第40話   イオラには利用価値があります

 お兄様は来たる激戦に備えて、ウォーミングアップをしていたようです。お疲れでしょうに、僕と話し合うための時間を作ってくれました。この機会を無駄にするわけにはいきません。


 僕は、ほんの少しでもお兄様が、自分の思うように過ごす時間を作って欲しいだけなんですから。


 サファイア姫のドレスも、リボンの目隠しも、僕が安全に生き延びるための、世を忍ぶ仮の姿です。お兄様との一対一の対談の時は、本来の僕に戻るのが礼儀だと考えております。ですが着替えに時間を取られるわけにはいきません、トルソーにドレスを戻す作業は、メイドたちに任せました。


「お兄様、サフです」


「うん、入っておいで」


 僕たちの間に、ノックは要りません。静かな室内に不躾な物音を立てるのが良くないとのマナーもあるようですが、お兄様はそのような事をあまり気にしませんので、僕が距離感を読んでいる感じです。


 お兄様から下される命令は絶対ですが、僕とノワールが息苦しさを覚えるほどの束縛は、滅多にありません。それは僕たちがお兄様から与えられる環境に、過度に適応しているだけかもしれませんが、お兄様なりに精一杯、僕たちを保護しているのを理解しているからこそ、これ以上の贅沢を望むのは間違っていると、己を律し、むしろ感謝して生きております。


 僕たちの事は、これで良いのです。ですが、お兄様個人はこのままではいけないのだと思います。


 せっかくイオラに出逢えたのです。この好機を逃す事は、お兄様に残された最後の「人間らしい部分」を否定することにつながってしまうのだと、僕は考えています。


 ただでさえ周囲から化け物扱いを受けているのに、本人すらそれを認めてしまうなんて悲劇は、あってはならないことです。


 お兄様は誰よりも優しい人なのです。心の底から化け物に変貌しようとするなんて、そんな恐ろしいこと、家族である僕が許しません。


「失礼します」


 扉を開けると、濡れた髪の毛をタオルでゴシゴシと拭いているお兄様がいました。さっき汗をかいていたから、僕との時間に間に合うように、急いでシャワーを浴びてきたようです。


 義理とはいえ共に過ごして長い兄弟なのですから、汗臭くたって僕は気にしないのですが、大勢の人と話す機会が多いお兄様にとっては、相手を不快にさせる要素は一つも妥協できないのでしょう。真面目で努力家です。


 ですが、欠点もあります。片手でタオルを掴んで髪の毛を乾かしながら、もう片方の手でお兄様は、丸テーブルの上の木箱の蓋を開けていました。木箱の中には、イオラが服の中に大量に隠していた、あの変な妖精たちが十匹ほど。白い綿に包まれながら、クッキーを食べていました。その様子は、さながら愛玩用に改造されたネズミのようでした。


 絶句する僕の前で、サクサクと小さな咀嚼音が響きます。


「この子たちは、まだ赤ちゃんだから、柔らかくて甘いものに目がないね」


「い、いったいいつから、そんなモノを飼っていたんですか」


「研究のために、少し前からね。中にはしっかりした子もいて、かなりの数が逃げちゃったんだけど、今ここに残ってる子は、お菓子をくれる人には懐いちゃう性格みたいだね」


 みたいだね、って……本当に、この人は。いつ気が変わって襲ってくるか、わからないじゃないですか。得体の知れない生き物を、ご自分の寝室に、それもただの木箱に入れて飼うだなんて!


「お兄様、敵軍の子供たちを部屋に招き入れるべきではありません。噛みつかれたらどうするんですか? どんな毒を持っているか、わかったものではありません」


「ゴム手袋を、手に何重にも重ねて触れ合ってるから、大丈夫だよ。木箱の蓋の裏にも魔法陣を彫ってある。内側からじゃ、開けられないようにしてあるんだよ」


 サクサク、サクサクと、お兄様を見上げながら、乱杭らんぐいの前歯でクッキーを齧り続けています。その歯が見かけによらず鋭利で、その気になれば人間の指をも噛みちぎることができるのを、みんな知っています。


 イオラは知らなさそうですが。彼はどのような生い立ちなんでしょうか、もうしばらくお城に留めて、調べなくてはいけない重要人物です。


 ん? クッキーのかじられた箇所から、金色の粉がポロポロと……まさかお兄様、その小さい妖精たちに魔力を与えたのですか? ノワールがそんなことをするはずがありませんから、やっぱりお兄様でしょう。型抜きする前のクッキー生地に魔法陣を刻んで、その溝に魔力を注ぎ込んで調理し、相手に食べさせれば、魔力の補給をさせることができます。


 しかし、なぜそんなことを。放っておけば、そんな弱い妖精すぐに消えてしまうのに。与えられたお菓子に釣られているだけですから、我々に恩義を感じるような知能もないでしょうに。なぜそんな意味のないことを。


