第38話 俺のしたこと、迷惑だったかな
胎の中がびくびく震えて、まだ脈打ってる。助手二人にばれたら物陰に連れ込まれて、シゴかれかねん……屋外で無理やりとか、絶対に避けたい。これ以上サファイア姫に弄ばれるとか、耐えられねえ。
「おかえり」
大きな表玄関をくぐって帰ってきた俺たちに、穏やかな笑顔を向けたのはルナだった。ずっとそこで待ってたわけじゃなくて、たまたま通りかかったついでに声をかけてきた感じ。首からタオルを下げてて、軽装備だけど金属の甲冑で腕や胴体を覆っている。めらめらと燃える炎が、この国の紋章なんだと、ルナの胴体部の鎧に刻まれたデザインで初めて知った。
髪の毛、後ろで縛ってて、おでこ出してる。なんか新鮮だな。
「お兄様! 稽古お疲れ様です!」
なんの稽古してたんだろう。やっぱ王族って、武器の扱いにも長けてないとダメなんだろうなぁ。戦争とかになったら、戦況を左右する大将になるんだもんな。どの部隊の気持ちも理解できるように、全部の武器を扱えるようにならなきゃダメなのかも。弓兵はどこまで距離出せるのかー、とか?
「お出掛けは楽しんできたかな?」
「はい!」
そらお前は楽しかっただろうよ、大好きなオニイサマの株を上げてきたんだからな。
俺の尊厳は地の底まで落ちたけどな……みんなのアイドルだった妖精アルエット君は、今じゃ
「お兄様、今お時間よろしいですか?」
「うん? 今は休憩時間だけど、どうしたんだい?」
「イオラがお兄様のために、可愛い嘘をついておりました」
「おいこら! やめろ! ほぼほぼお前の作り話だっただろうがよ!」
二人に走り寄ろうとした俺を、ノワールが羽交締めしてきたあげく、足払いして床に押さえつけてきた。重しみたいにノワールに乗られた俺の目の前で、お姫様がロマンたっぷりに、事細かに報告差し上げた。
ルナはきょとんとして聞いていた。
「なぜそんな作り話を、イオラが?」
「お兄様を誰にも取られたくないからですよ」
……うわ~、ルナがハの字眉毛になって、俺とノワールを見下ろしている。困ってるのかな……。
「サフ、着替えたら私の部屋に来てくれないか。話があるんだ」
「かしこまりました」
なんの話だよ〜……俺はただ、お前が周りからあんまりにも悪く言われるのが嫌だったから、その……
余計なお世話だったんだろうけど……
ああ、嫌われたんだろうな……
ルナはかなり着やせするタイプで、華奢で上品な見た目と、優しそうな顔立ち、だから周りから舐められないように、わざと不気味な噂を流さないといけなかった。それは理解できるよ。だってルナは、実際には女子を捕まえて軟禁するなんて事、やってないんだから。
だから、俺もルナの不気味なイメージを崩さないように考えて……って、よくよく考えたら、夜な夜な問題を起こすガキに誘われた程度で、簡単に流されるようなヤツだって、思われちゃったかもじゃん……
俺の嘘話が、足引っ張っちゃったのかな……。
もう、どんな言葉を口に出せばいいのか、わかんない……謝ればいいの……?
「イオラは、何か食べられたかい?」
「……うん」
「ノワール、イオラに付いててあげて」
「はーい」
足音が二人分、遠ざかっていく。あとは、お兄さんたちが持ち場に戻っていく足音も聞こえた。
「ねえ、いつまで倒れてるの?」
「お前が上に乗ってたから起き上がれなかったんだよ!」
くっそ〜、慣れた手つきで俺を組み敷きやがって。こいつも何かしら武術を習ってそうな感じだな。ノワールはルナとサファイア姫の、護衛も兼ねてるのかも。
床に手を着いて起き上がった俺の前にいたのは、いつの間に着替えたんだよ、いつものノワールが、いつもの服装で立ってた。
どうなってんだよ、こいつらはよ……。あ、そう言えば魔法が使える世界だったな。早着替えの魔法があるのか? でもサフィールは下着から着替えてお姫様になってたし、どうなってんの?
