで、何もさせてもらえないんだよなぁ。助手二人はルナの指示以外のことは、あんまりやらないし。


「まだ戻らないよ。ポッケで寝てるチビたちにホットミルク作ってやるんだから」


 それと、俺用の目玉焼きも作るんだ。コックさんたちに卵一個欲しいってお願いしたら、「壁際の木箱の中から好きなの選びな」だって。


 木箱の中は藁がいっぱい敷き詰められてて、その中に、モンスターが孵化しそうなカラフルエッグが埋まっていた。


「卵って、こんなに種類あんの?」


「どれもそれぞれ良さがあって美味えぞ」


「(それ絶対クソ不味いヤツじゃん)俺、甘めの味がいいなー」


「んじゃあ、その赤い点々の模様があるドでかい卵だな」


 赤い点々の、ドでかい……? お、あった。うーわ! 毒キノコみたいな柄してる!


 ぜんぜん美味しそうに見えないけど、でも割ってみたら黄色いかもしれないしな、大きな目玉焼きの完成を期待しよう。


 小さいフライパンも貸してもらって、ナッツみたいな木の実を割ってナッツオイル(たぶん)をフライパンに塗って、と……よし、できた。


 ガスコンロはー、無さそうだな。火打ち石とか使うのかな?


「着火!」


 わっ! コックさんの言葉に反応して、黒光りするコンロから青い炎が発生した。コンロに、何か模様が彫ってあるぞ、魔法陣かコレ!?


「ん? 魔法が珍しいのか?」


 覗き込む俺をヘッドロックして、湯を沸かしながら聞いてきた。


「ルナリア王子様が、刻んでくださったんだよ。こんなに便利な特技を、たくさん持ってるお人なのに。たったお独りでこんな過酷な任務に、何年もお就きになって。もっと他の執務のほうが、あの人には向いてるはずだ」


「何年も独りで、妖精と戦ってるの?」


「サファイア姫とノワールも戦力になってくれてるよ、だが、妖精の大将に致命傷を負わせられるのは、王子だけなんだ」


 お師匠様と互角に戦えるのが、ルナだけ……? どう見てもお師匠様のほうが強そうなんだけど。


 ルナも筋肉付いてるほうだけど、さすがに馬の蹴りには耐えられないだろ〜。どうやって互角に戦うの?


 そしてこの卵、銀色のテーブルの角にガンガンぶつけてるんだけど、ぜんぜん割れねえ。


 くっそ、マジで割れねえ……。この殻を割って出てくる生き物は、恐竜なんじゃないか。


 火のついてるコンロはいくつもあって、食材を細かく切ってる役の人と、炒めたりフランベしてる人に別れてる。時間に追われる職場って、混雑してるときのラーメン屋さんみたいになるよな。


 俺は、厨房の端っこで芋の皮を猛烈に剥きまくってる人に声をかけた。


「あのー」


「んだよ、るっせえな。こちとら時間内に城内の全員分の飯を完成させなきゃなんねーんだよ、手短に済ませろ」


「す、すいません、あの、コレどうやって割るんですか?」


「頭突きだよ」


 は?


「冗談だよ、んな露骨にドン引きすんなって。そこにトンカチがあるだろ、卵を割る専用の道具なんだ。ソレ使って割れるまで、まあ頑張れや」


「へーい……」


 このおっさんたちなら頭突きでドリアン割ってても違和感ねえな。


「そだ、ホットミルクも作りたいんだけど、ミルクってある?」


「王子から飲ませて貰えよ」


「へ? あ、なっ!? 誰が飲むかよ! 友達に作って飲ませたいんだよ!」


 俺、このお城でどんな目に遭ってることになってるの。捕まって捕虜になって性奴隷にされてるのかよ。ああされてるよ!!(逆ギレ)


 小鍋を貸してもらって、ヤギ(たぶん俺が知ってるヤギじゃない)のミルクが入った大きな瓶を傾けて、小鍋を満たした。その様子を横目で見ていたコックさんから、マシュマロは入れないのかと聞かれたから、この国だとホットミルクはマシュマロ入りで飲むのが当たり前なんだな。


「今回は入れないよ」


 まさか敵側の妖精のチビたちのために、お城の食料を少し拝借してるだなんて知ったら、この人たち怒るだろうなぁ。黙っとこうと。



「おい! 調理中だぞ! 起きろ!」


 背中をバンバンと叩かれて、俺はハッと喉を鳴らして顔を上げた。忘れてた、俺には突発的に寝落ちする持病が。料理は!? まさか焦がした!?


 ああ、ホットミルクが大沸騰して泡立ってら。誰かが火を消してくれたみたいで助かった。で、その横の目玉焼きを作ってたフライパンなんだけど、卵白(ピンク色)が分厚過ぎてて全然火が通ってねえ。ある意味助かった、けど、これあと何分くらいしたら完成するんだ?


 なんにせよ、忙しいコックさんの作業場のコンロを二つも貸してもらった分際で居眠りだなんて、感じ悪いよな。すぐ謝らないと。


「ごめんなさい、火を使ってるのに居眠りなんかして」


「毎日王子様の相手してるから、疲れてんだよ」


「まっ、毎日だなんて――」


 そりゃお胎の検査なら、毎日してるけど……ここ最近は、ルナが検査に乱入していないから、わりと体は平気だ。あいつが参加すると、検査後はいろんな意味で猛烈に疲れるから、いないに越したことない、はずなんだけど……。


 なんでだろ、ルナのこと考えると、お胎もやもやする……。


「ここはプロの俺らに任せて、あんたは部屋に戻りな」


 え〜? プロであの程度の味だから、俺が手作りしたかったんだけどな〜……しょうがない、駄々こねても迷惑かけるだけだしな、この人たちも時間内に決められたメニューを作りたいんだし、退場するか……。


「わかったよ、ごめんなさい、迷惑かけて」


「精の付くモノ作ってやっから、今夜も頑張りな」


「え……あの、あっさりした物で、お願いします……」


 なんでこんなに応援されてるんだ……。


 ノワールが泡まみれの小鍋を持って来てくれた。チビたち飲んでくれるかな。いらな〜い、とか言って二度寝決めてきたら、何日も飲まず食わずなんだし、無理やり起こして飲ませるかぁ。


 あ〜、俺の目玉焼き〜……。


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