赤崎碧の救済
「それはそれとして、そろそろお清めを始めんぞ」
赤く染まる空を一瞥し、俺は『急がねぇーとな』と意気込む。
そして、赤崎碧の霊へ向き直ると、ミニボトルに入った酒を再度振り撒いた。
「我は水の加護を授かりし、冬月の遣い。命の源を司る者。全てを清め、癒し、塗り替える力を今ここに────彼の者に課せられた咎を、毒を、重りを全て改めたまえ」
羞恥心を押し殺して何とか呪文を唱え、俺は残りの酒を一気にぶちまける。
『これで無理なら、御札を用意しなきゃな』と思案する中、赤崎碧の穢れは急激に弱まっていった。
それに合わせて周囲の臭いや煙も薄まり、少しずつ元の形を取り戻していく。
「凄い……」
赤崎葵は食い入るように母親の悪霊を見つめ、感嘆の息を漏らした。
どうやら、こういう儀式を見るのは初めてらしい。
『最近、視えるようになった口か?』と考えつつ、俺はダメ押しとしてもう一度呪文を唱える。
すると、ようやく赤崎碧を蝕んでいた穢れが全て清められた。
今はもう普通の幽霊……いや、生き霊?と言えるだろう。
「さっさと
幽体離脱なんて異常状態以外の何ものでもないため、俺はヒラヒラと手を振って帰るよう促した。
『また何かの拍子に悪霊化するかもしれないし』と危機感を抱く俺に対し、赤崎碧は優雅に一礼する。
娘によく似た黒髪を揺らしながら。
『美人母娘だな』と目を見張る中、彼女は街の方へ向かって飛んで行った。
恐らく、入院している病院へ向かったのだろう。
「ちゃんと自分の
赤崎葵の方を見てそう告げると、彼女は滂沱の涙を流す。
緊張が解けたのか足も震えており、今にも腰を抜かしそうだった。
「ぁ、あり……ありがとうござい、ます!」
深々と……本当に深々と頭を下げ、赤崎葵は感謝の意を表す。
あまりにも大袈裟な反応に、俺は大きく息を吐いた。
「礼なら、そこのお人好しに言え。俺はあくまで依頼人の意向を汲んだだけだ」
『善意でやった訳じゃない』と言い、俺は数歩後ろへ下がる。
どうも、こういうことには慣れてなくて。
『ったく、調子が狂うな……』と思案しつつ、前髪を掻き上げた。
────と、ここでふと御神木の折れた……いや、
だって、とても綺麗な断面だったから。
手入れのために切ったのか?基本、御神木の木や枝は人の手を入れないようにするのが主流なんだが。
『時代の変化ってやつか?』と頭を捻っていると、悟史のスマホが鳴った。
電話の着信らしく、彼は慣れた手つきでスマホを耳に当てる。
「うん……うん……そう……ふーん?おっけー」
一分と待たずに話を切り上げ、悟史は電話を切った。
かと思えば、少しばかり神妙な面持ちになる。
「そこの女の言う通り、久世彰は沖縄に居る。滞在場所は港近くのリゾートホテル。赤崎碧が『お礼に』って、色々手配したみたい」
「そうか。まあ、頑張れ」
『グッドラック』と言い渡し親指を立てる俺に、悟史は少しムッとしたような素振りを見せた。
「壱成もついてきてよー。相手は祓い屋なんだからさー。僕だけじゃ、やられちゃうかもしれないじゃん」
「数で押せば行ける。祓い屋の力は基本、この世ならざる者限定だからな」
「でも、呪詛は生身の人間にも通じるじゃん」
「だからこそ、数で押せって言ってんだよ。一度に何人も戦闘不能に出来るような呪詛は、ないからな。瞬発的に、となれば尚更」
『物理での喧嘩は
今日はもう心霊スポット巡りと悪霊のお清めで、疲れたため。
『桔梗の取ったホテルに転がり込んで寝るかぁ』とぼんやり考える中、悟史に腕を引かれた。
「だーかーらー、今回は僕だけなんだってば」
「はっ?」
「ほら、最初にも言ったじゃん。蓮達は置いてきたんだよ」
合流当初の会話を話題に出し、悟史は『ちゃんと聞いてなかったの?』と頬を膨らませる。
不満を露わにする彼の前で、俺は若干頬を引き攣らせた。
「置いてきたって……沖縄の空港に、とかじゃなくて?」
「うん。屋敷に置いてきた」
「……お前、馬鹿なのか?」
「刑事が居るんだから、しょうがないじゃん」
桔梗の方をビシッと指さし、悟史は『不可抗力だよ』と述べた。
すっかり開き直っている彼を前に、俺は目頭を押さえる。
「はぁ……今からでも連れてこいよ」
「そうしたいのは山々なんだけど、あっちの天気大荒れで運行見合わせだって。だから、今日中にこっちへ来るのはほぼ不可能。早くて、明日の早朝かな?」
「……ふざけんな、天気。クソが」
『何でこんな時だけ……』と項垂れ、俺は目元を手で覆い隠す。
それでも無理だ、と突っぱねるのは簡単だが……もし、一人で久世彰と対峙した悟史に何かあれば俺の責任になるだろう。
ただのヤクザ関連ならまだしも、今回は祓い屋の事情も絡んでくるから。
非難を浴びるのは間違いない……そして、何より────貴重な収入源を失ってしまう。
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