「お兄様、そのクッキー……」


「初めて会った彼といい、今目の前にいるこの子たちといい、悪い子には見えないんだ」


「イオラは人間である可能性が高いですが、箱の中にいるのはどう見ても妖精です。善悪関係なく、妖精は我々の敵です」


「わかってる。この子たちを捕まえているのは、妖精と、それとアルエット王子についての資料作成のためさ」


 そ、そういう理由ならば……ふん、命拾いしましたね。


「この子たちはね、アルエット王子についてたくさんお話ししてくれたよ。やはりアルエット王子は、自身の妖精化を受け入れて、この子たちを産んだようだ。それも一回の妊娠・出産で、300匹ほど。部隊が幾つも作れる数だ」


「なんですか、それ……お兄様が中庭にお墓を建てるだけでも大勢から反対されましたのに、そんなにたくさんの妖精を、産み増やしていただなんて。我々人間が先祖代々、どんなに苦労して妖精の数を減らしてきたと思っているんでしょう。とんだ恩知らずです」


「ハハハ、お墓は私が勝手に建てたんだよ。それにアルエット王子は、今のイオラと同じく、ただの被害者かもしれないよ。イオラの症状を診ただろう? 棒で粘膜部をなぞられただけで、意識を失うほど敏感に反応していた。つまり、卵が産めるほど胎の中が成熟しきったアルエット王子は、森の王の誘いに抗える状態じゃなかったのかも」


 それはゾッとするような仮説です。聞きたくありませんでした。


「快楽に負けて、ひたすらに産ませられていたと……。今あの森の中には、いったいどれほどの幼体がいるのでしょうか、想像もつきません」


「イオラも森を出ない生活を続けていたら、第二のアルエット王子になっていただろうね」


 食べカスいっぱいの膨らんだほっぺを指でつつかれて、妖精が「へへ〜」と笑いました。なんと呑気な……。


「イオラは泣いて懇願したり、泣きながら甘えてくるのが可愛いのにね。完全に洗脳してふにゃふにゃにしちゃったら、つまらないじゃないか」


「お兄様、イオラのお腹にあの器官があるうちに……イオラがお兄様のモノになりたがっている今のうちに、手に入れてしまってはどうでしょう。ニーポンなんて知らない国に帰して二度と会えなくなるよりも、イオラだって、お兄様のそばで幸せになりたいはず」


 彼が帰りたがっていることは、黙っておきます。彼の家族だって、身内が王族の寵姫に選ばれることを喜ばしく思うはずです。


「僕は、いつもお辛いことを我慢しているお兄様に、幸せになってほしいんです。今のイオラなら、一晩ベッドで愛してあげるだけで簡単に落ちます。ずっとお兄様のそばに、いてくれます」


「森の王がアルエット王子にしたことと、同じことをしろって言うのかい?」


「いけませんか? お兄様だって、本当はイオラを必要としているはずです」


 だってお兄様があんなにも愛おしそうに見つめる相手ですから。城に忍び込んだ賊を拷問し、仲間の情報とアジトを吐かせるときは、それはそれは険しいお顔をされるんです。


「イオラの患部を診察するたび、考えていました。ココにお兄様のがたっぷりと注がれていればいいのに、って。イオラはずっとお兄様のこと、寂しく待ってるのに、って」


「イオラがここに居ることができるのは、あの器官が消えるまでだよ。私と彼じゃ、ウマも性生活も合わないだろうからね」


「そうでしょうか? 痛いのにも激しい羞恥にも、興奮し発情するイオラですよ?」


「その反応も、あの器官があるからさ。我々に適応したメスになって、子孫を残そうと必死になっているだけだよ」


 そうなのでしょうか……。


 僕の思い込みが強いだけなのかもしれませんが、イオラは悪態をつきつつも、お兄様に全て許しているような気がするのです。


 しかし恋人関係というものは、双方合意の上で初めて成り立つものです。どちらか一方が関係を拒否していては、恋人同士になることは不可能です……。


 惜しいですね……お兄様の日々の慰めになってくれる人が、ようやく見つかったと思ったんですけど。


「ではお兄様は、イオラをニーポンの家族のもとに、帰して差し上げるおつもりなのですね……。またどこかで、イオラのようなお相手がお兄様の前に現れることを、お祈りしております」


 せいぜいデータ採取のためにイオラを利用する程度しか、関係性を深めないということですね。それもまたお兄様らしいです。この人は髪の一本まで、国のモノなのです。自身もそのように生きる覚悟を、決めている御人です。


 未だニーポンがどこかは不明ですが、家族のもとに返して頂けるイオラは、お兄様に一生涯感謝して、都度お兄様の召喚に応じて、労いお慰めする義務くらい背負わせても良いと思います。どう転んでもお兄様に貞操を捧げてもらうよう、こちらで図らねば。


「……サフ、私は彼を家族のもとに帰すだなんて、いつ言ったかな」


「え?」


 不穏な空気を感じ、僕は語尾を跳ね上げました。


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