第5回:煙 亜月さま「あの山を越えろ」

 まずは原作をどうぞ。


   ◇


「あの山を越えろ」


 父は登山家だった。危険を省みない冒険家だ。

 自然の摂理のように母はわたしに淑やかに育つよう、冷暖房の利いた室内で始まって終わる仕事に就けるよう、教育に明け暮れた。たとえば習い事。ピアノは右手と左手がばらばらの動きをするので脳の処理能力が上がる。四歳より始めた。幼稚園、小学校の最大の鬼門はプール。乳児のころから水に親しんだ。幼稚園、小学校で水泳の授業のたびにぎゃあぎゃあとうるさく泣く子もいたけど、わたしは違った。小学校一年生ですでに飛び込みも潜水も距離泳も難なくこなし、河童の薬がどうのこうのという噂まで立った。英会話、珠算、公文式。早期に始めるとよいとされる習い事を、母は半ば押しつけるようにしてわたしに教え込んだ。


 八歳の時、父が死んだ。

 マッターホルンの北壁とやらで墜落し、それを見たパーティがキャンプに下山して伝えたそうだ。もちろん遺体など回収できない場所だ。喪主である母は葬儀でこういった。『夫の死を無駄にせず、ひとりでも多くのひとを登山などという自殺行為から救ってほしい』。

 父の背中を見ていた若き登山家たち、生き残りの当時のパーティはSNSで「彼を絶対に連れて帰る」と宣言し、再びマッターホルンの北壁ルートでの登頂を目指し、死んでいった。


 

「あのさ、母さん」

「なあに、絵美?」中学の水泳部の部活、その後のピアノのレッスンから家に帰り、わたしはいった。少し間をおいて、

「父さんって、どんなひとだったの?」と、問いかける。

 母は椅子から立ち上がり(その勢いで椅子が倒れる)、顔を真っ赤にする。唸り声をあげ、呼吸を止め、自分の眼鏡を外してリビングへと歩む。


「ああ! ああああ!」


 温厚な母の激昂に恐怖を覚えながらたじろいだが、母はソファに座り、ため息を二つか三つ、深呼吸のように繰り返した後で、

「絵美、ここ。おいで」と、ソファをぽんぽんと叩く。母の豹変をわたしは警戒しつつ、隣にかける。

「パパはね」

 これまでの親戚連中からの話を聞くに、母は父をこき下ろすのだろうと身構える。

「すっごく勇敢で、怖いもの知らずで、だれよりも格好よかった。けどね」

 母はまた横隔膜の震えるような深呼吸をする。

「死んじゃったら、なにも残らないのよ。確かに登頂したときはスポンサーからお金も入ったの。とんでもない額のね。でも、パパが天国に行った北壁ではだれもなにも得る物もなく、ただただ悲しい、つらい、って。そういうのが登山なの。ほとんどの登山家は山で死ぬ。それで、絵美も知ってるだろうけど、同じパーティ、つまり登山隊ね、そのひとたちはまた北壁にチャレンジした。結局、パパが墜ちた時のパーティはみんな天国へ行った。それが、登山。山に取り憑かれたひとは山にしか行き場所がないのよ。パパはね、生きてれば五十一歳。あのとき引退しても賞金とか、貯金だけで暮らすことだってできた。それで、絵美」


 母はわたしを抱き寄せ、わたしの頭に頬を乗せる。


「いつかいうんじゃないかってびくびくしてたの、ママは。絵美もいつか、山に取り憑かれるんじゃないかって。だからその時は——」


 母はそのままの姿勢で、


「ママを殺してから山に行って。でないとママ、世界で一番大切なひとをふたりも失っちゃうから」


 といった。母の表情は、うかがえなかった。



 中学校を卒業し、県立高校の普通科に入った。音楽科と迷ったが、進路指導の教員に、今は何かに特化するタイミングではない、と諭されたというのも理由だし、自分自身、この程度のピアノで身を立てられそうにもないと判断したからだ。


 部活動は水泳部と交響楽団を掛け持ちした。水泳部では補欠、交響楽団ではピアノの譜めくりとして出演した。


 自分は理系ではないような気がして、文系を選択したがあながち間違いでもないようだった。外国語が輝いて見えたのだ。フランス語のたおやかさ、ドイツ語の正確さ、イタリア語の賑々しさ。なかでもわたしは中国語のけんか腰のような、でも静かに語ると日本語にはない、優美な響きに恋をした。