「ボクに聞きたいことが、山ほどあるって顔してるね」
「ああ、察しが良くて助かるわ」
今の俺じゃあ理解できないことは、素直に聞くに限るぜ。って、思ってたんだけど、オーバーオールの胸ポケットから小さなうめき声が聞こえたとたんに、俺の優先順位は乱高下した。ポケットを広げて確認すると、ぐったりしている小さな丸い頭が、もぞもぞしている。
「お前たち大丈夫か!?」
……すやすや、聞こえる。
寝てるっぽい。
チビたち、もう何日も起きてないぞ、大丈夫かよ。こういうとき、どこに相談したらいいのかな……。森には戻れないし……。
「ママ」
「え?」
「おにゃか、すいたぁ……」
寝言? こいつら、もう何日も木の実とか食べてないしな、でも揺すっても起きねえし、どうしよう。寝てるヤツの口に入れたら、誤飲性肺炎になるって病院の雑誌で読んだぞ。妖精って肺炎になるのかわかんねえけど。
「イオラ、何も質問ないなら、お部屋戻ろ」
「なあ、このチビたちが食えそうなもの、ある?」
「イオラの母乳でしょ?」
「ばかっ、ちげえよ! ってか、出ないんだってば。ルナが試してたの、その、見てただろ」
「うん。イオラいつも痛がってたね。舐めると悦んでたけど」
「悦んでねえよ!」
「その小さい妖精は赤ちゃんみたいだから、マシュマロ入りのホットミルクでいいんじゃない?」
う、あのブチュブチュした喉越し最悪の、乳臭いドリンクのことかよ。あのマシュマロも、どうせ何かの生き物から削り取ったどこかのパーツだろ。
あのブチュブチュの粒の大きさだと、チビたちが喉に詰まらせそうだな。
あ、そうだ、俺がお城の厨房を借りて、牛乳あっためてやればいいじゃん。
「なあ、厨房借りていい?」
「なにするの? 手洗いうがいしてね」
「ああ、ちゃんとするよ。こいつらにさ、あったかい飲み物を作ってやりたいんだ」
赤ちゃんのメシ、イコール、あったかいミルクという安直な発想だけど、泉の水を汲んでくるわけにもいかないし、それに冷たい水よりあったかい牛乳のほうが体にも良さそうだ。
……なんでかノワールが棒立ちしてるな。俺、なんかまずいこと言ったか?
「イオラは、王子とその小さいの、どっち好き?」
「え……?」
とっさに言葉が出なかった。その質問にも、金色に輝く無表情な瞳に射抜かれたことにも驚いて、俺は茶化すべきか、マジレスすべきか、決められなかった。
妖精側と人間側の、どっちの味方を自覚しているのかと、ノワールは尋ねている。いや、それだけじゃない、どれくらいルナに本気なのかとか、仲間意識の有無だとか、このたった一つの質問にはいろいろな問いが込められている。
俺は……その……
「ママ……」
ポケットの中から、寂しそうな声がする。俺が気づいてなかっただけで、こいつらはずっと、母親を恋しがりながら夢を見てたのかもしれないな。
「俺が料理するのに深い意味なんてねえよ。小さいのがお腹すかしてるの、かわいそうだろ?」
「……そういうことに、しておいてあげる」
よし、ついでに俺の夕飯も自分で作るぞ! いつまでも作ってもらった食べ物にケチばっか付けてたら、この世界の人たちにも失礼だしな。
「うがいと手洗い、しよ」
「うん」
「それと、お腹、落ち着いた?」
「え? ……あ、うん…」
気づいてたのかよ。でもお姫様に黙っててくれて助かったぜ。「お兄様との妄想だけで発情するなんて! もう運命ですね!」なんてでかい声で目ぇキラキラさせて実況されるとこだったわ。
よーし、久々に美味いの作るぞー。俺、家庭科でもあんまり料理系は得意じゃなかったけど、卵料理なら火ぃ入れたり塩コショウすれば食えるっしょ。
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