最終話 女狐はしたたかに笑う

 私は牧さんの話が小説のひとコマのようで、現実の話として受け止めることができなかった。すっかり冷めてしまったコーヒーを口に運び、一息ついた。


「ふふ。こんな話いきなりされても信じられるわけないわよね」


 長い黒髪を耳にかけながら、牧さんが笑った。確かに信じがたい話だが、わざわざ牧さんが私に絵空事を並べたとてなんの得があるというのか。


「あれから栗原さん親子はすぐにこっちに戻ってきてたらしいんだけど、しばらくは恥ずかしくて中学校に連絡もできなかったみたいよ。今は魂が抜けたみたいになってるらしいわ。いい気味」


 確かに私も栗原さんの現在の噂を耳にすることがある。ほとんど化粧もせず、作業服姿で仕事に励んでいるらしい。彼女の心に今残るのは、傷心したザラついた記憶か、秘めた逆鱗か。それとも裏切られてもなお彼を想うひたむきな愛情なのだろうか。いや、それはさすがにないか。


 話に夢中になっていた牧さんはコーヒーのおかわりを注文。バックの中から徐に1枚の写真をとりだした。


「そういえばね。もううひとつ続きがあるの。興信所に頼んだ石田の素行調査で掴んだ写真のひとつがコレなんだけど……」

 

 私は驚いて思わずコーヒーを吹き出しそうになった。


「こ、これって。まだ幼い女子高生じゃないですか!」


 その写真にはラブホテルへ入っていく大人の男性と制服姿の女の子がうつしだされていた。ラブホテルの入り口で男性は女の子の肩を抱き、ニヤついた表情を浮かべている。


「そうこの男性が石田。女の子の制服なんだけど、都内の有名な中学校の制服らしいわ。これ以外にも1か月以内に複数の学生の女の子とホテル通いしてたのよあの男。本当に見境なく女にだらしない男だったみたい。だから匿名で警察にこれらの写真をまとめてプレゼントしてあげたわ。いつも決まって同じホテル使ってるみたいだからすぐに見つけられるでしょうね。あとは警察にお任せ、何かしらの処罰を受けることでしょう」


「石田って男の人、相当のワルだったんですね」


「本当よ。もしかしたら私、逆に栗原さんを助けちゃったのかもしれないわ」


 そう言って牧さんは、おどけるように肩をすくめた。


「ここ数ヶ月なんだかスリリングな冒険をしてるみたいだったわ。いざ離婚届を出す時って時も、もっと悲しみのどん底みたいな気持ちになるかと思ってたのに、すっごくスッキリしちゃった。もっと早くにこうするべきだったのかもね」


 私は改めて目の前に座る牧さんの姿をマジマジと見つめる。


「田村さんどうかしたの?」


「いえ、牧さん変わったな〜と思って。初めてここでお茶した時とは別人みたい。こんなこと言うと失礼かもしれないけど、今のほうが素敵に見えます」


 牧さんは少し恥ずかしそうにしている。私はひとつずっと心に引っかかっていた疑問を投げかけた。


「あの〜牧さん。少し前の話になるんですけど。祐也くんが6年生の時の文化祭覚えてないですよね?あの日って牧さん学校に来てました?」


 牧さんは記憶を辿るように遠くを見つめる。


「ん〜。たぶんいろんな噂が面倒だったから、学校とは疎遠になってた時期じゃないかしら」


「そうですよね。実は文化祭当日に栗原さんが突然現れて、サッカー部の保護者の方にかなり責められてて。その時の栗原さんが牧さんを探してたんですよ。だから約束でもされてたのかなって。そんなわけないですよね」


 すると牧さんは私の目をまっすぐ見つめ。


「さあ。どうだったかな〜」


 そう言ってニヤリと笑った。私は少しだけ背筋がゾクッとした。あれはもしかして牧さんが仕掛けたトラップだったのだろうか。


 牧さんはおかわりのコーヒーを飲みほして、店内の様子をゆっくりと見渡した。それはとても穏やかな表情だった。


「実はね。今日は田村さんにお別れを言いにきたの。引っ越しは来年になると思うけど。私、子供達と一緒にしばらくこの土地を離れようと思ってて。あまりにもいろいろとあり過ぎちゃったし。田舎って噂が横行しちゃうのよね。住みづらくってイヤになっちゃう」


「えっそうなんですか。こんな形だったけど私、牧さんとここで過ごす時間をすごく楽しみにしちゃってました。寂しくなりますね」


 これは私の本音だった。私は思わず視線を落とした。


「そんなふうに言ってくれてありがとう。落ち着いたらメールするわ。なかなか会えなくなるけど、もう田村さんとは友達だもの。本当に感謝してる」


 そう言うと彼女はそっと腕時計をみた。


「さてそろそろ時間だわ、子供達のお迎えに行かないと。それじゃあ田村さん、お元気で。またいつかね」


 彼女は軽やかな足取りで、颯爽と喫茶店を出て行った。店内はいつものように懐かしい昭和ポップの音楽が鳴り響いている。


 牧さんは来たときと同じように窓越しに私に向かって手を振っている。まるで彼女の未来を示すように優しい風が街路樹を揺らしているのが見えた。彼女は少しだけ口元を緩ませ、したたかに笑っていた。



おわり



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この度は最終話を読んでいただきありがとうございます。

ここまでおつきあいいただいたことに感謝しかありません。


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しばらく充電やわ〜w













 

 

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保護者同士の不倫騒動に巻き込まれた主婦のおはなし〜女狐はしたたかに笑う にこはる @nicoharu

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