 ああ、恋をしたんだと思う。英語は幼少期の英会話のおかげというか何というか、第二の母国語かのように他言語となにがどう異なって、なにがどう秀でているのか分からなかった。つまり、英語はわたしにとって水のような中性だったのだ。ところが先に挙げたフランス語やドイツ語などはひりひりするほど熱い、もしくは凍えるほどに冷たい洗礼だったのだ。


 わたしは外国語大学に進学し、主専攻を国際コミュニケーション学とした。どこへ行っても仕事にありつける通訳者、翻訳家として生き抜くためだ。数学や物理など、万国共通の言語も魅力的に思えた。それら科目もたしかに一、二年次では使えたが、国際エデュケーション学、海外で現地の数学なり物理の教員として出世するにはあまりに貧相な成績だった。やはり高校での苦手は克服できていないようだ。当初より希望していた、現地人とのおしゃべりを目標とした。



「絵美、大学はどう? 彼氏さんはもう見つかった? 変な男に引っかかってないよね?」

「もう、心配しすぎ。成績はかなりいい方よ、母さんの教育がよかったからね。いい感じのひとはいるよ。今度、そっちに挨拶に行きたいって彼もいってるわ」

 じゃあね、風邪ひかないでね、とお互いに気遣ってわたしは国際電話の終話をタップした。標高二〇〇〇メートル——寒いな。スイス、ツェルマット。あまりにも峻険なマッターホルンがその北壁と東壁を見せている。徐々に高度を上げたので高山病はそれほどでもない。この頃は母に嘘ばかりついている。博士後期課程を終えたわたしはもうすぐ三十路で、男っ気のないことでここのキャンプでは知られている。


「なあ、絵美! 来てくれ! イタリア野郎がブルっちまって“ママ助けて!”ってほざいてるんだ!」

 もう吹っ切れた。若年性認知症の母を騙すのも、死んだ父に憧れるのも、登山隊同伴通訳としてこれからを自分の足だけで生きるのも、もう吹っ切れたはずだから。だから、

「オーケー、すぐ行くわ! そいつに金玉がちゃんとついてるか、あたしが見てやるから!」


 そういったわたしは草原を足取りも軽く、キャンプへと駆けていった。


   ◇


 では、以下ワタクシ、秋坂ゆえが赤入れしたバージョンをば。


   ◆


「あの山を越えろ」


 父は登山家だった。危険を省みない冒険家だ。

 自然の摂理のように母はわたしに淑やかに育つよう、冷暖房の利いた室内で始まって終わる仕事に就けるよう、教育に明け暮れた。たとえば習い事。ピアノは右手と左手がばらばらの動きをするので脳の処理能力が上がる。四歳より(※意味は通じますが、「から」の方がこの主人公の勝ち気さが出るように思います)始めた。幼稚園、小学校の最大の鬼門はプール。乳児のころから水に親しんだ。幼稚園、小学校で水泳の授業のたびにぎゃあぎゃあとうるさく(※「ぎゃあぎゃあ」の時点でうるささは分かるので、別の表現にしては?)泣く子もいたけど、わたしは違った。小学校一年生ですでに飛び込みも潜水も距離泳も難なくこなし、河童の薬がどうのこうのという噂まで立った。英会話、珠算、公文式。早期に始めるとよいとされる習い事を、母は半ば押しつけるようにしてわたしに教え込んだ。

(※この次のパラグラフで衝撃的な「父の死」という話題になるので、教育熱心な母親に対し、父親はどう思っていたのか、或いは何も思っていなかったのか、情報がほしい気もしますが、これはこれで味かとも思います)

 八歳の時、父が死んだ。

 マッターホルンの北壁とやらで墜落し、それを見たパーティがキャンプに下山して伝えたそうだ。もちろん遺体など回収できない場所だ。喪主である母は葬儀でこういった。(※改行するか、ダッシュの活用はいかがですか? 強烈な彼女の言葉を、ここで流すのはもったいなく思います)『夫の死を無駄にせず、ひとりでも多くのひとを登山などという自殺行為から救ってほしい』。

 父の背中を見ていた若き登山家たち、生き残りの当時のパーティはSNSで「彼を絶対に連れて帰る」と宣言し、再びマッターホルンの北壁ルートでの登頂を目指し、死んでいった。


