井川珠里の想い

「井川珠里さん、今から貴方の中に溜まった余分な霊力を浄化します」


 念のためそう声を掛けてから、俺は御札に自身の霊力を流した。

その瞬間、彼女の体から妖や幽霊の気配が抜け落ちて……消えていく。

まるで、最初から何もなかったみたいに。


「神様の気配もちょっと薄くなってきたね」


 お祓いの終わった御札を井川猛に手渡しつつ、悟史は『おお』と感嘆の声を漏らした。

霊力を抜くだけでこんなに違うのか、と驚いているらしい。


「この調子なら、完全に人間へ戻れるんじゃない?」


「いや、それは不可能だ。さっきも言ったが、何かしら影響は残る。それがいい方向に行くか、悪い方向に行くかは分からないが」


 じっと井川珠里の横顔を眺める俺は、ひたすら浄化を続けた。

そして、何とか余分な霊力を消し去ると、一つ息を吐く。

『やっぱ、神の気配は残っちまったな』と思いながら。


 穢れの類いであれば、お清めで何とか出来るんだが……神の持つ力は基本清らかで、塗り替えられない。

白を白で彩るようなものだから。


「俺に出来るのはここまでです。あとはもう慣れていくしか……」


「────ありがとう」


 『慣れていくしかありません』と続ける筈の言葉を遮ったのは、他の誰でもない井川珠里だった。

しっかりとこちらを見て微笑む彼女は、そっと俺の手を握る。


「私、本当は神様になりたくなかったの。人間として生きて、人間として死にたかった。だから、お父さんとお母さんを止めてくれて本当に良かった」


 浄化という措置が功を奏したのか、井川珠里は普通の人間みたいに振る舞った。

『やっと、喋れる』と歓喜しながら。


「お兄ちゃんも、お父さんとお母さんを説得してくれてありがとね。ずっと、見てたよ」


 神の力を使ってこちらの様子を窺っていたらしく、井川珠里は『格好良かったよ』と述べる。

その途端、井川猛は滂沱の涙を流した。安心して、気が抜けてしまったらしい。


「良かっ、た……ほんと、に……俺、もう……お前と話せないかと思っ、て……」


「ふふふっ。本当に泣き虫だな、お兄ちゃんは」


 『昔から変わらないよね』と言い、井川珠里はうんと目を細めた。

かと思えば、井川夫妻へ目を向ける。

どことなく、厳しい顔つきで。


「こっちへ来て」


「「……」」


 黙ってベッドに近づく井川夫妻は、彼女の目線に合わせて少し屈む。

と同時に、頬を引っぱたかれた。それも、かなりの勢いで。


「私、凄く怒っている。お兄ちゃんや私の意思を無視したこともそうだけど、全く無関係の妖や幽霊を巻き込んで……もう生きていないからって、あんな扱いしたらダメだよ」


 『命を何だと思っているのか』と説教し、井川珠里は少し涙目になる。

が、ここで泣いたらいけないと己を律し、大きく深呼吸した。


「私のためにやってくれたことは、分かっている。全て愛情の裏返しで……親心なんだって。でも、お父さんとお母さんは超えちゃいけない一線を超えた。それは一生背負っていくべきものだし、いつかとんでもないしっぺ返しを食らう覚悟はしておくべき」


 厳しい口調で責め立て、井川珠里はおもむろに手を伸ばす。

また愛の鞭でも施すのかと思いきや、彼女はギュッと両親を抱き締めた。


「だけど、私のために病気を治そうと奔走してくれたことだけは……その思いだけは、凄く嬉しかったよ。ありがとう」


 囁くようにお礼を言い、彼女はゆっくりと身を起こす。

と同時に、明るく笑った。


「神様にはならないけど、私は私として頑張るから。病気に打ち勝って、また家族四人で楽しく暮らせるように」


 自身の胸元に手を添え、井川珠里は『私の生命力を信じてよ』と述べた。

どこまでも強気に……そして、勝気に振る舞う彼女はこの場の誰よりも人間として出来ている。


「そういう訳で、お父さんお母さんお兄ちゃん。サポート、よろしくね」


 『私は治療に専念するから』と告げる井川珠里に、他の三人は大きく頷いた。

『必ず支える』と言い、心を一つにする彼らはもう立派な家族だろう。


 今のこいつらなら、どんな結果になっても多分大丈夫だろう。


 などと思いつつ、俺は悟史を連れてこっそりリビングへ向かう。

家族水入らずを邪魔するのは、どうかと思って。

『さっさと帰るか』と思案しながら、簡単なメモをテーブルの上に置いた。


「悟史、表に車回せ」


 学ランのフックを外しながらそう言うと、悟史は『おっけー』と二つ返事で了承。

でも、学ランを脱ごうとするのは止められた。


「今日はこのままで行こ」


「ふざけんな」


「いいじゃんいいじゃん、たまにはさ」


 『今だけ学生時代に戻ったと思って』と説得し、悟史は俺の手を引いて歩き出す。

一度言い出したら聞かない性分の彼を前に、俺はチッ!と軽く舌打ちした。

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