 

「あのさ、母さん」

「なあに、絵美?」中学の水泳部の部活、その後のピアノのレッスンから家に帰り、わたしはいった。少し間をおいて、

「父さんって、どんなひとだったの?」と、問いかける。

 母は椅子から立ち上がり(その勢いで椅子が倒れる)(※僕の勉強不足かもしれませんが、「台詞」の中に(かっこ)入れてさらに地の文を書くのは初めてお目にかかりました。こういった手法を使われるなら、他の箇所でも使用しないと、浮くと思います)、顔を真っ赤にする。唸り声をあげ、呼吸を止め、自分の眼鏡を外してリビングへと歩む。


「ああ! ああああ!」


 温厚な母の激昂に恐怖を覚えながらたじろいだが、母はソファに座り、ため息を二つか三つ、深呼吸のように繰り返した後で、

「絵美、ここ。おいで」と、ソファをぽんぽんと叩く。母の豹変をわたしは警戒しつつ、隣にかける(※腰掛ける?)。

「パパはね」

 これまでの親戚連中からの話を聞くに、母は父をこき下ろすのだろうと身構える。

「すっごく勇敢で、怖いもの知らずで、だれよりも格好よかった。けどね」

 母はまた横隔膜の震えるような(※横隔膜の痙攣がしゃっくりなので、少々深呼吸とは合わないかもしれないと思いました)深呼吸をする。

「死んじゃったら、なにも残らないのよ。確かに登頂したときはスポンサーからお金も入ったの。とんでもない額のね。でも、パパが天国に行った北壁ではだれもなにも得る物もなく、ただただ悲しい、つらい、って。そういうのが登山なの。ほとんどの登山家は山で死ぬ。それで、絵美も知ってるだろうけど、同じパーティ、つまり登山隊ね、そのひとたちはまた北壁にチャレンジした。結局、パパが墜ちた時のパーティはみんな天国へ行った。それが、登山。山に取り憑かれたひとは山にしか行き場所がないのよ。パパはね、生きてれば五十一歳。あのとき引退しても賞金とか、貯金だけで暮らすことだってできた。それで、絵美」


 母はわたしを抱き寄せ、わたしの頭に頬を乗せる。


「いつかいうんじゃないかってびくびくしてたの、ママは。絵美もいつか、山に取り憑かれるんじゃないかって。だからその時は——」


 母はそのままの姿勢で、


「ママを殺してから山に行って。でないとママ、世界で一番大切なひとをふたりも失っちゃうから」


 といった。母の表情は、うかがえなかった。(※好きです)



 中学校を卒業し、県立高校の普通科に入った。音楽科と迷ったが、進路指導の教員に、今は何かに特化するタイミングではない、と諭されたというのも理由だし、自分自身、この程度のピアノで身を立てられそうにもないと判断したからだ。


 部活動は水泳部と交響楽団(※元オーケストラのメンバーとして違和感を覚え、交響楽団との差異を調べました。フルオケにピアノはないので。しかし、フルオケと交響楽団の違いは、演奏するジャンル次第のようです)を掛け持ちした。水泳部では補欠、交響楽団ではピアノの譜めくり(※ポップスなどではピアノが参加するようですね。譜めくりがいるとは知りませんでした。勉強になりました)として出演した。


 自分は理系ではないような気がして、文系を選択したがあながち間違いでもないようだった。外国語が輝いて見えた(※これは視覚的な表現)のだ。フランス語のたおやかさ、ドイツ語の正確さ、イタリア語の賑々しさ。なかでもわたしは中国語のけんか腰のような、でも静かに語ると日本語にはない、優美な響き(※こちらは聴覚的な賛美ですよね。細かくて恐縮ですが、統一した方がいいかもしれません)に恋をした。

 ああ、恋をしたんだと思う。英語は幼少期の英会話のおかげというか何というか、第二の母国語かのように他言語となにがどう異なって、なにがどう秀でているのか分からなかった。つまり、英語はわたしにとって水のような中性だったのだ。ところが先に挙げたフランス語やドイツ語などはひりひりするほど熱い、もしくは凍えるほどに冷たい洗礼だったのだ。


 わたしは外国語大学に進学し、主専攻を国際コミュニケーション学とした。どこへ行っても仕事にありつける通訳者、翻訳家として生き抜くためだ(※ここで、当初の目標を入れておかないと、この段落の最後にある『妥協』が活きないように感じます)。数学や物理など、万国共通の言語も魅力的に思えた。それら科目もたしかに一、二年次では使えたが、国際エデュケーション学、海外で現地の数学なり物理の教員として出世するにはあまりに貧相な成績だった。やはり高校での苦手は克服できていないようだ。当初より希望していた、現地人とのおしゃべりを目標とした。



「絵美、大学はどう? 彼氏さんはもう見つかった? 変な男に引っかかってないよね?」

「もう、心配しすぎ。成績はかなりいい方よ、母さんの教育がよかったからね。いい感じのひとはいるよ。今度、そっちに挨拶に行きたいって彼もいってるわ」

 じゃあね、風邪ひかないでね、とお互いに気遣ってわたしは国際電話の終話をタップした。標高二〇〇〇メートル——寒いな。スイス、ツェルマット。あまりにも峻険なマッターホルンがその北壁と東壁を見せている。徐々に高度を上げたので高山病はそれほどでもない。この頃は母に嘘ばかりついている。博士後期課程を終えたわたしはもうすぐ三十路で、男っ気のないことでここのキャンプでは知られている。


「なあ、絵美! 来てくれ! イタリア野郎がブルっちまって“ママ助けて!”ってほざいてるんだ!」

 もう吹っ切れた。若年性認知症の母を騙すのも、死んだ父に憧れるのも、登山隊同伴通訳としてこれからを自分の足だけで生きるのも、もう吹っ切れたはずだから。だから、

「オーケー、すぐ行くわ! そいつに金玉が(※「が」を抜いてはどうでしょう? 勢いが増す気がします)ちゃんとついてるか、あたしが見てやるから!」


 そういったわたしは草原を足取りも軽く、キャンプへと駆けていった(※「駆けていった」ですと、一人称で書く場合、第三者の行動を描写しているように感じます)。


   ◆


 はい、ちょっとオケの部分でエキサイトしてしまいましたが、最後の赤入れ、煙さんの「あの山を越えろ」、非常にいじりがいのある(褒め言葉)作品でした。

 めっちゃエモいっすね、これ。この主人公の女性、憧れますが、気になったことがひとつ。 


 これは煙さんのみならず、自分も含んだ全ての書き手さまにお伝えしたいネタなのですが、「こういう身分・職業・状況の登場人物が、こういった単語・流行語を使うか?」と、僕は執筆時いつも、ほんの少しですが意識しています。


 実際に出版されている小説で、引きこもりの若年無業者が、作中で女性の服装を描写する時、「ホルターネック」という言葉を使ったんです。手もとにその作品がないので確認はできないのですが、不登校で引きこもりになっている男子が、僕も知らなかった「ホルターネック」といったファッション用語を知っている、というところに強烈な違和感を覚えました。

 また、石田衣良先生の隠れた名作「うつくしい子ども」で、主人公が弟(中高生)のとある状況を見て、「ビルケンシュトックのサンダル」と言うシーンがあるんですが、仮にその家庭が裕福だったとしても、高校生は分かりませんが、中学生がビルケンのサンダルなんか買えるか? と思ったこともあります。


 まあ、つまりはキャラクター・デベロップメント、登場人物たちをただの「ロール=役割」として扱わず、きちんとバックグラウンドを練ってあげてから書くといいかもよ♪ ということ、ええ、ただそれだけなんですよ……(何故か嗚咽)。


   🎵


 と、いうわけで!

 とりあえず、僕の自主企画の「隠しオプション」にすぎなかった「赤入れ」で、ここまで盛り上がるなんて、正直予想外でした!

 どの作品もクオリティが高く、それをより良くするために何ができるか模索すること、たとえ作者さまに「うぜぇ」、「こんな細かいこと誰が気にすんだよ」と思われようと構わない、というつもりで僕なりに五作、赤入れ完遂いたしました。


 一度この作品は「元祖」と付記して、完結にいたします。

 また僕が赤入れをするかは不明ですが、まあ、「元祖」なら許されるかな、と。


 では、作者さま、読者さま、またいつかどこかで、例えば秋坂ゆえをフォローするとかでお会いしましょう!!

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【元祖】秋坂ゆえの「赤入れ」原稿集 秋坂ゆえ @killjoywriter

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